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    柊夏那

    @33holly_8

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    柊夏那

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    黎明の光-アフターグロウ- 夜風が唸りを上げた。
     木の葉や砂利を派手に巻き上げ、風がごうごうと鳴いている。何事もなければきっと月の美しい静かな晩だったであろうそんな日にて、妖魔との決戦は巻き起こった。
     廃寺上空にて佇むのは一羽の怪鳥。巨大な翼がはためく度に大気が乱暴にかき混ぜられた。夜空に一点、月の手前を黒い塊が占拠し、山中の境内一帯に大きな影を落としていた。

    ===

    「最初に言った通り、自分の身は自分で守ります」

     風音が獣のように唸る中で、臨時バディの口からそんな言葉が出た。
     直前にて無謀な策を伝えられ、石蕗丸はすぐに止めた。けれども問答を繰り返した上で彼女を止めることはできないのだろうと直感で悟ってしまった。
     彼女は、貴瑛は、出会った頃から変わらない “そういう目つき” で、真っ直ぐに石蕗丸の琥珀色を見つめていた。
     ────内心、ここまで無茶のある行動に踏み切る人だとは思っていなかった。模範的かつ至って平衡を貫く人であると、短い付き合いの中で印象づけていただけに。
    (……これは、間違いなく俺の力ありきなやり方だ)
     人並みよりは夜目が効く。多少のイレギュラーにも対処可能な動体視力が自分にはある。光の異能もまだ充分に使える。それでも、だ。
    (刀遣とはいえ人の体はそんなに頑丈ではない。あの高さから落ちるのは……)
     くっと結んだ唇が歯先に当たる。情けないことに握った拳は僅かに震えていた。これは胸騒ぎか、それとも重圧か、もしくは恐怖か。貴瑛の着地が上手く行かなかったら、と。不吉なことを優先して考えてしまっている自分が居た。
    「……」
    「そろそろ止まるみたいだ、行きますね」
     長くしなやかなポニーテールが風に踊る。叩きつけるような風圧の中でも彼女は凛とそこに立っている。猿手に腕貫緒を巻いて、視線は空に留まる怪鳥を射ていた。
    「石蕗丸様」
    「…はい」
     不意に名前を呼ばれ、今度は風塵越しにて視線がぶつかる。
     過去の苦痛と失う辛さ、後悔への恐怖心に歪む琥珀色を、澄んだ朱紅が射抜いて行った。

