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    『郷愁にはまだ遠く』の世界線のお話。探偵事務所で新年を迎えるレオナさんと実家に帰ってるラギーくんのあれこれ。
    あけましておめでとうございます!

    賢者の贈り物 どさ、とオレの机の上に大量の本が置かれた。朝から溜め息ばっかり吐いていたレオナさんがほんの小一時間前に事務所から出て行って、たった今帰ってきたと思った瞬間のことだった。
    「何スかこれ」
     本を一つ手に取る。タイトルは『季節のデザイン素材集』だ。その横のは『グリーティングカードデザイン集』他にも似たようなタイトルが並んでいる。
    「もうじき、年末だろ」
    「ああ、はい、そッスね。あ、そういやうちの事務所じゃホリデーって何日から──」
     というか、帰っていいのかな?
     自分で聞いておいて首を傾げそうになる。ホリデーには実家に帰る約束だったけど、多分レオナさんは実家には帰れない。
    「いつからでもいい、帰りたい時に帰れ。旅費も経費で出してやる。ただしそれまでにこの仕事は終わらせておけよ」
    「この仕事?」
    「客商売ってもんは、グリーティングカードを贈らなきゃいけないらしい」
    「あぁ……」
     そう言えばそうなのだ。ホリデーやら誕生日やら、そういったちょっとした記念日に親しい人同士で贈り合うおめでとうのカードを、客商売はお得意様先にも贈らなければいけない。それも、過去に取引があったほとんどの相手にだ。
    「……オレが書くんです?」
    「他に誰がやるんだよ。この前ボールペンも作っただろ」
     作ったけども、事務所の記念ボールペンを。普通にオレも使っているが、作った目的は自分たちで使うためじゃない。事務所に来た人に渡して持って帰って貰って、できれば使って貰って、事務所を宣伝するためである。
     そういう、広告になるようなデザインを考えなければいけないわけだ。正直全く自信はない。しかしレオナさんはもう絶対そんなのやりたくないって顔をしている。つまりオレがやるしかない。
    「やりますけど、オレこういうの別に得意じゃないッスからね」
    「新年ぽいやつをいい感じに作ればいい。そこにデザインの本あるから適宜参考にしろ。今年はあれだ、虎が人気らしいぜ」
     クソ発注である。虎って何だよ。縁起物みたいな? もうライオンでいいじゃん。
     しかしまあ、雇い主からの注文なので文句も言えない。仕方なくオレは本を開いて、グリーティングカードの作成に取り掛かった。
     
     
     そういう流れで作られたカードだ。かわいらしいトラ模様と分かりやすい二匹の動物モチーフ。事務所の周りには獣人が少ないのでこういうデザインが結構喜ばれる。
     ひとまず家を出たはいいが、これといって打開策もないまま明るい場所でそれを見つめながら俺は首を傾げる。
     カードの表面にはいくつもの点が書かれていた。微妙な大小があって、等間隔ではない。そのうちの一つは二重丸になっている。この二重丸がお宝(?)か何かと関係があるような気がするのだが、分からない。
     あともう一つ、カードにはメモのようなものが書かれていた。レオナさんが呪いを吐きながら書いた新年のお祝いの言葉ではない。全く唐突に、彼の文字で『シェルタン』と書かれている。
     シェルタン、というのは知っている。銀行だ。シェルタン信用金庫、夕焼けの草原の地方銀行の一つで、スラム街からそう遠くない繁華街の一つにも支店がある。
     とは言え、結局その単語の意味は分からないのだが。知った単語を見たことで何か分かりかけたような気になったが、冷静になってみれば「だから何?」である。そもそもこの『シェルタン』という文字が銀行のことを指しているかは分からないし、仮に銀行という点は正しかったとしても、それにどういう意味があるのかは分からない。もう駄目だった。レオナさんの考えるような宝探しの暗号は、オレには難解すぎる。
     難解すぎるので──奥の手である。オレはスマートフォンを取り出し、レオナさんへのメッセージの画面を開いた。
     ヒントを貰うのだ。前にリドルくんやオルトくんと行った脱出ゲームでも同じようなサービスがあった。分からなかったら、制作側に聞けばヒントをくれるのである。
    《新年おめでとうございます》
     と、そんな旨のスタンプを送る。意外にもすぐに既読はついた。少しの間の後、レオナさんからも《おめでとう》のスタンプが飛んでくる。新年とか関係ない、物凄く汎用のスタンプだ。まあオレのスタンプもタダのやつだけど。
    《寝てました?》
     忘れじの都と夕焼けの草原には結構な時差がある。まだ向こうは夜なんじゃないかと思ったし、夜なのにレオナさんが起きているということは、つまりそういうことなのではないか、という不安もあった。
