【芸術家は2度】パンの童話【交流】 さまざまな手法でパンを表現した芸術家、ヘルムート・エーベル。
戦争があった時代に生きたにもかかわらず、彫刻、油絵、日本画、陶器などといった多様な分野での作品を遺した彼の存在を知ったとき、櫟結弦は大層感心したものだった。どういった手法であるにせよ、作品を生み出すにはその材料や道具の調達は言うまでもなく、それらを扱う最低限の技術が必須となる。それは、たとえ、国民の士気をあげるためのプロパガンダとして扱われた作品であろうと同じこと。
そんな優れた芸術家であるヘルムートと、同じジョン・ドゥとして出会ったとき、結弦は彼にひとつの頼みごとをした。
「君が手がけた作品たちの制作過程を聞かせてくれないか」
さまざまな知識をもとに言葉を並べ、物語を描いてきた結弦にとって、自身が知らない芸術の世界を知るヘルムートは、強い興味の対象だった。そしてヘルムートもまた、結弦の書いていた童話という分野に興味を示した。
かくして、二人はともに異なる分野の芸術を教え合い、語り合う友人関係となった――のだけれど、
「ヘルムート。君は童話を書くなら、どんなものを書いてみたいんだ? 参考までに、知っている童話を聞かせてくれ」
「そうですね」
感情の起伏を感じ取りづらいヘルムートの青い双眸が、結弦へと向いた。
「どういった童話を、というものはまだ自分では思いつかないですが……ああ、パンを踏む話は知ってます」
「…………」
結弦は黙った。
パンを踏む話といえば、かの有名なアンデルセンが書いた『パンをふんだ娘』のことだろうか。なるほどたしかに、パンを題材に作品を作り続けてきた彼らしいといえばらしいのかもしれない。だが、結弦は自らの顔を片手で覆わざるを得なかった。
「せめて『ヘンゼルとグレーテル』ぐらいであってほしかったんだが」
パンへの執着が並みならないというのに、どうしてよりによって、そちらの童話が彼の口からあがるのか。
とはいえ、ヘルムート自身が未読であるというのならば、ここで結弦がとやかく言ったところで詮無いことである。「まあいい」と、脱線しかけた話の軌道を修正する。
「踏まれたパンも食えなくはないが、パンを題材にするなら、もうすこし有意義な末路をたどらせてやる話でも書いたらどうだ?」
「…………」
今度はヘルムートが黙る番だった。
「私の凡庸な発想では道筋を得るのはむずかしいですが」
「だろうな。君が考えている顔を見て嫌な予感はした」
こぼれそうになるため息をこらえ、結弦はヘルムートに改めて問いかける。
「君の好きなものは?」
すると、今度はすらすらと答えが返った。
「激しい雷雨、すずやかな夏の風、しめった地面と深い森、澄んだ夜半の満天の星、どこまでも広がる地平線……」
しかし、結弦はわずかな違和を覚えた。
――激しい雷雨。
一見おだやかそうに見えるヘルムートが好むものとして、それは結弦にとって意外なものだった。だが、人間というものは往々にして腹に一物を持っているものだ。芸術家ともなれば、なおさらだろう。そう考えて、結弦も深く追求することはしなかった。人の印象は千差万別だ。彼が抱く雷雨への印象と、結弦が抱くそれが同じだとも限らない。
「わかった。なら、次はそれらをパンとつなげてみるんだ」
「えっ」
「発想は柔軟であればあるほどいい」
結弦がつけ加えると、ヘルムートは眉間にしわを寄せて考え始めた。
空に浮かぶパン、地面から生えるパン、パンに森、地平線のパン、おまえはクロワッサン――
「パンが自然に自生するわけがない」
突如として床に倒れこんだヘルムートを椅子の上から見下ろし、結弦は一周回って感心した。
「君、ほんとうにパンが主役になるんだな」
ヘルムートがパンの童話を書けるようになる日は、きっとまだ遠い。