デカダンス「ここにいると変わってしまうの、全てが」
侮蔑の色が攻撃性を備え見下すローを逆に嘲るように女は赤黒い口紅を引いた端を吊り上げ、続けた。
「三週間なんてとんでもない。何ヵ月、いえ何年も、それは月日がわからなくなるほどに貴方もここにいるわ。神も見えなくなるの。それを何て言うか知っています?」
おれには関係ないとローはかつて神に遣えた女との会話を切り捨てた。
デカダンス
装飾過多の椅子は木製で樹木の清々しい匂いがする。手摺のやすりのかけかたも完璧で恐ろしいほど腕を置きやすい。いつまでも座っていられる気になる。ここはそう言うものに溢れているような気がした。椅子も机もベッドも絵画も音楽も調度品も娯楽も、永遠を見越して設え配置されていた。完璧な造形と泥沼のような魅力は人々をモナトリアムへと没入させる。
人々を誑かす美しい所長とその弟もまた永遠に鑑賞するために造られたかのようにこの山にいた。
下界と山の上の世界はあまりに隔たっている。あと数日でローは下界に戻る。こんな退廃的で永遠的な場所から一刻も早く離れるべきだ。そう急かす理性は正しい。
「トラ男」
静かな声がローの耳に届くと、流れる血が熱をもち脈を早める。首だけ振り向けば音を放った尖った唇の健康的で魅惑的な赤さばかり気にかかる。
ローが治療のために待っていたゾロが漸く部屋に来たのだ。雨も降らないのに纏わりつく湿度のような息苦しさを覚えローは溜め息をついた。
ローがペンギンとシャチを伴い医者としてこの山にある療養所に赴いたのは、本来のエクソシストとしての任務だった。
山の上の療養所に悪魔たちを率いる黒ひげが逃げ隠れていると掴んだ司教はローに任務を言い渡した。医者として赴き黒ひげを探し捕らえよと。ローは眉間の皺を深めた。退治ではなく祓うでもなく、捕虜にしろと言うことだ。裏があることは理解していたがローは与えられた任務をこなすだけだ。悪魔を殲滅する。それがローのやることだ。
轟音に相応しい揺れ方で山を登る汽車に舌打ちが止まらず、司教が提示した三週間で黒ひげを捕えられなければ山を降りることを告げられたが、ローは数日でかたをつけると決めていた。
『シスターちゃんも見つかるといいよな~』
『真面目な子だったんだろ? 音沙汰ないってことは悪魔たちに見つかった可能性があるか?』
ローたちの前に何人も向かったエクソシストは誰も帰ってこなかったらしい。相手が大物悪魔ということもありローの腕を見込まれ今回召集された。車体の窓は薄汚れ木々をぼんやり写し出し、山の頂はまだ見えない。ーーあそこは魔の山。重々気を付けなさい。司教の重苦しい溜息は誰に向けてのものなのかローには興味がなかったが、知れば教会の裏でのあれこれが見えてくるのかもしれない。
『貴方がお医者様? よろしく。私はこの療養所の所長でステューシーよ。私の大切な子を診て欲しいの』
司教が言った魔の山の意味合いはローが考えているものではなかったのかもしれない。光が糸を紡いだような柔らかな金髪が顔回りを煌めかせ、見るものを虜にする眼差しも唇も、鼻の形すら美しかった。ペンギンもシャチも一目見て鼓動を轟かせ鼻の下を伸ばした。彼らは煌めく顔もだが細い四肢と豊かな胸元にも目が釘付けだった。
『おまえも医者だろ。何故おれを呼んだ? そんなに難しい病状なのか』
『わたしでは治せないの。だから司教様に腕利きのお医者様をお願いしたの。ゾロ』
所長が呼ぶと奥の部屋から緑髪の青年が現れた。片目は包帯で隠され片目は暗闇に光る星のように強い力を持っていた。そのアンバランスにローはゾッとした。
『この子はゾロ。私の可愛い弟なの。治療に必要なものがあればすぐに用意するわ。何でも言ってちょうだい』
