慰問 玉座の上に、二つの人影が座っている。片方は大柄な老人で、もう一人は年端もいかない少年だ。もうひとつの玉座は空席になったまま、主の帰りを待ち続けている。残された二人は、黙ったまま中央のモニターを眺めていた。
「ルチアーノ」
不意に、ホセが言葉を発した。言葉は少年に向けられているが、視線はモニターから動かない。横柄な態度に、ルチアーノが不機嫌そうに鼻を鳴らす。ちらりと視線を向けてから、面倒臭そうに返事をした。
「なんだよ」
「少し付き合え」
「はぁ?」
投げ掛けられた言葉に、ルチアーノは大袈裟な声を上げた。眉を上げると、冷めきった視線を向ける。ホセは、平然とした顔で前のモニターを眺めていた。その態度に、さらにルチアーノの顔が歪む。
「何でだよ。用事なら人間を使えばいいだろ」
生意気な反論だが、ホセは少しも動じなかった。平然とした顔でルチアーノを見つめ、淡々とした口調で答える。
「人間ではいかんのだ」
「何でだよ」
「付いてこい。そうすれば分かる」
頑なな言葉に、ルチアーノは大きくため息を付いた。この老人は、どうしても仲間を連れていきたいらしい。プラシドが不在の今、彼が従うしかなかった。
「分かったよ。全く、何を考えてるんだか」
少年の悪態に、ホセは僅かに眉を上げる。ちらりと視線を向けたが、言葉を返すことはなかった。
ホセに連れられて辿り着いたのは、大型ショッピングモールの玩具売場だった。色とりどりのパッケージが並ぶ賑やかな店内を、買い物カゴを手に歩いている。後ろを歩く少年は、不満そうな表情を浮かべていた
「全く、何を考えてるんだよ。僕をこんなところに連れてくるなんてさ。いったい何の用事なんだ」
悪態を吐くルチアーノを、ホセは無表情のまま振り返った。大柄な身体で見下ろすと、淡々とした声で諭す。
「黙って付いてこい」
カモフラージュをしているとはいえ、大柄な老人の姿はよく目立つ。買い物客にチラチラと見られる度に、ルチアーノは恥ずかしそうに唇を噛んだ。
ホセは、黙って棚へと向かっていく。パーティゲームのパッケージやアニメのグッズなどを手に取ると、片っ端からカゴに入れていく。何を基準に選んでいるのか、男児向けから女児向けまで幅広く選び出されていた。
次に向かったのは、スポーツ用品の棚だった。縄跳びやボールを手に取ると、やはりカゴの中に入れていく。その姿を、ルチアーノは冷めた目で見つめていた。
「ルチアーノ」
不意に声をかけられ、ぴくりと身体を揺らす。まさか、ここで名前を呼ばれるとは思っていなかったのだ。動揺を抑え込むと、平然を装って返事をする。
「なんだよ」
「スケートボードを選べ」
「はぁ?」
突然の要求に、彼は頓狂な声を上げてしまう。声をかけたと思ったら、意味不明な要求をするのだ。真意が分からなかった。
「お前は、Dボードを使っているだろう。どのボードが子供に合うか、よく分かるはずだ」
「なんだよ、それ」
答えながらも、ルチアーノは棚に視線を向けた。選べと言われても、彼に子供の気持ちなど分からない。いくつかを見比べると、そのうちのひとつを手に取った。
「ほら、選んだぞ」
「それか」
一言だけ答えると、ホセはボードを受け取った。両手にカゴを持ったまま、小脇にボードを抱えている。再び歩き出すと、今度はぬいぐるみの棚へと向かった。
ここでも、ホセはぬいぐるみをカゴに入れていた。可愛らしい動物のものから、恐竜や猛獣など、見境なく手に取っていく。この男が何を考えているのか、ルチアーノにはさっぱり分からなかった。
カゴが溢れかけたところで、ホセが動きを止める。視線は、大きな熊のぬいぐるみに向けられていた。しばらく凝視してから、背後に佇む少年に声をかける。
