手のひらに愛 ホリデーマーケットは今年も盛況で、グースは辺りの店を眺めながら一年前のホリデーシーズンを思い出していた。
去年もマーヴェリックと二人でブラッドリーへのプレゼントを探しに来ていた。この時期に二人きりで店を回るのは、少しばかり特別な感じがする。道行く先で寄り添って歩く恋人同士の姿を見つける度に、自分たちは周囲にどう見えているのだろうかと、左手に握ったマーヴェリックの手のひらの感触を意識した。人が多いからはぐれないように、という名目で握っている手。その温度に特別な感情を抱いているのは己だけではないと思いたい。手を繋ぐ時に綻んだマーヴェリックの幼い頬が、愛する人を前にした恥じらいのように見えた。或いは親に手を引かれる子供の安堵なのかもしれなかった。
食欲をそそる香りが辺りに立ち込めている。長い間ショッピングを続けた空腹が、頻りにエネルギー補給を訴えている。イルミネーションの光で星の瞬きが少ない空を見上げる。今年は雪の気配がないが、故に寒さが身にしみた。
左手に握っているマーヴェリックの右手は、自分のそれよりも少し小さい。ふくふくした手のひらは、今はもふもふのミトンで隠されている。
小さな手を寒さから守るミトンは、決してマーヴェリックの趣味というわけではなかった。もっと言えばグースの趣味というわけでもなく――今となっては気に入っているが――いつかの日に指先を赤くしているマーヴェリックのために、見かけた露店で購入したものに過ぎなかった。
きゅう、と左手を握るマーヴェリックの力が一瞬強くなったかと思ったのも束の間、すぐに力は弱まった。ふわりと離れそうになった手のひらを捕まえる。マーヴェリックが何かに興味を持って、気を取られたらしかった。
「グース、あっち! あれ、美味そう!」
マーヴェリックが示したのは、切り分けられたチキンを赤茶けたソースに塗れさせて焼いている店だった。店の前には人だかりがあり、様々な形のチキンを手にした人々が満面の笑みで人ごみを抜けていた。
「んじゃあれ食おうぜ。俺も腹減ったんだよな~」
「キャロルたちにも買って帰る?」
「あー……いや、帰る前に冷めちまうだろうし、温め直しても美味くないだろ。俺たちだけの秘密。食って帰ろうぜ」
「ひみつ……」
マーヴェリックが雄弁なのは、大きな瞳だけではなかった。今だって再び指先の力が強くなった。“嬉しい”の感情が溢れているのだ。
いよいよ帰らなければ、と駐車場を目指したのは、二人の腹がチキンだけではない様々な肉や野菜で満たされた頃だった。最後に食べた星形の砂糖菓子が舌に甘さを残している。今キスをしたら、どんなに甘い口づけになるだろう。
「ブラッドリー、喜んでくれるかな」
「うん?」
「プレゼント。おれ、こういうのよくわかんねぇからさ」
「喜ぶに決まってるだろ。あいつ、飛行機好きだから」
「父親似だな」
「ははっ、どうだろうな」
確かにブラッドリーは、幼いながらも父親の仕事を薄らと理解しているらしかった。飛行機のおもちゃを手にするたびに瞳を輝かせ、「僕もダディやマーヴと一緒に飛ぶ!」なんて可愛らしいことを宣言している。「ぶーーーん」とエンジン音を口にしながら、手持ちの飛行機を飛ばず真似さえしてくれていた。
実の息子に憧れられるなんて、父親冥利に尽きる。
「ブラッドリーはさ、」
言いながらマーヴェリックの瞳が遠くを見つめた。遠方に見える街路樹よりも、もっと遠いどこか。
「ブラッドリーは、戦闘機乗りの父親が自慢なんだよ」
この顔こそ、“戦闘機乗りの父親に憧れる息子”みたいだとグースは思った。時折見せるこうした幼い危うさが、グースの庇護欲を掻き立てる。守りたい。お前には俺がいるよ、と抱きしめたい。
このまま抱き寄せて、腕の中にすっぽり収めてしまいたい。そうして、俺は、お前と――。
ぶーーーん!