『よろしく、先生』
可愛さと精悍さの象徴として描かれた一枚の絵画のように姉弟は佇み、弟が差し出した掌を掴む自分の手が汗で濡れていることに気付いた。何事か理解できず呆然と掌を見続けるローとその掌にゾロはまったく気にしないとばかりに手を差し出し続け、ローは濡れた掌でゾロの手を掴んだ。ローと同じく刀を扱う者の手だった。
この山の療養所の病の正体は熱病だ。所長はどの分野の造形も深く治療は完璧だった。しかし、本来来た病とは別に患った熱病は悪化し患者たちは山を降りることがない。
美しく可憐しかも聡明で自立した強い女である所長に誰しもが恋をした。歩く度に揺れる胸元も短い丈が揺れて現れる太股も官能的で可愛い笑顔に含まれるエロスは男も女も夢中にさせた。所長だけではない。弟もまた人の心を奪い情緒も性癖もぐしゃぐしゃにしてきた。
「今日は迎えに来なかったな」
「おまえの姉が放さなかったんだろう」
本人は決して認めたがらない迷子故にローは最初の頃はどれだけ待たされたかわからない。それならローが迎えに行けば早いと散歩と治療がセットになった。そしてその間だけはゾロに心奪われた者たちは歯軋りしてローとゾロが二人きりでいるところを見ているだけしかできなかった。所長は弟を溺愛しているため治療の邪魔は誰であっても許さない。数日前にゾロを独り占めするローに嫉妬心を押さえきれずゾロを襲おうとした男はゾロ自身に倒され所長が療養所から追い出した。一欠片の慈悲もなかった。
「ん」
ローが包帯をとると治療のためにゾロは目を瞑る。悪寒のようにゾッとしたのは己の正直な欲に対してだ。片目に一筋傷が走ろうとその美しさは損なわれずむしろ気高さをより強めていた。まるでキスをねだるような赤い唇は実はローのものでローは当然の権利としてその魅惑の唇にローの唇を寄せその若葉のように初々しい髪を撫で頭部の丸さを堪能し少し下った先にある項の産毛に触れ、そして着物の襟から覗く隙間の官能さに酔いしれる。唇を重ね食み舌を潜らせると身を滅ぼすような快楽が待ち構えている。そんな夢想がローの脳内で繰り返される。
「トラ男?」
治療を始めないローに目を瞑ったまま首を傾げるゾロの信頼を前にしてローはかぶりをふって治療を開始した。何処かの目玉がずっとローを追っている気がするのは誰かの嫉妬か監視か、薄気味悪いものだった。
「ステューシーちゃん、今日も麗しい」
「あの柔らかさに包まれてえ」
欲望丸だしの二人に仕事をしろと蹴りをいれ、しかしローもまた所長に連れられているゾロを目にすればこちらを見ろと念じずにはいられず、そうするとゾロと目が合うのだ。……ローの都合のいい捏造かもしれないが。
仲がよく見目麗しい姉弟が並んでいるとそれだけで花が在り輝いていた。ゾロはステューシーほどわかりやすい美貌をもっているわけではない。しかしその美しい精神性が現れた顔立ちは美そのもので、迷子も頓珍漢さも可愛く、のめり込み世話を焼かずにはいられないのだ。白いワンピースの所長とは真逆の黒い着物を纏うゾロの色気は欲を刺激する。赤い帯が揺れる様がなんとも艶かしい。特に着物の隙間から覗き見える胸の豊かさ、その隙間に手を差し込む妄想をここに来た誰もが描いたと思うとローは腹がだって仕方が無かった。
療養所だと言うのに酒が用意され、ゾロは酒の席だと人懐こくとびきりの笑顔で次々と人をたらしこんでいく。酒があれば至近距離の戯れも許され皆がゾロに酒を与えようとした。ローはアルコール度数の高い酒を好むためゾロは同じように飲めるとローの隣で楽しそうに酒を飲んでいた。ゾロはローにも酒を勧めた。蕩けるように可愛らしい笑顔を浮かべる緩い口許から溢れる滴れに何度舌を這わせようと願ったことか。ローの熱をあげ続ける、ああ口許を汚すあどけなさと可愛さと奔放さとはしたなさよ。
