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    hacca_ss

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    2022.06.18にUPしたものを再掲()初出:WEBオンリー「謎めく厄災のミステリオ」
    オーエンの死因当てゲームに興じるカインとフィガロ。死体役のオーエンはほぼ喋りません。「泡沫の夜の魔法にかけられて」直後の設定。死体描写(若干グロ)があります。カイオエのつもりで書いてたけどロマラブ感は皆無。

    #カイン
    cain.
    #フィガロ
    figaro
    #オーエン
    owen.

    誰があの子を殺したの1. 事件
     《ワルプルギスの夜》から数日が経ったある日の午後、談話室のソファでオーエンが死んでいた。
     第一発見者は南の魔法使いミチルだ。心根の優しい素直な少年は、ソファに転がった死体に慌てふためいて、医者である師を呼びに行った。相手が常日頃から毛嫌いしている北の魔法使いであることはすっかり失念してしまったらしい。何を考えているのかわからない、不気味でおそろしい魔法使い――《ワルプルギスの夜》を共に過ごしても、その印象はさほど改善されなかったようだが、青褪めた顔をして倒れている仲間を見過ごすには彼は優しすぎたのだろう。
     一方、カインが入れ違いで談話室を訪れたのは単なる偶然である。元々は昼過ぎに魔法舎を出て王都へ向かう予定だったのだが、先方の都合で急遽日程が変更となった。おかげで午後の予定がまるっとなくなってしまったというわけだ。
     昼下がりの魔法舎は、麗かな春の日差しに包まれていた。
     天気もいいし鍛錬でもしようか。いや、それよりは誰かとのんびり話でもしてみるか。談話室に行けば、誰かしら――賢者や、お喋り好きな西の魔法使いたちあたりがいるかもしれない。降って湧いた休暇の使い方としては悪くないだろう。しかしカインの思惑は見事に空振りし、談話室の扉を開いても、オーエンの死体がソファに横たわっているだけだった。
     《大いなる厄災》に近づきすぎた代償として、石になることを免れた魔法使いたちも魂に深い傷を負った。カインの《奇妙な傷》は、朝目覚めるたび、相手に触れるまでその姿が見えなくなるというものだ。唯一の例外が、ソファに横たわっている男だった。オーエンだけは、触れずともカインの目に映る。
     横たわる死体は、静謐そのものだった。
     瞼は固く閉ざされ、長い睫毛が目元に影を落としている。血の気を失った頬は、真冬の月のように青褪めていた。
     またオズかミスラあたりに喧嘩を売って、返り討ちにでも遭ったのだろうか。カインはとっさに容疑者の目星をつけた。
     因縁の相手とは言え、仲間が殺されているのを見ると胸が痛む。最初の頃こそそんな風に思ったりもしたものだが、魔法舎の屋根や壁を吹き飛ばすほどの喧嘩の果てに殺されては生き返るオーエンを何度も見ているうちに、カインもすっかり慣れてしまった。
     魂をどこかに隠しているというオーエンは、殺されても石にはならない。肉体の損傷具合にもよるが、大抵は数十分もすれば息を吹き返した。だからこそ、肉を切らせて骨を断つような手をよく使うのだ。カインとて格上の相手と戦うならば腕の一本を犠牲にしてでも懐に飛び込む覚悟はあるので、オーエンの戦い方も理解はできた。
     とはいえ、いつものような乱闘の末に殺されたにしてはオーエンの死体には傷ひとつなく、談話室にも争った形跡がなかった。もしかすると、ただ眠っているだけなのかもしれない。オーエンは人前でうたた寝をするタイプではないが、何かの拍子に奇妙な傷のオーエンが顕れた可能性もある。
     そう思い直したカインは、かがみ込んでオーエンの首筋に手を当てた。けれど、触れた肌は氷のようにひんやりと冷たく、脈もない。念のため口元に掌をかざしてみるが、吐息は当たらなかった。
     やはり、これは死体なのだ。
     死んでもマナ石にならない魔法使いの死体は、まるで人間のそれのように見えた。職業柄、人の亡骸を見るのがはじめてというわけでもない。それでも、よく知る男の死に顔を見ていると、背筋がうっすらと寒くなるような、鳩尾が重くなるような、どうにも落ち着かない気分にさせられる。
     ふと、どこからともなく粘着くような甘ったるい匂いがした。かすかではあったが、それは腐り落ちる寸前の果実を思わせた。腐敗臭というには甘く、蠱惑的だ。
    (……なんだ?)
