大佐軍服「レオ」
声をかけると、レオ、と呼ばれた人物はびくっと体を震わせて振り向いた。
声の主が分かった途端、ほっとしてふんわりと笑顔を見せた。
「レグルスおにいさま」
「そこで何をしているんだ?」
レオは、家の庭のガゼボの隅っこで小さく蹲っていた。
手元には、何かの絵が描かれたスケッチブックと、短い色鉛筆。
「また絵を描いていたのか。お父様たちに見つかったら怒られるぞ」
「ごめんなさい…でも、きれいなことりがいたんです」
ほら、あそこ…と言ってレオが指を指した先には、綺麗な水が流れる噴水しかなかった。
レグルスが首を傾げると、下から弱々しい声が聞こえてきた。
「で、でもさっきまでいたんです…」
スケッチブックを抱えてしょんぼりしているレオの頭を、優しく撫でた。
「ふふ、お前のことを信じていないわけではない。どんな小鳥がいたのか、見せてくれないか」
手を差し出すと、レオはおずおずとスケッチブックを渡した。
「ほう…良く描けているな」
スケッチブックには、青い小鳥がいくつか描かれていた。
噴水で水浴びをしたり、水を飲んだり、仲間と戯れたり、色んなシーンが描かれていて、レオの観察力にはいつも驚かされる。
そしてなんといっても小鳥の羽が一つ一つ丁寧に、瑠璃色のグラデーションで塗られていること。
流れるような羽根の描写に、確かに生命を感じる。
まだ幼い子どもなのに、描写力も優れていて、写実的に描いている。
きっとこれから先、絵の道を突き進んでいくことだってできただろう。
「本当に、レオはすごいな」
「えへへ。ありがとうございます」
レオは白い頬を赤くして、照れくさそうに微笑む。
レグルスは、レオの笑顔が好きだった。
自分だけに向けてくれる、この優しい笑顔が。
家族の中で唯一、弟のレオだけがあたたかい眼差しを向けてくれる。
愛しさが込み上げて、レグルスはレオを抱きしめた。
「レオ、その色鉛筆もうすぐ無くなりそうだな。またこっそり買ってきてやろう」
「ほんとうですか…!?ありがとうございます、おにいさま」
レオの小さな手が背中に回ってくる。
あぁ、あたたかいな…
ずっと2人でこうしていたかった。
「ぐっ…!」
「どうしたレグルス。さっさと立て。ここが戦場ならばお前はとっくに死んでいるぞ」
「はい、お父様っ」
震える両脚になんとか力を込めて、立ち上がる。
「ッ!」
立ち上がった瞬間、背中に一撃を食らってしまい、また地面に叩き付けられた。
上を見上げると、木製の切っ先が鼻の先に向けられた。
「レグルス、俺が今まで教えてやったことを忘れたのか?お前には期待しているのだ。俺の期待を裏切るな」
「はい、申し訳ございません。お父様が寝る間も惜しんで稽古をつけていただいていること、誠に感謝しております。必ずや立派な戦士になります」
「ふん、その志を忘れるな。恩を仇で返すなよ」
カランと木製の剣が地面に放り投げられる。
レグルスはすぐにそれを拾って、脚を引きずりながら物置へと向かった。
剣を磨いて、綺麗に片付けて、自身の服と体を綺麗に洗っていると、あっという間に日は落ちた。
「はぁ…」
身体中が痛くて、何もする気が起きなかった。
レグルスは、1人部屋のベッドで横になったまま動けなかった。
しばらくすると、トントンとドアをノックする音が聞こえてきた。
どうぞ、と言うと、ドア越しから母の声が聞こえてきた。
「レグルス、お食事の時間なのに何をしているの?お父様もそろそろお勤めから帰ってきますよ」
「…申し訳ございません。ただいま参ります」
痛む体をなんとか起こして、ドアを開けると、優しそうな微笑みを浮かべた母に抱きしめられた。
「お母様は、レグルスのこと信じていますよ。誰よりも強く、優しく、立派な人に育ってくれることを」
