I offer you my all . 長く保つ様に魔法処置が施された赤い撫子を指先で愛で、ザルはその隣に同じ処置を施した赤いガーベラを添えた。同じ赤い花ではあるけれど、色合いと種類が違うからか、見ていて飽きない。宮にある花瓶で活けられるほどの茎の長さがないので、少し迷ってカップに活ける事にした。
白地に素朴な金の装飾の小さなカップに、ちょこんと並ぶ二輪の花。つい先日送りあったこの花のやりとりを思い出し、自然と頬が綻んだ。
「……やはり、専用の花瓶を拵えるか」
ナルはそう言って、掌でおおよその寸法を測り始めた。うんうんと唸りながらも、なるべく花を傷めないように触れず、宙で指を動かしている。
「このままでも十分ではないか?」
特に問題もない、とザルが問うけれど、「いささか風情がなかろう」と嗜められた。
それもそうかと思い直す。ザルとしては、捧げられた想いと物に含まれた本質が損なわれなければ良いと思っていたのだが、ナルは少し違うらしい。全て知り尽くしたと思っていた半身の、新たな一面を知れた。新たに得た変化というものは、やはり面白くも楽しい。
「花言葉とはまことに面白い。同じ種類でも、色が変われば意味も異なる。人は相変わらず、何かに意味を見出すのが好きなようだ」
撫子然り、ガーベラ然り。それで心が浮き立つ想いを得られたのだから。
目測で採寸を続けるナルの隣で、もう一度撫子を指先でつついた。
「確かに! しかし、花ならばまだ解るが、草や樹木、花が咲かぬキノコにまで言葉を当てるのには驚いた」
「苔にもあるそうだ」
「まことか? ははっ、まだまだ知らぬ事が多いのう」
快活な声で笑い、ついでナルはザルへと顔を向けた。ニンマリと何事かに勝ち誇った笑みを浮かべ、人差し指を立てた。
「実は一つだけ、花言葉を知っているのだ。なんだと思う?」
「ラベンダーか」
「な、何故知っている……」
「昔あれほどヒントを与えたのだから、当然であろう」
「仕組まれておったのかっ」
がっくりと肩を落とすナルに、笑みが隠せない。仕組んだ、といえばまあ、仕組んだ。色々と。本当の意味には、きっと気付いてはいないだろう。
「私はもう一つ、知っているぞ」
「……負けた」
僅かな知識差に一瞬たじろぐ姿に、ザルは抑えきれなくなって声を出して笑ってしまった。あまりにも可愛らしくて、ナルの両頬をつねる。そうしなければ、手が出てしまいそうだ。
あまり伸びない白い頬を存分につねり、放す。ナルは唇をほんの少しだけ尖らせ、頬を押さえた。
「ナル」
「うん?」
「花が欲しい」
「うん??」
「お前が初めて、私に贈った花だ」
「待てまて、唐突にすぎんか」
「いいや、そうでもない。お前が一番最初に私に贈った花の言葉を知っている、という事だ」
「ん〜……?」
「『なんだと思う?』」
先程のナルの言葉を告げれば、同じ顔だが、右頬にだけ青の刺青が刺された顔が唸りながら上を向く。彼方の記憶を掘り返すその様に、望みは薄そうだと、密かに一つだけ息を吐いた。けれど、〝今〟あの花が欲しい。過日の、互いが何も知らない状態で渡された花ではなく、〝今〟ナルが手ずから摘み、差し出してくれる事に意味があるのだから。
翌日から、ナルは己の記憶を頼りに花を求め、人の世のあちらこちらを駆け回り始めた。
始めは自信満々に花を持ってきていたのだが、二度三度と「違う」と言われ、流石に焦り出した。白い花、青い花、紫の花。様々な種類の花を持ってきていたのだが、件のラベンダーを持ってきた時には流石のザルも吹き出した。
「やぶれかぶれになっておらぬか?」
「……なってはおらん!」
なってはいないが、焦ってはいる! と纏う空気で言いながら、すぐに踵を返して二面宮を出ていった。
渡されたラベンダーの小さな花束を手に、ザルは苦笑いを浮かべた。見渡せば、そろそろ花屋が開けそうな程に部屋に溢れている。
(さて、どうしたものか)
小さく息を吐き出し、椅子に深く腰掛ける。今は違うが、昔はよく纏っていたラベンダーの懐かしい香りが、昔日を思い起こさせた。
◇ ◇ ◇
それは昔々の事。末の神として生まれた者が、さらに二人に分たれてすぐの頃。
神体での様々な活動に慣れ始めた二人は、次は人の世での活動を始めた。神たる者の体であれば、その体躯は立派な物であったのだが、人を模した器では幼子のそれになってしまった。流石にその姿で世に出てはいけないと、他の同輩の神々に何度も念を押された。それでも二人は、時折彼らの眼を盗んで人の世界に出掛けた。