     漠然とした違和感に、カインは眉をひそめた。しかしその違和感の正体を確かめる前に、背後から響いた朗らかな声がカインの思考を遮った。
    「あれ、カイン。きみがオーエンを殺したの?」
     物騒な台詞にまるで似つかわしくない、のんびりとした声だった。
     死体を確かめるためソファの前に跪いていたカインは、立ち上がって背後を振り返った。談話室の扉の側にはフィガロとミチルが立っている。
    「どうしてそうなるんだ」
     二人とは朝食の時間に食堂で会っていたから、彼らの姿はカインの目にも映った。ミチルは泣きそうな顔をしていて、対するフィガロは少し意地の悪い笑みを浮かべている、ように見える。
     戯れ言に苦笑するカインに、南の国の魔法使いは悪戯っぽく片目を瞑った。
    「ミチルが血相変えて部屋に駆け込んできたから、何事かと思って来てみたら、きみが死体の前にいたもんだからさ。昔からよく言うでしょ、犯人は犯行現場に戻ってくるものだって」
    「それだけで犯人にされちゃたまらないな。そもそも、俺にオーエンを殺せると思うのか?」
    「あはは、まあ無理だよね」
    「……あの、フィガロ先生?」
     カインの問いをわざとらしく笑って否定してから、フィガロは己の袖を引く少年に視線を向けた。カインにはついぞ向けられたこともない、僅かな毒も含まない柔らかな瞳でミチルを見つめる。
    「ごめんごめん、冗談だよ。さて、ミチルは自分の部屋に戻ってくれるかい?」
    「どうしてですか?」
     首を傾げて師を見上げたミチルは、不満そうというよりは戸惑っているようだった。自分が遺体を発見した手前、ここで立ち去るのは見捨てるような気分になるのかもしれない。フィガロは優しく微笑んで、宥めるように少年の頭を撫でた。
    「オーエンは確かに死んでるけど、石にはなっていないだろ。死んでも石にならないのが、彼の特技なんだよ。しばらくしたら生き返るし、心配することはない」
     フィガロはそこで言葉を切り、ソファをちらりと見遣った。
    「だけど、彼は自分が死んでいるところを誰かに見られるのが嫌いなんだ。ミチルが見つけたのを知ったら、拗ねて、きみに意地悪をするかもしれない」
     フィガロの危惧は、おそらく正しい。
     北の魔法使いらしくプライドが高いオーエンは、自分が弱っている姿を見られたと知れば怒るだろう。それなら人目につくところで死ななければいいだろうにと思うが、オーエンに正論を突きつけたところで無駄だということもわかっていた。
    「だから後でオーエンに会っても、知らない振りをすること。心配なんかしちゃだめだよ。彼が起きるまでは、フィガロ先生とカインがついてるからさ」
    「おい、勝手に――」
     俺を巻き込むな。そう言いかけて、カインは口を噤んだ。氷よりも冷ややかな眼差しに一瞬気圧されたからだ。
     まったく、『南の国の優しい魔法使い』が聞いて呆れる。南の兄弟やリケあたりにはどうやら隠しておきたいようだったが、フィガロが北出身の魔法使いであることはカインも知っていた。『オズ様の古いご友人のフィガロ様』の話なら、アーサーから何度も聞かされていたからだ。育ての親であるオズに代わって、アーサーの様子を確かめるために、フィガロはしばしばグランヴェル城を訪れていたらしい。カイン自身は城で出くわしたことはなかったが、前の賢者とも面識があったようだ。
     だから魔法舎でフィガロと初めて会った時には正直肩すかしを食らった気分だった。アーサーに対する害意はなかったので、南の魔法使いとして振る舞う男の内情に踏み込むつもりもなかったが。
     事情を知られているせいか、あるいはカインが細かいことを気にしない性格だとわかっているのか、フィガロもカインに対してはあまり遠慮がない。簡単に言えば、カインの前では『猫をかぶる』つもりがないようだった。