「…はい、お母様」
「ふふ、いい子ですね。お母様はレグルスのことをいつも見守っていますから」
…あたたかくない。
上辺だけ母を演じているこの女性には、全くあたたかみを感じなかった。
なんの温もりも感じない抱擁が終わると、母はレグルスの手を引いて歩き始めた。
「今日はお父様の部下の方々もお食事にいらっしゃいます。ですから、絶対に失礼のないように」
「はい」
レグルスは、手を引かれて母の後ろを小走りでついていく。
母はこちらを見向きもせずに、食堂の扉を開けた。
後から知らない人がたくさん入ってきて、食堂は一気に賑やかになった。
わいわいがやがやと話し声が反響する。
父が最後に入ってきて、食事前の挨拶をする。
そしてようやく食事の時間が始まった。
レグルスは憂鬱な気分を顔に出さずに、目の前の料理を食べた。
「どう?レグルス。お口に合ったかしら」
「はい。美味しいです」
「ふふ、良かった。また作りますね」
きっと美味しいのだろう。
味なんてしない。
でも、全部食べないと母は悲しそうな顔をするのだ。
無味無臭のゴムのようなものを咀嚼して飲み込む。
「なぁレグルス坊ちゃん?また学校の実技試験で1位を取ったんだって?すごいなぁ」
「ありがとうございます。お父様にご教授いただきましたから」
「偉いねぇ。うちの子も見習って欲しいよ。うちの子なんか座学も実技も平々凡々なんだから。絶対出世できないよ」
「ふふ、そんな。見習うなんて。お子様も基礎ができているなら、大丈夫ですよ」
「優しいなぁレグルス坊ちゃんは」
この国の子どもたちは、みんな軍人に育てられている。
昔から、お国のために戦うことが一番の名誉だった。
誰よりも強くて、みんなから頼りにされて、みんなを引っ張っていけるような立派な軍人になることがみんなの夢であり憧れだった。
レグルスとレオの父は、そんなみんなの憧れと尊敬の的。
30代後半で大佐にまで昇りつめ、現在は大将に成り遂げたのだ。
「はぁ〜素晴らしいですね。うちにもレグルス坊ちゃんのような子どもが欲しかったよ」
「はは、まだまだ未熟だぞ。教えなければいけないことは、これからもっとあるからな」
「大変ですね。お勤めもありますのに」
「これも父親としての勤めだからな」
「本当に素晴らしい方です。こんな素晴らしい方に育ててもらえるなんて、光栄なことなんですよ。レグルス」
「はい、毎日感謝しております」
レグルスが父に微笑むと、父は満足気に笑ってワインを呷った。
食事が終わって来客が帰ると、レグルスは母と一緒に片付けをした。
レグルスはお皿を洗いながら、レオのことを考えていた。
弟はさっきの食事の時間にはいなかった。
今日は来客があったから、部屋から出ないように鍵を掛けられているのだろう。
きっとお腹を空かせて、寂しくて泣いているかもしれない。
あとで食べ物を持っていこうと、こっそりチーズとパンを懐に仕舞っていた。
さっと洗いものを済ませると、母にお礼を言って、弟の部屋の鍵をこっそり取って食堂から出る。
弟の部屋は、薄暗い廊下の先にある物置のような部屋だ。
元々は今のレグルスの部屋に2人で入っていたが、2人が成長してからは母が一人ずつ部屋を分けた。
子ども同士でずっとひっついて甘えないようにしたいのだろう。
それに…
弟は、愛されていなかった。
少しの差なのに、双子だからそれが強調されてしまうのだろうか。
兄であるレグルスは、幼い頃から成長が早く、物覚えが良かった。
優秀なレグルスは、まわりからもすぐに認められて、同時に両親からの期待も高まった。
しかし、弟のレオはいつも兄と比べられていた。優秀な兄を持つのに、飲み込みは遅い方で、兄の成績を越すことは無かった。