    「信じています」

     それだけを告げ走り出した貴瑛の手元では、太刀・閃天石蕗丸の刀身が月光を受け、怯える刀神に何かを伝えるみたいにやたらと強く光り輝いていた。




     刹那のあいだ、うるさい風音が止んだ気がした。
     無論それは気の所為であり、鴉の翼がはためくその度、強烈な突風が境内を蹂躙する。暴力的な風圧に膝を折って耐える者、背後の木に叩きつけられ気絶する者まで居た。まともに喰らえば生気を蝕む妖魔の風に太刀打ちできない刀遣いが居る中で、貴瑛は迷うことなくぱっと駆け出し、妖魔の眼下まで躍り出た。ただ一言、刀神に信じていると告げて。
     それだけの事に、たったそれだけの事なのに、石蕗丸の心はガクンと大きく揺さぶられていた。
    「信じている……か」
     足元から柵が離れていく音がした。雁字搦めの固定概念が弾けるように瓦解する音を、石蕗丸はあの瞬間に聴いたのだ。弾けた瞬間、心の奥底で永く積まれていたままの瓦礫がガラガラと崩れてゆく。
     存在意義も意志も、失った訳ではないのだ。遠い過去の瓦礫の下へ置き去りにしてきただけならば、きっと幾らでも取り返せるはずだ。
    (……どうやら、俺は、とんだ腰抜けに成り下がっていたらしい。情けないことこの上ないな……)
     その場に残された刀神は短かくハッと自嘲気味に笑う。信じることが怖い自分を信じてくれるという誠意ある言葉に胸の内がじわりと熱くなっていくのを感じた。
     昏い海に光が一筋差すように。
     地平が暁に染まるように。
     ​──いつまでも自己防衛の事ばかりを考える者がいったい何を残せるというのだ。
     ──その手で戦い何を守れるというのだ。
    「ダサいのはもう終わりだ……! 」
     口をついて出てきたのは最近覚えた若者言葉。不格好で垢抜けない、そういう意味の言葉らしい。正しく今の自分そのものではないか。
    「今この場をもって、俺は貴女の信頼に応えてみせましょう!」
     石蕗丸はついに木陰から身を乗り出し、真夏の熱射をふんだんに吸い込んだ力を右腕に集約させた。金の髪が風に煽られ、精悍な顔と両の瞳があらわになる。異能の発動に伴い、琥珀色をたたえた瞳孔に太陽のひかりが鋭く灯った。
    (もし、あれがカラスに準じた性質を持つのだとすれば視野角はかなり広いはず。おおよそ三百度前後。対して異能を届かせる限界は上空七メートル程度……)
     駆け出した貴瑛のその背中から、滞空する妖魔のほうへ。おおよその空間計算の上で、石蕗丸は思いつく限りの最善ルートを瞬時に割り出し、足場となる板をまず一つ生成した。二枚目からは風の向きに逆らう形でわずかに傾かせ、極力貴瑛が飛びやすいように着地点を狙いながら、可能な限りの角度調整も行った。
     しかし、補助に回ったとはいえ自分の身が安全であるとも限らない。当たり前のように飛ばされた物が絶えずこちらに向かってくる。それら全てに対し、石蕗丸は残った左手で手持ちの盾を生成、貴瑛の補助に集中力を割きながらも、かろうじて飛来物を防ぎきった。
     そして遂に貴瑛が妖魔の上をとる。
     紫電が一閃。閃天石蕗丸の刀身が妖魔の背を裂くのが見えた。すると鴉が暴れさらに強く風が逆巻いた。風圧が辺り一帯を派手に掻き乱し、地上から一斉にどよめきが上がる。
    「貴瑛殿ッ!」
     体ごと引きずられそうになった所で脚を踏ん張る。構えていた盾を一旦消し、ここまで全てを打ち合わせた通りに。風圧に呑まれそうになる貴瑛のほうへ、石蕗丸は最後の足場を大きめに出現させた。

     ​────信じています。

     臨時バディの契約から今更になってしまったけれど、ここでようやく信頼への誠意をまともに返せた気がした。
    「どうかご無事で。すぐに参ります」
     そしてようやく出番が巡って来た。
     ハンドガンの要領で構えた指先に光を集め、束ねたそれを一直線に上方へ撃ち出す。光と生気をを集約する過程で空気を巻き込み、一瞬の内に圧縮させて飛ばす技。
    「届け……!」
     些か高度がある。しかし、あれだけ的が大きければ狙うのは容易だった。射出された弾丸は本来の限界高度を超え、鴉の頭上へ、先程までバディがいたところに到達すると、空中で閃光が弾けた。
     貴瑛が仕掛けた呪符を発動させる為のたった一発。上空にて炸裂した遅発性のスタングレネードは、見ようによっては花火が弾ける瞬間にもよく似ていた。

     妖魔の動きが鈍くなる。

     確実な隙が生まれた事を確認すると、石蕗丸はバディが落ちたであろう地点へと迷わず駆け出していた。

    ===





     後日。
     宿から出て賑やかな市街地へ。帰る為にと纏めた荷物は一旦宿にてお留守番。

     兄と姉、その他数名。主に臨時バディとして世話になった人々など…それなりの人数へと持っていく土産物に、石蕗丸は未だに悩み、いつの間にか遠征任務も最終日である。
     土産物の相談がてら少し会話をしたいという気持ちもあり、貴瑛と連れ立って目につく所をぶらぶらと渡り歩いていた。
     付近で開催されている祭りに紛れて縁日を巡って軽く食事をしたり、射的の屋台で三等のぬいぐるみを撃ち落としたり。
     昨日は妖魔と戦っていたとも思えないほどに平和なひととき。見慣れないものばかりの光景に、石蕗丸はまるで少年のように瞳をキラキラと輝かせていた。
     人の前で表情を隠すことなく、素直に笑ったのなんていつぶりだろうか。
     
