レンズ古いテレビのガラス画面に白黒映画が流れる。 意味深長な音楽とともに主演俳優がすべての真相を明らかにする映画のクライマックスが真っ最中だった。 テレビの横の壁にはセピアトーンの新聞スクラップが貼られていた。 大きな見出しで行方不明事件の捜査終結を知らせる1面には、映画と同様に白黒の写真が大きく掲載されている。 黒い水の上に白く浮かんだ服が撮られた写真だった。
その日、国境近くの田舎の川辺の風景が、そしてそこに押されてきた服がどんな色だったのかAは知らない。 Aが新聞記事で読むことができたのは「重要な」内容だけだった。 その服が失踪する前にラインハルト·ハイドリヒが最後に着ていたという証人たちの交差検証のことだ。
死体はついに発見されなかった。 捜査を促す遺族もいなかったため、再び新聞1面を飾ることで当代最高と呼ばれた大俳優の失踪事件は幕を閉じた。 失踪届が受け付けられる前日、ラインハルトが映画撮影を終える記念パーティーに参加したことを勘案すると、おそらく酒に酔ったまま川の近くを通りかかったために起きた悲劇的な事故ではないかというデマで必要なだけの真相は作られたわけだった。
川の上に大俳優の服が浮かんだ日から3ヵ月が過ぎた後、彼の遺作が編集を終えて世の中に出てきた。 それがまさに今Aが見ている、内容を全部覚えるほど回してみた映画だった。 画面の中のラインハルトはまるで目の前に生きているかのように躍動感があって美しかったと評論家たちは口をそろえて言ったが、比較対象を当初見たことのないAにできることは黄金色のたてがみを長く伸ばした男を白黒フィルムの上に想像してみることだけだった。 古い新聞記事が実に黄金だと表現していた光は、今は陰影の染みとして残っている。
しかし、Aは内心、今生きている誰もAと事情があまり変わらないと確信した。 ラインハルト·ハイドリヒが姿を消して61年が過ぎた。 Aが生まれる前に現場でラインハルトに会った彼の同僚、あるいは子役俳優が何人かは残っているかもしれない。 それでも人間である以上、絶えず重ね塗りされる記憶の一番下で初めて見た場面そのままを取り出すことは不可能ではないだろうか。
でももし、いざという時の話で…… 。ラインハルト·ハイドリヒを見た後、他に何も目にしたことのない人が存在したら？ そうすれば、その誰かの網膜は消えた大俳優の姿をそのまま保管しているのではないか、Aはそのように空想した。 存在しさえすれば、その網膜を手に入れたかった。 常識的に成立できない話だということを知りながらだ。 ラインハルトを見た直後、目がくらんで他に何も見られなくなった盲人でもいたら分からないだろうか…。Aはほとんどあきらめていた。 この男はもしかしたら白黒画面の中で一番美しいかもしれない、想像する余地が残っている時にね。 その考えで日々を送るのだった。 しかし、白黒フィルムを巻き戻すたびに、現実に明らかに存在したことを遥かな幻想の中の黄金郷のように想像しなければならないという事実は、Aに鈍いが決して忘れられない痛みを与えた。 結局、Aは自分の考えがとんでもないことを知りながらも、完全に諦めることはできなかった。
そしてAは偶然のきっかけで一つの事実を知った。 偶然にもラインハルトの遺作でメガホンを取った監督も、その作品を最後に映画界を去った。 頭でそれを理解すると同時に、Aは映画の最後の場面を思い浮かべるしかなかった。 画面を埋め尽くした大俳優の姿、風に吹かれていた長い髪とそっと下ろした瞳を。 Aが探していたものは実際に存在したものだ。 最後にラインハルトを照らし、その上にいかなる記録も被せないままどこかに眠っている網膜、監督カール·クラフトのカメラレンズこそそれだった。
半世紀前の品物がまだ残っているだろうか。 古いテレビでエンディングクレジットが上がる間、Aの頭の中に恐怖に近い疑問が入り込んできた。 映画を再び見ながらは完全に忘れていたのは事実だが、どうやって忘れたのかが新しい疑問になるほど、その恐怖の密度は高かった。 笑えるほど常識的な疑問は、これまでラインハルトの姿を収めたレンズが欲しいという熱望一つでいっぱいだったAの事故に割り込む暇がなかったのにだ。 今、小さなテーブルに置かれている金属片に向き合うまではそうだった。 クラフトからもらった鍵だった。
数ヵ月間レンズの行方を探していたAは、わずか数日前にクラフトに会った。 裏通りにあるカフェの一番奥に位置するクルバンであった。 光源とは、もうすぐ寿命になりそうな薄暗い水銀灯一つだけの部屋でAを迎えた人は、自分をカール·クラフトの孫だと紹介した。
