嵐の前の静けさ…?幻妖界にいる妖怪達は力を使い過ぎると心が砕け死ぬまで暴れ狂う。そんな話を前に聞いていた。…聞いてはいたし、今までもそんな光景を見てきた。目の前にいる妖怪もそうだと思っていた。
蒼空がよく知る妖帝の姿、暴走した半身。返り血がまだ新しいのか月の光に照らされて光り、その匂いはまだ新しく生の匂い。
それを拭うことなく妖怪の左目は蒼空を捉えていた。
(真夜中は危険と言われてたのに…言うことを聞けばよかった…!近道で森を通れば早く帰れると思って…)
「他のことを考えるたぁ、随分と余裕だな」
低い声の直後一気に距離を縮められ、背後にあった木の幹が背中に当たる。
目の前の妖怪…ぬらりひょんはとてもよく知っている。だがその顔を、その目を蒼空は知らない。
「あ、の…怪我、ですよ、ね?」
「心配してくれるのか?お前は本当に優しいな…」
目を細めてそっと血塗られた手が蒼空の頬を撫でる。乾ききっていない血がべっとりと蒼空の頬を赤く染める。
「だが、お前は優しすぎる。だから襲われやすい。現にお前は目をつけられていたしな 」
「っ、もしかしてその血…誰か僕の後ろをついてきたてたんですか…!?」
「お前は何も知らなくていい」
「っ…!」
触れてきた手も紫の左眼も、とても冷たい。でもどこか昂るものを感じる。殺戮した時のもの…それがまだ残っているかのような。
「…今度は僕を殺す気ですか?」
「それもいい…が、亡骸のお前を置いてもつまらねぇな」
「…はい?…貴方は僕のこと憎いんじゃないんですか…?」
花魁ノ國で裏切り者と言われ、救い主と分かると誰だと聞かれた。それ以降蒼空が1人の時に数回ほどばったり会ったことはある。会話こそほとんどなかったが好印象じゃないのはよく分かっていた。だが、今目の前にいるぬらりひょんは蒼空がよく知る御館様と変わらない気がした。
「確かにお前は憎い人間… がそれ以上にお前を愛しく感じる。その目も生き様も、お前が持つ本当の姿も…一目会ってからこびり付くように記憶に残り、今ではお前が愛しく感じるんだ」
だんだん低く聞こえるその声で放たれるのはまるで告白のようだ。
「そんなお前を欲して悪いか?お前の害悪になるものを殺して悪いのか?周りにいる奴らは邪魔だ、俺だけいればそれでいい」
…告白、と思っていたがその放つ言葉は歪んだものとハッキリとわかった。
「僕も…御館様は好きですよ。でも…いつも一緒にいるあの方が僕のよく知ってる方です」
「俺も彼奴も同じぬらりひょんだ。半身だが偽物じゃない 。それとも、暴走の俺の手は取れないか?」
「そんなことは…!僕は救い主です!貴方もあの方の所へ戻れるように…」
「戻れるように?再び一人の妖怪に戻す気か?…諦めろ、俺と彼奴は同じ存在だが記憶も意識も別々だ。お前の言葉は俺が居なくなればいいともとらえられる」
「違います!僕はどちらも救いたいんです!」
「どちらも、か。残酷な程に優しいな。1度離れた半身が自我を持っている。それを元通りに出来るのか?そこまで彼奴の方がいいのか?………彼奴がいなくなれば、お前は俺を見てくれるのか」
「だっ、駄目です!」
刀を抜く動作を見た瞬間、蒼空はその手を止めた。
「僕の考えは甘いです…どちらも救いたいなんて、無理かもしれません。貴方は貴方として生きてきたんですから」
「……」
「…僕は、あの人が好きなんです!だから、殺さないで下さい…!それでも殺そうと言うなら、僕は貴方を、許しません…!」
「…それが蒼空の答えか」
刀を納め満足そうに蒼空を見つめる。
「その答えではなく迷いがでれば今頃お前の意見聞かず奪い去っていた」
「…本当に、しないですよね…?」
「…本当はその前に邪魔者を殺した昂りで奪いそうになったが、興が冷めた」
「僕からしたらそれはそれで助かるんですが…」
「誰がお前の興味が無くなったと言った。寧ろ容易く堕ちず一途な所、益々愛しくなった」
「いちっ…!?」
咄嗟にでた本音だがいざ思い返した蒼空の顔はみるみる赤くなり、反対にぬらりひょんの顔はみるみる不機嫌になる。
「…やはりただ帰すのは不公平だ」
「へっ?」
ぬらりひょんは自身の仮面を取り蒼空の顎を掴み口を塞いだ。突然のことに動けず驚いて開いたままの口に熱くて大きい舌が入り小さい舌に絡みついて犯していく。
「んっ…ぷはっ、まっ…んむっ」
胸を押し突き離したがまた塞がれる。今度は後頭部を手で押えられながら、黒い髪をかき分けられさっきよりも激しく、口の端から涎が溢れる。酸素も回らず頭の中もぼやけて漸く離れた時には…
「…口吸いだけでもう蕩けてるのか…?」
「…ちが、います…っ」
「…全く抵抗には見えねぇなぁ…あぁ、それと、その石にも細工させてもらった。これで俺が本気だって嫌でも分かるだろうしなぁ………俺がこうだからな、彼奴も相当独占欲が強いはずだ…精々足掻けよ」
「…は、い…?」
酸素を取り込むことに集中してぬらりひょんの話、最後の言葉が聞き取れなくて聞き返そうとしたが黒い煙を纏って消えてしまった。
やっと、終わった…抵抗できなかったけど…酷い目に遭わなくてよかった…
緊張の糸が切れてその場に崩れるように座り込んだ。まだ、舌の感覚が残っている。
他人であれば嫌悪感があったが、恋仲の半身だからか反撃ができなかった。
少しすると白い煙が現れ、そこから出てきたのは…蒼空がよく知る顔と目の男。
「…おやかた、さま…」
「誰にやられた」
安堵もつかの間、ぬらりひょんは蒼空の頬に付いた返り血を拭い問いただしてきた。
「僕は大丈夫ですよ…?」
「じゃあ何で髪が乱れてるんだ?それに顔が………あぁ……」
髪を撫でていた時、何かを察したのか石に触れ眉間に寄った皺が更に深くなった。
「俺の半身にやられたのか」
「……はい…で、でも本当に酷いことはされてないですよ!本当です!寧ろ後を追っていた妖怪から守ってくれたみたいで…やり方は良くないですが…」
蒼空の説得(?)を黙々と仏頂面で聞いていたが長い溜息をつき、ぬらりひょんは座り込んでいる蒼空の手を引いて立たせた。
「…帰るぞ。帰ったら上書きするからな………彼奴の元には行かせねぇ」
「はい………はい?」
上書きという言葉に首を傾げたが、最後の一言がどこか怖くも感じてその意味を聞けなかった蒼空だった。