緋衣草街はずれのゆるやかな山道を、てくてくと並んで歩く。
木々の合間からのぞく空には雲ひとつなく、日の光をいっぱいに受けた新緑が初夏の風にゆれている。
この道の先にやや大きめの街がある。
がらくた集めに行く謝憐につきそって、花城はのんびりと木もれ日の中を歩いていた。
隣を歩く謝憐にさりげなく歩幅を合わせれば、楽しそうに話しつづける横顔が目に入る。
「それでね、風師大人が言うにはあそこの街の小籠包が……」
ふいに謝憐が言葉を切って、道端を見つめた。
視線の先をたどると、地面近く、草むらの一角に真っ赤な花が咲いていた。
細長い茎が天に向かって伸び、そこからあざやかな赤い花筒がいくつもたれ下がっている。
謝憐が、ふふ、と笑い声をもらした。
「どうしたの?」
「三郎、この花の名前を知ってる?」
「たしか……一串紅、または緋衣草」
「そう。君のことみたいだろう?」
謝憐は笑って、花城の紅衣を指さした。
うなずく花城の横で、おもむろにしゃがみこんだ謝憐が花筒をひとつちぎり取ってみせる。
「この花は付け根に蜜があるんだよ。歩き疲れた時によく吸っていたんだ」
唇をうすくひらき、花の根元をくわえると、謝憐は軽い音を立てて蜜を吸いこんだ。
こくりと上下する白い喉に視線が吸いよせられ、花城は無意識に胸のあたりの外衣をかき抱いた。
「うん、おいしい。三郎もどう?」
今すぐ哥哥の手にある花になりたいです、などと花城が思っているとは露知らず、無邪気な笑顔で謝憐が手招きする。
「花の根元の白いところに蜜があるんだ。吸いすぎると体に悪いから気をつけて。でもここにあるくらいの量なら問題ない」
「哥哥、詳しいね」
「野山の植物にはいろいろお世話になったからね」
何気なく返された一言に積年の苦労がにじんでいるように思えて、花城は複雑な面持ちで花をひとつつまんだ。
根元を軽く吸うと、冷たい蜜がひとしずく、口の中に落ちてくる。
心地いい甘さが舌の上を転がり、喉をすべり下りていった。
「おいしい」
つい言葉がこぼれた。
疲れているわけでもないのに、なぜか喉に沁みわたる。
ただの野の花の蜜が、謝憐と一緒だとどうしてこうもおいしく感じられるのだろう。
ふと横を見れば、当の謝憐はひとつ、ふたつと次々に手をのばし、夢中で蜜を吸っている。
幼い子供のような姿がかわいらしくて、花城は声を立てずにくすくす笑った。
そして、目の前にある花の中から一番あざやかで一番きれいな赤をつまんで、謝憐に差し出した。
「哥哥、こっちのも甘そ……」
栗色の髪がゆれたと思った瞬間、指先に何かあたたかくしめったものがふれた。
全身がしびれたように動けなくなる。
目にしている光景を理解できず、一拍遅れて頭が追いつく。
謝憐が、花城の指先ごと口に含んで、蜜を吸っている。
鳥が餌をついばむようにごく自然に。
そしてあまりにも無自覚に。
濡れた舌先が花の先端にそえられ、軽く吸いつかれる感覚とともに、そこから蜜玉が抜け出ていくのが肌でわかった。
胡桃色の瞳がおいしそうに細められる。
指にもかすかに蜜がついていたのか、熱い舌が指先をかすめるように舐めた。
時間にして、ほんの一、二秒だっただろう。
謝憐ははっと目を上げ、口を離した。
今自分が何をしたのか、初めて気づいたらしい。
固まったままの花城の手から、赤い花がぽろりと落ちる。
「あ、これは、その……」
しどろもどろになりながら言葉を探すものの、うまい言い訳などあるはずもなく、謝憐はみるみるうちに緋衣草と同じくらい真っ赤になった。
花城が釈明を待つかのように無言で片眉を上げてみせると、さらに慌てた様子で弁明を並べ立てる。
「め、目の前に差し出されたからつい……ほら、両手が花でふさがっていたし、君の手は清潔だから問題なかったし……いやすまない、それは言い訳にはならないな」
どう言いつくろっても無理があると観念したのか、謝憐は開き直ったように立ち上がり、くるりと背を向けて歩き出した。
「い、行こうか」
朱のさした耳が早足で遠ざかっていく。
花城はゆるゆると立ち上がり、自分の指先を見つめ、ぎこちなく歩き去っていく謝憐の背中を見つめ、地面に落ちた緋色の花を見つめ、――そしてもう一度、指先を見つめた。
ためらいがちに、悟られないように、指先をこっそり唇に当ててみる。
先ほど謝憐の舌がかすめたところを自らの舌先でそっとなでる。
ほのかに残っているのは、蜜の甘さか、それとも謝憐の甘さだろうか。
胸のうちに愛しさとも欲望ともつかないものがこみ上げて、花城はぐっと眉根を寄せた。
――いっそのこと腕をつかんで力まかせに抱きしめて、今すぐ菩薺観でも極楽坊でもどこでもいいから連れ帰りたい。
そのまま腕の中にとじこめて片時も離したくない。
この想いをあふれるままに注いでしまえたらどんなに楽か。
深く息を吸い、作り物の身体に新緑の空気を流し込む。
よこしまな考えを追い払おうと、花城は何度か強く頭を振った。
今はまだ、それが許される関係ではない。
たとえ許されたとしても、自分の欲望より目の前の謝憐の役に立つことのほうが優先であることに変わりはない。
ならば今するべきことは何か。
言うまでもなくそれは、本日のがらくた集めのお供である。
道の先に目をやれば、謝憐が街とは別方向の分かれ道に勢いよく突き進んでいる。
うつむき加減で歩く姿はどことなく不自然で、まだ動揺している様子が見て取れた。
花のように色づいた頬を思い出し、花城は小さく微笑んだ。
「哥哥、待って。街に行くならそっちの道じゃないよ」
紅衣をひるがえして、愛しい背中を追いかける。
木もれ日にゆれる緋衣草が、駆けていく紅色を見送っていた。