「行ってきます」
「はい、行ってらっしゃい」
いつもより少しだけ遅めの時間に玄関扉を開けたあんずさんは、微妙に目を合わさず、でもきちんと挨拶をして出ていくんだから律儀だ。そんなところも好きだな、と思ってしまうけど、多分恐らく、これは少し反省をした方がいいヤツな気がする。
あの後、結局ブレーキをかけられなかったオレは、あんずさんが蒔いたタネを口実に花を咲かせて実を結ぶ、までいってしまった。……いや、ちょっとこれはあんまりな表現か。
とにかく、いつも通りに仕事をこなして帰ってきたあんずさんが疲れて眠ってしまうほどまでやっちまったから、ちょっと反省してたんだけど。案の定と言うかなんと言うか、目覚めたあんずさんは若干の不機嫌で──それでも一緒にご飯を食べて、そこそこ普通に話をしてくれて、挨拶もしてくれたから、完全に怒らせてしまったわけではなさそうだった。だからと言って調子に乗って、それこそ怒らせたり嫌われたり、ましてや別れ話をされる、なんてことは絶対に避けなきゃいけない事態だから、やっぱり反省しなきゃなんねぇですよね。
なんて一人で思っていたのが今朝のこと。
今日の仕事は午後からで、それもユニットメンバーだけでミーティングをした後に新曲のダンス合わせ、というゆるめのスケジュールだった。
「お疲れさんです」
「あ、ジュン。お疲れ様」
「ジュンくん、遅いね! ぼくより後に来るなんて、どういうつもり?」
「はぁ? まだ集合時間前でしょうがよ。あんたにぶつぶつ言われる筋合いねぇと思うんですけどぉ〜?」
挨拶をしながら入室すれば、ソファに座ったナギ先輩とおひいさんに出迎えられた。……まぁ、挨拶もそこそこに非難されたんじゃあ、「出迎えられた」って気はしねぇけど。
「そんなことは関係ないね。きみはぼくの下僕なんだから、場を整えて置くのが当然だよね? きみが早く来なかったせいでこの部屋、とっても寒かったんだからね?」
「いや、前から言ってますけど、オレはあんたの下僕になったつもりはないんですけどねぇ」
「ふふ。確かに最近めっきり寒くなったから、この部屋も冷えていたけれど……でも日和くん。そのおかげでこのお菓子、溶けずに済んだみたいだから」
相変わらず理不尽を押し付けてくるお貴族サマの話を流せば、ゆったりとした調子でナギ先輩が口を開く。その視線の先、テーブルの上の皿に乗った赤い包装を見て昨日のことを思い出したのは、完全に不可抗力だった。
「っ、」
「……ああ、ポッキーね。ジュンくんがキメ顔で踊っていたやつ」
「あのCM、随分話題になっていたよね。そう言えば、昨日はポッキーの日、だったみたい? だからここに置いてあるのかな……って」
「……ジュンくん、今すぐその気色の悪い顔をやめて欲しいね」
頬を染めながらしぇあはぴ、なんて言って誘ってきたところから、涙目でされるがままになっているところまで一気に思い出したオレは、さすがに酷い顔をしている自覚があったから。オレにしては珍しく素直に、不愉快そうに眉をひそめるおひいさんに謝罪を口にした。