「ルチアーノ」
「……今度はなんだよ」
「あの熊を持って来い」
「はぁ?」
再び、頓狂な声を上げてしまう。何を要求されているのか分からなかったのだ。眉を歪めて佇むルチアーノを見て、ホセは再び口を開く。
「あの熊を買う。レジまで持って来い」
「だから、何で僕が……」
そこまで言ってから、彼は言葉を引っ込めた。ホセの両手は、カゴで塞がっていたのだ。熊のぬいぐるみを持つ余裕が無いことは明らかだった。
「…………分かったよ」
しぶしぶと言った態度でルチアーノは熊を手に取った。大きめのぬいぐるみは、彼の腕にすっぽりと収まる。ぬいぐるみを持って玩具屋を歩くなんて、まるで子供そのものだ。羞恥に頬が染まる。
「行くぞ」
ホセに先導され、顔を伏せながらレジへと向かう。カウンターに辿り着くと、突きつけるようにぬいぐるみを置いた。
店員の女性は、次々と商品をスキャンしていく。大きめの袋は、すぐに玩具で埋まってしまった。最後に熊のぬいぐるみを通すと、店員が一度手を止める。新しい袋を取り出そうと手を伸ばしたところで、ホセが声をかけた。
「それは、そのままでいい。…………ルチアーノ」
「まさか、持って帰れって言うんじゃないだろうな」
「そのまさかだ」
抵抗の意思があるのか、ルチアーノはしばらくその場から動かなかった。ホセの鋭い視線に射抜かれ、しぶしぶとぬいぐるみを受け取る。頬を膨らましながらも、両腕で抱え込んだ。
「こんなもの、何のために買ったんだよ。こんなことをさせるつもりなら、僕じゃなくても良かっただろ」
店を出ると、ルチアーノは抗議の言葉を告げる。悪態を聞き流しながら、ホセは人混みから離れていった。
「おい、聞いてるのかよ」
「静かにしろ。理由などすぐに分かる」
静かな威圧に、ルチアーノは口をつぐんだ。彼は、大人の威圧に弱いのだ。ホセに睨まれると、言葉は喉の奥に消えてしまった。
人気のない階段に向かうと、彼らはワープ機能を起動した。玩具の入った袋を抱えたまま、光の中に包まれる。次の瞬間には、その場から姿を消していた。
それから数日後ほど経った頃、ルチアーノは旧サテライトエリアを歩いていた。子供のような洋服に身を包み、両手には熊のぬいぐるみを抱えている。隣には、人間に擬態し、スーツに身を包んだホセが、しっかりとした足取りで歩いている。背後から続くのは、玩具の台車を運ぶ人間たちだ。
ホセの向かった先は、小さな孤児院だった。何度かノックをすると、中から四十代くらいの女性が姿を現す。彼らの姿を見ると、嬉しそうに笑みを浮かべた。
「ようこそ、お待ちしておりました」
彼女に案内され、室内へと足を踏み入れる。年季の入っているらしいその建物は、掃除をされているのに薄汚れて見えた。気分の悪さを感じながらも、表情には出さずに応接間へと進んでいく。この訪問の目的は、事前にホセから聞かされていたのだ。
「治安維持局幹部の方が慰問に来てくださるなんて、本当に光栄です。支援品までいただいてしまって、なんてお礼をしたらいいのやら……」
感極まったという様子で、女性は言葉を切った。彼女に視線を向けると、ホセは優しい笑みを浮かべる。普段からは想像もできないその笑顔に、ルチアーノは妙な気持ち悪さを感じた。
「そんなに改まらないでください。これは、私が望んでやっていることですから」
答える言葉や声色も、信じられないほどに爽やかで丁寧だ。あからさまな猫かぶりに顔をしかめたくなりながらも、ルチアーノなんとか堪える。ホセから、せめて微笑みくらい浮かべていろと言われていたのだ。
ホセが孤児院に向かうと言い出した時、ルチアーノは頓狂な声を上げてしまった。よくよく話を聞くと、それは慰問が目的なのだという。勝手にしろと答えたが、彼はルチアーノの同行を求めた。くすんだ瞳で威圧され、拒絶の意志を失ったルチアーノは、しぶしぶ同行を認めたのである。
