グラタン「今日は、シーフードグラタンを作るよ」
家に帰ると、僕はルチアーノに向かってそう言った。突然の宣言を受けて、彼は怪訝そうな顔をする。キッチンに向かう僕に視線を向けると、呆れた声でこう返した。
「どうしたんだよ。急にそんなことを言い出して」
「いつも出来合いのものばかり食べてるでしょ。たまには、自炊してみるのもいいかなって思って」
答えると、彼は余計に顔をしかめる。僕が取り出した食材を見ると、その呆れは笑いへと変わった。
「自炊って、ほとんど出来合いみたいなものだろ。玉ねぎくらいしか買ってないじゃないか」
僕が台所に並べたのは、市販の調理キットだった。必要な具材を揃え、レシピの通りに作るだけで一品出来上がるという優れものだ。調味料も中に入っているソースだけだから、失敗する心配はなかった。
「ちゃんと自炊だよ。このレシピにアレンジを加えるんだから。レシピだと使うのは鶏肉だけど、シーフードに置き換えて作るんだ」
「そのシーフードも、冷凍の詰め合わせだろ? 君がやってるのは、具材を混ぜてるだけだよ」
「作ってるだけ偉いと思ってよ。いつもだったら、こんなことはしないんだから」
他愛の無い会話をしながらも、僕は手を動かしていた。解凍したシーフードミックスを、玉ねぎと一緒に鍋で炒める。火が通ったら、レシピの通りに調味料を加えていく。水を加え、牛乳を加え、調味料とマカロニを加えると、鍋の中は一杯になってしまった。
中身を溢さないように気を付けながら、鍋の中身を混ぜていく。しばらく火にかけると、鍋の中身はぷつぷつと沸騰し始めた。さらに混ぜると、スープ状だった液体はとろとろのクリーム状になった。
下準備ができると、中身を半分に分けて器に盛り付けた。上からチーズをかけると、オーブンの中に入れる。ここまでできたら、後は焼き上がるのを待つだけだ。洗い物を片付けながら、オーブンが止まるのを待った。
ルチアーノは、退屈そうにソファに腰をかけていた。やることが無いのか、見るともなしにテレビのチャンネルを変えている。オーブンが音を立てると、ようやくこちらを振り返った。
「できたのか?」
「これくらいの焼き色でいいならね」
答えながら、机の上にお皿を乗せる。敷物が無かったから、薄めのタオルで代用することにした。ルチアーノの分を運んだら、自分の分をオーブンに入れる。
机の上に乗せられたグラタンは、我ながらいい出来だと思った。チーズはこんがりと焼けているし、市販の調味料だから味は保証されている。けっこう自信があった。
「ふーん。見た目は悪くないな。中身も味見してやるよ」
尊大な態度で言いながら、ルチアーノは椅子に腰をかける。スプーンを手に取ると、チーズを掻き分けてマカロニを掬い上げた。湯気を立てているマカロニを、冷ますこともなく口に運ぶ。何度か咀嚼すると、あからさまに顔をしかめた。
「なんだよ、これ。マカロニが固いぞ」
「え?」
ルチアーノの言葉を聞いて、今度は僕が眉を上げた。市販品で作ったものだし、手順はそれほど複雑なわけではない。失敗のしようがないと思ったのだ。
「そんなことないでしょ。茹でないタイプのものだから固く感じてるだけじゃないの?」
「そういう固さじゃないんだよ。粉っぽくて、乾いた食感がするんだ」
「本当? 僕が料理が下手だから、意地悪を言ってるとかじゃないよね?」
そう言うと、彼はあからさまに不快そうな顔をした。湿度のある視線を僕に向けると、拗ねたような声色で言う。
「僕がそんなことをすると思ってるのか? 失礼なやつだな。そんなに言うなら、自分で食べてみろよ」
そんな話をしているうちに、オーブンが軽快な音を立てる。まだあんまり焦げ目がついていなかったが、中身が気になるから食べることにした。自分の席へと運ぶと、ルチアーノと同じようにマカロニを口に運ぶ。熱いものは苦手だから、きちんと冷ましてから口の中に入れた。