「ほんとあの姉弟はおっぱいでけえよな」
「いやいやあの括れからのお尻と脚もまたたまんないんだよな~! ロロノアなんか特に……何でもありません! 使い魔探しにいきます!」
黒ひげの足取りは依然掴めていない。悪魔の気配もなければ、噂もたっていない。それならば黒ひげが使役する使い魔たちがいないかを探し始めていた。
このままでは期限が来てしまう。山を去れと訴える理性とは裏腹に、山を降りればゾロに会えなくなると思うとローの胸は鋭い爪に引き裂かれた。ゾロから離れたくない。会えなくなるのは耐えきれない。ローは自分にも回りにも言い訳ができないほどゾロに熱をあげていた。
愚かで脆弱だと見下した回りと同じだった。ゾロの前ではローは医者でもなくエクソシストでもなく恋する愚かな男だった。さらにそれはローだけでなく此処に居る者皆が熱病に魘されていた。
姉弟の、その魔性さは傾国にまで至る。
先に潜入したシスターを見つけた時、シスターはまるで娼婦のように落ちぶれすっかり所長と弟に骨抜きにされていた。愛されたい、苦しい苦しい欲しいこっちを見てと愚かさを隠さずに願い叶わず苦し紛れの関係を築く。これがこの療養所の成れの果てだ。それに気づきながらもローはゾロを思う気持ちを止められなかった。また誰かの瞬きがローを捕らえ、糾弾なのか監視なのか好奇なのか励ましなのか分からない視線がローを見ていた。
「おまえといるといつもこうだ!」
「悪かったよ、トラ男」
名前が長いと目を回し、つけた変なあだ名をゾロは気に入ったようですっかりトラ男がローとゾロの間では馴染んでいた。
声をあげて笑うゾロは尻餅ついた川から起き上がる際に着物が吸った水の重さで腰の帯から上がつるりと剥かれ、盛り上がる胸も引き締まる腰も鍛えられた筋肉も曝され水が肌を伝っている。ローは素数を数え続けた。
「水が苦手なのか?」
いつまでも起き上がらないローに屈み手を差しのべるゾロの二つの膨らみの柔らかさと頂の乳首の色にローは喉をならして、これも己を崩落するゾロの誘惑ならローもこの手を振り払えるのにゾロは素直にローを心配していた。
「すげえな、刺青だらけだ」
ローが濡れた白衣とシャツを脱ぎ絞っているとゾロの眼差しとぶつかる。ああその眼差しをこの腕に閉じ込め全てから隠しておれのものにしたい。乳首に吸い付きよがらせたい。あっという間に欲で脳内が埋まっていく。
「体も鍛えているのか? へえどんな筋トレしてるんだ?」
会話は色気など微塵もないが、ゾロが興味を示すのが嬉しく饒舌に語ってしまった。
水の冷たさはローの体温を奪うが、ゾロはその身に氷より冷たいものが流れていることに、ローは気づいていた。ゾロだけではない。所長もまたゾロよりも冷たいものが流れている。彼らこそ人外だ。人外だからこそ美しいのか、彼らだからこそ美しいのか、ローにはわからないがゾロの美しさは人間らしい真っ直ぐさもあるので恐らく吸血鬼なのかもしれない。人間から吸血鬼になったのであればゾロの性格も納得がいった。黒ひげが潜んでいるかはまだ掴めないが、黒ひげの代わりに吸血鬼姉弟を退治すればローの名にも経歴にも傷がつくことはない。ーーわかっていながら、ローは停滞している。己のやるべきことは定まっているのに無邪気にローの腕に触れるゾロを振り払えず嘗めるようにゾロの肉体を観察した。
どこかで目玉が動いた。
