ヴェール 鮮やかなルビーレッドの丈の短いタンクトップ。同色のサルエリパンツは正面が大きく開かれ、素肌と黒のタイツがのぞいている。黒い腰に巻かれた白、黒、黄、紫色の幅違いの帯と紐と、そこから垂れる長く黒い前垂れ。
腕を覆う布地はピッタリと肌に張り付き、手首や指に嵌められた数多の貴金属たち。
金装飾と刺繍。さらには光を反射させる多面カットのビーズまでもあしらわれている。あちらこちらに緻密に施された裁縫技術は、ただただ『見事』の一言。
踊り子の衣装にしては総重量はそれなりにある。が、そこは女性用ではなく男性用に拵えられた物なので今回は問題ない。
いつもは流したままの炎髪を今回は高く結い上げ、ヘアワックスで少しだけ形を固めてある。服をメインにするのではなく、着ている『人』を際立たせるのが大切だ。
仕事は最終段階に来ている。
健康的な肌の上に薄く白粉をはたき、ただでさえ魅力的な顔へと筆を走れせる。
目尻に蠱惑の紅を。瞼にはうっすらと緑を。唇には、肌色に近いものを。右頬を縦に彫られた青い刺青は触らずにそのままで。左の目元には、小さなワンポイント模様の金。載せる色は濃いめだが、元がいいから全くもって負けていない。
最後は頭飾り。衣装が豪華なぶん、額を飾るティアラは少し控えめに。金地に小粒の宝石がいくつかだけの、シンプルな作り。セットした髪型が崩れないよう慎重に、ティアラを差し入れた。
ほんの少しだけ乱れたナルの前髪を手櫛で整えてから、カノエは満足げに息を吐いた。
「終わりです。お疲れ様でした」
自分の仕事ぶりに満足し、何度も一人頷いた。
「やっとか」
逆に全身をコーディネートされたナルは疲労困憊状態だ。そしてそんなお疲れ気味のナルを熱視線で見ているのは、半身のザルである。カノエ同様に、うんうんと頷いてこちらも満足げ。
現世を練り歩くために拵えられた、人を模した器の姿。生を司る神の今日はそれを、踊り子を模した衣装と化粧で美しく飾られている。その姿は、この世のものとは思えないほどに美しい。文字通り、『人外』めいたものがある。
男らしさの中にある、艶やかさ。『本来』の姿に比べれば圧倒的に露出は少ない。なのに、布地からちらりと除く筋肉のしなやかさと、憂いを帯びた節目がちな視線に眩暈がしそうだ。逆にエロスを感じる。
心の弱いものが見れば、下手をすれば連れて行かれるかもしれない危うさだ。上出来すぎて怖い。
「ナル様、すごくカッコいいです、綺麗です! 良くお似合いです!」
パチパチと拍手を添えて讃えるけれど、「そうか」とちょっと低めの声色の一言。
「熾火、ナルに何か飲み物をやってくれ」
「あっ! そうでした!」
ザルの指摘に気がつく。事前に渡してあったゴブレットはすでに空になって久しい。浮かれすぎて失念していた。おかわりの用意の為に場を離れる前に、ちょっとしたひと手間を忘れない。
「こちらをお顔に付けて、待っていてくださいな」
言って、ナルに薄手のヴェールを渡した。顔の下半分を隠すタイプのヴェールは、ザル対策だ。自分が離れた途端にイチャイチャし始めて、せっかくの化粧やら何やらが崩れてしまっては勿体無い。まだトームストーンで記録してないので、この姿を是非とも残しておきたい。
すぐに戻ってきますからね! (やらしい事禁止!)と、暗にザルへと忠告して、空のゴブレットを引っ掴んで小走りにその場を離れた。
◇ ◇ ◇
疲れた。その一言に尽きる。