     けれどそんなフィガロの様子には気付かないミチルは考え込むように俯いていた。
    「……わかりました」
     師の言葉に、ようやく納得したのだろう。しばらく俯いていたミチルは小さく頷いてから談話室を後にした。オーエンさんのことよろしくお願いしますねと念を押して。
    「いやあ、良い子だよねえ」
     立ち去る少年を見送りながら、フィガロは満足そうに頷く。
    「それは同感だが、なんで俺までこいつを見張ってなきゃいけないんだ。あんたひとりで見ていればいいだろ」
    「つれないなあ。因縁の相手なんでしょ」
    「あんたなら、自分の目玉を奪った相手にも親切にしてやるのか?」
    「そりゃあ、南の優しいお医者さんだからね。どうせ暇だから談話室に来たんだろ。お茶でもしながらオーエンが目を覚ますのを待とうよ」
     フィガロが指を鳴らすとティーポットと二人分のカップがあらわれて、ふわふわと宙に浮かんだ。どうやら逃してくれる気はないらしい。カインはひとつ溜息をついてから、空いているソファに腰掛けた。
     フィガロの言うとおり、幸か不幸か、時間だけはたっぷりとある。

    2. 推理
    「オーエンは誰に殺されたんだと思う?」
     カップを片手に、フィガロが言った。
     その口元には上品な笑みが浮かんでいる。あたかもスコーンの焼き具合を誉めるような声音だが、内容はティータイムの雑談に相応しいとは言い難い。
     とはいえ、不謹慎かつ物騒な疑問は、カインとしても気になるところだった。
    「消去法で考えたら、やっぱりオズかミスラじゃないか?」
     オーエンが返り討ちにあうとすれば、真っ先に考えられるのはその二人のいずれかだろう。単純に実力の問題で、オーエンを殺せる魔法使いは限られている。
     フィガロは小さく頷いてからソファの死体を指さした。
    「そうだね。だけど、オーエンの身体には傷ひとつないだろ。血の跡もないし、談話室も荒らされていない」
     オズやミスラの犯行だとして、彼らの性格上、部屋を元通りに修復したり殺した相手の傷を治すだろうか。いや、そんな手間をかけるくらいなら最初から殺したりはしないだろう。
     頬に指を当てながら、カインは答えを探すように天井を見上げた。
    「うーん。中庭だとか、どこか別のところで殺されかけて、ここまで逃げてきたとか?」
    「それならそれで、絨毯に血の跡くらいは残っていてもよさそうなものだよね」
     フィガロがそっけなく肩をすくめる。
     たしかに談話室のカーペットにもソファにも血痕はない。カインは改めて談話室をぐるりと見渡した。
     国の治安維持に努める騎士団の役目のひとつに、街中での不審死への対処がある。市民の通報を受けた騎士団員が現場に駆けつけて、事件か事故かを調査するというものだ。そんな時、まずは現場をつぶさに観察するのが基本中の基本だった。駆け出しの頃はよくこんな風に現場を調べて回ったなあ、と懐かしさと共に思い出す。
     こんな時、まず確認すべきは時間だ。
     カインは柱時計に目を向けた。時計の針は午後二時二十分を指している。カインが談話室を訪れたのは二時五分頃。その数分前、ミチルが談話室を訪れた時には、オーエンは既に息絶えていた。ちなみに、毎日昼の十二時から十二時半ごろには、カナリアが談話室の清掃をしている。彼女が第一発見者ではない以上、オーエンの死亡推定時刻は十二時半から二時の間に絞られる。ちなみにカインは一時ごろ食堂で昼食を摂っていたが、爆発音や争うような物音は聞かなかった。
     カインは続けて、自分たちと遺体の前にあるローテーブルの上を観察した。
