あなたがいればそれだけで「おれ、グースがいれば、それだけでいいんだ」
背中に回された小さな手のひらが、ぎゅうといじらしく力を強めた。指先がきゅっきゅと何度か蠢いて、俺の存在を確かめるみたいにシャツをくしゃくしゃにしているんだろう。
マーヴェリックが今度こそと意気込んで付き合い始めた女とは結局上手くいかなかったみたいで、無論そんなことは幾度となくあって、毎度決まって「グースがいればいい」と泣き言を言い始める。付き合っては別れてを繰り返すマーヴェリックは、しかし決して軽薄なわけではなかった。マーヴェリックの行動原理はおおよそが「グースの幸せ」にあって、故に一見非道な行動も、俺に対して誠実であることの証左に過ぎなかった。
マーヴェリックが女に好意を寄せられるのはあまりにも自然なことだった。将来有望なアビエイターだし、幾分か身長は低いかもしれないが、整った顔は老若男女に好かれる愛らしさがある。性格だって多少自由奔放すぎるきらいはあるが、行動力とバイタリティに溢れているのは好印象だろう。こんなにも優良物件なマーヴェリックは、だのに決まって別れるときは振られる立場になるばかりだった。見る目がない女だな、なんて腕の中の小柄な体を慰めながら胸を撫で下ろしている俺は、マーヴェリックの誠実さに対してどこまでも不誠実な男だ。
「なんで、いつも、」
駄目なんだろ、と小さくなる声に頭を撫でる。そんなのは当然だろ、お前には俺しかいないんだから。そう言ってしまえたら別の恋物語に発展するはずなのだけれど、その言葉を紡ぐことも、少しの素振りを見せることもできるわけがない。マーヴェリックが女と付き合うのは俺のためで、別れるのは俺のせいだった。マーヴェリックが抱く俺への報われない想いが強くなればなるほど俺から離れようと試みて、だけどそんなことを俺が許すわけもないのだから、柔らかくふわふわな羽毛の中にそっと包み込んでみせる。心地よい縄張りを提供されたマーヴェリックは眼前にぶら下げられた餌を求めて、飛び立ったはずの親鳥のもとに戻って来てしまう。安心できる場所で口をパクパクさせている姿が、どんなに愛らしいことか。
酷い仕打ちをしているのかもしれない。
手負いの狼を雛鳥みたいに懐柔して、巣立つことも許さずに甘やかし続けている。本来ならばマーヴェリックの気持ちに応えたい、というのは俺の免罪符だった。幸せにするために手元に置いている。いつか必ず恋情を報わせてやりたい。抱きしめて、愛を囁いて、口づけを交わして、そうして互いの熱を交換し合う幻想に何度耽ったかわからない。そのために必要な何段階かのステップだって――それが世間的にどんな意味を持つとしても――俺は最後までやり遂げるつもりで、なぜならそれらの手順を踏まなければマーヴェリックが俺の気持ちを受け入れることなんてないということは、嫌というほどわかっているのだ。実際はそこに向かう一歩すら許されておらず、俺はただ不定期に訪れるマーヴェリックの失恋を慰め続けるしかない。
一歩を踏み出すことでマーヴェリックの理想としている「ブラッドショー家」が壊れることこそ、マーヴェリックにとってはイコール「グースの不幸」なのだった。そんなことはないと説いたところで、きっとマーヴェリックは自分の責任を重く感じて俺から離れるであろうことは明白だった。つまるところ、俺は決定打になる一言も、或いは俺たちの新しい未来を連想させる言葉をかけることもできずに、マーヴェリックの「報われない恋」が、どちらにとっても報われないままであることを受け入れるしかない。
「いつかお前のことをわかってくれる奴が現れるって」
「……そんなの、グースしかいないし……」
「そ? まぁ俺はマーヴのことならぜーんぶお見通しだからな~」
「ん」
ぎゅっと子供みたいに抱きついてきて、だけど本当に全てお見通しだったら困るってこともわかっていて、マーヴェリックを手放さないために、俺はこの男が望む“グース”であり続けようとしている。そうやって縋れそうなひとかけらの可能性を残してやれば、けれど決して手を伸ばそうとしないマーヴェリックは安心して俺の傍にいられるし、俺から離れていかない。手を伸ばせばいいのに。お前には俺がいるのに。
実のところこのままでいいのかという問いに、俺は手放しで「YES」と答えることはできない。どうしたってマーヴェリックの全てを手に入れたいし、今のままの関係で終わるつもりもない。だからといってそのために不用意な行動をしてマーヴェリックが「俺のために」離れることなどあってはならない。
「グースがいれば、いいもん」
「……そっか。俺も。マーヴがいればいいよ」
「ばーか。グースは違うだろ。おれより、もっと、」
だいじな、
続く言葉が紡がれないようにきつく抱き竦める。お前が言いたい言葉なんて全部わかってるんだから、そんなこと、言わなくていい。嘘偽りのない愛を誓った俺の、それ以上に罪深い愛を咎める声が、甘やかに鼓膜を揺らす。マーヴェリックの甘え声に俺を責める響きはひとつもなくて、実際に咎められていることも全くなくて、勝手に抱えた罪悪感は俺自身が受け止めるよりほかない。俺が抱いている感情のひとかけらも、もしかしたらマーヴェリックには伝わっていないのかもしれないけれど、それは決して悲しいことではなくて、伝わらないことは俺の安心でもあった。重苦しい愛なんて知らなくていい。お前は柔らかくてあたたかい、ふわふわした幸せな愛だけを知っていてくれたらいい。
「ん、ぷ。ぐーす」
「うん?」
閉じ込められていた頭が、空気を求めて顔を覗かせた。
「んーん……。おれ、こうしてると、安心して、なんか、……ずっと、」
「わかる。ハグしてると落ち着くよな。俺もぎゅーってすんの好きだし」
「あ、えっと、そう! おれも、ハグすんの好きっつーか、その、ぐーすと、」
「んじゃずっとぎゅーってしてよーっと。マーヴって抱きしめ心地がいいんだよな。俺に丁度いい」
「グースに?」
下手糞な誤魔化しをしたがるマーヴェリックに乗っかって、軽薄な口車で何でもないふりをする。気持ちが伝わりそうで伝わらない、伝わらなくていいもどかしさにあたふたしていたマーヴェリックは、それでも俺の言葉に一喜一憂して、まるで「特別だ」と告げられたと気づいて声を弾ませる。
「そう、俺に。俺のために誂えられたみたいに、ぴったり丁度いい」
「……だって、きっとそうだもん」
もっとぴったり重なるようにきつくしがみつくマーヴェリックと体をくっつけて、隙間なんてなくなるくらいにぎゅうぎゅうに抱きしめ合う。
ほらな、俺達は二人きりでこんなにもぴったりなんだ。