ホセの筋書きでは、彼は治安維持局の職員という設定らしい。シティと旧サテライトエリアの断絶を埋めるために、各地の孤児院に慰問しているということになっている。ルチアーノは彼の孫で、子供たちと遊ぶために同行したという設定だった。
「ルチアーノ」
不意に声をかけられ、彼は顔を上げる。反抗しそうになって、慌てて言葉を抑えた。彼の心を読んだのか、ホセは演技を保ったまま言う。
「ここにいるのは退屈だろう。子供たちと遊んできなさい」
それが退席の要求であることは、ルチアーノにもすぐに分かった。しぶしぶ席を外し、子供たちの集まる大広間へと向かう。そこでは、ホセの従者が玩具を配っていたようで、群がる子供たちで溢れていた。
子供たちの一人が、彼に気づいて振り返る。それに応えるように、別の子供たちも振り返った。
「ねえ、君って治安維持局の人と一緒に来てた子だよね?」
声をかけられ、ルチアーノは僅かに怯んだ。子供たちは無邪気に彼を囲む。彼の気も知らずに、口々に言葉を発した。
「ねぇ、どこから来たの?」「一緒に遊ぼうよ」「プレゼントは二人で選んだの?」
何も言い返せずに立ち竦むと、彼らよりも年上らしい少女がやって来た。子供たちをルチアーノから引き離すと、諭すように子供たちを見る。
「ほら、お客さんが困ってるでしょ。ちょっと離れなさいよ」
彼女の言葉を聞くと、子供たちはおずおずと距離を置いた。彼らの熱気から解放され、ルチアーノもそっと息をつく。彼に視線を向けると、少女は申し訳なさそうに言った。
「ごめんね。びっくりしたでしょ」
「別に、そんなことないよ」
彼の返事は、やはり強がりだった。神の代行者として玉座に座っているだけの彼は、子供と触れ合ったことなどなかったのだ。今だって、どう接していいか分からないのだ。
「よかったら、みんなと遊んであげてよ」
そう言われ、仕方なく子供たちの輪に入っていく。デュエルをしているグループを見つけると、その中に加わった。
十分すぎるほどの手加減をしながら、床にカードを広げている。デュエルディスクを使わないデュエルは、いつぶりかすら思い出せないほど懐かしいものだった。彼らにとって、デュエルは戦闘手段のひとつである。娯楽としてのぬるいデュエルなど、ほとんどしたことがなかったのだ。
そうこうしているうちに、ホセが部屋に入ってきた。院長の女性と共に、子供たちの前に並ぶ。女性に誘導されると、子供たちは揃ってお礼を言った。
「おじいさん、プレゼントありがとう!」
「たくさん遊んで、大きく育つんだよ」
ホセの優しい声かけに、ルチアーノは再び顔をしかめそうになる。いったい、この男は何を考えているのだろうか。仲間のことなのに、何一つ理解できなかった。
「帰るぞ」
女性にお礼を言うと、ホセはルチアーノに声をかけた。玩具を運んできた従者を従えると、用意された車に乗り込む。発進してしばらく経った頃に、不意にルチアーノが尋ねた。
「なんで孤児院なんか訪ねるんだよ。みなしごに恩を売ったところで、僕たちに良いことなんかないだろ」
ホセは、静かにルチアーノを眺めた。その瞳の冷たさに、ルチアーノは僅かに威圧される。彼が怯んだことを悟ると、ホセは再び口を開いた。
「意味なら、ある」
「はぁ?」
ルチアーノは意味が分からないという表情を浮かべる。その姿を眺めてから、ホセは一言だけ呟いた。
「いずれ、お前にも分かるだろう」
それ以降、彼らは何も語らなかった。静寂を保ったまま、車は淡々と彼らを運んでいく。最初から最後まで、ルチアーノには分からないことばかりだった。