夏の明るさがよく似合う男だ。千早瞬平の話である。
熱さにゆらめく土の上で、しゃんと立つ二本の脚。伸びた背筋と、小さくはあるが紛れもなく男の骨が作る顔。さらりと綺麗で、膨れているわけではないのに突けばやわらかく凹んでしまいそうな頬は「君と違って気を遣っているので」とのことだ。綺麗な顔をした男がいるものだと、改めてしみじみ思ったのは、去年の冬の頃だった。
この綺麗な顔はやけに嫌味な言葉をぶつけてくるから、藤堂のことがあまり好きではないのかもしれない、とふんわり考えていたのが一年の春。先輩方や同級生の山田には優しくあたるから、間違っているとも思わなかったし、それで別に良かった。幼い子どもではないから練習で支障は無かったし、すべての言葉に嫌味を含めてくるわけでもない。ただ、きっとこれ以上の仲になることは、無いのだろうな、とぼんやり。
別に藤堂のことが嫌いなわけではないのでは、と思い直したのが初めて帝徳高校と練習試合した、帰り道のことだろうか。帝徳高校のパンフレットが入った紙袋がやけに重たかった。バッティングセンターに誘ったのは、千早が藤堂のことを嫌いかもしれない、ということをすっかり忘れていたからだ。今思えば、忘れるほどなのだから、嫌悪を強く示されていたわけでは無かったのだ。ア、誘われたの、嫌だったか、と考えた一瞬ののち、存外簡単に「いいですよ」と返ってきて、手に提げた紙袋が少しだけ軽くなった。持ち手の片方を千早が持ってくれた、ような。
藤堂がイップスを打ち明けた頃には、嫌味な性分なだけであると分かった。千早が撮ってくれたフォーム安定のための動画は今でも全部スマホに残っている。教えてくれた参考動画やサイト、本の情報のリンクは、イップスを克服した今でもブックマークに残している。
当たり前の顔をして、人のために時間を使えてしまう男だった。
そしてもう一つ分かったことと云えば、藤堂に対して特にあたりが強いのだ。毒を吐くことが無いわけではないが、息をするようにいちいち嫌味を突っ込んでくるのは、藤堂に対してだけである。やはり藤堂のことが嫌いなのでは、とは思わなかった。思えなかった。藤堂が言い返してやれば釣り目を細めて心底楽しそうに笑うから。
一年の、去年の冬の頃にはもう、藤堂は自惚れてしまっていたのだと思う。千早の中で、きっと藤堂は、他とは違う立ち位置にあるのかもしれないと。クラスも部活も帰り道も同じで、時間と共に軽口はどんどん増えた。無言の時間は最初から苦では無かった。無茶やバカを言い合うのもなんだかんだ楽しくて、ふざけることを許し合った。
傷の形が似ていたのも良かったのかもしれない。言葉は強いが、藤堂の本当の弱いところは傷付かない安心感を勝手に抱いていた。同時に藤堂も、なんとなく千早の傷の形が分かった気がしていて、それが少し、気分が良かった。美しく面倒くさい男と誰より丁寧に接してやれる、なんてみっともない自惚れが、僅かにだがあったのだ。
千早瞬平とは、藤堂葵の友人である。
千早がどう感じているかは知らないが、少なくとも、藤堂のなかではかなり親しい側の友人であった。
最初に違和感を覚えたのは、千早が女子と話しているときだ。十一月最後の水曜日だった。野球部がオフ日だったから一緒に帰ってやろうと思ったのに、あろうことか千早は「俺日直なんで、先帰ってていいですよ」と宣ったのである。
コイツ、女子と二人で居たいから俺が邪魔なんだな、と察してやれたのは下駄箱に着いた頃だ。のそのそと外履きに履き替えながら、教室を出る直前に見た光景を思い出す。同じ日直の女子に優しげに微笑んで、日誌を覗き合っていた。童貞らしく鼻を伸ばしやがってみっともない。それでもって、俺って邪魔なんだ、と気付いてしまったのが運の尽きである。
やけに心臓が痛かった。鋭い物がすうっと通って、じんわりと血が滲み熱くなり、鈍い痛みが長く重く続く。
──俺って千早が好きなのかも。
気付いてしまってから、最初の練習試合。
一番打者として出るも凡退に終わった藤堂は、ベンチから試合の様子を他人事みたいに眺めていた。集中しなければならないのに、どうにも気持ちがぶれてしまう。
塁に出た千早が、要の長打で返ってくる。土を蹴って、汚れることも厭わないで。冬の冷たい風を切りながらホームに駆けてくるのだ。
帽子を取って、袖で額の汗を拭う。セットされている前髪がくしゃりと形を変えた。
冬の濃い青に、短い赤茶がよく映える。
見惚れるのを辞められなかった。
首筋に汗を滲ませながら、澄ました顔で返ってくる。ニ、と白い八重歯を覗かせて、藤堂の隣で言うのだ。
「いやぁ、邪魔者が居なくて走りやすかったです」
やけに視界が眩しくて、うまく言葉を返せなかった。
「藤堂くん?」
「っせーな、次は打つ」
「アハハ、ぜひそうしてください」
赤縁の中で下瞼が弧を描いて持ち上がる。大きな瞳はよく光を反射させていた。楽しそうに意地悪を吐いて、それを心底嫌だと思ったことなどは、そういえば無くて。
まだ大して動けていないのにやけに熱い。きっと隣に千早がいるからだ。二塁から全力で駆けてきた身体の熱が、藤堂にも届いているのだと思う。それであれ。そうでないと、おかしい。
(いや、おかしくないか)
藤堂葵は、千早瞬平に恋してしまったのだ。それはもう、どうしようもなく、認めざるを得ない事実だった。