    《寝てた》
     返事はそっけない。電話しようかな、と少し思ったが、本当に寝ていたなら電話されても多分レオナさんは怒るだろう。そのままやり取りを続ける。
    《あのグリーティングカード、レオナさんがくれたんスよね》
    《もう届いたのか》
    《アレどういうなぞなぞなんです?》
    《アレ?》
    《表面の点々のとこ》
    《見つけたのか》
    《そりゃ、あのカード作ったの元はオレだし》
    《じゃあ分かるだろ》
    《わかんないから聞いてるんスよ》
     暫くの間があった。レオナさん、二度寝したかも。もしくはスマホを放り投げてもう知らんってしたかも。何せ本当に寝起きなら彼はあんまり機嫌がよくない。宝探しはもう少し後にするかな──
     そこまで考えた辺りで、またスマホが鳴る。
    《シェルタンと言えば何だか、分かるか》
     ヒントだった。オレは慌てて返す。
    《銀行でしょ。シェルタン信用金庫》
    《それだけじゃねえよ、もう一つある》
    《それって何なんですか》
    《お前が持ってるその板っきれで検索しろ。そんなに難しいもんでもややこしいもんでもない》
     ヒントコーナー、おしまいだった。オレが返した《了解ッス》スタンプに既読はつかなかった。多分寝たのだろう。寝てるならいいや。
     スマホでブラウザを立ち上げ、『シェルタン』と入力する。当たり前だが、銀行のホームページが先頭に出て来た。いやだってシェルタンってそれしかないでしょ。でも何か、ちょっとだけ聞き覚えがあるような──
    「あ。」
     声が出る。シェルタン信用金庫の関連ページを何個も通り過ぎた果てに、全く違う意味のページが現れた。
     獅子座のシータ星、シェルタン。他にそれっぽい情報は出て来ない。多分これだ。つまり、オレが占星術を真面目にやってればすぐ気付けたかもしれない情報である。リドルくんなら見た瞬間気付いてたな。
     獅子座のシータ星のシェルタン。なるほどね──
     いやだから何。
     オレは宝探しが好きだが、それは現地をぐるぐる回って椅子の後ろとか屋根裏の中とかを探索するのが好きという意味で、地図の暗号を解くのはもっと賢い人にお願いしたい派なのである。
    《レオナさん、レオナさん》
     もう一度送ったメッセージにはちゃんと既読がついた。
    《図書館に行け》
    《それヒントッスか?》
    《お前の家から比較的近い場所に一つあっただろ。分からないことがあるならそういうところで調べろ》
    《調べ方が分からないんスよ》
    《ゾスマ図書館だ。ところで、何でその図書館がそんな名前なのか知ってるか?》
    《知らない》
    《そこから調べろ。俺は三度寝するからな》
     また寝てしまった。しかし、図書館か──正直あんまり好きな場所じゃない。学園の図書室は、まあ学生だし好きに入って良かったので一応使ってはいたのだが、その辺にある図書館となると、何か貧乏人が来るところじゃないって拒絶されているような気がして微妙な気分になるのだ。事務所のある忘れじの都にも結構な大きさの図書館があるが、オレはまだあんまりそこには行ったことがない。行くのは大抵レオナさんだ。
     それにああいう図書館って、カード作るのに身分証とか色々出さないといけないし。今はナイトレイブンカレッジの学生証があるからどうにかなるが、それより前は何もなかったのだ、オレは。
     積もる話は後にしよう。ひとまず、スマホで『ゾスマ図書館』と検索する。出て来た。夕焼けの草原ではそれなりに規模の大きい図書館で、王宮内に存在する王室図書館、学園都市に存在する国立図書館に次ぐぐらいの蔵書を保持しているらしい。図書館を建設したのはウン十年前のお偉い政治家とお金持ちたちで、図書館名の由来は獅子座のデルタ星に由来するのだとか。
     また獅子座だ。オレはグリーティングカードを見直す。シェルタン、と書かれた点をじいっと見つめ、ぐるぐるカードを回して、そして気が付いた。あんまり自信はないし証明もできないが、多分そういうことだ。
     これ、星座の形か。シェルタンもゾスマもカードの中に多分書かれている。そして夕焼けの草原にはシェルタン信用金庫とゾスマ図書館がある。シェルタン信用金庫はあちこちに支店があるが、ゾスマ図書館はここ一ヵ所だけだ。だからつまり──えっと。
     分からん。
     いや、分からないわけではない。大体分かった。多分そういうことだろう、というところまでは理解した。問題は、そこからだ。
     この辺りの地図なんて、オレは持っていない。スマホで検索すれば地図は出せるが、カードと合わせてうまく比較するような器用なことはできない。
