Sweet butler(砂翔)「うわ〜……すげえ似合う……」
「もういいか?」
「いや、待て。前髪アレンジしたい。編み込みとオールバック、あ、分け目変えてもいいかも。お前、どれがいい?」
「どうせどれ選んでも全部やるんだろ。好きにしろ」
ふん、と鼻を鳴らしてソファーに踏ん反り返る砂月は、態度だけは通常運転だ。
だけど、そんな砂月が今纏っているのは黒の燕尾服。しかもモノクルのおまけ付き。
これは砂月の双子の兄貴・那月が少し前ドラマで使っていた衣装……のレプリカだ。那月が役作りのため、常に燕尾服を着て生活をしたいと言い出し、それを弟のこいつが手製したんだ。そう、手製だ。モノクル含めて。
砂月は那月のためになるならどんなことでもやる男で、しかも未経験のことでも那月のためなら短期間で習得してしまうという破格の才能を持っているせいで、何でもできると言っても過言じゃない。ただし、那月絡みでないとやろうとしないから、砂月のすごさを知っているのは、多分那月と『一応恋人』の俺だけだ。
まあ、それはともかく。何で砂月がこの衣装を着ているかって言うと、バレンタインデーのお返しのためだ。
……俺じゃなくて、那月への、な。
『僕、ドラマではずっと給仕する立場だったから、逆の立場も体験してみたいなあって思っていたんです。だから、今年お返ししてくれるなら、執事のさっちゃんに給仕されるのがいいなあ』
と、ほわほわの笑顔で那月が告げた時は、俺も砂月と揃ってポカン、としちまった。
那月のお願いを断る砂月じゃないから、もちろん即オッケーを出していた。このブラコンめ、と砂月の作ったオムライスを食いながら俺はひっそりやさぐれていた。
でも、ホワイトデーまで後一週間、と迫った昨日。俺が仕事から帰るなり、砂月から『練習台になれ。ついでにコーディネートも頼みたい』と突然頼まれたんだ。
那月の執事になりきるための練習台とはいえ、砂月に給仕してもらえる上にコーディネートまで任せてもらえるってのは俺にとって美味しすぎる話だ。もちろんオッケーして、早速今日、こうして『那月の専属執事・砂月』のコーディネートからさせてもらってんだけど――。
「……オイ、いつ終わるんだよ」
「っち、ちょい待て! 前髪候補、オールバックか分け目変えに絞ったから! あとはどっちにするかなんだけどさ……お前、どっちがいい?」
「ンなのどっちでもいい。さっさと決めろ」
「よくねーよ、前髪だけでも大分雰囲気変わるんだからな! どっちも男前なのは保証してやるけどさ、やっぱお前の意見をある程度は反映させてえんだよ。あ、那月が好きそうな方ってのはナシだぞ。あいつもどっちのさっちゃんもカッコいいよって絶対言うから」
砂月が言いそうな事を先回りして言えば、派手な舌打ちを返された。
「……じゃあ、お前と同じで」
「だーかーら! 俺じゃ決めらんないって言っただろ」
「そうじゃねえ。お前と同じ分け方にしろって言ってんだ」
「俺と?」
思ってもみなかった言葉に俺が目を丸くすると、砂月がふん、と鼻を鳴らした。
「お前と同じ髪型なら、那月も喜ぶだろ」
「って、やっぱり那月で決めてるじゃねえか!」
「それに、そっちの方がお前にコーディネートしてもらったって感じがするから、それがいい」
砂月の少しボリュームを落とした声で告げたそのセリフを聞いて、不覚にもきゅんとしてしまった。
那月のことばっかりな砂月だけど、何気なくこういうこと言ってくれると、「あ、俺のこともそれなりに愛してくれてるんだな」なんてちょろいことを思ってしまう。ほんと、単純だけどさ、そんな砂月に惚れ込んじまってるからしょうがないよな。
俺とお揃いの前髪と赤いピンをつけた『執事砂月』は、思わずため息が出るくらいかっこよかった。
やべえな。ただでさえ執事姿ってだけで強ェのに、髪型が俺とお揃いというオプションまで付いちまうと、胸も腹もいっぱいになっちまう。
「ニヤニヤしながら人の顔見ンな、クソチビ」
「いや、これはにやけても仕方ねえだろ。マジでかっこいいし。いや〜、いい仕事したわ」
できたてほやほやの砂月をじろじろ見ながら俺が満足げに頷いていると、奴は大きな舌打ちをして突然立ち上がった。
「オイ、ご主人様。ニヤニヤ見てねえで、さっさと命令しろ」
「え、も、もう始めんのかよ?!」
「何のためにこの格好したと思ってんだ。コーディネートだけで満足してんじゃねえよ。ほれ、命令しろ」
「め、命令って……つか、執事の癖に態度でかくねえか?」
「うるせー。さっさとして欲しいこと言えっつーんだよ。じゃねえと勝手にすんぞ」
格好は完璧執事なのに態度が執事の「し」の字もない。いや、まあ、しおらしかったら砂月っぽくなくてすげえ調子狂うけどさ。
命令しろって言うけど、何も考えてなかったからすぐに思いつかねえな。一応練習台だから、俺は那月になったつもりで命令した方がいいのか?
「あー……じゃあとりあえず紅茶を淹れてもらうか」
「つまんねえ命令だから却下」
「は?」
「紅茶を淹れることに関しちゃ那月が一番だ。それは那月に頼んどけ」
「い、いやいやいや?! じゃあお前は何すんだよ?! 執事だろ?!」
「ンなつまんねえ命令じゃなくて、もっとあるだろ。この俺がお前に奉仕してやるって言ってんだからよ」
マジで執事する気ねえぞ、この執事。腕を組んで睨む態度からして、全然執事じゃねえけど。
「じゃあ、どんな命令だったらやってくれるんだよ」
「……少しくらいない頭ひねりやがれ、頭ん中までミニマムかよ」
「ちげえよ。どうせお前のことだから、何言ったところで却下するだろ。なら、最初から聞いた方が早……」
俺がそう言いかけた時、砂月の仏頂面が一気に近づいた。
「お前は俺の恋人だろ、一応」
「え」
「なら、色気のある命令しろよ。奉仕し甲斐がねえだろ?」
目と鼻の先にある翡翠色の目が細くなり、ふ、と砂月の笑いを含んだ吐息が、ぽかんと開いた俺の唇を撫でる。
その途端、唇だけじゃなく頰にもじりじりと焼け付くような熱を感じて、思わず視線をそらしてしまった。
「普段は恋人なんて言ってくれねえ癖に……ずりぃぞ」
「普段『もっと恋人扱いしろ』言ってる癖に、照れてんじゃねえよ」
「そうだけどさ……」
「で? ショウチャン様は何がお望みなんだよ。早く言え」
砂月の声がさらに近づいてくる。ますます頰が……って言うか顔全体が火照る中、俺はぎこちなく視線を向けた。
那月に奉仕するための練習台とは言え、今の執事砂月は俺だけのもの。そう思うと羞恥心を乗り越えて素直な感情が溢れてきて、砂月の吐息にしっとりと濡れた唇を開かせた。
「いつもより甘いキス、しろよ」
「上出来だ、ご主人様」