     テーブルの上には空のケーキ皿と、紅茶がかすかに底に残ったティーカップ、それから掌に載るくらいの、小さな薄紅色のサシェが残されていた。カインが談話室を訪れた時には既にテーブルの上にあったから、おそらくはオーエンの私物だろう。死体が横たわる長椅子の脇には、彼の魔道具である古びたトランクが無造作に置かれていた。
     それ以外、談話室にいつもと違うところはない。
     つまり、オーエンは談話室でケーキを食べて紅茶を飲んでいたということだ。おそらくは一人で。
     その状況を踏まえると、別の場所から談話室に逃げてきたという推理は、どうやら的外れのようだった。
    「外傷がないってことは、傷の修復も終わったってことだろ。それにしては、ちっとも目を覚ます気配がないな」
     オーエンは他の魔法使いと違って死んでも石にはならないが、生き返るためには魔力を使って身体を修復しなければならないらしい。だから、肉体の損傷が激しいと、生き返るまでに時間がかかる。逆に損傷がない時は比較的すぐに目をさました。ソファに横たわる死体にも服にも目立った傷もなく、まるで眠っているようにも見える。いつもなら、そろそろ目を覚ましてもおかしくない頃合いだろう。しかしフィガロとこうして話している間も、オーエンの死体は微動だにしなかった。
    「戦って殺されたんじゃないのかもね」
    「どういう意味だ?」
    「たとえば毒を飲まされたとか、呪殺されたとか。それなら表面上は綺麗でも不思議じゃない」
     指折り数えながらのフィガロの台詞は心持ち楽しそうにすら聞こえた。存外この推理ごっこを楽しんでいるのかもしれない。悪趣味な男だなと思いつつも、乗せられてしまっている自分も同罪だろう。カインは小さくため息を吐いた。
    「ただ、オーエンを簡単に呪殺できるような魔法使いなんて、それこそオズかミスラくらいなんだよね。だけど、あの二人はそんなまどろっこしい真似はしないだろう。あとはまあ、ブラッドリーか、スノウ様とホワイト様あたりかな」
    「ファウストは駄目なのか?」
     カインは首を傾げた。
     呪殺といえば呪い屋の専門だろう。その呪い屋の名前が挙がらないことは少し意外だった。ファウストがオーエンを呪い殺すなどとは思っていないが、仲間の力量を正しく把握しておきたいと考えるのは、騎士団に所属していた頃からのカインの習い性だ。
     投げられた疑問に、フィガロはなにやら考え込む素振りで自分の唇を撫でる。
    「条件が整えばいけるかもしれないけど、それこそあの子は依頼を受けなきゃそんな真似しないよ。でもって、『オーエンを呪い殺してくれ』なんてふざけた依頼をファウストにする物好きは魔法舎にはいない」
    「じゃあ、あんたなら?」
    「可能か不可能かでいえばまあ可能だけど、俺はそういう無駄なことはしない主義。殺したって生き返る相手を呪い殺すなんて馬鹿げてるだろ」
    「それは、確かにそうだな」
     呪術で誰かを害そうとしても、相手の魔力が強ければ術を返される危険性があることは、魔法使いとしては新米のカインですら知っていた。そのリスクを覚悟の上で呪詛を掛けたところで、相手が生き返ったしまうのであれば、単なる骨折り損だ。
    「双子先生やブラッドリーも同じじゃないかな。彼らは無駄で面倒で利益がないことは極力したがらないタイプだ」
     その点はカインも同感だった。
     殺害が可能な魔法使いは何人かいる。しかし彼らにはオーエンを毒や呪いで殺す動機がない。オーエンを殺したところで無意味だと、魔法舎に住む魔法使いならみな知っているからだ。特に、オズやミスラは殺そうと思えば力技で殺せるのだから、そんなまどろっこしい手段を用いる必要もないだろう。ブラッドリーは狡猾で合理的だから、仮に彼の犯行だとしたら死体を置き去りにはしない。封印でもして証拠を隠滅するタイプだ。
     では誰が、なぜ、どうやって、オーエンを殺したのか?
