「オレとゾロ屋がつきあってるわけねえだろ!」~Prologue~
潜水艦では音を聞く人間を配置する。
海の中の多種多様な音を聞き、衝突を避けるためだ。
海王類は船を破壊する可能性が高いので、海域によっては目と耳の両方で監視が必要になってくることもある。
麦わらの一味と侍たちを乗せることになったローはワノ国を目指す航路を侍たちと相談するも、侍達はワノ国が鎖国体制故外のことはあまりに無知だった。その代わりワノ国周辺の海域のことは詳細に知れた。ワノ国までの航路はクルー達の情報収集とローとロビンの知識に頼るしかなかった。
潜水艦で聞いたことのある音が聞こえた。
海を掻く鰭の音だと言えばいいのか。それとも鯨が浮上し鰭で海面を叩いた音とでも言うのか。
しかも空から?
そんな場所から聞こえるはずがない音だ。
現在潜水艦は浮上し、周辺海域の調査に向かっている。ハートの海賊団のクルーも麦わらの一味も侍たちもデッキに出て久々の太陽を喜んでいるところだというのに。この音はなんだ?
頭上には空が広がり海と同じような深さを持っていた。一点の染みもなく深い蒼に一面染まり、その天空ドームの最高点で太陽が爛々と輝いている。
またローの耳が音を拾いピアスが太陽の光を反射した。
空は巨大な鰭に掻き混ぜられ波紋が広がる毎に星の粒がきらきらと散りばめられた。橙色、青色、白色、赤色、様々な色が世界に溢れた。地上から見れば星が降る情景だった。
昼なのに星?そこで、ローの意識は暗転した。
世界を渡り続ける旅の始まりだった。
~ひとつぼし~
ぬくまった寝台の心地よさに起床を先延ばしにして微睡んでいた。ベポを枕にしている時とも違うぬくさと和らぐ心身がいつも足りていない睡眠をあやしてくれているようだった。その間にローは深い呼吸で肺に深海の朝を吸い込みしばしの微睡みの後、驚くほど軽く目蓋が開いた。泥を歩き続けるような目覚めはなかった。目が覚めてもぬくさはローを離さず、ふっと吐息を零しながら口元が緩んだ。・・・・・・ああ?ぬくい?低体温のローの温度ではない。しかもローの隣からする衣擦れの音を耳が拾っている。ローは素性を知っていようと知っていまいと女と同衾する心根も性根も持ち合わせていなかった。
事態にローは飛び起きた。
咄嗟に能力を展開することも視野に入れたが、その前にぬくさの原因がむくりと起き上がった。
「ふああ、もう朝か?おはよう、トラ男」
くしくしと目を擦るゾロに、ローの頭の片隅ではかゆみや異物感の解消に目を擦ることは馬鹿だ、別の疾患につながる、角膜びらん、結膜浮腫や眼瞼浮腫、充血や結膜下出血をきたすこともある、と診断を下しているのは職業病みたいなものだ、そんなことよりも!今は!
「ゾロ屋!お前の迷子はどうなってんだ?なんで人の部屋にまで勝手に入ってきている?!」
人の部屋に勝手に入って人の寝床で勝手に寝るか?どれだけ図太い男なんだとローは眉間の皺を増やして起き抜けでも声を張った。
ゾロはきょときょとと瞬きを繰り返していた。
片方しか開かない瞳はそれで魅力が半減されているかと言えばまったく遜色はなく、しかし今更ながら静謐な色を持つゾロの瞳が一つ潰れてしまったことを惜しいと思ってしまうのは医者故か。
「まだ寝ぼけてんのか?」
心臓が止まるかと思った。
相手の心臓を抜くのが十八番のローが、である。
ふわっと、舞い散る羽のように、花弁のように、ゾロは笑みを浮かべた。付き合いも長くなればゾロがよく笑う男だと言うことは知れたが、こんな、特別な笑顔は見たことがなかった。
体を寄せられちゅっと頬にキスをされた。
ローは唖然だ。ゾロはキスやハグのある文化圏で育ったのか?そんな現場に遭遇したことないが?なんだ?どうした?魔獣と噂されることもあるらしいしガルチューか?可愛い子ぶってるのか?いやいやいや。
ローが固まっているとゾロは首を傾げ、上を向いたままローも綺麗だと評価する片方の目をそっと閉じた。
ん?こ、れは?キス待ち顔じゃねえか?は?ゾロ屋が?はあ?待ってくれ、何がどうなってんだ?やはりおれが知らなかっただけでゾロ屋は挨拶にキスを贈る習慣だったのか?ならキスを返すべきか?いやいやいや、おれとゾロ屋で何やってんだって話だろ。
ん、と尚も唇を近づけてくるゾロに、ローの喉がぐるっと鳴いた。
「おいゾロ屋何やってんだ」
え?!
