天の裂け目より来たる火がその大火は比喩ではなく天から降ってきたとしかいいようのないものだった。
江南では珍しく晴れ渡った空に雨の代わりに降ってきた火は、脈絡も何もなく建物や人間に燃え移り、人々を阿鼻叫喚に陥れた。
消火部隊は間に合わず、水にさえ火が燃え広がっていく。
自分の住んでいる住宅の同居人を被害が少ないらしい避難所に移動させた杜甫は、もつれる足を叱咤しながら全力で走っていた。
手遅れでなければいい、そう思いながら疾走していたその最中、
「おお子美殿、そんなに急いでどこにいく?」
燻る炎の点在する繁華街の中、探していた当の人物からかけられたいつも通りの声に驚いて蹴躓いたのだった。
途端にあはははは、と笑いながら差し伸べられた手に、こちらの気も知らないで、とキッと睨みつける。
「江南中が火事のこの時に何を呑気に酒など呑んで。皆避難している、私たちも一緒に行こう。」
言われた李白はちらりと手をかりずに立ち上がる杜甫に目をやると、構わずまたぐびりとやり始めた。
「ここももう終いか。」
呟く声に、この男何を、そう思いながら再び逃げようと声をかけようとして、杜甫は悲鳴をあげた。
「太白殿、燃えてるじゃないか!!袖!袖!」
李白はああ、と己の袖の袂を見て安心させるように言った。
「そんな顔するなよ。子美殿、何もないところに還るだけだ。またいつかどこかで会えるとも。」
言っていることがさっぱりわからない、そう返答する代わりに杜甫は叫んでいた。
「いまここにいる君の話をしているんだ‼︎」
「子美殿、裾。」
いまいちこちらの話を理解しているのかいないのかわからないその声に従って己の服の裾を見れば、今李白の袖を舐めつくしつつある炎が自分の足元を蝕んでいた。必死に裾を踏みつけて消そうとしていると隣から
「子美殿、どうやらこの酒を俺は飲み干せないらしい、残りは子美殿にやるから貰ってくれないか」
と酒壺を差し出される。火は首筋にその手を伸ばしつつある。妙なことに焦げた匂いや燃え滓はなく、本当に炎の先がきれいに消失しているのだった。
自分の右足の膝から下も炎に巻かれているが、不思議なことに熱くはない。
「貰ったら一緒に来てくれるか。」
「子美殿も大概しつこいな。行く行く、行くからそら、ぐいっといってくれ。」
残った腕から酒壺を受けとる。感触からみるにもう底の方に少し残っているだけだ。炎は自分の腰にまでまわっていた。
「俺の酒をやるってのになんだそのツラは、ほら顔拭いて。」
「うるさい、拭くか飲むかどっちかにさせろ。」
そう応える声にさえ嗚咽が混じる。頬を濡らす滂沱の涙は、炎を止める何の力も持たない。
「子美殿、」
「なんだ」
「再見」
炎の向こうから声がする。その言葉にまた、と応えて酒壺を傾ける。
炎がまた勢いをつけて逆巻き、杜甫の体も飲み込まれていく。
酒が喉を通ることはなかった。
あたりにはただ焼け野原が広がっている。