     考えれば考えるほど、謎は深まるばかりだった。生き返った本人に聞くのが手っ取り早いのだが、紅茶がすっかり冷めてしまっても、オーエンは目覚めなかった。
     いくらなんでも生き返るのが遅すぎる。カインはまじまじと死体を見つめた。
     石になってはいないから、息を吹き返さないということもないのだろうが。そう考えはするものの、徐々に落ち着かない気分になってきた。
    「……本当に死んでるんだよな?」
    「寝たふりには見えないけどね」
     おざなりに答えながら、フィガロも手持ち無沙汰になったのか、席を立ってソファに横たわる死体を検分しはじめた。瞼を押し上げて瞳孔が開いていることを確かめる。呼吸もなく、脈もない。まごうことなき死体だ。
    「どうして彼が目覚めないのか。考えられる原因は大まかにふたつだね。ひとつは、生き返ったそばから死んでるから目を覚さない」
    「もうひとつは?」
    「内臓が腐蝕し続けて、修復が追いつかない。例えば呪鳥を飲み込んで、中身が焼け爛れ続けるから治癒が間に合わない――なんてことはあるかもね」
     呪鳥といえば、北の神殿で祝祭を行った時にオーエンが罰ゲームと称して飲み込んでいた。カインは吹雪の雪山での騒動を思い出す。しかしあの時のオーエンは、呪鳥を飲み込んでも死にはしなかったはずだ。双子の老魔術師たちから「若い魔法使いは触れただけで石になる」と警告された呪詛を、苦しげに顔を歪めながらも腹の中で溶かしてしまったのだ。その生粋の北の魔法使いを殺すほどの呪詛が、はたしてこの世界にあるのだろうか。あったとして、それをオーエンが簡単に口にするだろうか。以前、呪鳥を飲み下したのは、ミスラやブラッドリーと手を組みオズを封印しようと企てたためだった。彼らとて、一度失敗した手を二度も使わないだろう。
     ならば呪いや魔法ではなく、毒物だろうか。
     たとえば――カインはローテーブルの上のケーキ皿を見た。空になった皿には、わずかにクリームが付着している。
     たとえば、皿の上にあったケーキが文字通りの『毒餌』だったとしたら。その場合、犯人はネロか賢者か、はたまたカナリアということになるのだろうか。
    (いや、それはないな)
     カインは即座に自分の推理を否定した。
     賢者はこの魔法舎の中の誰よりもオーエンを傷つけまいとしている。オーエン自身が呆れて、戸惑うほどに。その賢者がオーエンを害することなどありえない。
     そして、ネロは料理人であることに並々ならぬ誇りを持っていた。他の手段ならさておき、あの男はどんなに憎い相手であろうと、自分が用意した食事に毒を盛ることだけは絶対にしないだろう。
     なにより、この二人はオーエンが死んでも生き返ることを――つまり、毒など盛っても無駄だと知っている。他の魔法使いたちと同様に、オーエンを殺す動機がない。
     唯一その事情を知らないのはカナリアだが、彼女はごく普通の善良な人間だ。世の中には虫も殺さないような顔をして他人を害する者もいるにはいるとはいえ、カインは他人を見る目に長けていると自負していた。カナリアは明るく闊達な人物だが、大半の人々がそうであるように、争いや怨恨とは無縁に生きてきたはずだ。手にした包丁で鹿肉を捌くことはできても、それを他の人間に向けることなど考えたこともないだろう。常日頃から魔法使いのために魔法舎で働くカナリアが、魔法使いやオーエン個人に対して恨みを抱いているというのも考えにくかった。つまり彼女にもまったく動機がない。仮に、彼女にどうしてもオーエンを殺さなければならない理由があったとしても、それを遂行する時に自分が真っ先に疑われるような方法は取らないだろう。
    「とはいえ呪詛の残り香はないから、残る可能性は毒物くらいか。それも微妙だけど」
     フィガロもやはり消去法の結果、同じ結論に辿り着いたようだった。榛に灰が混じった不思議な色の瞳がカインを見据える。
    「毒を探知する魔法はオズに習った?」
    「いや……」
     そんな魔法があるということすら初耳だった。戸惑いながら首を横に振ると、フィガロは「そう」と軽く頷いてみせた。
    「せっかくだから覚えといて損はないよ。アーサーもよく知ってる魔法だ。今度リケにも教えてあげるといい。毒というか、口にしたら危険なものを子供が口にしないためのおまじないみたいなものさ」
