襲撃を受けたのは、笹藪の裏手にある路地へと回った時の事だった。
幕府の犬。
17で出仕を始めてから今日まで、何百回と聞いたお決まりのフレーズだ。
闇討ちなら黙ってすれば良いものを、律儀なことだと思う。
相手は五人。間合いを図る先頭の懐へ飛び込み、刀を抜いた。しばし暗闇に、剣戟が響く。
勝負は直ぐについた。
人気の無い長屋のボロ障子に血飛沫が跳ね、地面には、欠けた体のいくつかが散らばった。
まとめて三人を切り捨てた所で一人は逃げて、残った一人はその場にとどまった。いや、とどまったというよりも、恐怖で動けなくなったと見るのが正しいか。
斬り合うまでもなくわかる、拙い腕だ。滞空する蜂の如く八の字を描く切先から、身体の震えが伝わってくる。苦し紛れの踏み込みを軽くいなして腹に蹴りを入れれば、細い体はいとも簡単に地へ転がった。
ちょうど、真上に来たらしき月の明かりが路地まで射し込み、相手の姿を映し出す。
明所で見れば、敵はまだ15、6の子供だった。恐怖に見開かれた目で私を睨み上げている。
どっと疲れが押し寄せて─、懐から帛紗を取り出し、包んであった金を、地面へぶちまけた。
何を思ったのか、自分でも知れない。
子供は私の顔と金とを交互に見比べ、慌ててそれを掻き集めると、転がるようにしてその場から逃げ去った。
こんな事をして何になるのか。馬鹿馬鹿しい。
ふきすさぶ風が、血溜まりをなでて妙な模様を作る。血を吸って重たくなった懐紙が、笹舟のように傾いた。
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縁側で刀の手入れをしていると、ふいに視線を感じた。顧みれば、妻が障子の陰からじっとこちらを見つめている。何事かあったろうかと、咥えていた紙を外して刀を鞘へ収める。妻は膝立ちでそばまでにじりより、悪戯っ子のような顔で言った。
「異三郎さん。刀、見せてくださらない?」
好奇心の強いひとだ。午後の陽光が目に入ったのか、眩しげに目を細めながら私の答えを伺っている。
「…危ないですよ」
昨日も人を斬ったばかりの刀だ。触れればその無垢な手が穢れるように思えて、躊躇した。
「仕事道具をさわられるのは、おいや?」
「違います」
思いの外強い声が出て、自分で動揺する。羽織を掴んでいた掌がぱっと離れて、俄かに不安になった。
「…柄の部分でしたら、触れても構いませんよ。抜くのは勘弁してください。怪我するといけません」
慣れない事をして頭など撫でたのが気に障ったのか、白い頬が餅のように膨らむ。
「まあ。子供扱いですか?」
「自分の刀で君に傷をつけてしまっては、悔いても悔いきれないでしょう」
無念げに柄を撫でていた妻が、かすかに頬を染めて笑んだ。柔らかな栗色の髪が、ひだまりの中で錦糸のようにひかり輝く。
ふと思い立ち、鞘から小柄を抜いて、その指へ握らせた。
彼女は思いがけないものを見た顔をして、まじまじと持ち手の彫り物を観察する。
「綺麗な装飾。水仙ですね?私の一番好きな花。異三郎さんも?」
「え……、まぁ…」
あなたが好きだと言った花だから、拵に用いたのだとは言えなかった。きまり悪くて背けた顔を、わざわざ覗き込まれて少し困る。
「異三郎さん。ありがとうございます」
「いえ…」
寄せられた身体から、白粉が濃く香る。
「昔ね、お父様に刀を見せてとねだったら、ぶたれました。女が男のするものに興味を持つなって」
「……」
返す言葉に窮し、沈黙した。
酷い話だな、と思ったが、彼女の父を面と向かって悪く言うのも気が引けた。過ぎた事だ。
慰めの代わりに手の甲でそっと頬を撫でれば、壊れ物かのように思えた肌は存外、したたかに弾力を返した。
「念願かなって、どうでしたか。刀は、おもしろかったですか?」
「おもしろくなんかありません。
…あなたの深いところに触れた気がしました」
今度は妻の手が、そっと私の頬へと伸ばされる。
「冷たくて、優しいの」
手のひらに次いで唇が、瞼の上へ落とされた。
急に翳った眼裏に濡れた感触を覚え、不意に、夕立の音を空耳した。