milk(ウラ良) 勝手に思っているだけだけど、
僕らは似ているのかもしれなくて。
[ milk ]
饒舌というわけでは決してない、僕の話を彼は じっと聴いている。僕の近所に新しい建物が出来ていく事、 季節が変わって店の客の顔触れががらりと入れ替わってしまった事。おばあちゃんちの裏庭に、ぽつりと生えた柿の若木が順調に育っていく事を、「うん」、と優しい相槌を打ちつつ聴いている。
週に一度の、僕と彼の逢瀬の時間。
彼お得意の方便で人払いした、時の列車の食堂車両。
僕は面白味のある人ではないので、彼が退屈しないように頑張ると焦って少し早口になる。たまにうっかり舌を噛む。そんな時、さりげなく口を挟んだ彼がそのまま語り手の役を請け負い、僕を休ませ、 そして楽しませてくれる。
電車から消えていた人達が「あの嘘吐き野郎」とか言いながら、戻ってくるまで時間でほんの十分程度。互いの近況報告をするにも短い僅かな時間。睦言を交わす余地もない。
僕の心音はとても落ち着いて、僕の呼吸は空気と混じり合うように自然になる。自由気侭な海月になってしまったような、それとも塩水そのものになってしまったような、海の底の辺りでたゆたうような感覚に癒されて、また明日も頑張ろうと顔を上げられた。
二人きりで過ごせる時間が168時間のうちの600秒。たったそれだけなのは、僕の会いたい人達が彼の他にも居るからで。嬉しい事にその人達も、僕に会いたいと思ってくれているからで。それを知ってて『皆居なくなればいいのに』だとか、『時間が無限だったら』だとか不平不満を言う彼は、 それでも僕と皆の会合を洒落以上に邪魔したりはしてくれなくて。彼も混ざって皆とわいわい、お騒がせの時間を過ごす。
並んで外を歩いたり。深いふれあいも持てないけれど。
僕と彼はそれでも良かった。
恋人というには、あまりに何もありません。
平静でいられなくなるような波乱の事件も、二人きりで居られる場所も、 …居られる時間もありません。だけど 人の前ではスレた詐欺師を振舞う彼が、僕だけには優しく笑う。僕だけには何一つ、作らない自然な声音で話す。だから僕は、それで良かった。
ある日の事、
用がある時には王様然とした態度で個室に皆を呼び出すジークが、珍しくも彼自身の足で食堂車両に赴いてきた。ジークは片手で耳栓をして、もう片手では人形サイズのリュウタロスを摘まみ上げていた。
「お供たち、これを何とかしろ」
ジークの指先でジタバタと、手足を振り回し暴れるリュウタロス。ジークがテーブルの上に置いたのを皆で取り囲んで見詰めると、 小さなリュウタロスはジークに懐きながら「とりさん、とりさん」とわんわん泣いていた。
「無礼にも私の部屋に無断で飛び込んできたかと思えば喚き出して私の昼寝を邪魔するから、小さくしてやった」
ジークがこめかみを押さえて嘆きを訴える。
片隅でチャーハンを食べていたオーナーが、申し訳無さそうな顔で此方を見ている。どうしたの、と伺えば リュウタロスは嗚咽しながら千切れ千切れに、 「みんな、いなくなっちゃった」。
聞けば リュウタロスが面倒見ていた猫や犬を、残らず電車から降ろされてしまったようだった。
リュウタロスが勝手に拾ってきた、僕の時間の野良猫や、野良犬たち。
「時間から零されたわけでもない動物達をいつまでも、乗せておくわけにはいきませんからねぇ」
オーナーが言う。
「かえしたっておんなじだよぉ。いらないから、捨てられたんだもん。 誰にもいらないから、みんな、ひとりぼっちだったんだもん。のらねこが何匹いなくなったって、誰も、なんとも思わないよ」
サイズの戻ったリュウタロスは それでも電車の真ん中で膝を抱えて小さくなったままだった。
「野良猫たちの存在を、君が否定しますか? リュウタロスくん。 存在しているもの、存在していないもの、全部含めて『時間』には必要なものです。リュウタロスくんの拾ってきてしまった猫が仮に、A子さんに拾われる予定だったとしたら、それだけで時間は歪んでしまう。在るべきものを、在るべき場所に存在させておくのも 私達の仕事のうちですからねぇ」
「でもよ、A子ちゃんがB地点でCって猫を拾う予定だったのが、リュウタが先に拾っちまったんなら、もう時間は狂ってて、今更 返したところで遅ぇんじゃねぇのか?」
黙り込んでしまったリュウタロスに変わってモモタロスが発言する。
「猫を返せばまたA子さんがCの猫を拾う可能性がある。B地点で拾おうがD地点で拾おうが、Cの猫がA子さんに与える影響が ほぼ同じなら、それによって時間は本来のものにより近く修正される」
「可能性の話じゃねぇか」
「可能性の話です」
軽くいなされて、モモタロスはチッと舌打ちを零す。
落ち込んだリュウタロスを見て、やりきれない様子で呟いた。
「時間なんて…ただ守ればいいもんなのか何なのか、時々わかんなくなってくんぜ」
「仕方ありません。時間は、誰か個人の為だけに流れているものでは、ありませんから」
そんな彼らのやり取りを僕はただ傍から聞いているだけで、…それは彼・ウラタロスも同様だ。
モモタロスは塞ぎ込むリュウタロスの傍らにしゃがみ込んでぶっきらぼうに慰める。