     俺やオズは多少の毒を口にしたところで石になりっこないけど、小さいアーサーには致命傷になりかねなかったからね。フィガロはそう続けた。その言葉から察するに、アーサーがその魔法を習得したのは、オズの城で育てられていた幼少期ということだろう。
     カインはフィガロに教えられた通り、テーブルに残されたティーセットの上に掌をかざした。
    「《グラディアス・プロセーラ》」
     呪文を唱えて、ティーセットに魔力を注ぐ。
     毒性のあるものが食器に残っていると、魔力に反応して淡く光るのだとフィガロは説明した。しかしカップも皿も光ることはなかった。つまりケーキにも紅茶にも毒はない。毒殺の線も消えてしまった。
     ――こいつも空振りか。
     内心頭を抱えていると、カップのそばにあったサシェのリボンが解け、袋の口から茎が伸び始めた。
    「うわっ、なんだこれ」
    「魔法植物の種子だね。陽の光や水じゃなくて魔力から養分を得て成長する植物だよ。あ、これ今度うちの授業でやろうかな。ルチルもミチルも喜びそう」
     呑気に続けながら、フィガロもサシェの上に手をかざした。
    「《ポッシデオ》」
     フィガロに魔力を注がれた魔法植物の茎は勢いよくぐんぐんと伸びた。そのまま肘から手首までくらいの長さまで育ち、蕾がついたかと思うと、あっという間に真っ赤な花が咲く。次の瞬間に花は枯れ落ち、花火のように光る不思議な実が成っていた。すももほどのサイズの、カインは初めて目にする実だ。
    「《アウラルネの林檎》だね。オーエンが《ワルプルギスの夜》で貰ってきたのかな」
    「《アウラルネの林檎》?」
    「うん。『恋心を殺す』なんて物騒な言い伝えもあるけど、実際のところは毒もない、ただの果実だ。《ワルプルギスの夜》でしか食べられないって触れ込みで、水飴みたいに甘くてドロっとしてるから子供にも人気だよ。もちろん食べても石になるなんてことはないし」
     フィガロは熟した実を捥いで、カインの口に押し付けた。食べてみろ、ということらしい。恐るおそる齧ると、甘ったるい匂いが鼻を抜けた。溶けかけた飴のような食感で、水蜜蜂の蜂蜜に似た甘い味がする。
    (ん? この匂い……)
     肌にまとわりつくような甘い匂いに、カインは眉をひそめながら咥内の実を咀嚼した。
     果実には種がなかった。フィガロの言うとおり、果物というよりは水飴を食べているようだ。種子がないのなら、この実が地に落ちたとて新しい花が芽吹くこともないのだろう。命のサイクルから外れた存在。――まるで、魔法使いのような。
    「……なあ、この『林檎』には毒はないんだよな」
    「今まさに、きみが身をもって証明しているとおりね」
     たしかに不思議な果実を食べたカインの身体には何の異変もなかった。痺れや気分の悪さもない。フィガロの言うとおり、毒はないのだろう。仮にオーエンがこの実を食べていたとしても、彼の死因にはなり得ない。
     しかし、談話室に来てすぐ、オーエンの死体を確かめていた時、カインは確かにこの甘ったるい匂いを嗅いでいた。かすかではあったが、間違えようがない。
     ――これはいったい、何を意味するのか。
     死因のわからない死体。
     未だ目覚めない魔法使い。
     毒もない、甘ったるいだけの魔法の果実。
     点と点を結ぶ線は見えないが、偶然として片付けるには意味深だ。行き詰まった時には、些細な違和感が突破口になる。どんなに小さな疑問でも見逃さず、そこから綻びを探していくしかない。
     カインは足を組み直して、フィガロに視線を向けた。
    「恋心を殺すっていうのは、何かの喩えなのか?」
    「まあね、よくある寓話のたぐい。昔々、アウラルネという名の魔法使いがいました。彼か彼女かは忘れたけど、ある時その魔法使いはひとりの人間に恋し、夢中になってしまったんだ」
     我を忘れるほどの恋に溺れながらも、アウラルネにわずかに残った理性は恋を恐れた。このままでは、百年経てば死に別れる相手に自分の全てを捧げてしまうのではないか。浮かれて約束でも交わして、魔力を失ってしまったら。――そこでアウラルネは、自らの恋心を捨てるために魔法植物を作り出した。