ベッドの上に居たゾロとローは突如開いた扉と出現した男に視線を瞬時に移し、驚愕した。
「おれがいねえからって他の男をベッドに誘うなんざ、後でどうなるかわかってんだよなあ?」
男のこめかみがひくつき唇が吊上がっている。両手に水を持っているのでゾロの分も取ってきてくれたのだろう。
「え?でも、お前、だろ?両方?分裂したのか?!」
ゾロは人差し指でローとローを指しながらも首を傾げているし、できるなら己の無実を訴えたかった。そして不思議能力かとゾロらしい解決方法で事態を飲み込めるゾロとは違い、ベッドの上のおれは、ローは突然現れた偽物に能力を展開しようとした。偽物も動きを見せたのでどちらが早く技を繰り出せるかが勝負だ、と思った瞬間、ローは偽物に蹴落とされベッドから墜落した。
「てめえ!!」
「勝手に人様のベッドに上がってんじゃねえよ」
「はあ?ここはおれの部屋だ!!」
「おれの部屋だ。ほらゾロ屋、水飲め。」
「お前、同じ自分なのに足蹴にすんなよ」
「同じ顔だから余計に腹立つんだよ。ゾロ屋と一緒に寝ていいのはおれだけだ」
無理矢理ベッドから排除し落ちたローを貶み、偽物はベッドに乗り上げて水をゾロに渡した。自分の分の水を飲みベッドサイドに置く。ゾロも嗄れていた喉を水で潤し口許から幾ばくか溢しながら残りはローの隣に置いた。ローはゾロの隣に身を落ち着かせ、ゾロの腰を引き寄せた。その偽物の手つきでローは勘づいてしまった。偽物がゾロの唇から滴る水に吸い付き「怒ってるな」「当たり前だろ、おれ以外の男といちゃつきやがって」「両方お前だろ!?お前の様子がおかしかったからおれは!」「お仕置き決定だな、ゾロ屋」「理不尽だ!」という攻防を繰り返しながらキスを続ける二人に、ゾロとのいちゃつきを自分が自分に見せつけるという謎展開に、ローはしばし言葉を失っていたが、偽物がゾロの腰を撫で上げゾロが「んん」と甘い声を漏らした辺りで正気を取り戻した。よくよく見ればゾロは何も身につけていなかったし、体中に噛み跡が散らばっていて、健全で頑丈さを誇る肉体も今は熟れた果実のように気怠げだった。つまり。全てが線で繋がってしまったローは抑えきれないツッコミが爆発した。
「人前でいつまでもいちゃつくなっ!それにどうなってんだ?なんでおれとゾロ屋がつきあってんだ?嘘だろ?!同盟相手だぞ?正気か?」
ローのツッコミに偽物とゾロはローに顔を向ける。三つの目玉の目線の強さにもローは怯むこともなく説明責任を求めた。分裂ではない。もはや世界が違う。夢の中なのか現実なのか異世界なのかパラレルワールドなのか知らないが、なぜこの世界のローとゾロは付き合うなどと言う選択肢に進んでいるのだ?理解不能だ!息巻くローに「へえ」ともう一人の、つまり偽物は突如現れたもう一人の自分がゾロとは肉体関係も恋人関係も持っていない自分だと判断した。となれば。
「お前、不能か。可哀想に」
ゾロの腰を抱きニヤニヤ口角を上げる偽物を、ローは切り刻むのではなく無惨に絞め殺したいと明確な殺意を抱いた。
「マジで同じ顔じゃねえか」
「おいおいおいおい、これってあれか?マネマネの実に似た能力とかじゃねえよな?」
「違うよ!どっちもキャプテンだって!同じ匂いだし!オレが間違えるはず無い!」
フランキーとウソップの感想にベポは断固として主張した。
ミーティングルームに呼び出された面々は、別世界からやってきたと言うローが紹介され、姿格好表情まで同じ二人のローにさすが新世界何でもありだなと結論づけられるほど厄介な新世界の海を越えてきた猛者達だった。
「えーそれではキャプテン」
「「なんだ」」
「はい、こんな感じなので呼び方を統一します。これまで通りキャプテンはキャプテン。別の世界からやってきたキャプテンはローさんです。」
ペンギンの通達に「アイアイ」といい返事が返ってくる。それにシャチが続いた。
「それでは目印としてどちらかに帽子を取って欲しいんですけど」
「なんでおれがわざわざ譲歩してやらなきゃならねえ。帽子とるなら勝手にこっちの世界に来たこいつだろ」
「はあ?ふざけんな。なんでおれが。お前が勝手にやってろ」
「ああ?」
「んだよ」
「お二人とも落ち着いてください」