    「……」
     近くにあるコンビニを見る。確かああいう場所には付近の地図も売っていたはずだ。いや、でもそのためにわざわざ数百マドル支払わせるなんてレオナさんがするかな? どうしようか──
     違うか。だからこその図書館か。
     多分、あそこには地図もある。頼めばコピーだってさせてくれたはずだ。そういうことをやれと、多分レオナさんは言っているのである。
     
     
     ゾスマ図書館。やっぱり大きい図書館なだけあって入るのに気後れした。ナイトレイブンカレッジの学生証がなければ心が折れていたかもしれない。
     夕焼けの草原にあるまじき雄大な現代建築の入り口ゲートをおっかなびっくりくぐって、受付に見られているような気になりながらエレベーターの前に立ち止まる。ここはとにかく広いので、先に探すものを見つけてからそこに向かうのが安全だ。運のいいことに、地図があるのは一階である。でも魔法書があるのは五階だ。占星術の手引書は多分魔法書に分類されるので、五階にも行かなければならない。
     考えた結果、先に五階に向かった。エレベーターで上がり、五階のフロアに入る。広くて落ち着かない気持ちになりながら書架の間を歩き、魔法書エリアの占星術ゾーンで立ち止まる。どれがいいかな──レオナさんに聞くか少し悩んだが、ここまで来たら詰むところまで自分でやってみるのも手だろう。
     学園でも何度か参考図書に選ばれたことのある本を見つけた。『星のめざめ』というタイトルの本だ。それを手に取り、ページをめくる。獅子座の載った星図を開き、コピー機を探してあちこちうろうろする。
     図書館の本は無料で借りられる。コピー機で内容を持ち帰ることもできる。勿論それが許されていない本もあるが、この本については大丈夫のはずだった。コピー機は一階にしかないとのことだったので、本を抱えて一階に降りる。できるだけ最近のこの辺りの地図を入手して、共にコピーして、二枚の紙にする。机を借りて、それら二枚のコピー紙を重ね合わせた。合わせるのはデルタ星ゾスマと、このゾスマ図書館。シータ星シェルタンと、ここから一番近いシェルタン信用金庫。そしてそこに、同じくコピーして引き延ばしたカードの点を重ねた。
    「うわ」
     変な声が出た。カードに書かれた二重丸は、獅子座で一番明るいα星、レグルスの位置と重なる。地図上でそこにあるのは、お高くて滅多にありつけない高級なパン屋の名前だった。
    《レオナさん、レオナさん》
     メッセージを送る。既読がすぐについた。
    《お宝の場所って、ANTELOPEってパン屋で合ってます?》
    《さあ、どうかな。行って見てくればいいんじゃねぇか》
     この言い方は多分、当たりだ。オレは借りた本を返却の棚に戻し、カードやコピー紙をポケットに突っ込んで図書館を出る。新年早々、いいものにあり付けそうな予感がしていた。
     
     
    「婆ちゃん! じゃーんッ、お宝!」
     そう言いながら両手いっぱいの紙袋を持って現れたオレに、婆ちゃんは「おやまあ」と何だか呑気な声を上げた。
    「どうしたんだいそれ」
    「サンドイッチとか菓子パンとドーナツとか、あともっと硬いパンとかチーズとかハムとかソーセージとか」
    「どこでちょろまかしてきたんだって聞いてんだよ」
    「宝探ししたら、レオナさんが報酬にこれくれたの!」
    「へぇ、レオナくんがねぇ。親切な先輩だねぇ」
     ちなみに婆ちゃんにはレオナさんが王子様だということはややこしくなるので言っていない。ただ、夕焼けの草原出身でライオン属ということは伝えてあるので、お金持ちだということは理解されている。夕焼けの草原にはライオン属は腐るほどいるし、しかも大方はオレたちよりずっと金持ちだ。そして、ライオン属の中ではレオナという名前はごくありふれたものであるらしい。つまりバレてない。婆ちゃんも近所のガキどもも、レオナさんの名前は知っているが、ただの面倒臭がりで自分では何もしない割に気前のいいお金持ちのライオンだと思っている。そういう相手からは貰うだけ貰っておけ、というのがハイエナに伝わる教えだ。百獣の王に仕えた三匹のハイエナたちもそんな感じだったらしいし。
    「いやオレ、今年はインターンだから購買の在庫持って帰れなかったでしょ? 多分それで代わりにコレくれたんじゃないかと思うんだけど──」
     言いながら紙袋をテーブルに置き、窓の近くにあるベルをちりんちりん鳴らす。食い物があるぞ、という合図だ。ほんの数秒でその辺にいた子供たちがわらわらと集まって来る。すぐに食べられるものだけ彼らに渡し、保存の効くものはキッチンの方に下げる。
    「レオナさん、変なとこ気にするから」
     ──ラギー・ブッチ様で宜しいでしょうか?