ローは己の体が動かないことに気づいた。声もでない。視線も固定されている。隣から漂う禍々しき冷たさがそこに誰かいることを伝えている。そして視線の先ではバラバラにされたかつて人だった部位と絞られた血液が巨大な皿に盛られていた。全てが赤黒い。皿から覗く恍惚とした幾つもの顔と目が合いローは吐き気をなんとか飲み込む。
「彼らは食事だけど」
鈴の音のように軽やかな声が禍々しさを際立たせていた。
「彼らが望んだのよ、先生」
食事と言われた皿の上、至福の笑みを浮かべるシスターのしゃれこうべにローは唇を噛み呪文を唸った。
飛び起きた先には永遠を思わせる美しい庭園を望む大きな窓辺と風に揺れる真っ白いレースのカーテンが、平和を紡いでいた。
込み上げる吐き気を片手で覆いローはトイレに駆け込んだ。勢いのまま閉めた扉の五月蝿さでも平和は崩されなかった。これまで悪魔との戦いで血飛沫も肉片もグロテスクなものも残酷なシーンも通ってきてはローはどの場面も眉を潜めるだけで狼狽えることはなかったというのに、今朝見た夢は嫌悪が酷すぎて気持ち悪さしか沸かずに嘔吐いた。これは吸血鬼とわかっていてゾロに恋をしどこまでも没落していく己への警告なのだろうか。何度も何度も込み上げる吐き気に胃は空になって疲労だけが残った。
ローはあの夢を見た日から、事実を見定める眼と、熱に浮かされる心身の間で揺れていた。冷静にこの山を観察すれば療養所に来たものは誰も山を降りない帰らない、ならなぜ人が増え続けない? なぜいつも適量な人数だけがいる? その答えが吸血鬼姉弟とあの夢なんだろう。どれだけ平和に取り繕った場所でも裏では血生臭い悪魔たちの狂宴場なのかもしれない。
「トラ男? 飲まないのか?」
「悪い、考え事をしていた」
ゾロが抹茶というものを用意してくれた。抹茶を知らないと言ったローのためにわざわざ茶をたててくれたのだ。優越感は膨らみ理性や真実を潰す。それにゾロの茶をたてる所作は見とれるほど美しく洗練され血の匂いはどこにもない。ゾロが差し出すものを疑うことなく口に含む。
「うまいな」
「よかった」
ゾロは多くを語らないがゾロがローのためにたてた茶を飲み、喜ぶローの姿を眺めて顔が緩んでいる。なんて可愛らしい存在だろう。ーー退治する必要があるか? それに夢は夢でしかないのかもしれない。例え現実でもゾロが吸血鬼ならばこの命を捧げてもいい。いやこの命をかけるべきだ。ならこのままゾロの隣にいていいのではないか? この狂おしく張り裂けそうな愛を遂げていいのではないか? ゾロもそれを望んでいるはずだ。ああ今すぐに抱き締めて唇を吸おう。
ローは正気ではなかった。目玉が動いた気配をローは既に感じ取れていない。ゾロの真っ直ぐな瞳がローを射貫いてもローの瞳は光を見せず熱に浮かされたまま両手をゾロに向けていた。
「トラ男」
この世から離れようとしているローにゾロは何事か口ずさんだ。
「ロー」
ローを止めた声は、遥か昔に失ったものだ。
「コラさん」
コラさんはなにも話さない。下手くそな笑顔でもない。鏡のようにしずかに佇むだけだった。ローは体温が急激に下がっている事実に気付き生死の境界が曖昧になっていることを悟った。
(コラさんに命を助けてもらっておれは自由になった)
悪魔を地上から一匹残らず駆逐する。そのためにエクソシストになった。コラさんの墓前に誓った己のやるべきことをローはその手に握っている。力の抜けた指先に火が灯りしっかり握り締めることができる。生きている。下がった体温に抗うように心臓が動きだした時にはローは外界にいた。コラさんもゾロもいない。療養所も見当たらない。木々と小鳥の囀りと爽やかな風と川が流れている渓谷が広がっていた。
「ええー?! どこ此処!?」