ペンギンとシャチが二人のローの扇動を諫めている間、瓜二つな二つの顔を眺めていたウソップとフランキーがゾロの両肩をそれぞれ組んできた。しかも二人とも腹立つ顔をしているのでろくでもねえなとゾロは溜息を吐いた。
「おうおうおう、ゾロ、お前も大変だな」
「ああ?何が?」
「いやいや、ゾロ君。トラ男が二人になったってんなら、なあフランキー?」
「おうよ、あれだろ?ゾロ屋はおれのだ!いやおれのゾロ屋だ!が始まっちまったってことだろ?!ひゅー!スーパーにモテモテだな!ゾロ!!」
「私のために争わないで!二人とも!」
「止めるな!ゾロ屋!こいつとは決着を付けなきゃならねえ!」
「嗚呼喧嘩は止めてーー!!」
珍妙な寸劇が始まってしまった。ゾロはまだ何も言っていないのに二人の寸劇はどんどんエスカレートしていくので、ゾロは二人の頭を叩いて止めた。
「お前ら、止めろ」
「なんだよ、ゾロ」
「止めてやれ。あっちのトラ男は不能なんだ」
ぎょっと目を見開いたウソップとフランキーはローさんだけに視線を注ぐ。瞠目していた目に憐憫が含まれていくのを目の当たりにして、ローさんは握った拳を奮わせた。
「そうか。それで血みどろの展開が避けられたわけだ」
「まあ、そういう事情があるんなら仕方あるめえ。よお、ローさん、色々悪かったな。だがピュアな恋愛だってよ、こんな世の中でもあるってもんさ、気を落とすなよ」
「そうそう。むしろピュアな愛こそ純粋で至高ってもんだろ?おれたちは応援するぜ?ローさん!」
勝手な気休めと応援を口にするウソップとフランキーに続きハートのクルー達までも「おれたちもローさんを応援します!」「どんなキャプテンでもおれたちの格好いいキャプテンに変わりはありません!ローさん!」と応援と声援を始めるので、ローさんは怒りで声を張り上げた。
「誰が不能だ!ふざけんな!!!!」
不能呼ばわりされて怒り心頭のローさんは何が何でも帽子を外さなかった。そのためゾロがキャプテンから帽子を預かって被っている。キャプテンはゾロが自分のものを身につけているのでご機嫌だ。いや、ご機嫌だった、と過去形が正しい。
「そいや、飯は食ったのか?ローさん」
キャプテンの帽子を被ったゾロはどこか幼げがあって可愛らしかった。キャプテンにもハートのクルーにもロビンにも好評だ。しかしゾロが何気なくローさんに伺ったその台詞に対して、キャプテンが過剰反応した。むしろ激怒した。一方でローさんもゾロに名前で呼ばれて面食らっていたのだがキャプテンの取り乱し様が酷くて周りに気付かれることはなかった。
「おれを名前で呼べ!!!!ゾロ屋!!!!」
「はあ?だからお前はトラ男で、こっちがローさんになったんだろ?」
「なんでどこから来たかもわかんねえ男を先に名前で呼ぶんだよ!!ふざけんな!!おれがローだ!!」
「いやどっちもトラ男だからローだろ」
「くそっ、てめえ今すぐ海に落ちろ!死ねば元の世界に戻れるかも知れねえだろ!!ニコ屋!物語だとそういったオチが多いだろ?!なあ?」
「確かにそういった物語もあるけれど。物語ですもの。確証はないわ」
「ふざけんな!おれを痴話喧嘩に巻き込むんじゃねえよ!!てめえが海に落ちて圧死しろ!!!!」
「やめろ、トラ男!」
「ローだっつってんだろ!」
「おい、ペンギン!ローさんを別のところに連れてけ」
「ゾロ屋!!!!こいつを名前で呼ぶな!!!!」
「だああ!うるせえ!こいつマジでおれなのか?頭のネジ落ちてるじゃねえか?!どこでポンコツになりやがった?!とにかく一度死んで再起動してこい!!!!」
稀に見る憤怒と声の大きさにハートのクルーたちはキャプテンを取り押さえ、ウソップやフランキーも加勢に加わった。
司令区画で航路を確認していたローさんはこちらの世界と自分の世界が状況と航路もまったく同じなことを確認していた。操縦士に声をかけこれまでの航路について確認しても、こちらのベポが考えたとおりの針路だった。
「おお、いたいた。飯持ってきたぞ」
ふわふわの帽子で緑頭を隠したゾロがひょこりと頭を覗かせ目当ての人物を見つけると司令区画に入ってくる。おい、此処は最重要機密だぞ、余所の海賊の船員をノコノコ入れていい場所じゃねえだろ?!船長のネジは何本も落ちているようだがクルー達まで倣っているのか?!