     グリーティングカードの暗号から割り出した店に入ってほんの数秒で、そう言って店員に声をかけられた。オレぐらいの背格好のハイエナが現れたら、コレを渡せという注文が数日前に入っていたらしい。一人でぎりぎりどうにか持てるぐらいの大量の紙袋の中には、このパン屋の名物サンドイッチや、建物の二階で営業しているレストランのオリジナル製品がぎっしり詰まっていた。オレがいつも、購買から貰って持って帰っていた食料品の代わりなんだろうな、ということは明らかだった。
     今年からは無理だよ、なんて話は婆ちゃんやガキどもももう分かっていた。三年生までは学内にいたからどうにかなったが、四年になるとインターンで外に行くから、購買の残りはもう持って帰れない。インターン先が食品を扱ってるような場所なら良かったが、そういう職場で魔法士を募集している例はあんまり多くないのだ。
     ただ与えるだけなら施しになる。でも、対価として与えるなら別にいいと思っているんだろう、あのひとは。器用なのか不器用なのか分からない。いや、器用ならあんな生きにくそうな顔はしてないだろうから、やはり不器用なのだろう。何にせよ有難い食料である。子供たちも大いに喜んでいる。スラムの中じゃあ、レオナさん王様より人気者ッスよ──なんて言ったら多分物凄く冷めた顔をされるだろう。王宮で嫌われてるのに、スラムで好かれたところで何にもならないだろうし。
     今頃一人で大丈夫だろうか。いや多分、大丈夫なんだろうけど。大丈夫だと思うけれども。多分四度寝ぐらいしてるだろうし、飯は冷蔵庫の中に入れてるし、それが嫌なら適当に外で食べるだろうし、洗濯物だって、数日溜め込んだぐらいじゃ死にはしないし。
     やっぱ、電話かけようかな。
     婆ちゃんに後を任せて部屋に引っ込んだ。朝起きたままの状態のベッドに腰かけ、スマホを取り出し──同時に、同じポケットに入っていたグリーティングカードと地図と星図のコピーが落ちる。
    「……あれ」
     何か、妙な違和感があった。カードを拾い、じっと眺めた。やはり、違和感がある。シェルタン、ゾスマ、レグルス──全て獅子座を構成する星のことだ。しかし、カードには獅子座ではない星の点も描かれていた。獅子座より上にも点がぽつぽつと置かれている。これが獅子座であることを悟られないためのカモフラージュかとも思ったが、そもそもオレがノーヒントで星座のことになんて気が付くはずがないとレオナさんなら知っているはずだ。カモフラージュなんて必要ない。
     星図を開いた。獅子座の上にあるのは仔獅子座だ。手元にある占星術の本では、占いに使える星座ではないとされている。理由は、新しい星座だからだ。あまり大きい星座でもないし、獅子座に比べれば暗い星ばかりである。
     それをわざわざカードに描くということには、何か意味があるんじゃないか。
     首を傾げながら、さっきと同じように星図とカードを重ねる。やはり、合っていた。カードに押された点は仔獅子座の星と一致していた。否、でも一ヵ所だけ違う。一番明るいとされている星が、グリーティングカードには記載されていなかった。
     その星の名前はプラエキプア。3.8等星で、仔獅子座では一番明るい星だ。でも、アルファ星ではない。何故だか分からないが、仔獅子座にアルファ星はないのだ。カードには、その星だけが無かった。
    「レオナさんが書き忘れるとは思えないし……」
     唸りながらその星をカードに追加する。だから何? と思いながら──いやでも、もしかしてこれも地図に合うのか?