    「そいつが、この林檎?」
    「そのとおり。これは魔法使いの恋心を糧として食らって育つ魔法の林檎というわけ。実際にはただ魔力を注いで育てる普通の魔法植物なんだけど。言い伝えでは、アウラルネは恋心を吸い尽くされて、最後にはマナ石になってしまったらしいよ。恋を忘れることはできたけれど、ついでに命も落としてしまったという話だ」
    「ひどいオチだな」
     カインが目を丸くすると、フィガロは楽しげに笑った。
    「アウラルネにとって恋はもはや己の魂と不可分だったのかもね。まあ、心で魔法を使う俺たちにとって恋なんてものは諸刃の刃だって言う教訓話だよ。ムルを見てたらわかるだろ? 好奇心は猫を殺すし、恋心は月に焦がれる魔法使いの魂を砕く」
    「――オーエンもか?」
     考えるより先に問うていた。
     今度はフィガロが目を丸くする番だった。ぱちぱちとわざとらしく瞬きを繰り返してから、フィガロはソファに横たわる死体を見つめた。眉をひそめて、口端を吊り上げる。その微笑みは、慈悲深そうにも、酷薄にも見えた。独り言のような呟きが談話室に転がる。
    「ああ、なるほど。恋に狂って身を滅ぼすなら、いかにも北の魔法使いらしい」
     心底羨ましいよ、と彼は言った。

    3.真相
    「なにそれ。僕は恋なんてしないよ。くだらない」
     死体でなければ、オーエンはそう反論したのかもしれない。だが、死者は沈黙し、けっして物語らない。死の理由を解き明かすのも、それらしい美辞麗句を墓に刻むのも、いつだって生きている者の仕業だ。
     はたして、オーエンを殺したのは恋などではなく、やはり魔法の林檎だった。世界最強の魔法使いでも、世界で二番目に強い魔法使いでもない。指先で摘めるような他愛もない果実に――正確にはその種子に――彼は殺された。点と点を結ぶ線を、カインはようやく見つけて、手繰り寄せた。
     なんのことはない。幼子のような浅はかさで、オーエンは自ら種子を飲み込んだのだ。種は彼の肚の中で魔力を浴びて発芽し、花開き、実を結ぶ。種のない実を増やすためには株分けをすればいい。肚の中で苗木を増やし、魔力を吸い尽くされてオーエンは息絶えた。おそらくは、ここまでは彼の思惑どおりだったはずだ。その後どうするつもりだったのか、カインには正直わからない。腹を割いて実を取り出すつもりだったのか。甘い果実を独り占めできるなら、一度くらい死んだところで問題はないとでも考えたのだろうか。
     理解はできないが、それはいかにもオーエンらしい発想だろうとも思えた。この男の子供じみた乱暴な短絡さを、カインはいつもほんの少し寂しく感じてしまう。本人にそれを伝えたことはなかったが。
     自ら種を飲み込んで死んだオーエンは、そこでアクシデントに見舞われた。生き返るための魔力すら苗木に奪われて、目覚めることができなくなったのだ。他の魔法使いなら魔力を吸い尽くされた後はマナ石が残るだけだが、オーエンは石にはならない。彼は生き返る前に死に続け、身動きが取れなくなった。ソファの上の死体はこうして出来上がった。
     原因さえわかれば取り出すのは簡単だよとフィガロは笑った。人の子の腹から月の石を取り出すよりは、よほどたやすい。なにせ相手は死体だ。自称心優しい南の魔法使いは呪文を唱え、遠慮はいらないとばかりに死者の腹を割いてみせた。
     その光景を、カインはしばらく忘れることができないだろう。
     ここに賢者がいなくてよかったと心の底から思った。こんなものを目にしたら、あの優しい友人は卒倒しかねない。
     オーエンの空っぽの肚の中は赤い花で埋め尽くされていた。血の赤なのか、花びらの色なのか、もはや判別はつかない。猟奇的で悪趣味な光景に、滅多なことでは動じないカインもさすがにたじろいだ。息を詰め、食い入るようにじっと見つめる。しかし、フィガロは眉ひとつ動かさずに魔法で花と実を消し去り、割いた皮膚を元通りに綴じてしまった。
    「はい、おしまい。これでそのうち目を覚ますでしょ」
    「……目を覚ましたら、こいつ、相当怒るんじゃないか?」