ローさんには俄に信じられなかったが、ゾロは操縦士や通信士にもおにぎりを渡して、最後にローさんに渡した。そして自分の分をもぐもぐと食べ始めた。暢気か。はあと重い溜息が出てしまう。まあ此方のゾロだけを責めるのはお門違いか。あっちのゾロも入るなと言った場所に入り、開けるなと言った場所を開ける男だった。
「お前、世界が違ってもおにぎりが好きなんだな」
果たしてあっちのゾロがローさんの好きなものなど把握しているだろうか。いやしてない。答えは一瞬で出た。
「おれはお前の男じゃねえぞ」
「どっちもトラ男だろ」
ローさんを放っておけないようで構いに来るゾロに、ローさんは釘を刺す。ゾロは立ちはだかる壁に臆することもなくニコッと笑った。ローさんのほうが調子が狂った。
「どうやってお前の世界に戻れるんだ?」
「それがわかったら苦労しねえよ」
「お前の世界の奴ら、困ってんじゃねえか?お前がいねえとなると」
「航路についてはベポがいる、それに戦力ならお前がいるからな。なんとかなるだろ」
「ホントに此処と変わらねえんだな」
おにぎりを食べ終えたゾロは指についた米粒を舌ですくう。
「ただお前だけが、」と言ってローさんは口を噤み帽子の鍔を下げた。
「オレとトラ男だけが違うって?」
「お前、よりにもよってなんであんなネジが外れたポンコツのおれと付き合ってんだ。」
自分自身への批判を怠らないローさんにゾロはふっと片方の目を眇め柔らかい角度で口角を持ち上げた。同じ柄の同じ形の同じ色の帽子がゾロの頭の動きにあわせて揺れる。
「そりゃ惚れてるからな」
躊躇もなく、恥ずかしげも無く、ゾロは静かに音を紡いだ。
気まずさにそっぽを向いたのはローさんだった。
「ま、てめえにゃ気持ち悪いだろうし、自分自身が信じられねえだろうし、こっちのトラ男はお前から言わせればポンコツに違いねえんだろうけどよ、おれは今のトラ男が好きだ。色んな事やりきって、今を生きるトラ男を見ていたいと思うぜ」
あの、ロロノア・ゾロに、2年前からイかれた海賊と専ら噂だった麦わらの仲間でナンバー2の男に、剣士の道を生き急ぐあのロロノア・ゾロに求められる、トラファルガー・ローとは何者なのだろうか。何があればそんなことになり得るのか、自分と同じ人物だとはとても思えなかった。
能力の天蓋が出来上がり空気が震えてキャプテンが登場した。
「ゾロ屋!!何処行ったかと思えばまたこいつのところか!てめえ、今日は覚悟しろよ」
「仕方ねえだろ、おれにとっちゃどっちもトラ男だ」
「だからおれは違えって言ってんだろ」
「確かに違うんだがな、でもトラ男だ」
ゾロを腕に抱き込み瓜二つの顔から距離を取らせたキャプテンが、果たしてゾロが望むほどの男だとは到底ローさんには思えなかった。こんなのただの恋に盲目の馬鹿だ。このおれでありながら。忌々しい。
音がした。
空から。
鰭が海面を叩く音だ。
星がひとつ叩かれ落ちていく。
ゾロは突然天井を見上げるローさんに倣って、天井を越え海を越えた先に何があるのか考えた。それをキャプテンがゾロの目を覆って遮った。当たり前のように触れ合う距離感にある二人にローさんは「公私ぐらい分けろよ、ポンコツども」と至極全うな言葉を残すので操縦士たちが苦笑していた。
起きぬけに感じたぬくさを思い出させるような声でゾロは言葉を発した。
「達者でな、ローさん」
送り出された瞬間、「名前で呼べ、ゾロ屋」「拗ねんな、トラ男」とゾロはキャプテンに帽子を返しシャツの襟首を掴んで立派に髭を蓄えている顎に噛み付いていた。最後まで見せつけられたローさんは、ローは、咄嗟に目蓋を閉じた。
こんな世界、二度とごめんだ。
オレとゾロ屋がつきあってるわけねえだろ!