ああまた変わっている、そう思った。おかしな話だよな、自分がそう仕向けたのに。ちくりと痛んだ胸を押さえつけながら、キレイにそろえられた茶色のローファーをつま先でこつんと蹴った。
これで何人目だろう、輝一の彼女からの「はじめまして」を聞くのは。今回は前の女より大分ましだ。前回の女は輝一の腕にまとわりつきながら、邪魔するなって顔面で睨みを効かせながらいやいや挨拶してきたからな。あの女が帰った後(正確に言えば私が帰らせたんだが)、香水キツイ…ってぼやいたら「ほんと?じゃあお風呂入ってくるね」って返してくれたし、一緒に入りたいって言ったら「仕方ないなぁ」って困ったように笑いながら手を引いてくれた。嬉しかったな…。すぐに風呂を沸かして全身くまなく洗ってあげた。石鹸をしっかり泡だてて、手のひらで丁寧に。大分時間がかかってしまうが、頑張ってる私に「じゃあ次は俺がやってあげる番だな」って、輝一も同じようにしてくれるんだ。まさに頑張ったご褒美。優しく、丁寧に触ってくれる。手順が一緒なのもたまらない。一緒に住んだら、毎日でもこうしたいのに…。苦学生のこいつと、未成年の私じゃさすがに叶わない夢だとわかっている。だからこうして通ってるんだけどな。
前提として、あいつが節操なくとっかえひっかえしてる訳じゃない。私の兄がそんな酷い男なわけがないだろ。ただ少し、優しすぎるだけ。女どもからの好意を無下に出来ず応えてあげるんだ。双子で何を言ってるんだとは思うが、輝一の整った顔立ちに惚れない女なんかいないだろう。鏡を見てもなんとも思わないのに、いざ輝一を目の前にすると浮足だつのは笑ってしまう。おんなじ顔なのにな、不思議。男にしては可愛らしい顔立ちに文武両道、たまに抜けたところもあるのが母性をくすぐってくる。ずるいよホント、大好き。
優しい兄さん、また別のごみが付いてきてしまってるぞ。心配するな、私が綺麗にしてやるからな。
***
「おいこーいち、お前に借りた映画全然面白くなかったぞ」
「ええ嘘…絶対好きだと思ったんだけどな…」
「まったく…前も同じこと言ってたじゃないか。もういい」
「まってまってなんか悔しい…あ!あれだったら絶対輝二も気に入るって!ちょっと待ってて!」
そう言って、女の隣から腰を上げる。背中を向けて、こいつがコレクションしているDVDたちをあーどもないこーでもない言いながら物色しだす。ぺたりと座ったままの女が、扉の前に立ったままの私を見上げ気まずそうにへらりと笑った。
「えっと、こうじ、さん?だよね。私、輝一くんとお付き合いさせてもらってます××って言います!」
「…ああどうも、輝二です」
「うわ~私、男女の双子って初めてみた!っあ、ごめんなさい、失礼な言い方だったね…」
「別に構わない、気にしないで」
どうでもいいから。
名前も、ノイズにしか聞こえなかった。
私の返答を聞いてほっとした表情の女が背中を向けたままの輝一へと声をかける。
「輝一くんもごめんね、妹さんが来るんだったら私お邪魔だよね…」
「へ?なんで?」
「えっ、なんでって…」
まあそうだよな。付き合いだして間もないのに、妹、それも同い年の初対面と三人なんて気まずいに決まってるよな。どう考えても、好いた男と二人きりになりたかっただけだろうに、そういうところに気が利かない輝一も可愛くて好き。
「ああ輝二のこと?気を使わなくていいよ~こいつ、しょっちゅう俺の部屋にくるんだよ。今日も別に約束してたわけじゃないし」
「あっ、そう…なんだ…」
何か言いたげに顔を向けられる。なんだ?そのまま帰ってもらってもいいんだぞ、遠慮はいらない。
なおも帰ろうとしない女にしびれを切らし、室内へと足を踏み入れる。まっすぐベットへと進んでいき、ぼふんと腰を落とした。ぎょっとする女に気づくはずもない鈍感な輝一が私のほうを向きため息を吐いた。
「こらぁ、またそうやって座って…誰がそのスカートにアイロンかけてやったと思うんだよ」
「悪い悪い、また後でやってくれ」
「はぁ…もう、しかたないなぁ…」
息を飲んだ音が聞こえた。女の顔に焦りが浮かびだす。
…あと少しだな。
「なーあ~、まだ見つからないのか?」
「ん~…もうちょっとまって…ッぅひ!おいこーじ!背中はやめろって!」
だって、私と比べて大分広くて逞しい背中をくるんと丸めてラックにむかってるのが可愛くて。つま先でつつぅっとなであげたくなったんだ。
「あッ!わたっ、私!今日は帰るね!!」