地上に降りたとしても、二人は無茶な事はしなかった。己の力量を弁えていた、とも言うだろうか。
その時代、人の数は今よりも少なく、未だ未開の地が数多存在していた。そんな土地の一角に、二人は身を潜めながらこっそりと人を地上で観察し、時々人の中に混じった。幼い姿というものは危険がつきまとうが、人と違った行いをしたとしても、大抵の場合『幼いから』で笑って見逃される。ある意味で便利だった。
ある日、二人は地上に降りはしたが人の観察も混じって遊ぶ事もしなかった。ただ過ぎていく時間に任せ、〝世界〟を見ていた。天から見る景色と地で見る景色では、何もかもが違う。その事が、器の年齢に引っ張られたせいなのか、とても鮮明で美しく見えたのだ。
風が吹けば、それが波のように草花を揺らしさざめく。虫の鳴き声、葉が擦れる細やかな音でさえ、音楽に聴こえる。
小川や湖の水は日の光を受けて波間に煌めく。覗き込んだ水晶色の水の中には、名を知らぬ魚が泳ぎ回る。
己が生まれ落ちた世界の美しさに、ザルは見惚れていた。同時に、守り導くべき責任の重さを肩に背中に感じてしまった。
この美しくも力強い世界を、未熟な自分が守れるだろうか。
正しく人を導けるだろうか。
司る死を、悪意に負ける事なく裁けるだろうか。
巡る来世を、しっかりと見つめて滞る事なく流せるだろうか。
自覚すればその重さに息を詰まった。視界が狭まり、息苦しさを感じた。──その時だ。
「ザル!」
片割れの声が思考の海からザルを引き上げた。その快活な呼び声で、息の仕方を思い出せた。
大きく空気を吸い込み、肺に取り込む。ゆっくりと、体内からこもったソレを口から吐き出しながら、ナルの方へと体ごと向けた。眩しいと感じるほど明るく、眩しい笑顔がそこあった。
「見てくれ! 変な花を見つけたのだ!」
両手で握る『変な花』とやらを差し出される。
とても小さな白い四枚の花弁。それが一つの茎から先端で多く集まっている。可愛らしくはあるが、言っては悪いが少しばかり地味だ。花のすぐ下には何やら三角の薄っぺらい緑の果実がたくさん付いている。
よく見かける種類の花なのに、ナルは何が面白いのかニコニコとしたままだ。
「……変か?」
問えば、「面白い!」と先程とは違う言葉に変えて花を指先で回し始めた。茎を中心にして回る花は、つけた緑の果実を振り回した。
「……面白いか?」
やっぱり理解できなくて首を傾げて再び問いかけるけれど、「うむ!」と力強く返される。
「ペチペチと鳴る楽器になりそうだ!」
「楽器……」
「これはザルの分っ」
ナルが持っている花が渡される。強く握っていたのか、少しばかりヘタレているし冷たい筈の植物はほのかに温い。ナルの体温が移ってしまったのだろうか。
再び指先で茎を軸に回して遊ぶナルに倣って、ザルも回してみる。面白い、とはどうしても思えなかった。けれど、目の前の片割れが心底楽しそうに笑うものだから、つられて笑ってしまった。
気がつけば、悩みはどこぞに吹き飛んでしまっていた。
それがきっと、ザルの始まりだった。
遊びすぎて草臥れてしまった花を持ち帰り、大切な物にした。大切な物の名前を知らないのは流石にどうかと思い、自分一人で名前を調べた。知恵を司るサリャクや、土と豊穣を司るノフィカの力は借りたくなかった。特にノフィカは、未だに苦手意識がある。
二人で地上に降りた折、ナルがいない隙にこっそりと道ゆく人に問いかけた。
『羊飼いの財布』『ナズナ』『ぺんぺん草』
様々な名前が花には存在した。その中でザルは大切な物の名を『ナズナ』に定めた。
それから年月が流れ、ザルは少しずつ想いを積み重ねていった。始まりはナズナであったけれど、その後も、密かに自分の片割れに抱いてはいけない感情を育てた。育ててしまった。
親愛でも信愛でもない。色を纏った欲を持つ、深い愛情。
悩み苦しみ、どうすることも出来ない状態になった時、再びその花を一輪差し出された。差し出した本人は、
「懐かしかったから、摘んできた。昔を思いだすのう」
あの日と同じ、眩しいと思うほどの笑顔でそう言った。