     合った。
     カードの点と地図を重ねた結果、仔獅子座46番星プラエキプアの位置に、ちゃんと建物があった。アントワード、という名前の仕立屋である。
     仕立屋か──絶対そんな場所にお宝はない。だって食べ物も金品も扱ってないし。
     でも何か気になるな。スマホを手に取り、レオナさんにメッセージを送る。
    《さっきの宝探し、まだおまけあります?》
     返事はなかった。寝てしまっているのか、それとも無視されているのか。
     分からないけど、でもやっぱりレオナさんが書き間違いをするとは思えない。オレは恐る恐る立ち上がり、ごちそうに浮かれる子供たちに見つからないよう、裏口からその仕立屋へと向かった。
     
     
     Die Antward.
     そう書かれた看板の前でオレは立ち尽くしていた。流石にここまで来るとスラムからはかなり遠い、もっと高級な街になる。この辺りは本当に、かなり高級だ。道幅だって広いし、その辺を歩いている人々の財布も立派そう。はっきり言って、オレがいるのは場違いな場所だった。
     スマホを見る。レオナさんからはまだ連絡はない。やっぱり気のせいだったか──踵を返しかけたオレの手の中でスマホが鳴った。レオナさんからのメッセージには《逃げるなよ》と書かれていた。
     逃げるなって、何。それで合ってるってことか? 逃げるってどこへ。
     息を呑み、恐る恐る仕立屋のドアを押す。思ったよりそれは軽く、すうっと内側に開いた。古い木の匂いが鼻の中に入って来る。店の奥にはカウンターがあって、灰色の背広を来て立派な角を頭に乗せた、背の高いヒツジが立っていた。
    「いらっしゃいませ。レオナ・キングスカラー殿下のご紹介の方ですね?」
    「あ──えっと、」
     当たりだ。本当に、ここで当たっていた。
    「そう──ですけど、たぶん」
    「こちらへどうぞ」
    「えっ」
     店の中に入る。他に客の姿はない。こんな状態でこの店儲かってるんだろうか。挙動不審にあちこちきょろきょろするばかりのオレを嗤うでも叱るでもなく、ヒツジの店員はその眠そうな瞳でにっこり笑って奥のドアを指し示した。
    「では、あちらへどうぞ」
    「あの、すいません、ここってどういう……」
    「仕立屋です。我がアントワード社は今年で創業百五十三年、あらゆるお客様に特別な一着をご用意致しております」
    「特別な一着って、スーツ?」
    「ええ、勿論」
    「オレの?」
    「弊社のスーツは全て魔法仕上げを致しますので、体型が変わってもサイズ直しをして長く着て戴けるものばかりですよ。魔法修復も可能です」
     そう言って、ヒツジはぐいとオレに顔を近付けた。
    「つまり、総合的にはコスパはいいのです」
    「な、なるほど……?」
    「採寸、布地の選択は全てこちらで致します。殿下にもそう承っておりますので、ご安心を」
    「は、はい」
    「さあ、ではあちらへ」
     全く断る隙もない。ヒツジは眠たげな瞳でウインクをして、奥のドアが静かに開く。
    「ああそうでした、レオナ殿下からの言伝をお伝えしなければ」
    「レオナさんからの?」
    「はい。『大事に着ろよ』とのことだそうです」
     背中を押され、奥の部屋へと通される。
     これってお宝なのかな? よく分からないまま、オレは店の奥へと吸い込まれていった。
     
     
     静かな夜だ。依頼も事件もなく、助手もいない。実家に帰る必要もなく、兄の小言を聞くこともなければ義姉からの電話に出ることもなく、甥に付き纏われて辟易することもない、静かな休日、静かな夜。
     静かな夜は静かな朝に変わった。横になって、少し眠って、合間合間にメッセージに答えながらのんびりと布団の中で時間を過ごす。ラギーが実家に帰る直前、ふと思い出して手を回した細工はきちんと機能したようだった。今年は手土産が少ないと言っていたから、これで多少は面目躍如できるだろう。
