おぼめぽ回 名付け編「初めまして覚者様。私は貴方の専従ポーンです」
ポーンを名乗る奴らに石の前に案内された私の目の前で、おかっぱの男が青い光と共に現れた。彼は淡く光る傷痕のある右手を挙げ、微笑みを浮かべる。
目は笑っていない、口だけの笑みだったけど特に敵意は無さそうだった。
「せんじゅう……ポーン?」
思わずそう呟くと、私を石の前に案内したポーンを名乗る女が特に表情を変えずに頷いた。
「はい、そうです覚者様。この世界に訪れるポーンは多くいますが、彼らは皆、自分の主を持っています。今現れたこのポーンは貴方に従う、貴方のポーンなのです」
ふと、視界の端で動く気配がしてそちらを見てみると、私のポーン(とは言われたものの実感はない)が跪いていた。
「え、ちょ、ちょっと待って、私そんな大それた人間じゃないから!」
私は慌てて身振り手振りでおかっぱの男に立つ様に伝えようとした。
もしかしたら前の私ならポーンが何者であるかを理解して、跪くでかい男の姿をしているポーンのつむじをしげしげと眺め、『私はカクシャサマだぞ』とほくそ笑みながら良い気になっていたのかもしれないが、生憎今の私は記憶喪失中だ。カクシャサマやポーンがなんなのか全然わからない。
おかっぱの男は顔をあげたものの、膝をついたまま私の様子を無表情でじっと見つめたままだ。
「た、立って!」
と言うと、
「はい」
と返事をして彼は立ち上がった。彼は結構背が高く、私の目の高さだと彼の胸の辺りを眺める事になってしまった。数秒ほど胸を眺めた後、彼の顔を見上げた。彼は無表情のまま私を見下ろしている。
「…………」
私は女ポーンの方を見て、おかっぱの男を指差した。
「本当に私の専従の……ええと、従者?」
と尋ねた。女ポーンは頷く。
「そうですよ」
「…………」
おかっぱの男の方に向き直る。
「ええと、右手上げてくれる?」
「はい」
男は返事共に右手を上げた。
「手はそのままで左足上げて」
「はい」
左足も上げた。彼はブレる事なくまっすぐ片足で立っている……。本当に言うことを聞くんだ。私は半ば呆然とそれを眺めていたのだけど、
「覚者様、この動作に意味はあるのでしょうか?」
そのポーズのまま、おかっぱの男はとてもごもっともな質問をしてきた。駐屯地にいる人たちがなんだなんだと私たちを見ている。
「い、いや。本当に言う事聞くのかなって思って……おろしていいよ」
恥ずかしくなってそう指示を出すと、彼は小さく溜息を吐いて手足を下ろした。相変わらず無表情で、怒ってるとか困惑してるとかそういう風には見えなかった。
改めて彼の姿を眺めてみる。毛先は黄色で黒っぽいまっすぐなおかっぱ。顔立ちは良い部類だろうか。くすんだ緑色のローブに身を包み、顔立ちと地味な防具が微妙にミスマッチだった。そして腰には簡素な杖をさげている。
「魔法使い?」
「はい。私はメイジです。まだ初歩的なものしか使えませんが一日も早く様々な魔法を習得し、覚者様を支えられる様に努力致します」
「そ、そっか。よろしく」
私は右手を差し出すと、彼は私の手をじっと見た後、「よろしくお願い致します」と握り返してきた。彼の手はちゃんとあたたかかった。人間とポーンの違いはわからないけど、握手した感じだと人間と同じ様な気がする。
「あ、そうだ」
大事な事を忘れていた。自己紹介をまだしていない。
「私の名前はユーリ。……だと思う、多分。お兄さんの名前は?」
「私には個体名はありません」
「…………」
私は空を仰ぎ見た。
「え……、両親から名前付けてもらってないの?」
「ポーンには人間の様に両親という存在はいませんので、現時点では名もありません。それと、一つ訂正させていただきますが私は自我を得て間もないので“お兄さん”は不適当かと思います」
「ええ?」
どうしたもんかな、と思っていると黙って私達のやり取りを見ていた女ポーンが「覚者様」と口を開いた。
「ポーンの個体名は基本的に覚者様が与える場合が多いです。そのまま“ポーン”と呼ぶ覚者様もいらっしゃいますし、名付けずに必要事項以外は一切声を掛けられない覚者様もいらっしゃいます。お好きな様に呼んでいただければと思います」
「そ、そっか……」
他のポーンたちの事情は私のポーンよりも女ポーンの方が詳しい様だ。そりゃそうか、私のポーンはさっき“自我を得て間もない”って言ってたもんな。大きい赤ちゃんみたいなもんだろうか。
「うーん……」
用事がなければ話しかけないってのも気まずいし、
ポーン呼びというのも人間をニンゲン、犬をイヌと呼んでいる様なものだ。出来れば名前をつけたい。
……トム、ジャック、ベンジャミン、ミハイル……。なんかどれもしっくりこない。トムって顔じゃない気がする。
「んーー……。君に名前をつけるつもりなんだけど、すぐに思いつかないから決まるまで“ポーン”って呼ぶけどいい?」
「構いませんよ。覚者様にお任せ致します」
構わない、というよりも興味が薄そうに見えた。……のだけど。
「どんな名前をつけてくださるのか、楽しみにしています」
と無表情のままそう言った。リップサービスかもしれないけど、本当に楽しみにしてるなら責任重大だな、と私は思った。