     ────────────


    「あっ。これ……」
     貴瑛ははっと何か気がついたように土産物が並ぶ棚を目に留め、小さいぬいぐるみをひとつ持ち上げた。だいぶ間抜けな顔をしている。脳天部分にボールチェーンがくっついた手のひらに収まるマスコットだった。貴瑛はそれを石蕗丸にも見せ、値札付近のポップを指差しながら書いてあることをそのまま読み上げた。
    「ご当地限定のゆるキャラだそうです」
    「えっ……。可愛いですか? これ」
    「…………いえ、そんなには……」
     けっこう可哀想な理由で棚に戻される哀れなぬいぐるみ。仲間たちと肩をせめぎ合わせて並ぶそいつと目を合わせているとなんだか気まずくなったので、ふいと視線を離し、石蕗丸はまた別の棚を覗き込んだ。指先で顎を摩りつつ。
    「こういう時にはやはり菓子類でしょうか……。ううむ。無難すぎる気もする……」
    「ゆっくり選びましょう? まだ出立に急いでいる訳でもありませんから」
     貴瑛がニコリと笑んで手元の紙袋を鳴らした。袋の中では縁日で石蕗丸が撃ち落としたテディベアが大人しく座っている。
     屋台の射的に勇んで挑んだはいいものの、一等も二等も特段ほしい物ではなく、これも適当に撃ち落とした景品だったのだが、使い道が無いので譲っておいたのだ。渡した際に貴瑛が妙に嬉しそうだったので、たぶんこの人は熊が好きなのだろう。覚えておくことにしようと思う。
    「……貴瑛殿。藪から棒に話を変えますが」
    「はい」
    「あの時……その、上手くいったからいいものの、貴女が無茶をしていたという事実は否めません」
    「その節は……」
     貴瑛の口から返ってきたのはすみませんの一言と感謝。若干責めるような口調になってしまったが、石蕗丸から見れば、あの時の作戦はそれだけ無謀なものであった。
    「落ちる時にヒヤッとしたのは否めませんが……。でも、無事で本当によかった」
     軽く微笑んでそう言うと、貴瑛も応えるようににっと微笑んだ。
    「石蕗丸様のお陰です」
    「俺は言われたことしかやっていませんよ」
     なんだかんだと言いつつも、大事なく無事で良かった。結局はその一言に尽きる。
    「……さて、出ましょう貴瑛殿」
    「ん……今度はどちらへ?」
    「坂の上の方へ。静かなところで少しばかり、貴瑛殿とお話したい事がありますゆえ」

     ​───────

     真夏の日差しが容赦なく照りつける砂利の坂道。雑草まみれの側道からはウンザリするほど熱気が立ち込めていたが、それも目的の場所に着く頃には海から吹く潮風に相殺されていた。
    「こんな所があったとは……いい眺めですね」
    「夜間に周辺を散歩をしていまして。その時にこの場所を見つけました。……ほら。あちらに見える海が月明かりを受けてきらきらと輝いていたのです。やはり昼間も負けじと綺麗だ……」
     ほうと嘆息の音。拠点としていた宿よりは高いけれど、決戦の廃寺よりは低いくらいの場所からは、碧い海が一望できるのだ。快晴も相まって遠くの海面ではちらちらと光の粒が踊り、美しく爽快な景色をこれでもかと臨むことが出来た。
    「……海を見ていたい所ですが、話をせねば。前置きのかなり長い話になりますが、聞いて頂けますか?」
    「ええ。聞きますとも」
    「では遠慮なく。……前置きとして、ただの昔話から始めましょう」


    ===


     その昔、自分には人間の友がいた 。太刀・閃天石蕗丸の主であり、仕事熱心で正義感の強い、それでいて気さくな若者であった。
     人間と刀神という種族の壁がありながらも、彼とは親友のような関係が続き、石蕗丸の目には二人で過ごす毎日が綺麗に煌めいて見えていた。
     楽しかった。人と笑い合い人に尽くす日々は、自分にとって何よりも大事なものになっていた。
     