それでも優秀な遺伝子はあるので、時間をかけて学習すれば、周りよりも優れているはずなのだ。
しかしそれが悪い方向にいく要因にもなった。
兄と比べたら大したことは無い成績。それなのに周りよりも少し上で。妬みの対象だった。
いや、本来なら兄に向くはずの妬みを、弟に向けているのかもしれない。
両親も、弟を見捨てた。
弟がどれだけ優秀だったとしても、兄には及ばない。
それをまわりにひそひそと陰口を言われるのが恥ずかしいのだろう。
だからいつしか弟は極力隠されるようになった。
しかし弟がいることは、周知の事実だったため、両親は完全に弟を無視することはできないようだった。
だから、稽古もある程度つけて教育もする。
それでも今日みたいに忙しい日は放ったらかしにされてしまう。
「……」
レグルスは、この家のことが嫌いだった。
嫌な感情が渦巻いて、さっきの食事を吐きそうになるのをぐっと堪える。
チーズとパンを手に持って、薄暗いドアの鍵を開ける。
「レオ、入るぞ」
「おにいさま…」
レオは小さな机に突っ伏していたが、顔を上げて慌てて目を擦った。
やっぱり、泣いていたのだろう。
レグルスは、小さな木製の丸椅子を持っていって、レオの隣に座った。
「こら、擦るな。目元が腫れてしまうだろう」
「ご、ごめんなさい」
ポケットからハンカチを出して、レオの涙を拭く。
「ほら、遅くなってしまったが、ご飯を持ってきた」
「…!ありがとうございます」
レオは嬉しそうにパンとチーズを手に取って、少しずつちぎって口に入れた。
「すまないな…これだけしか取れなくて」
「い、いえ!…ごほっ、ごほ」
食べている時に話しかけてしまったからか、レオはむせてしまった。
レグルスは部屋に常備している水をコップに注いで、レオに差し出した。
「んく……ぷはっ、ごめんなさい…」
「いや、こちらが話しかけてしまってすまない。俺はもう行くから、ゆっくり食べ…」
立ち上がろうとすると、何かが服の裾を引っ張っている。
「あ、ご、ごめんなさい…」
レオは慌てて手を離して俯いた。
「レオ」
名前を呼ぶと、ぴくっと反応して顔を上げる。
酷く寂しそうな顔をしていた。
綺麗な星空の瞳が揺れていて、今にも涙が溢れそうだった。
ふっ、と微笑んで安心させるように頬を撫でた。
「そんな顔をするな。そうだ、今日は一緒に寝ようか」
「え!いいんですか?」
大きな瞳がさらにまんまるになって、レグルスを見つめた。
「今日はもう用はないからな。では、寝る準備をしてくる」
「はい!ありがとうございます」
去り際にレオの頭を撫でると、あの大好きな微笑みを向けてくれた。
「ふふ、おにいさまとねられるなんて」
「少し前までは、こうして一緒に寝ていただろう?」
「でも、ひさしぶりだから、うれしいんです」
えへ、とレオは笑ってレグルスに体を寄せた。
「おにいさま…あたたかい…」
レオはレグルスにぴったりとひっついて、うとうとと目を閉じた。
「レオ…」
そっと背中に手を回して抱きしめると、レオものろのろとレグルスを抱きしめた。
髪を梳くようにレオの頭を撫でていると、規則正しい寝息が聞こえてきた。
「…」
こうして抱き合っていると、今日の疲れが、嫌な気持ちが、全部レオに吸い込まれていっているようで、気持ちが良かった。
そしてレオからは、愛おしいという気持ちだけが流れ込んでくる。
どうして、レオはこんなにも純粋で、慕ってくれるのだろう。
虐げられる原因のレグルスにもきっと思うところはあるはずなのに。
でも、レグルスの腕の中にあるのは、空っぽの愛ではない、本物の愛。
ぼんやりとした意識のなか、レグルスはレオの瞼にキスを落とした。
たとえお前が、誰にも見向きもされず、独りぼっちだとしても、
「お前のそばには俺がいる」
この愛を手離したくない。