「閉め出された? おれたちヘマした?」
「あ! キャプテン! おれたちどうしちまったんですか?!」
「黒ひげ配下の医者が出入りした形跡を見つけたんです!」
「突然家が消えるとかホラーハウスじゃん!」
シャチとペンギンも突然の出来事に混乱を極めていた。ローの意識も今だ緑色を追いかけていた。
「トラ男」
「ゾロ屋?」
「おまえはやることがあるんだろ。こっちには来るな。地獄を生きる必要はねえ」
記憶にない会話はいつのものなのか。ローには判断が出来ない。しかし山の上の療養所からローは閉め出されたのは事実だ。ローの熱病が完治したわけでもなくローが山を降りたのでもなくゾロの意思でローが没落する寸前に救い出されたのだ。
もうゾロに会えない? ゾロはどこにいった? まだローのものになっていないのに? 誰かがゾロに熱をあげ触れようと今まさにしている時におれは何をしている? 重苦しかった空気は晴れ渡って目玉の気配も何処にもない。没落と地獄は遠く去りローの正常は戻ってきた。ゾロと引き換えに。
「勝手しやがって」
戦慄く拳を握りしめローは大太刀を抜き呪文を唱える。悪魔たちに勘づかれないよう召喚獣のベポは隠していたがローは怒りと焦燥と発狂のままベポを呼び出し、山を根こそぎ切り取ってでもゾロを探しだしてやると最大の熱量を放っていた。
しずかな夜半。
欠けた月は親しげに明るく夜道を照らしゾロを歓迎する。欠けようとした目、欠けている隣、ゾロは欠けてきたものを数える性分はないがその事実はゾロの背に重くのし掛かっている。
黒ひげを匿うと姉が告げた時何かしようとしていることに勘づいたが言及はしなかった。初めて黒ひげと出会ったのはいつだったか。その場にルフィがいたのだからもう遠い遠い昔のことだ。欠けた部分は大切なものと一緒に逝った。何度も何度も命を見送って欠けてきた。
ローを、エクソシストを隠して潜り込んできた医者を、ゾロは療養所から下山させた。らしくない、とゾロ自身がわかっている。はしゃいでいた、年甲斐もなく。恋していた、吸血鬼の身で。白衣が風に靡きゾロを見つけて怒りながら近づいてくるローを見るのが好きだった。何かを背負いながら必死に生きる姿を見ていたかった。ゾロに向ける甘い眼差しに胸が焦がれた。
ローの眼差しが赤黒くなる前に、人を忘れる前に、ローの生を生きてほしくて隣を欠いた。初めての恋が最後の恋になってもゾロはこの恋を抱き一人思い続けていく。欠け続けることには慣れているから。
月明かりも届かない木々に寄りかかってゾロを見るローに気付いたのは、たまたまゾロが蹴った小石がそちらに転がったからだ。
ぞっと身が竦んだ。
「びっ、くりした。突然出てくるなよ。つーか何でいるんだ」
「突然いなくなったおまえが言うのか」
怒気を隠しもしないローの表情と声音はゾロが見たこともないものだった。全てを萎縮させる眼光の鋭さに牙が剥き出しになりそうだ。しかもローは見慣れた白衣ではなく魔黒いカソックを身に付け髪もオールバックに撫で付けていた。医者とは違うエクソシストの姿に騒ぐ胸を落ち着かせてゾロは苦笑いを浮かべた。
「悪かった。でもよ、こう言うのは言葉に尽くしたとこでせんないだろ」
「潔さはおまえの美学であり花だろう。それはいい。おれも見ていて気持ちがいい。ただ、おれは潔く生きるなんて無理だ。最後まで足掻き続ける」
「ステューシーか」
「取引をした。あいつは黒ひげを狙いおれの狙いも同じだ。それにおれはおまえを諦める気は毛頭ねえ」
