yellow rose「おかえり。なんや嬉しそうやね」
家に帰ると、母は開口一番に頬を緩ませていた。というのも、おそらく私が両手で抱えた大きな花束のせいだろう。
きっと母も少し前に、父から同じ数の薔薇を贈られているに違いない。元から幸せそうにゆるゆるになっているところに、私がこれを持っているのを見て、もっとゆるゆるになってしまったようだ。
「どないしたん、その花束〜! 誰から? 誰から?」
「ま、マネージャーさんから……」
「あぁ、いつも水織がかっこええって言うてるあのひと?」
お母さんまだ会ったことないんよ、なんてにやけながら、踊るような足取りで母はリビングへと向かう。ふと、玄関の靴箱にある鏡が少し気になってしまって、花束をからだで隠すようにしてひょいと飛び越えた。
「お父さんは?」
「お風呂に入ってるから、今のうちに飾ってしまおうと思ぅてなぁ。水織が今日その花束もろぅたって知ったら、きっと気絶しそうやから」
いたずらっぽく笑う母に「そうやねぇ」と返す。あまり表情が変わらないけれど、何故か感情表現は豊かな父を思い浮かべた。泡とか吹いてそう、と呟けば、母は目に浮かぶと大笑いだ。
「もしかして、薔薇だけやのぅてラッピングまで衣装と一緒? 凝ってはるなぁ〜」
てきぱきと慣れた手つきでラッピングを解いて、薔薇たちを花瓶に移し替えていく母の言葉に、少しどきりとしてしまう。だから――この花がどう見ても薔薇で、そして今日はダズンローズデーで、どう見ても「私」へ贈られているのことに、少々困っているのだ。
貰った時は、素直に綺麗な薔薇が嬉しかった。今日という日でさえなければ、もっとちゃんと喜んで、笑顔だってあんな不格好にならなかったはずだ。そして、きっとこう思ったはずだ。
――もうすぐクリスマスライブで、きららちゃんの命日も近いから。きっとそのついでに買ってくれたんだろう、と。
そう思うほうが自然で当たり前なのだ。少なくとも、私にとっては。
でも、現実は違っていて。こうして今日、十二本の薔薇を贈ってもらえて、薔薇の色も包装紙やリボンの色もその形も、全部が「私」を指していたから、そんなはずないのに変な勘違いを起こしてしまいそうになっている。
「はい、できた!」
弾む母の声で我に返る。あのひとに一本返したから、今は十一本になった薔薇たちがバランスよく一番映えるようにと活けられている。花瓶にもしっかり、花束を留めていたリボンが結ばれていた。
「水織の部屋なら、お父さん勝手に入らないから大丈夫や」
ぼーっとしていた私に、ウインクを投げてくる。アイドルである私よりもアイドルらしい仕草に、思わず笑ってしまった。実際、母はアイドルというよりはアイドルオタクというのが正しいが。
母から花瓶を受け取って、慎重に運ぶ。ふわりと香る甘い香りを胸いっぱいに吸い込んでみる。花の香りは、全然私の私のこころを落ち着かせてなどくれないようで、ふわふわとした気持ちがずっと続いていくばかりだ。
さて、部屋のどこに飾ろうか。机の上か、それともベッドサイドが妥当だろうか。くるりと部屋を見渡して、一番いい場所を見繕ってみる。また視界の端に鏡が映る。クローゼットの隣にある、きららちゃんとお話する時の姿見だ。私はその姿見から一番遠いラックの上に、花瓶を置いた。
ただ置くだけでは味気ないかもしれない。せっかくだから、と昨年懐かしさに任せて買ってしまった動物のフロッキーフィギュアも添えておこう。あざらしの家族たちを花瓶のそばに遊ばせるように並べたら完成だ。我ながら満足のいく出来になったのではないだろうか。自然と母のように、緩んだ口から笑みが漏れてしまう。
「そうだ、写真写真」
ポケットからスマホを取り出して、シャッターボタンを押す。少しだけ加工をしてから、メッセージアプリを立ち上げた。目的の名前は一番上だ。業務的な文字列ばかりが並ぶ中に、こんなものを送ってもいいのだろうかと一瞬躊躇うものの、気付けば送信ボタンを押していた。
『飾りました』
既読が着くのはもう少し先かな、なんて思いながら、カメラロールから撮ったばかりの写真を選ぶ。ホーム画面なら、あの人には見えない……はずだ。覗き込んだりとかはしないひとだから。
生花はいつか枯れてしまうから、残しておきたいだけ。そんな言い訳を考えながら、生き生きとしている花を撫でる。まだふわふわとした心地が止まらない。もしかしたら、これもそんなに悪いものではないのかも……なんて、
『こんばんは、水織ちゃん』
急に。冷たい水を掛けられたような気がした。
何も悪いことはしてないのに、この後ろめたさはなんなのだろう。
「なぁに、きららちゃん」
前よりたくさん話しかけてくれる彼女の声は、今日も鏡の中から聞こえてくる。
『星輝さんからお花貰ったんでしょう? すっごく綺麗だね!』
「……うん。綺麗やよ」
――見て、きららちゃん。
いつもだったらそう言えるのに、今日は何故か言えなかった。