「あ……」
確かに、ルチアーノの言う通りだった。グラタンに入っているマカロニは、少し粉っぽくて固かったのだ。それも、完全に堅いわけじゃなくて、茹で時間の足りなかったパスタのような固さだ。食べられないわけじゃなかったけど、微妙な食感だった。
「な。僕の言った通りだろ」
ルチアーノが勝ち誇った顔で言う。これには、素直に謝ることしかできなかった。
「ごめん」
「ちゃんとレシピ通りに作ったのか? 面倒だから茹でるのを省略したとか、そんなんじゃないだろうな?」
自信満々な表情を保ったまま、ルチアーノは追撃の言葉を続ける。心当たりの無い発言に、僕は真正面から否定した。
「そんなことしてないよ。料理の基本はレシピを守ることだって、何度も教わってるんだから」
答えながら、スプーンでグラタンの中身をかき混ぜる。偶然、今食べたものにムラがあっただけかもしれない。ソースの中からマカロニを掬い出すと、冷ましてから口に運んだ。
こっちのマカロニは、ちゃんと柔らかくなっていた。粉っぽいところも無いし、中まで火が通っている。スプーンを置くと、ルチアーノに向かって声をかけた。
「下の方のマカロニを食べてみてよ。こっちは、ちゃんと柔らかくなってるから」
僕に言われ、ルチアーノもゆっくりとスプーンを動かす。怪訝そうな顔をしながらも、マカロニを口に運んだ。
「こっちは柔らかくなってるな。ふーん」
ぶつぶつと呟いてから、おもむろに席を立つ。キッチンを覗き込むと、カウンター越しに尋ねてきた。
「なあ、レシピの箱は残ってるかい?」
「え? 紙ゴミの中に捨てちゃったけど……。どうして?」
「ちょっと気になることがあってさ」
ゴミ箱の蓋を開けると、ルチアーノは中身を探り始めた。グラタンのパッケージを取り出すと、裏面のレシピに視線を落とす。しばらくすると、パッケージを手に僕の元へ戻ってきた。
「君は、ちゃんとレシピを見たって言ってたよな。それは、注意書も含めてのことなのかい?」
尋ねながら、彼は机の上に箱を置いた。一度捨てたものを置かれるのには抵抗があったが、汚れるようなものは入っていないから気にしないことにする。
「注意書? どういうこと?」
尋ね返すと、彼はパッケージの一点を指差した。工程を説明した文字の下に、小さな字で追記がされている。目で追う前に、ルチアーノが口を開いた。
「ここを見ろよ。マカロニはソースに絡めるようにって書いてあるだろ? 君は、ちゃんと意識して入れたのかい?」
「あ…………」
唇から、小さな声が漏れる。僕がグラタンに使ったお皿は、少し浅かったのだ。シーフードミックスを入れたこともあって、マカロニが飛び出してしまったのだろう。
「心当りがあるみたいだな。君が皿に気を遣わなかったから、飛び出したマカロニが固いままになったんだ。見たところ、他にも固いマカロニがありそうだな。これは、失敗したって言ってもいいんじゃないのかい?」
にやにやと笑いながら、ルチアーノは僕に詰め寄る。見落としを指摘された恥ずかしさで、頬が熱くなってしまった。
「ちょっと固いマカロニがあるくらいで、失敗にしないでよ。味はちゃんとしてるでしょ」
スプーンを動かすと、マカロニを口に運んでいく。ところどころ固いところがあるが、食べられないほどではない。これを失敗扱いするなんて、ルチアーノは厳しすぎるのではないだろうか。
「ひひっ。市販のグラタンさえ失敗するなんて、君は本当に料理が下手だなぁ」
隣からは、ルチアーノの楽しそうな笑い声が聞こえてくる。何だかんだ言いながらも、グラタンは食べてくれるみたいだった。
「失敗じゃないよ」
「失敗だろ。むきになっちゃってさ」
にやにやと笑いながら、ルチアーノは僕の身体をつつく。これは、ずっとネタにされるのだろう。そう思うと、少し気分が重かった。