     迂闊な失態で生き返り損ねた上、それをフィガロに助けられたのだと知れば、激怒どころではすまない気がする。だが、目を覚ます前に逃げ出しても、それはそれでかえって怒らせてしまいそうだ。残った魔力の残滓から、ことの次第を推測するのはたやすいだろう。
     八つ当たりで殺されたくはないが、魔法舎を半壊されるのも困る。
    「絶対怒るだろうね。まあそこは、カインが脅すなり宥めるなり、頑張ってみてよ」
     オーエンも、きみのことは殺さないでしょ、たぶん。
     無責任な言葉を放ち、フィガロは席を立った。
    「俺はネロに頼んで、ご機嫌取りのクリームでも貰ってくるから」
     唖然とするカインを残して、フィガロは談話室から出て行ってしまった。面倒な厄介ごとを体良く押し付けられたのだと気付いた時には後の祭りだ。
     カインはソファに座り直し、深くため息をついた。それからテーブルの上に投げ出されたサシェを手に取る。手のひらの上に人騒がせな種を取り出した。
     こんな小さな種子が、北の魔法使いを殺したのだ。半ば自業自得ではあるのだが。
     ならば、いつかはこのちっぽけな自分も、オーエンを倒して片目と矜持を取り戻す日が来るかもしれない。
    「……ん、」
     かすかな呻き声が、カインの耳に届いた。
     どうやら死体は無事に息を吹き返したらしい。白い瞼がぴくりと震えた。
     さて、目覚めた彼に何と声をかけたものか。おはよう、おかえり、災難だったな?
     カインは言葉を探しながら、開かれていく両の瞼を見守った。

    4.発端
     遡ること一時間前、談話室のソファに腰掛けて、オーエンは小さな種子を弄んでいた。《ワルプルギスの夜》で手に入れた魔法の果実の種だ。魔力を吸って育つ果実。甘ったるい実の味は悪くはなかった。恋心を殺すだとかいう与太話がくだらなすぎてあまりに笑えたものだから、つい種を奪ってみたけれど、一晩経つと祭りの高揚もすっかり醒めてしまった。
     恋だの、愛だの、オーエンには関係のない話だ。なぜならこの心の中にそんな余計な荷物はない。何者にも縛られず、トランクひとつでどこへでも行ける。その身軽さ、自由こそがオーエンの誇りだった。
     だから、種を飲み込んだのは気まぐれに過ぎないのだ。万が一、自分の中にくだらない重荷があるならば殺してしまえなどとは考えてもいない。少なくとも、オーエン自身はそう信じていた。
     これは単なる暇つぶし。肚の中で甘い果実を育ててみるのも楽しそうだし。だって、死んだら石になってしまう他の魔法使いにはできない遊びだ。あのオズや、ミスラでさえも。
     そう思えば気分がいい。
     オーエンは微笑みながら種を飲み込んだ。
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    hacca_ss

    DOODLE2022.06.18にUPしたものを再掲()初出:WEBオンリー「謎めく厄災のミステリオ」
    オーエンの死因当てゲームに興じるカインとフィガロ。死体役のオーエンはほぼ喋りません。「泡沫の夜の魔法にかけられて」直後の設定。死体描写(若干グロ)があります。カイオエのつもりで書いてたけどロマラブ感は皆無。
    誰があの子を殺したの1. 事件
     《ワルプルギスの夜》から数日が経ったある日の午後、談話室のソファでオーエンが死んでいた。
     第一発見者は南の魔法使いミチルだ。心根の優しい素直な少年は、ソファに転がった死体に慌てふためいて、医者である師を呼びに行った。相手が常日頃から毛嫌いしている北の魔法使いであることはすっかり失念してしまったらしい。何を考えているのかわからない、不気味でおそろしい魔法使い――《ワルプルギスの夜》を共に過ごしても、その印象はさほど改善されなかったようだが、青褪めた顔をして倒れている仲間を見過ごすには彼は優しすぎたのだろう。
     一方、カインが入れ違いで談話室を訪れたのは単なる偶然である。元々は昼過ぎに魔法舎を出て王都へ向かう予定だったのだが、先方の都合で急遽日程が変更となった。おかげで午後の予定がまるっとなくなってしまったというわけだ。
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