その笑顔に、何かが胸の中にストンとはまった。何故か震えそうになる手を意志の力で抑え、ナズナを受け取る。花は長い年月を経てもなお、変わらない白い花弁を咲かせていた。
想いを否定する事も殺す事もやめてみれば、視界が広がった。身は軽くなり、重くのしかかっていた感情全てを消化できてしまった。
それからと言うもの、ザルはナルとの接触を意図して増やした。
今ではなくいつか、気付いてくれる。
今ではなくいつか、ナルもここに来る。
自分だけが苦しんで悩んで、苛立ったのだ。それをナルも味わえば良い。これは自分勝手な意趣返しだ。人の気も知れずに呑気に笑っていた罰だ。
──それまでは、もう少しだけ……。
待つ日々が始まった。
けれど、何もせずにただ待っているだけではなかった。いつの頃からか、人の世では花に意味を持たせるようになっていた。そこで得た知識で、ラベンダーには『あなたを待っている』『私に答えて』『期待』等の意味付けがされているのを知った。さらには虫除けの効果があるという。
触れ合いを増やし、距離感を詰めた。なら、次は香りだ。それまで纏っていた香りを、ラベンダーを主軸とするものに調香し直した。さらには、地上に降りる際のナルの器に密かに香り袋を忍ばせた。〝虫除け〟も兼ねた、独占欲の現れ。
種を蒔き、芽吹きをひたすらに待った。待ちきれなくて何度か手が出そうになり、自制を働かせるのに苦心した。
長く、待った。そうしてある日、ナルが急に余所余所しくなった。
視線が合わず、すぐに逸らされる。
いつものように触れようとすれば、体を固く強張らせる。
近付けば、半歩離れてしまう。
しまいには、「近くないか?」と自分から言い出した。その不自然な様子に、〝いつも通り〟笑った。
いつも通り過ごすザルを他所に、ナルだけがぎこちなく日々を過ごすけれど、ついには耐えきれなくなったのか一人で二面宮から出ていってしまった。それでも、ザルは待った。本音を言えば、すぐにでも追いかけたいけれど、呼ばれるまではと宮にいた。今行っても、きっと突き放される。似たものを過去に抱いたから、知っている。
今まで長く、待った。待ちくたびれてしまいそうなほどだった。
ようやく待ち人に呼ばれた瞬間。伸ばした手が取られた瞬間。歓喜の極み以外の何物もなかった。
──全て、すべて私のもの。
それは奇しくも、ナズナの咲く季節と場所だった。
◇ ◇ ◇
数百年ほど前のことを思い出し、ザルはまた一つ息を吐いた。あの時からまた永く年月が過ぎたけれど、ナルは忘れてしまったようだ。仕方がないといえばそうだが、ほんの少しだけ、残念だ。
渡されたラベンダーの花束。これは加工して、匂い袋にしようか。またナルの器に忍ばせてもいいかも知れない。もしくは──。
そこまで考えたところで、ドタドタと忙しない足音が部屋へと近付いてきた。
(これで最後だ)
ナルを振り回すのは楽しいけれど、度が過ぎてはいけない。そう思って顔を上げれば、ナルが息を切らしながら部屋へと入ってきた。いつもならば眼前に突きつけて来る花を、後ろ手に隠している姿が珍しい。
ザルは立ち上がりナルへと向き直る。しかし、ナルと視線が合わない。忙しなく顔が動き回り、ついで自信なさ気に伏せてしまった。
「ザ、ザルよっ」
「どうした」
「やはりどう考えても、何度記憶を掘り返しても、コレしか思い浮かばんのだ。此度ばかりは、はっきり言って自信がない」
言い訳じみた言葉と共にその背後から、ゆっくりと差し出された白い花。それを見て、閉ざした瞳を僅かに開いた。
「その……。花というか野草というか、その辺りによく生えておるし、小さいし。変な花であってな? 名前も知らぬのだ……」
『変な花』と呼ばれた花を受け取り、ザルは小さく笑った。
その言葉だけで十分すぎるのに、どうやら微かに覚えていたらしい。
とても小さな白い四枚の花弁。花のすぐ下には、三角の薄っぺらい緑の果実が数多付いている。茎を軸に指先で軽く回せば、果実が忙しなく揺れ動いた。パラパラと音が鳴りそうだ。
「……やはり違ったか?」
「いいや、これだ」
答えを言えば、不安気に俯いていた顔をパッと上がり、ナルは喜色を浮かべた。腕を伸ばし、模様の描かれた頬を指の背で撫でる。
「ではこれの花言葉を、教えよう」
ザルが知っている、もう一つの花言葉。それは──。
〜『 I offer you my all 』〜
告げれば、ナルは目を見開いて驚いた。
終