幸あれ「モティさん。……いないのか……」
昼間は開け放たれている玄関をくぐったところで声を掛けたが、お目当ての人物はいないようだった。この時間帯は家にいると言っていたのだが、タイミングが悪かったな。頼まれた資料だけならテーブルに置いておく事も出来るが、シームーンさんからの預かり物もあるため出来れば直接渡したい。
室内を見渡す。昼過ぎのあたたかな日差しが窓から差し込んでいる。部屋はキレイに整頓されているけど所々乱雑に資料が積まれていて、そういうところ、俺は結構好きだなと思う。
キッチンを覗く。ここにもいない。洗われたふたり分の食器が並んでいるだけだ。水滴がパタリ、と落ちた。
「裏庭かな」
ふと思い付いて向かうが、ここでもなかった。剣の稽古に使っているというマシンゴーレムにちょうど日が当たり光っているのが見えた。
元の場所に戻ると、サラマンダーが家の奥の方からふよふよ飛んできた。
「お、ピートじゃねえか」
「やあ。モティさんどこにいるか知らないか?」
「ああ、奥の部屋にいるぜ」
「奥?まだ休憩中かな……ありがとう」
少しだけ躊躇われたが、預かり物もあるし向かってみるか。
「うるさくするなよ」
「ひとの家でうるさくしないよ」
いつもより静かな声で妙にニコニコしているサラマンダーに首を傾げながらも家の奥へと向かった。
短めの廊下には直接日差しは当たらないがさほど暗いわけでもなく、吹き抜ける風が気持ちいい。どこかの窓が開いているのだろう。その部屋にいるのかもしれない。
ドアが開いている部屋に気付き、そこかと思ったところでその部屋からジンが出てきた。流れてきた、の方が合っているかもしれない。
「あれ、ピートだ。モティさんに用事?」
風に乗ってくるくるふわふわしながら、楽しそうに笑う。
「しー、だよー」
すれ違いざまに小声で言うと、上機嫌で流れていった。静かに入れって事だろうが、なんだろう。寝てるのかな。
言われた通りそっとドアをくぐる。穏やかで気持ちのいい風が入る、日差しで明るい部屋だった。ソファーの背もたれの端から頭が見える。あの髪色、モティさんだな。ターバンを外して横になっているようだった。やはりまだ休憩中のようだ。
ふいに髪が動き、モティさんが顔を出す。目が合ったかと思うと、人差し指を唇に当てて優しく微笑んだ。しーっのポーズも様になる。それならと向こうのテーブルに置いておこうかと資料を見せながら身振りで伝えてみる。本人に直接伝えたなら置いておいても大丈夫だろう。しかしモティさんは腕をこちらに伸ばしてきた。渡してほしいらしい。読む気か。休憩中くらいいいのになあ。だがじっと見つめられてしまえば、声を出せない以上反論する方法はなかった。
そうっとそうっと歩を進める。靴音がしないように。床板が鳴らないように。近付くにつれて見えてきたのは、オレンジ頭ともいわれる明るい茶色の髪。毛先が風で柔らかく揺れる。続いて見えたのは少年の背中と、それを支えるように回された腕。
仰向けのモティさんに重なるようにフリックが横になっていた。顔は見えないが眠っているのだろう。なるほど、だからしーっ、か。
手渡しが出来る距離まで近付くと資料を渡した。これはシームーンさんから、と小声を添えて。少しだけ目を見張ってから、モティさんはありがとうございますと同じような小声をくれた。
同じようにそうっと歩き、モティさんの家から出た。太陽の光が全身に当たってあたたかい。でもそれ以上に、体の内側から熱が湧き上がってきてあつい。
見てしまった。踵を返すその一瞬、モティさんのフリックに向ける表情を。とろけそうに甘く優しい顔。溢れんばかりの愛おしさに満ちた眼差し。ふたりの関係は知っていたけど、目の当たりにしたのは初めてだった。モティさん、ああいう顔するんだな。
モティさんというか誰かのあんな表情を見るのが初めてだったからすごく照れる。体を捩らせたくなってしまうくらいに。堪えたけど堪えきれずに、その場にしゃがみ込んだ。
木々が風に揺れる音が耳に届く。
精霊達にも見守られているふたり、か……
その気持ち、分かるなあ。あんなに穏やかで幸せな場面を見ちゃったら、見守りたくなる。こっそりと手助けだってしたくなる。この先もずっと、幸せであってほしいと願う。
おつかい完了の報告がてら、同じくふたりの事を知る彼女にキュンとしましたとでも伝えに行こうかな。