「えっ?!なっなんで?!」
「えっと…用事!用事思い出したの!」
はい、絶対嘘。お疲れ様でした~。
手早く鞄を肩に担ぎ慌てて立ち上がる。…私の横でそんな残念そうな顔しないでくれよ輝一…。スカートをひらつかせながら玄関へと向かう女を送っていこうと立ち上がるから、思わず手を握ってしまった。ふっと笑いかけてくれたあと頭を撫でてそのまま二人とも部屋を出ていく。一人ぽつんと残されたワンルームは酷く静かで、涙が出てきそうになる。
「……はやく、戻ってきて、こーいち…」
握り返してくれた手を思い出しながらそこに口を寄せ、ベットへと倒れこむ。また…怒られちゃうかな…大好きな声で「こら」って…。
***
今日は一段と冷え込む…。明日は休みだし、こんな日は輝一と一緒にご飯を食べてそのまま泊まらせてもらうとしよう。母さんに持たせてもらった、輝一がおいしいって言ってた私も大好きな肉じゃがもあることだし、冷蔵庫の中のものを使って何品か作れば完璧な食卓になるな。
がちゃがちゃっと玄関が開く音が聞こえてきた。輝一が帰ってきた。出迎えはちゃんとしなくちゃ。
「あれ?来てたの?」
「……来ちゃいけなかったのか?」
「そんなこといってないだろ~?」
また邪魔なものがくっついている。ぴしりと固まった顔面、当ててやろうか?”なんでお前がいるんだ”だろ?奇遇だな、私も同じことを考えていた。気が合うな、同じ男のことを好きになった者同士、仲良くできそうだ。
「こないだぶりだね輝二さん、今日も来てたんだ」
「そうだな、今日は泊まろうと思って。輝一、なあいいだろ?母さんたちにはもう言ってある」
にっこりと笑みを浮かべてはいるが頬が引き攣ってるぞ?そんな顔面で、よく輝一の隣に並べるな。さっさと言ってしまえばいいだろう、”帰れ”って。輝一がどっちをとるか見ものだな。
「え?!またぁ?」
「…そんなこといっていいのかぁ?」
「えっ嘘!それって里美さんの…」
「そう、肉じゃが」
「俺、それ好きなんだ~」って靴を脱ぎ捨てて私ごと抱きしめてくれるんだから、愛おしいったらないよな。背中へと手を回し、そっと耳打ちする。
「もう、子供みたいだぞこーいち…カノジョ、どうするんだ?」
「っえ?…あ!ごめんね!」
慌てて身体を離したがその手にはしっかりとタッパーが握られている。玄関で突っ立ったまま困惑している女に「里見さんってのは輝二のお母さんで…」と説明を始めるけど、多分この女が聞きたいのはそういうことじゃないと思うぞ。
ナンデ、マタイルノ?
当たり前だろ、妹なんだから。兄の一番近くにいるのは私、そんなの解りきっている。
「えっとその…ほんっとーに申し訳ないんだけど…輝二、泊めなきゃいけないから…」
「…うん」
「っあ!一緒に晩御飯食べない?」
「だ、いじょぶかなぁ~?ほら、輝二さんも私がいたら気を遣うだろうし」
そんなわけないだろ、誰がお前なんかに気を使うか。
私だって別に鬼じゃない、にっこり笑いかけながら「そうだな、夕飯だけでもどうだ?なぁ輝一」と声をかけてやる。あくまで夕飯まで、だけどな。
「いいよっ!ごめんなさい、いつもお邪魔して…」
「そんな遠慮しなくても…輝一の彼女なんだから」
「ッ!」
睨まれた。無意識なんだろうな、女としての防衛本能。身に覚えがある。自分のものを取られまいとする行動。
「ほんと、大丈夫だから!今日は帰るね!輝一くん、駅まで送ってくれる?」
「…そう?うん、もちろんだよ」
「……早く、戻って来いよ?1人は寂しい」
「え~?今日は随分甘えただなぁ…はいはい、待っててね?」
そう言ってまた頭を撫でてくれる。一緒に居たいのはもちろんだけど、半分は当てつけだ。途中までは一緒だけどすぐにバイバイするこの女への。ほら、また顔が引き攣った。
もう一押し
***
月のもののこの苦痛も、いつか輝一と一緒になった時のためのものだと思ったら耐えられる。……嘘、ものすごく痛いし辛い。薬は飲んだ、けどメンタルはどうしようもない。冷え切った指先で履歴を埋め尽くす名前へと電話をかける。
”すぐおいで、待ってるから”
ほらな、輝一は優しいんだ。もし予定なんかあっても私を優先してくれる。早くこの不安な気持ち事包んでほしくて、数えきれないほど歩いた道のりを進む。
「いらっしゃい、輝二」
「…んん」
扉が開いてすぐその胸へと飛び込んだ。どくん…どくん…、鼓動が聞こえる。どんな薬より、この音が一番痛みに効く。そのまま抱きかかえられ、身を寄せながらベットへと連れて行ってもらう。ゆっくりとシーツへと下ろされ、布団をかけようとしてくるからやんわり止めた。
