クリスマス「今週の日曜日は、一緒に出掛けられないからな」
食事を終えると、ルチアーノは唐突にそう言った。
「えっ」
突然の報告に、僕は間抜けな声を上げてしまう。そんなこと、これまでに一言も聞いていなかったのだ。二日前になってから言われたら、驚くに決まっている。
「君には残念だけど、任務に呼び出されちゃったんだ。神の代行者の仕事には、クリスマスなんて関係ないからね」
そんな僕をよそに、ルチアーノは淡々と言葉を続ける。仕事だなんて言われたら、僕には断ることなどできなかった。
「そうなんだ……」
今週の日曜日は、クリスマスイブである。ルチアーノと出会ってから二回目のクリスマスだから、僕はそれなりに張り切っていた。ケーキを予約したり、出前の予約をしたり、プレゼントを用意したりと下準備をして、後は当日を迎えるだけになっていたのだ。
僕の落胆を察したのか、ルチアーノはにやりと笑った。子供を慰めるような語調で言葉を続ける。
「そんな顔するなよ。夜には帰ってくるんだからさ。クリスマスとやらは、夜に楽しめばいいだろ」
どうやら、任務は昼間だけの予定らしい。僕の用意した夕食は、無駄にならずに済みそうだ。
「それならよかったよ」
ホッと息を付くと、彼は呆れたように口を開けた。大人びたような、冷めたような視線で、真っ直ぐに僕の顔を見つめる。
「そんなに寂しかったのかい? 子供みたいだなやつだな」
「違うよ。クリスマスの用意をしてたから、無駄にならなくてよかったなって思っただけで……」
反論するが、聞き入れてもらえなかった。最後まで言い終わらないうちに、次の言葉が飛んでくる。
「別に言い訳しなくてもいいんだぜ。君が寂しがり屋なのは知ってるからさ」
にやにや笑いを浮かべたまま、彼は僕に顔を近づけた。本当はルチアーノの方が寂しがり屋なのに、僕に原因を押し付けようとするのだ。
「もう、そういうことでいいよ。その代わり、できるだけ早く帰ってきてね」
言葉を返してから、僕は思う。今の返事では、僕も寂しがり屋だと思われても仕方ないだろう。
目が覚めたら、時計の針は十時を指していた。
久しぶりの遅起きだった。いつもなら、ルチアーノが僕を起こしにくるから、八時には叩き起こされてしまうのだ。早く起きる必要があるからと、夜も日付が変わる頃には電気を消されてしまう。遅寝遅起きをできるのは、ルチアーノがいない時だけだった。
布団から出ようと手を伸ばして、慌てて引っ込める。外の空気は、凍えてしまいそうなほどに冷たかったのだ。十二月も後半になって、気温は急激に下がった。今までと同じ感覚で手を伸ばすと、その冷たさにびっくりしてしまう。
部屋の冷気で、頭の中が冴えてきた。覚悟を決めてから、勢いよく身体から布団を剥ぎ取る。近くに置いてあった防寒具に身を包むと、同じくらい冷えた廊下へと踏み出した。
僕一人しかいないから、リビングも冷えきっている。いつもだったら、ルチアーノが暖房を入れてくれるのだ。「そうしないと起きてこないから」と彼は言うが、僕には、それが彼なりの優しさだと分かっている。一年以上の時を一緒に過ごしたことで、彼も丸くなったのだ。
部屋が暖まるのを待つ間に、顔を洗って服を着替えた。いつの間にか、用事が無くても身の回りを整える癖が付いてしまったのだ。ルチアーノが僕に影響されるように、僕もルチアーノに影響されている。
いい感じに暖まった部屋で、朝食のトーストを齧りながら、僕は今日の予定を考えた。唐突に休みをもらったから、何をしていいのか分からなかったのだ。一緒に見ようと思ってレンタルした映画は、一人で見るにはおぞましすぎる。夕食のための買い出しに行くには、まだ時間が早いだろう。だからといって、雑多な用事を済ませるのはもったいない。今日は、待ちに待ったクリスマスイブなのだから。