ひとつの罪の空想に耽っていたグースを現実に連れ戻したのは、奇しくも拙いエンジン音だった。
幼い男の子が飛行機のおもちゃを片手に二人の傍を駆けていった。すぐ後ろから父親と母親らしき男女が追いかけていた。微笑ましい家族の姿。じっと動向を見守る。両親と息子。絵に描いたように幸せそうな家族。自分にとっては身近すぎる光景。愛する妻と息子。
「あの家族、なんかグースたちみたいだな」
「え?」
「ほら、あの飛行機持った男の子の。家族みんな仲良さそうだろ?」
良かった、と何が良かったのかわからない一言がその後に付け加えられた。ほっと一息つくマーヴェリックを横目に、グースは握っている左手の力を少し強めた。
「ああやって家族が仲いいのって、良いよな。今日はさすがに家族連れも多いし、みんな幸せそうだよな……。なんか、おれ、ああいうの見るの好きだから」
買い物中、道行く家族連れを見つけては、手のひらがきゅっと握られたことには気づいていた。絡み合う恋人同士の指先に、マーヴェリックがミトンの中で指をうごめかせているのもわかっていた。
好きだ。好きだなぁ。いじらしい姿を見つける度に、想いが募る。
庇護すべき対象はもっと明確にいるはずなのに、隣にいる男を守りたいと思う。か弱さとは程遠い男だ。けれど、幼さの残る柔らかな心を抱えている。
マーヴェリックを大切にしたい。愛で包み込みたい。手のひらが求める家族になりたい。指先が望む恋人でありたい。
「俺たちだって幸せそうに見えると思うけど?」
「え~? そうかぁ?」
クスクス笑うマーヴェリックは、今日の目的が“クリスマスプレゼントの調達”だと何の疑いもなく思っているのだろう。それは間違っていないけれど、とグースは己の密やかな想いを手のひらに込めた。恒例になりつつあるホリデーシーズンのショッピングが、二人で過ごすためのもっと確かな関係に基づいたものになってほしい。
それは実のところ、普段からマーヴェリックがグースへ抱いている感情にも似ているはずだった。
マーヴェリックから向けられている“愛”の感情は多種多様だった。家族愛や親子愛、友愛、恋愛、性愛……全ての愛を向けてくれているマーヴェリックは、それなのにその感情の多くをひた隠しにしている。
感情の機微に聡いグースでなくとも、マーヴェリックの感情を想像することは容易かった。瞳が、声が、全身が、「グースが好き」と伝えてくれる。それでも素知らぬふりで友人関係を続けているのは、結局のところマーヴェリックの望みのひとつに“ブラッドショー家の幸福”があるからだった。新しい関係に進みたいはずなのに、マーヴェリックの望みを言い訳に、二の足を踏んでいる。卑怯な責任転嫁だ。
マーヴェリックが友人として努めて過ごそうとしている今日を、二人きりでデートみたいだと内心はしゃいでいるのは俺のほうに違いない。
家族を失ったマーヴェリックにとって、“家族で過ごすイベント”は憧れのひとつのようだった。今日もその憧憬を胸に抱いているのだろう。そんな純粋な思いを壊すことなど、できるはずがない。
「グース! あの家のイルミネーション、すっげー!」
通りに面した家が煌びやかに電飾で彩られている。お前のほうが綺麗だよ、なんて歯の浮いたセリフが頭を過る。一夜を確信した馬鹿な男が言いそうな言葉だと思った。くだらない常套句よりも、もっと伝えたい言葉があるのに。
だけどそんな馬鹿げたセリフを言えたなら、俺の恋慕に僅かでも感づいてくれるだろうか。手のひらが触れ合うたびに、互いの感情が溶け合えばいいのに。
行き場を失ったままの感情を持て余し、手のひらを離して車に乗り込んだ。次に手のひらが触れ合うのは、もうすぐのことだった。