「…服、貸して」
「そうだった、ちょっと待っててね」
この時だけは額に口づけてくれるから生理も悪くない。…嘘です、早く終わってくれぇ……。
薬が切れてきたのか、誤魔化しがきかなくなるほどじわじわと痛みが広がる。胎児の様に身体を丸めぎゅううと下腹部を押さえつけていると、大好きな少しささくれだった指が手の甲をとんとんと叩いてきた。
「はい、パーカー」
「…ん…着せて」
「いいよ、おいで?」
グレーのおっきなパーカー、私が大好きな匂いに包まれてから輝一の布団をかぶる。ずっと抱きしめられてるようで、やっと気持ちが盛り返してきた。今日は手を握りながら寝てもらおう、そう考えだした時インターホンが鳴り響いた。
「荷物かな…ちょっと待ってろよ。…寂しいからって泣くなよ~?」
「バカ、早くいって来いよ…」
ふふふっとお互い笑いをもらし、玄関に向かう輝一の背中を見守る。大好きな私だけの輝一、早く戻ってきて…。
そんな小さい願いすらも叶わない、耳障りな声が聞こえてきた。
「いきなりごめんね!会いたくて来ちゃった!寒いからさ、上がらせてもらってもいい?」
「えっ、あっありがと!けど今は…」
「…小さい靴」
「浮気じゃないよ?!輝二のだからそれ!」
ずかずか入ってくる女が、今度こそ睨みつけてきた。まあそうだよな、いくら身内だといっても、彼氏の服を着て我が物顔で、自分が上がったこともないベットの上にいる年頃の女を見たら、そんな顔してもおかしくない。
いつもの私だったら内心”勝った”と踊り狂うところだが、いかんせん調子が悪い。
不安が、破裂した。
「っあ…ごめ…ごめん、なさい…」
「なんで…貴女が泣くの…泣きたいのはこっちだよ…」
情けなくも、ぼろぼろと涙を流しだす私の目に映ったのは嫉妬に燃えた眼だった。
怖い、どうしようもなく怖いんだ。
こうやって、今までいろんな女を遠ざけてきた。けど、それがいつまで続くかなんてわからないじゃないか。誰か教えてくれ、兄を好きになってしまった愚かな私が安心する時はいつなのか。
誰か助けて…。
「…なぁ、なにしてるの?」
冷たい、とがった声が耳に届いた。涙の膜が張って視界がぼやけてよく見えない。ひたひたと、輝一の足音が聞こえる。ぴたりと離れた位置に止まり再び「聞いてるんだけど?」と声がした。
「な、にって…なに言ってるの」
「言わなきゃわかんないの?そんなバカな子だとは思わなかった」
「ッ、は?」
「輝二が泣いてる、ねぇなんで?」
君のせいだよね、そう言い切る前パンッと乾いた音が響いた。
「最低!なんなの?!気持ち悪い…あんたたちおかしいよ?!」
そう言い残して、バタバタと女が部屋を出ていく。力いっぱい閉められた玄関の扉からも怒りが伝わってきた。
呆気に取られている私の目元にそっと指が添えられた。
「ぁ…」
「…フラれちゃった」
何がそんなにおかしいんだ。くすくす笑いながらぼろぼろ流れ続ける粒を拭っていく。
「……追いかけなくて、いいのか」
「なんで追いかけるんだよ」
「なんでって…」
それはあの女がカノジョだからだろ…。状況を理解しきれてない身体を、力強く、優しく抱きしめてきた。
「お前以外に大事な人なんかいるわけないだろ…」
「っひ」
そこからはもう、地獄だった。大号泣、赤ちゃんみたいにわんわん泣いた。みっともない、ほんと嫌になる。止められない涙と嗚咽に嬉しそうに笑いかけてくるから、意味が分からなくてまた泣いた。一番言われたくて、聞きたくない言葉を胸に、涙が枯れてしまうまで声を上げしがみつきながら泣き続けた。
何か考えてるなぁとは、さすがに俺でもわかるよね。来るもの拒まず去る者追わずな俺の横が変わるたびに愛しい顔を一瞬だけ歪めるその瞬間が好きだって言ったら、この子はどんな表情を見せてくれるんだろう。シングルベットの上で俺の腕の中で小さくなりながら、すよすよと愛らしく寝息をたてる片割れの頬を撫でる。今回は失敗だった、まさかこのタイミングで居合わせるとは思わなかった。真っ赤になった目元、可哀想に…ちゃんと冷やしてやらなくちゃ。そういえば、俺も頬っぺた冷やさなきゃ…めんどくさいなあ。…輝二が起きたら手当してもらおう。ぷりぷり怒りながら頬を撫でてくる姿は大層可愛いことだろう。そう考えたら、あの女も役にたったな。
名前、なんだっけ…まあいいか、どうでも。