揺れる赤 今日の分の仕事が終わり、事務所でかすみちゃんが淹れてくれたお茶を飲んで一息ついた頃。
「あの、事務所にラミネーターってありましたっけ?」
未だ残る仕事があるのか、パソコンを睨みながら眉間に皺を寄せたままの譲さんに尋ねると、少しだけ眉が和らいでぱちぱちと目を瞬かせた。尋ねるついでに譲さんのぶんもお茶も置いておく。少し冷めているけれど、すぐ飲む分にはきっとちょうどいいだろう。
「ん? 多分あったと思うけど……ちょっと待ってな」
すぐにデスクの奥の方からラミネートシートと一緒に持ってくる。その時目敏くお茶も見つけた彼は、ありがとうと言ってくれた。いつもよく周りを見ているひとだと尊敬する。
「何に使うんだ? あ、なんか学校で必要なものか?」
「いえ、これを栞にしようと思って……」
そう言って参考書に挟んでいたティッシュを開く。中身は三枚ほど並べた花びらだ。その色に覚えがあるのか、譲さんの口からちいさく「これは……」と零れている。
「先日頂いた薔薇の花びらを押し花にしたいんです。枯れてしまうのが勿体ないものですから」
もちろん写真としては残っているけれど、ずっとずっと綺麗なまま残るわけではない。いつかは枯れて、捨ててしまわなければいけない日がくるだろう。
それが寂しくて、少しだけでもなにか形として残しておきたかったのだ。とはいえ、それを贈ってくれた本人に伝えるのは少々気恥しい。ラミネーターが使えるようになるまでの数分、沈黙に耐えられる自信が無い。
「で、では、これお借りしますね! 終わったらお返ししますので……!」
結局私がとったのは、そそくさとラミネーターを譲さんの腕からひったくって、かすみちゃんのいる給湯室まで逃げるという実に情けない行動だった。
さすがに。さすがに作っているところまで眺められるのは少し、いやすごく照れくさい。というより、たかだか気まぐれに贈られた花束ごときでよくここまで舞い上がれるものだと、そういう目線を向けられたら……いや、譲さんに限ってはないだろうけれど、とにかくこれは私の問題なのである。
「おかえり、水織ちゃん。ラミネーター見つかった?」
「うん、ちゃんとあったみたい」
そんな私の心情を見透かしているのか、微笑ましそうにかすみちゃんが目を細めてくる。
「ふふふ、星輝さんも今頃嬉しそうにしてるんじゃないかな?」
「もぉ、からかわんといてよぉ……」
いつもはそんなことないのに、今日のかすみちゃんはすこしだけいけずだ。頬を膨らませつつ、ラミネーターをコンセントに刺して電源をいれる。古いものなのか、中のローラーとヒーターの駆動音が少しうるさい。
さて、栞作りだ。まずは土台を用意する。何もなくても薔薇の花自体が綺麗だから見栄えはすると思うが、ラッピングに使われていた包装紙を使うことにした。あらかじめ切っておいたそれを、フィルムの間にいれて、次に花びらを乗せる。あとはヒーターが温まったあと、ラミネーターのローラーにフィルムを通して熱圧着させ、余分な部分を切り落とす。最後に上部に穴を開けて、細いリボンを通せば完成だ。特に失敗もなく、いい仕上がりになった気がする。完全に冷めるまでは参考書に挟み直しておこう。
「じゃあこれ返して今日はあがるね、かすみちゃん」
「うん、お疲れ様。明日も頑張ろうね、水織ちゃん」
後片付けをしてラミネーターを回収すると、相変わらず微笑んでいるかすみちゃんに手を振って、給湯室を後にする。
さっきは逃げるように出ていってしまったが、結局家に帰るのに譲さんに送っていただいている身なのだ。デスクの方を覗けば、譲さんは声をかける前と同じくパソコンの前でにらめっこを再開していた。
「譲さん、譲さん」
驚かせないように、少しトーンを落として声をかける。気付かれないかもしれない、と一瞬不安が過ぎったものの、そんなものは杞憂だったようで、すぐに譲さんは振り返ってくれた。
「もう終わったのか? 早いな」
「はい。ありがとうございます。すみません、さっきはバタバタと……」
「? なんのことだ?」
ついでに先程の私の失態も杞憂のようだ。譲さんはまだ熱の残るラミネーターを私から受け取って元の場所へと戻す。それから時計を確認して、すぐ側に置いていた車のキーを手に取った。
「そろそろ時間だよな。送るよ」
「はい。いつもありがとうございます」
先を歩く譲さんについていく。あ、出来上がった栞、見せるタイミングを逃したかも。なんて思ったのは一瞬で、すぐに譲さんからお仕事の話を振られて夢中になってしまった。
結局、それを思い出したのは家に着いてから、胸に抱いた参考書から覗く赤いリボンを見た後だった。