     静かな朝はいつの間にか昼になる。身体を起こして、自室を出て、冷蔵庫を開ける。ラギーが入れていったいくつかの料理を温めて食べた後、特にやることもないのでもう一度寝ようかと思っていた頃、ポストがぱたんと音を立てる音を聞いてそちらに向かった。『定休日』の札のかかったドアの内側にあるポストには何枚かのグリーティングカードが入っていた。ソファに座り、一つ一つ手に取って確認する。……何故か、ヴィルからのカードが来ていた。そう言えば、事務所の住所を教えたかもしれない。彼らしい上等な封筒に包まれたカードを開くと、オルゴールがキラキラ小さい音を奏でる。中には新年の挨拶が、彼らしい文字で記されていた。
     次はまたもや何故か届いているジャックからのカードだ。コイツに関しては本当に何故届いたのか分からない。ラギーかヴィルが住所を教えたのだろうか。彼のグリーティングカードには写真が添えられていた。故郷の写真だと言う話だが、彼の背丈を軽く越えるほどの積雪の中、スコップを手に彼によく似た毛玉たちと笑っている写真だった。そう言えば彼の故郷は雪国だったか。絶対近寄りたくない場所だ。
     その次のカードはグヴィネスタ夫人からのものだ。こちらからも送ったのでまあ当然と言えば当然だが、翼と鱗の紋章で魔法印の押された封筒の中には彼女のオペラの招待状と、今年もよろしく(意訳)といった挨拶が書かれていた。他には、以前の依頼者のオリヴィアソン夫人、そのご近所さんであるメリル夫人、ラギーが行きつけにしているスーパーの特売チケット、世界的チェスプレイヤーのソウェル夫人、テレージア、アレクシス、ミュルデル、何故か別名義で届いたアレクシスの妹からのカードと、バロウィッツ・ガーデニングからの割引クーポン券、その他諸々。王宮からのカードはなかった。絶対に送るなと言っておいたので、当然だが。
     全て、元の通りに封筒に戻す。捨てるにも処分するにも困る品なので、書斎机の余った引き出しの中に入れる。そして事務所のコーヒーメーカーから出て来たコーヒーを飲んで、伸びをして、パソコンを起動してオンラインのチェスゲームを起動する。丁度オンラインだったプレイヤー名NEKURA SAMURAIからのテンプレート通りの新年の挨拶にテンプレート通りの定型文を返し、一局指しているうちに夕方になる。あくびをして、パソコンを落とし、風呂に入ってまた眠る。
     静かだった、何もかも。
     嘘のようにぐっすり眠れて、朝は長く微睡んだ。いい季節だった。本当に。
     
     
     ──ばん、とドアの開く音がして、少し遅れてドアについた小さいベルがカラカラと鳴る。客だった。入口には営業中の看板をかけていたので、まあそういうことはあってもおかしくないだろう。顔を上げて、そして同時に、固まる。客ではなかった、ラギーだった。
    「何でもう営業してんスか」
     嘘のように仕立ての良いスーツを来て、何故か手に小さい花束なんてものを持ったラギーだった。
    「お前こそ何でもう帰って来てんだ。まだ数日は実家にいる予定だっただろ」
    「こ、今年はバイトしねぇって決めてたからやることなくて……」
     言いながらラギーは事務所のドアにかけた『営業中』の看板をひっくり返して『休業中』に勝手に変えた。文句を言うより先に彼はずんずん事務所の中に入って来て、机の前に立ち、花束を押し付けて来る。
    「俺にか」
    「駅前で配ってたんスよ……割引でちょっとした花束に変えてくれるって言われて、つい」
    「お前がこんな喰えねえもんに金出したのか」
    「スーツに合うよって言われたらちょっと気になるでしょ」
     成程、確かにそれもそうだった。彼の身に着けている、ややライラック色のかかった灰色のスーツには、同じく薄い紫の花と、ほんの少し黄色い花の混じったブーケがよく合っていた。
    「スーツに合うってことはお前に合うってことだろ」
    「レオナさんの方が似合うッスよ」
     何でだよ。その発言の是非はともかく、花束を無事こちらに押し付けてからラギーは何だか気恥ずかしそうに事務所の中を見回した。
    「ふうん」
    「……何スか」
    「もう出来たんだな、スーツ。大事に着ろよって言っただろ」
    「こんなもんスラムに置いといて万が一泥棒とかに入られたらどうするんスか。真っ先に売っぱらわれちまう。こっち持って来た方がいいでしょ。折角持ってくるなら──」
