若き鵞鳥の悩み ああ、可愛いな、って思う。
この「可愛い」がどういった可愛さなのか、俺自身もわかっていない。ただ、マーヴェリックを見ると、やっぱり「可愛いな」って思う。ふくふくな頬も可愛いし、くりくりした瞳が上目遣いに見つめてくるのも可愛い(これは俺達の身長差だと自然とそうなるんだけど)。子供みたいな小さい手のひらも可愛いし(マーヴェリック曰く『掴み取り』で損をするらしい)、丸い頭をぴょこぴょこさせながら歩くのも、全部可愛い。抱きしめるとしっとり吸い付く肌と、ミルクとお日様のような甘い香りがシフォンケーキみたいだなって思う(シフォンケーキは力任せに抱きしめると潰れちまうけど、マーヴェリックは潰れないから、これはちょっと違うかもしれない)。
「ぐーす」
舌足らずな甘え声はきっと無意識で、これは俺と話す時にしか聞いたことがない。
「どうした?」
「んぅ」
ぐずる声が駄々をこねる子供みたいだ。背中に触れるぬくもりが、幼い「だいすき」を一生懸命に伝えようとしてくる。
多分そういったところも可愛くて堪らなくて、大好きだよって返したくて、それどころか「愛してる」なんて言いたくて、でも言えないから、同じようにぎゅうって抱きしめて「今日も俺のマーヴは可愛い」なんて言ったりする。鼻から抜ける息が「くふ」と満足気に鳴って、それから指先が引っ掻くように背中を這う。それがどういう意味なのか明確にはわからなくて、持て余した恥ずかしさと喜びがいっぺんに押し寄せているような気がして、本当に可愛い。
可愛い可愛い可愛い。
純真な心を守ってやりたい。そう思うのに預けてくる体を暴きたくて、それが許される関係になれないことがもどかしい。俺達の関係が進むことを拒んでいるのは、そういった関係を望んでいるはずのマーヴェリックで、拒絶の理由が「グースの幸せ」の為なのだから俺は何も言えない。そんな言い訳をして、マーヴェリックのせいにして、俺だって「その先」に躊躇している。
頭のてっぺんから足の爪先まで全部にキスをしているはずなのに、それが出来るのは「相棒だから」なんてよくわからない理由で、同じ理由で唇へのキスは赦されなかった。他のどの場所に口づけるよりも甘い砂糖菓子みたいな甘美が広がるんだろうなと夢想して、指先でなぞったり口元に唇を滑らせたりする。だけど、肝心の砂糖菓子にはたどり着けない。
マーヴェリックが同じようにして俺の顔に触れる時に、じゃあこいつは何を考えているんだろうなって思う。幼い、子供みたい、だなんて言ったって、こいつは結局れっきとした成人男性で、そういった欲求も持ち合わせている男で、あぁ、だから、そういったアンバランスなところも可愛いんだった。
触れたくて触れられないのは俺もマーヴェリックも同じで、だったら次はどんな理由をつけて、この先に進めばいいんだろうか。
「グースってさ、」
「うん?」
「なんか難しそうな本読むよな」
「別に難しくはないだろ。ちゃんと英語で書いてあるし」
「そういう問題じゃなくて」
マーヴェリックはあまり読書をしない。勿論難解なマニュアルを隅々まで頭に叩き込んでいるし、各所からの報告書の類も当然確認しているのだから、本が読めないわけじゃない。娯楽としての読書をしないというだけだ。そのこと自体はどうも思わない。ただ、俺が本を読んでいる時に退屈じゃないか、少しだけ心配になる。
「今は何読んでるんだ?」
「んー……」
「言えねぇような本? えっちなやつ?」
「あのなぁ、お前じゃねーんだから」
「おれは本読まねーもん!」
「それは自信満々に言うことなのか……?」
「むぅ」
二人で過ごす時間が多いから、隣にいても各々好きなことをしている時間がある。それでも大人しくしていたはずのマーヴェリックがちょっかいをかけてくるのは、そろそろ「構ってほしい」の合図だ。マーヴェリックが眺めていたはずの雑誌がローテーブルに転がっている。俺も触りたかったから、丁度いい。
「お前が読んでも面白くないと思うぞ」
「そんな面白くない本、なんで読んでんだ?」
「さあ? 古典文学に親しもうと思って?」
「こてんぶんがく……」
放り出されている航空機の雑誌を手に取る。二度と捲られないであろう『若きウェルテルの悩み』を隠すように覆い、書棚の奥へ押し込んだ。