救恤の極光の下で「……ただ今戻りました、メレフ様」
リベラリタス島嶼群、イヤサキ村。星空にオーロラの煌きが広がっている、ある夜の事であった。
恋人にプロポーズをするため、レックス一行に手助けを求めた依頼人の様子をレックスと共に見届けて戻ってきたカグツチは、一足先にコルレル宅へ帰っていたうちの一人である主人の名を呼びその扉を開いた。
「ああ、カグツチ。どうだった?」
名を呼ばれたメレフは顔を上げ、己のブレイドへと向き直る。就寝の準備をしていたのだろう、彼女は普段の重厚な軍服から質素なシャツへと着替えていた。帽子の中にきっちりと収められていた黒髪も解かれ、ゆるく背中へと下ろされている。
カグツチは見届けた結末をごく淡々と告げた。
「そうですね、予想通りでした。……彼らはきっと上手くいくでしょう」
「そうか、ならば手伝ったかいがあったというものだな」
メレフはカグツチのその言葉に顔を綻ばせた。その笑顔に向け、カグツチも頷く。それと共に、先程まで傍らにいた少年に投げかけられた問いに焦りを見せて自分に助けを求めてきた主人の姿を思い出し、つい笑い声を漏らした。
「……ですが、メレフ様……ただ思ったことを答えるだけでしたのに。あそこまで悩むこともなかったのでは?」
その悪戯っぽいカグツチの問いかけに、メレフはつい先刻の出来事を思い返し、その時と同じように少し顔を赤らめて動揺を示した。
「し、仕方ないだろう……!レックスにあのようなことを尋ねられるとは思っていなかったのだ。私などよりまともな回答が得られる者が他にもいただろうに……」
そこまで言うとメレフはどうにも照れ臭さを隠し切れないといった様子でため息を漏らす。そして納得がいかないといった様子で、何故私が……、とぶつぶつ呟きながら顔を俯けた。
依頼を手伝うためその場にいたレックスの仲間達の中で彼らに一番興味を示していたのはサイカだった。他にもヒカリやニア達も付いており、皆それぞれ依頼人やその問いに興味を抱いていたようだった。だが、レックスは『オーロラの見える絶景ポイントでプロポーズされた女性はどう思うか』という問いを、メレフへと向けたのだった。メレフはどうにもそれがこそばゆく思えたらしく、回答に困った揚げ句彼女のブレイドに手助けを要求したのだった。
「……確かに。こういった話題はヒカリやサイカの方が適任でしょうね」
「そうだろう。どう考えても私は適任ではない……なのに……」
メレフはレックスが何故自分に問うたのか、どうしても得心がいかないようだった。しかしカグツチはその時の少年の様子を思い出し、やんわりと言葉を紡ぐ。
「……きっと特に理由などありませんよ。全てのことに理由があるとは限りませんから」
「……はあ、そういうものだろうか」
「そういうものです」
そう言いながらカグツチは寝台に座っていたメレフの横に腰掛ける。メレフはその隣に寄り添った己の従者の顔を少し気まずそうに眺め、それからふと思いついたように口を開いた。
「……カグツチも、あの景色を美しいと思ったか?」
「え?」
メレフの問いに、今度はカグツチが不意を突かれた。カグツチは先程の神渡しの島の風景を頭に思い浮かべ、ふむと考え込んだ。
「……景色、ですか?そうですね……、あのオーロラは見事でした。リベラリタスは星も美しいですし、時間さえ許せばゆっくり楽しんでみたいものです」
「そうか」
そのカグツチの答えに、メレフの声が弾む。
「──私もそう思う」
武装の解けた炎の輝公子は、傍らにある帝国の宝珠に向けて目を細めて優しく微笑んだ。
「──……」
その柔らかな表情を向けられたカグツチの呼吸が一瞬だけ止まった。ほんの少しだけ脈拍が上昇したような感覚を覚え、カグツチはそれを紛らわそうとそっと拳を握り胸を押さえた。
先程のレックスの言葉が頭に蘇る。
──もしも。
そう、いつか訪れるかもしれない、『もしも』の話。
『それ』を思い浮かべた瞬間、あの時のカグツチはレックスへの返答に言葉を詰まらせてしまった。
そんな小さな不機嫌を彼の前で露わにしてしまったことを、カグツチは恥じていた。それにレックスが勘付いていたかは見て取ることができなかったが。
だからその時のカグツチは、先にメレフ達がイヤサキ村に戻っていて良かったと安堵してしまった。そんな幼い内憤を、長い時を共に過ごしてきたメレフには見られずに済んだのだから。
カグツチは胸に当てていた手のひらを解くと、そっと傍らのメレフの手を握った。
「……メレフ様。今日は彼らのためにあの場所へ向かいましたが、あの美しい景色をゆっくり見てみたいと思いませんか?今度私たちもオーロラを見に行きましょう。今回は先客がいましたが、今度は……二人で」
「二人で?」
「はい、二人で。……いつでも構いません、また皆とリベラリタスに訪れることもあるでしょうし、旅が終わった後でも良いかもしれません。でも、いつか」
メレフはその言葉にぼんやりと思いを巡らせる様子を見せた。そしてしばらく視線を彷徨わせると、メレフはカグツチに向けてゆっくりと頷いた。
「──……そうだな。いつかまた見に来るとしよう」
その言葉に、落ち着きかけていたカグツチの脈拍が再び上昇する。心の底に小さく燻っていた取るに足りない感情がくるりと裏返って、彼女の内を温かく照らした。カグツチは思わず、メレフへと問い返してしまった。
「本当、ですか?メレフ様……」
メレフが首肯する。重ねられていた目の前の者の手のひらを握り返し、そして彼女は変わらぬ笑みのまま再びカグツチへと静かに語りかけた。
「ああ、必ず。……その時が楽しみだな、カグツチ」