     着た方がいい、となったわけか。腕の確かな仕立屋に依頼したはずだが、やはり腕は良いようだった。彼の身体にぴったり合っているし、肌や髪、目の色との相性もいい。あの仕立屋で作られたスーツは魔法で仕上げ加工がされているから、持ち主の体型が変わってもそれに合わせた手直しが利くし魔法を使った修復にも対応している。勿論、色変えも可能だ。つまり、太ろうが痩せようが破れようが似合う色が変わろうが関係なく、一生ものとして愛用できる。
     ラギーはもぞもぞと周りを見回しながら言う。やっぱり、似合っていた。
    「これいくらする服なのか分かんねえけど、絶対高いやつでしょ……今はオレも給料貰ってんだから、こんなの別に……」
    「勘違いするなよ。プレゼントじゃねえ、経費だ。近々、そういうドレスコードのある場所に潜入して貰う予定だからな」
    「え」
    「まあそのスーツ自体はお前にやるが、やったからには使えってことだ。だから言っただろ、大事に着ろよ、ってな」
    「……」
     ラギーは少しむくれた。本当に、プレゼントか何かだと思っていたらしい。理由もなくこんなもの贈るわけがないだろ。
    「……じゃあこれはお返しじゃなくてオレからのプレゼントなんですけど」
    「あ?」
    「折角いい服着てるんだし、いい店で飯食いましょ、レオナさん」
     シシシ、と笑って彼は机を周り、脇を掴んで椅子から引き下ろそうとしてくる。されるがまま、ずるずると床の上を引きずられながら言った。
    「いい店ってどこだよ」
    「んー、駅前のホテルの上の方にある店とか……」
    「そこの飯を、お前が奢るって?」
    「いいでしょ一食分ぐらい。どうせ給料の出元はあんたなんだし」
    「はいはい。じゃあ着替えて来るから予約取っとけ」
    「やったぁ」
    「それとこの花束、花瓶に生けて飾っとけ。客の目につきやすい場所にな」
    「はぁい」
     自分の足で立って、自室へと向かう。内心、予想外のことに少し動揺していた。まさか、ラギーの口から奢りなんて言葉が出て来るとは思わなかったのだ。今だって、貰った給料はほとんど仕送りだとか言って実家に送って、手元にはろくに残してもいない癖に。
     
     
     出来のいいスーツを着て事務所に戻ると、仕事机の端に花瓶と花が置かれていた。確かに『客の目につくところ』ではあるが何か違う。これだと自分の机に花を飾ってる変な探偵みたいだろ。
    「おいお前これ……」
    「いや色々考えたんだけど、ここが一番ッスよ。絶対客が見る場所だもん」
     そうかもしれないが、しかしお前。
     まあそれは今はいい。ラギーが提示した店の予約時刻は案外差し迫っていた。他に空きがなかったのだという。新年早々ロマンチックな場所で飯を食いたい人間が、案外この街には多いらしい。
    「こっちに帰ったら帰ったで、何か安心するッスね」
     嘘のようにめかし込んだラギーがそう言った。腕を掴まれて、数日ぶりに事務所の外に出る。この辺りは比較的温暖とは言え、冬のただなかで風は少し冷たい。スーツだけではなく、コートも買ってやれば良かったか。
     道路に出た途端、クラクションの音が遠くから響いて来る。ラギーはずっと何か喋っているし、偶に頭上を飛行機が飛んだり、すぐ隣をバイクが走って行ったりする。
     全然静かじゃないな。
     全く、静かじゃない。
    「お前があの店まで辿り着けるとは思ってなかった」
     そう呟く。ラギーは言葉を止め、大きな瞳を数回ぱちぱちと瞬いた。
    「でも、あの店ってレオナさんが予約したんでしょ?」
    「もし来たら、って伝えてあった。来ない可能性もあるってな。まあ実際は、お前はちゃんと来た。よく気付いたな」
     ラギーはちょっと笑って、嬉しそうな顔をした。
     その顔を見ながら、これから行く店で一番高いコースを頼んでやろうと、心に決めていた。
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