飾り立てられるのは嫌ではないのだが、流石に三着は神をしても疲れる。それでも、可愛い人とザルの願いならば頑張れると言うもの。疲労からくるしっとりとした眠気を噛み殺し、滲んだ涙を指先で拭った。
「眠いのか?」
「少し」
拭った目とは反対の方を、ザルの指先が撫でた。いつもよりも触り方が遠慮がちなのは、化粧が落ちないようにか。はたまた、彼女の忠告が功を奏しているのか。
「ザル」
「ん?」
「似合っているか?」
緩く両腕を広げて、その場でゆっくりと回って見せる。布地も装飾もたっぷりではあるが、踊り子の衣装なだけあって機能性があった。シャラリと鳴る布地と金属の涼やかな音が耳に心地いい。
ナルの問い掛けに、ザルは目尻を緩ませた。
「惚れた」
「……ん?!」
「もう何度目か判らん。惚れ直した」
「そ、そうか……」
「今すぐに愛でたいが、……今は、我慢しておこう」
「うむ。そうしてくれ」
トームストーンの機能で姿を映すまでは、お互いに動けない。……前に一度やらかして、盛大に拗ねられた。
(しかし、そうか。惚れたのか。そうか……)
じわり。じわり。
ザルの言葉が染み込む。なんだか気恥ずかしい。心が沸き立ちそうだ。
痒くもないのに首の後ろを摩って誤魔化そうとしたが、ふと近くなる半身の気配。ついで、頬に当てられた掌。
「ナル」
思いの外間近に迫っていた、ザルの顔。そしてほのかな熱を宿した声色に、ようやく気付く。薄いヴェールの上から唇を撫でる指を、慌てて捕まえた。しかし、なおも近付く顔面に反対の手を押し当てれば、反撃にべろりと舐め上げられて背筋にゾワリとしたものが走った。
「ダメだぞっ」
「化粧が落ちなければよかろう。その為に、アレはヴェールを用意したのでわ?」
「どう言うことだ?」
「直接すれば、化粧は落ちる。なら、布越しなら多少は落ち難かろう?」
「……いや、ザルよ。それはちと、言い訳として苦しくないか?」
「ものは試しだ、実践しよう」
ザルが片笑みを浮かべたかと思うと、貧弱な抵抗をねじ伏せ捕まえて、すぐさまナルと唇を重ね合わせた。
薄布越しに感じる熱はいつもよりもぬるく、遠い。押し当てられた肉感に混じるサラサラとした布地に、もどかしさを抱かせる。角度を変え、下唇をあむと喰まれるのに、物足りない。
「っ、…ぅ」
つんと、唇を濡れた何かがつつく。反射的に口を開いたが、中に、何も這入ってこない。ならばと自分から舌を伸ばしたが、確かにザルのそれと触れ合ったものの、やはりヴェールが邪魔をする。
絡ませたいのに、動けない。触れ合いたいのに、自由がない。
なにもかもが、すぐ間近にあるはずなのに、遠い。
ただただ、吐息ばかりが触れ合う。
感触も。唾液も。感じてはいるが、薄い布一枚が全てを遮ってくる。
嫌になるほど、遠く、もどかしく。────なのに、常よりも昂った。
ザルの背中に腕を回し、しがみつく。スリ…と、無意識のうちにナルは脚をザルへと擦り付けていた。
はっ、と。合間に吸い込むザルの吐息に酔う。
もっと、もっと。次を、その先を。
欲張り、欲しがり。とろける思考。
欲がもたげかけ、引き返せなくなる、その手前。
唐突に離れた微熱。そして同時に響く、ガタタッと、足を滑らせる音。
「だから、あの、……だからッッ……!! いや、……でも?!」
何かを押し殺した低い女の呻き声に、ナルとザルは一拍の後、笑いあった。
「さて、どうかな?」
ペラりと捲り上げられるナルのヴェール。そこに塗られていた口紅は、盛大に乱れていた。
ザルだけが知るその結果に、当人は目を泳がせるのであった。