「っつーわけらしいから、しょうがねぇだろ小僧。お別れなんて、フツーに一緒の時間を生きてたって いずれはやってくるもんなんだしよ」
――こんな時、モモタロスってすごいと思う。
何て声を掛ければいいかもわからない不甲斐ない僕らの先陣を切って、僕らの躊躇う事さえもおくびも見せずに口に出す。 それが無神経だとか言うわけじゃなく。絶対に、目を逸らそうとはしないから―…。
モモタロスの言う事を解ってなお泣くリュウタロスに今度はキンタロスやウラタロスがハッとして宥め始める。 よしよし、と頭や背中を撫でながら。 「ずっと、いたかったんだよねぇ?」と、…ウラタロスの声。
そういう話題が僕らの間に浮上してきてしまった後で、二人きりの機会が訪れ、僕を前にするとウラタロスは なんとなく言葉を滞らせる。触れないように、殊更 慎重に言葉を選び、殊更 明るく振舞って。
僕らの間に浮かんでいる 夢色をしたシャボンの玉を、割らないように繊細に。
「―リュウタには少し可哀想だけど、ボクはちょっと安心したな」
姉さんから簡単に教わった方法で普通の珈琲を僕の為に淹れてくれながら、作業をする振りをして僕に背を向け、心なしか余所余所しく。
カイを倒して、イマジンも消える。 そういう悲壮が僕らを呑み込もうとしていたいつかも、彼はこうして背中を向けた。
本当に嘘を吐こうとする時、ウラタロスは喋らなくなる。
それは僕も、同じ性格。
「長くいれば それだけ愛着も湧いてしまうだろうし、下手をすればデンライナーの中で死に別れる事もあるかもしれないって思ってた。繋がりの浅いうちに別れられたのはよかったよ」
「…本当にそう、思ってる?」
「―…それにあそこの動物達、やたらボクに懐いててさ、この間も出汁が出なくなるまで子猫に舐められちゃって、…」
軽くそんな冗談を言う。ウラタロスは、リュウタロスの拾ってきた猫や犬の世話をよく任されて、懐かれて、困ってた。一番小さなメスの子猫に外国の女の子の名前を付けて、 恋人のように可愛がっていた事を、僕は知ってる。
「動物は敏感だから、優しい人が分かるんだよね」
こぽこぽとポットからカップに移した珈琲を僕の前まで運んできた、ウラタロスから受け取りながら僕は彼の顔を見上げた。
そしてヒトもある意味、動物だ。
だから僕には君の優しさが分かるし、 君を好きになる人も、きっとみんな分かってる。 …発するよりも先に考えてしまう君の、ホントに言いたい事は何だろう。
ウラタロスは優しすぎるから、人の傷付く事は言わない。自分の苦しみを吐露する事で相手を困らせたりしない。それは彼のスタイルだけど、でも本当は、相手に自分を映しすぎてしまうのかもね。そして自分が傷付く事がこわいのかもね。
モモタロスのように本能的に動けない。キンタロスのように自分を貫く図太さが無く。リュウタロスのようにワガママに本音を喚けない。
「ウラタロスはみんなよりちょっぴり賢いぶんだけ、寂しそうだね」
…それは僕と少し似ていて、
自分自身と同じくらい、ウラタロスがいとおしい。
だけど僕は知ったつもりでウラタロスの事、ホントは全然、わからないんだ。もっと仲良く、なりたいな。
僕の前に言葉を詰まらすウラタロス。僕は彼の左手を空いた右手で取り上げた。今までずっとタブーのように触れずにいたこと。
夢のシャボンを割らないように、静かに語り合うだけの僕らの、底に沈んだホントのことば。
「僕たちだって、ホントはずっと一緒にいたいよね?」
僕の時間の動物達が僕の時間に帰ったように。
いずれは僕も、この電車から拒絶される日が来るのかも。
君に触れる僕の手が、去年よりも硬くなってしまった事。…君と並ぶ僕の目線が、君に少し近付いた事。…目聡い君だから、きっと気付いているでしょう?
いつか僕は、君の愛してくれた少年では、いなくなる。
言っても どうにもならない事があるって。子供のように駄々を捏ねても仕方のない事があるって、僕も少しは判ってる。だけどそれでも『思う』事には、きっと何の罪もないから。
「隣に座って、ウラタロス」
話をしよう。
恋人というには、あまりに何もありません。
恋人というには、あまりに何も残せない、僕たちだけど。
遠い駅から振り返った時、此処にいる僕らは、笑っているよ?
いつでも、 …そう、―いつまでも。
「…どうして、いられないんだろうね」
珈琲を持つ手を震わせながら初めて零した彼の涙で。
僕の胸に海が、広がった。
僕は母親になったみたいに彼を抱き締めたくなって。ぎゅっと腕を回すと、彼が笑って「かっこわるいよ」と照れながら言う。ずっとずっと、こうしていたいな。―もっと君を占めていたい。
―ねぇ、僕、気がついたんだ。
―へぇ、何を?
―もしも今とは別の未来が在って、そこで生きている君たちが居たとして。その時、多分、ウラタロスは22~3歳? そして22歳の君が生きる世界にもしも僕も在るとしたなら。 …その未来が今から ほんの十数年先でも、僕、ウラタロスより年上なんだ。僕ウラタロスより、年上なんだよ―…?
だからね、ウラタロスは僕に甘えてもいいんだよ。しんどかったら、肩を貸すよ。そうだ、膝枕とかもしてあげる。だから。 いっぱい、甘えて欲しいな。今はミルクを飲み干して、ひなたで丸まる子猫のように。
The end.