     そんなふうに大事にしていた人間にあっさりと裏切られた日があった。あの日の事は決して忘れないだろう────否、忘れようとしても忘れられない と言う方が正しい。
    「用事が終われば帰って来る」と嘘をつかれ、金銭の工面という勝手な目的で本体に封印を施された。
     抵抗する間もなく微睡み始め、いつしか意識は睡りに落ちた。その間のことはあまり憶えていないのだが、どうせいわく付きの代物として見世物にでもされていたのだろう。

     ただの「物」として、永くを独りで眠った。
     何故。何があって。どうして何も相談せずに。そんなことを考える暇すらなく眠らされ、数百年越しに天照にて目覚める頃には、疑念と未練は憎悪に近いものへと煮詰まっていた。
     眠る過程で男のことなど忘れてしまえば良かったのに、未だに自分は彼奴を憶えている。それがどうにも悲しくて悔しい。やるせない感情に揉みくちゃにされた自我は、いつの間にか人間を信じるという事自体を拒絶するようになってしまっていた。

    ===


     木陰に佇み石蕗丸がぽつりぽつりと話すあいだ、貴瑛はただ微笑みながらその話に耳を傾けていた。時折相槌も交えつつ、石蕗丸が口を閉ざす時まで、聞き役に徹してくれた。
    「そういう経緯もあって俺は現代にて目覚めてから、人間に対する警戒心を強く持っていました。嘘をつく生き物だと。それは貴瑛殿に対しても例外ではなく。……本当に申し訳ありません」
    「……ん」
    「…貴瑛殿?」
    「それは、石蕗丸様が謝るようなことでは無い……のでは?」
    「や、そんな事は無…………いや、そうなのですか……? そもそも貴瑛殿に嫌な気持ちは無かったと?」
    「はい」
     即答。返しがあまりにあっさりとしていたので、些か拍子抜けである。
     信じていますと、きっと彼女は言った通りに自分を信じていただけなのかもしれない。
     だからこそ真に思う。
     信じてくれたこの人を今度は自分が信じる番なのだと。契約に縛られた義務や責任でもなく、自身の意思でそうしたいと、今は──
    「朱野貴瑛殿。貴女を信じるに値する人間と見込んで、こちらから改めてお願い申し上げます」
     ​──思いのままに、願い事を言おう。
    「今後もどうか、貴瑛殿の手であの刀を、閃天石蕗丸の命を預かっていただけないでしょうか」
     言うと、微笑んでいた貴瑛の口と瞳が僅かに見開かれた。その瞬間をみとめ、石蕗丸は無言でその場に片膝を突く。履物のソールが地面と擦れ、鋭い砂利の音を鳴らした。片膝を立て、曲げた左腕を胸の前へ。拳を握って再び視線を貴瑛の顔へ。朱紅と琥珀とで視線を交差させ、石蕗丸は宣誓の言葉をさらに続けた。
    「……貴女が俺を信じてくださったこと、本心から嬉しかったです。貴瑛殿の信頼に応えねばと必死でありながら、心の何処かでは喜びを感じていました。……元より俺は、そうやって人と関わるべき刀神なのです。長い年月を経て漸く、その時が来たのだと思っています」
     必死であった事も、嬉しかった事も、言葉の全てが本音だ。石蕗丸は決して嘘をつかない刀神である。
     器用なのに不器用で、愚直で真っ直ぐな琥珀の瞳が、太陽光を受けて煌々と光り輝いた。

    「私、閃天石蕗丸。未だ未熟者の身ではありますが、誇りを持ってあなた様に仕えさせて頂きたく存じます。どうか────」

     こうべを垂れ、一礼を。
     これまで彼の表情に差していた陰は今はなく、石蕗丸の瞳は鮮烈な光色を帯びて、日長石のごとく煌々と、太陽みたいに澄んだ煌めきを放っていた。

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