そんなことを考えて、不意にあることを思い付いた。この方法なら、休日を有意義に過ごすことができるだろう。それだけじゃなくて、ルチアーノをびっくりさせることができる。
僕は、自分の部屋へと向かった。鞄を腰に付けると、冬用のコートに身を包む。寒くなったから、マフラーを付けるのも忘れない。身支度を整えると、繁華街を目指して家を出た。
予想通り、繁華街は人で溢れていた。仲睦まじげなカップルはもちろん、少年少女のグループや家族連れまで、幅広い世代の人たちが歩いている。人の波を掻き分けるようにしながら、僕はショッピングビルを目指した。
雑貨屋の並ぶ階へ上ると、各店舗のクリスマスコーナーを見て回る。部屋を飾るためのパーティーモールや、壁掛けタイプのリースなどが、一番目立つ売場に置かれている。目についたものを手に取ると、使い道を考えながら材料を集めていった。
一通りの材料を集める頃には、すっかり午後になっていた。朝食を簡単に済ませてしまったから、お腹が空いて仕方がない。近くのレストランに足を運んで、手頃な価格のパスタを食べた。
家に帰ると、床に買ってきたものを広げる。緑と赤のパーティーモールやメリークリスマスのフラッグ、壁に貼るバルーンなどだ。椅子を運んで脚立代わりにすると、バランスを考えながら壁に飾り付けた。
一時間くらいの作業で、リビングは簡単なパーティー会場になった。後は料理やケーキを机に乗せるだけだ。机の上もテーブルクロスを敷き、サンタやトナカイの人形を置いてある。たったそれだけのことでも、いつもと違う雰囲気になるのだ。
準備が整うと、僕は再び家を出た。今度は商店街へと向かって、夕食の準備をする。スーパーでぶどうのジュースを調達すると、揚げ物のお店に移動してチキンを買う。今日はお寿司がメインだから、ピースのものを四つ買った。買い物袋を腕から下げると、今度はケーキを受け取りに行く。潰さないように気を付けながら、ゆっくりと箱を家まで運んだ。
全ての用事を済ませる頃には、いい感じの時間になっていた。いつも通りのスケジュールなら、そろそろルチアーノが帰ってくる頃だろう。ソファに腰をかけると、わくわくしながら彼の帰りを待った。
しばらくすると、部屋の中に光が差した。室内の空気が歪む感覚がして、ルチアーノが姿を現す。全身が現れると、光の粒子は宙に溶けるように消えていった。
ルチアーノは、ぐるりと室内を見渡した。飾り付けされた部屋を一瞥すると、呆れたように口を開ける。僕に視線を戻すと、ただいまも告げずにこう言った。
「なんだよ。これ」
「クリスマスの飾りだよ。今日はクリスマスイブだから、パーティーみたいにしようと思ってね」
僕が答えると、彼は眉に皺を寄せた。まるで理解ができないと言った様子で、飾り付けられた室内を見る。
「なんでそんなことしてるんだよ。片付けが面倒だろ」
相変わらずの態度だった。ルチアーノには、雰囲気を楽しむという発想が無いみたいなのだ。むしろ、パーティーという環境を子供のための娯楽だと思っている節があった。
「こういうのは、雰囲気を楽しむものなんだよ。部屋を飾れば、クリスマスっぽくなるでしょ」
「せっかくの休日をそんなものに使ったのか? 全く、君は変なやつだな」
呆れ声で呟きながら、彼は椅子に腰を下ろした。垂れているテーブルクロスを追いやりながら、机に置かれていた置物に手を伸ばす。その姿を視界に収めながら、僕はチキンを温めた。
「今日はクリスマスだから、チキンを買ってきたんだよ」