ローがベポを召喚しようとした時に止めに入ったのは所長だった。今黒ひげに勘づかれるのは得策ではないとローに取引を持ちかけた。ステューシーは吸血鬼でありながら教会をサポートする立場であった。そして漸くかかった獲物に一芝居うっている最中であった。悪魔を匿い人間を釣るための場所に見せかけ黒ひげの力を弱め黒ひげ一派を炙り出すための処刑場であった。
『同族より人間の味方をするのか?』
『ニューゲートを奪ったの。それだけが私があの男の存在を許さない理由。そのために私は立ち位置を選んだわ。紹介するわね、あなたと同じエクソシストたちよ』
ローとは真逆の真っ白なカソックに身を包む鳩を連れた男と鼻の長い男が現れた。その白に刻まれた紋章はローですらお目にかかれない程神聖なものだった。しかしそれを纏う二人に流れるものは吸血鬼姉弟と同じく冷たい。
『人間、じゃねえな』
『私の研究に私たちが人間に噛み付いた場合と、私たちの血を飲んだ場合の正気と得る力の強さを実験したことがあるの。私たちが噛んだ場合は傷口から感染して正気は失われ荒れ狂う吸血鬼になり太陽を浴びて枯れる。でも私たちの血を飲んだ場合は正気を保ったまま吸血鬼となる。悪魔と人間の両方を兼ね備えるの』
『その実験で何人おかしくした』
『皆が志願したの。神のために、私たちのために、強さがほしいと。そしてこの二人は吸血鬼の能力と人の心のまま神の戦士となり法王直属となったの。ふふ可笑しいでしょう? 退治するはずの成り上がり吸血鬼が法王の直属よ?』
『それは言いっこなしじゃステューシー』
魔の山と称した司教の溜息をローは思いだした。教会の蠢く闇が目の前で微笑んでいた。
「所長が正気のまま吸血鬼化した人間をおまえが鍛えていたのか」
「ステューシーに頼まれてな。相手が誰とか目的とかは知らねえ。おれは強くなりてえ。それだけだ」
「ゾロ屋、おれにおまえの血を飲ませろ」
「言ったはずだ。地獄を生きるな。おまえはおまえの歩んできた道を生きろ、最後まで」
「ああ。生きるさ。おれは神に遣えているんじゃねえ。悪魔を倒すために生きている。なら力を得るチャンスだ。そしておまえと生きていく手段だ。まさか成功する確率云々細かいことをおまえは言わねえだろう」
没落ではなくチャンスであり手段だと良い放つローに呆れたら良いのか無茶苦茶だと嗜めたらいいのかゾロにはわからない。
けれどローの瞳は生死を停滞して赤黒く濁っていない。ローは選んだ道を必死に生きようとしている。ゾロと共に。
「ペンギンたちは?」
「今頃嬉々として所長の血を飲んでんだろ」
「あいつらも肝が座ってやがる」
「おまえの血はおれだけだ」
「おれはステューシーと違って血を飲ませたことねえし、量とかややこしいことわからねえからごちゃごちゃ言わねえ。飲め」
ローは目の色を変えた。今、この瞬間、ローはゾロの覚悟と愛を奪い取り、ゾロを手に入れようとしている。
「興奮するな。これじゃあどっちが吸血鬼かわからねえ」
「ったく。おれはおまえの血を我慢してたってのに」
「我慢してたのか。可愛いな、おまえは全てが可愛い。これからもっと全部見せてくれ」
「おまえの刺青があるとこはいらねえ。だから何も刻まれてない首筋におれの噛跡を刻んでやりたかった」
「あとでつけりゃあいい。おれも他のヤツに見せつけるところに刻むぞ」
ゾロは刀をぬき袈裟懸けになっている傷跡に沿って裂き、溢れる赤き飛沫と流れる血流に酔いしれローは恍惚と齧り付き啜った。
デカダンスの先にある地獄で愛は立ち上がった。
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後にタンクトップでムキムキのマント姿の最強吸血鬼ロが誕生し、□ゾおそろで首筋に噛み跡があります。可愛い。
ありがとうございました!!