そう言うと、机の中央に皿を置く。机の上にちょこんと並べられたチキンを見て、ルチアーノは退屈そうに口を開いた。
「それだけかよ。庶民のクリスマスは寂しいな」
彼の言葉を聞いて、僕はにやりと笑みを浮かべた。彼は、絶対にそんなことを言うだろうと思ったのだ。
「それだけじゃないよ。今日はサプライズがあるんだ。もうすぐ着くと思うから、先にチキンを食べよう」
「また、何か企んでるのかよ。変なことじゃないだろうな」
ぶつぶつと呟きながらも、彼は皿の上のチキンに手を伸ばした。食べ慣れていないらしく、四苦八苦しながら肉を齧っている。少し滑稽な姿を眺めながら、僕も自分の分のチキンに手を伸ばした。
食べ終わりそうな頃になって、ようやく玄関のチャイムが鳴る。逸る足取りで応対すると、お寿司の箱を受け取った。駆け足で部屋に戻ると、机の上に箱を乗せる。蓋を外しながら、ルチアーノに聞かせるようにこう言った。
「見て、これが今日のメインだよ」
中に入っていたものを見て、ルチアーノが表情を変える。僕が頼んでいたのは、少しお高いお寿司だったのだ。普段なら食べないようなものだから、ルチアーノが驚くのも無理はなかった。
「君、こんなものを頼んでたのかよ」
「ルチアーノは、チキンよりもお寿司が好きでしょう? せっかくのクリスマスだから、好きなものを食べさせてあげたくて」
お箸とお皿を出すと、お寿司を取り分けながら食べていく。ルチアーノはひょいひょいと摘まんでいたが、僕は一個ずつ味わいながら食べた。回らないお寿司なんて、次はいつ食べられるか分からないのだ。
食事を終えたら、お待ちかねのクリスマスケーキだ。わくわくしながらケーキを出し、丁寧に蓋を開ける。今年のクリスマスは、ホールのショートケーキを選んだ。生クリームの上には、苺も他にサンタとトナカイを模した砂糖菓子が乗せられている。
「クリームのケーキかよ。僕は食べないから、君一人で食べな」
ケーキの全貌を見ると、ルチアーノはそう言ってそっぽを向いた。取り分けたケーキを少しつついただけで、すぐにフォークを置いてしまう。ぶどうジュースをワインのように飲みながら、ケーキを食べる僕を見ていた。
パーティーの終わりは、プレゼント交換だ。ルチアーノはプレゼントを用意していないから、僕が一方的に渡すだけになってしまった。少し寂しい気持ちもあるが、想定内のことだった。
「はい、今年のクリスマスプレゼントだよ」
包みを差し出すと、彼はすぐに封を開けた。中に入っているものを見ると、感心したように息を付く。
「ふーん。ゲームソフトか。ちょっとは考えたんだな」
僕がプレゼントしたのは、最新型ゲーム機のソフトだった。ルチアーノの好みそうな、プレイヤー同士の対戦ゲームである。僕はゲームが苦手だから、この手のソフトはひとつも持っていなかったのだ。
「ルチアーノは、こういうのが好きでしょう」
答えると、彼はにやりと笑った。意地悪な笑みを浮かべたまま、楽しそうに言葉を発する。
「これを贈るってことは、僕に対戦してほしいってことなんだろ。分かったぜ。明日たっぷり遊んでやる」
なんだか勘違いされているようだが、あまり気にしないことにする。どっちにしろ、僕が対戦相手になることは分かりきっていたのだ。
食器と食べ残しのケーキを片付けると、一気にお祭りの終わりを感じた。そんなことは少しもないのに、やるべきことを全て終えてしまったような気持ちになってしまう。世間の恋人たちは、これからが本番なのだ。僕たちだってそうなってもおかしくはないのに。
そう。クリスマスの夜は、まだ始まったばかりなのだ。これからのことを考えると、僕の胸は期待に高鳴った。