その形の前で、何より喜ぶべきだったAは突然底なしの恐怖に襲われた。 老人なのか子供なのか区別がつかない人は、それ以前に人が合ってはいるのか、人は認識することさえできないほど巨大な何かが餌として投げた影遊びではないか疑わしいほどだった。 Aはクラフトを見つけたことを奇跡的な幸運と言うべきか、もう自信がなかった。 彼の機嫌に逆らわないようにと怯えた様子を見せないように努力したが、少しも無駄だった。 しかし、まもなくAの試み自体が無駄だったことが明らかになった。 クラフトはAの頭の中を手のひらをのぞくように知っていながら、少しも気にしなかった。 そのような面が奇怪さを増したが、すぐにA自らにもそんなことは関係なくなった。
かすかな照明のせいか、どこか輪郭が不明な形が胸から鍵を取り出し、どこかの住所を口にした瞬間、Aは恐怖さえ忘れた。 影が言ったのはカール·クラフトの旧邸宅の所在地だった。 監督の遺品はすべてそこに置いたということだった。 だからカール·クラフトがカメラを残したとすれば、そこにラインハルトを完全に記憶するレンズがあるのだった。 鍵を持ってふらふらしながら部屋を出るAの背後でクラフトは低い笑いで見送った。
古いテレビが完全に暗転し、部屋に訪れた静寂の中でその笑い声が耳元に蘇る。 嘲笑としか思えない音が与える恐怖と不快を乗り越え、サイドテーブルの上の鍵を手にしたAは部屋を出た。
Aがクラフト邸に着いたときは、すでに夕日が降っていた。 しかし、Aの目には電気が消えた邸宅が何よりも鮮明に目立って見えた。 庭を横切って玄関に立ったAは、自分の心臓がすぐ倒れてもおかしくないほど速く動いていることを自覚した。 鍵を差しながらも金属の冷たさがその熱気を和らげることはできなかった。 ついにドアを開けると、赤いじゅうたんが敷かれた部屋の輪郭が広がって見えるほどだった。
玄関に入ったAの正面にはまだまともに細い掛時計があった。 その他にも値段がかなり高い家具で骨董品が邸宅のあちこちにあったが、Aはそれらががらくたの山でもあるかのように無心な視線を向けるだけだった。 そうするうちに気がついた時は、いつのまにか日が暮れて深夜だと言ってもおかしくない時刻になっていた。 クラフトが言っていた2階の客室のベッドに座り込み、Aは暴れていた心臓が恐ろしく冷めるのを感じた。 作業の疲れに押されてではなかった。 これ以上探すところがないのにカメラを見つけられなかったためだった。
恐怖が現実になった瞬間、Aが窓の方を眺めた理由は自らも分からなかった。 自暴自棄と言うには何かがひらめき、直感と表現しようとすると核心を外れた感じだった。 誰かが呼んだようだったと言うのが一番正しいが、誰がそうしたというのか。 クラフト邸にはA一人だけだった。
そして見た窓の外の裏庭にカメラが立っていた。
その事実を認識した瞬間、Aははじけるようにベッドから立ち上がって階段を飛び降りた。 1階を3段残したところで足を踏み外して床に転がったにもかかわらず、その痛みさえ知らずに目的地に向かってふらしながら走った。 しかし、ついにカメラが視界に入った時、Aは他のところに気を取られてしまった。
長い金髪が風になびく。カメラレンズが向かうところに立った男は、暗い夜の空気の中で自ら輝いているようだった。かすかな月明かりが黄金の光に当たって粉々に砕ける. 落ちた光を受けて彼の足元は照明を受けた舞台のように輝いた。彼は舞踏を楽しんでいるのか、浮遊しているのか、見分けがつかないほど流麗な線を描きながら庭園を歩いていた。ふと彼が足を止めて顔を上げてAのいる方を眺める。 茶目っ気たっぷりに曲がった目に浮かんだ瞳を見た瞬間、Aはその場に固まった。柔らかく輝いており、まるで溶けて流れるように見える黄金色の視線は想像を付け加えて描いた白黒の映像とは比べ物にならなかった。 Aがそう思う瞬間、耳元に小さな笑い声が聞こえたようだった。 その声を聞いたことがあると思う前に、風の音が笑いを散らした。
Aはラインハルトの目の向くところが自分ではないことをすでに知っていた。 カメラの向こうに立っている人は観客ではないからだ。 知っている事実を無意識の上に浮かべる前に、何かがAを通過する感じがした。 遠ざかる意識の中でAはぼんやりとした黒い影を見たようだった。 緊張が解けて倒れたAの肌に触れるのは不思議なことに冷たい夜露ではなく穏やかな光に感じられた。
Aが目覚めた時は四方が明るかった。 雑草の上で体を起こしたAは昨日のように邸宅の玄関前に立った。 一瞬ためらった後にドアを開けると、目の前に広がるのは完全な廃墟だった。 ふと、Aは数時間早くここを訪れていたら、日光の下で輝く黄金を見ることができただろうと思った。 しかし、すぐ未練を捨てた。 Aが出会ったのはこれ以上望めない奇跡だった。
玄関を出るAからわずか5歩離れたところに、黒いテーブルクロスを敷いたテーブルを挟んで二人が座っていた。 青黒い髪を一本に集めて端正に結んだ一人はまるで影のようだった。太陽の下でもAと会った暗い部屋の中のように揺れる姿で、彼がグラスにワインを満たす。もう一人がグラスを受け取ると、彼の肩口から流れる長い金髪に朝日が乱反射した。半世紀前の誰かが黄金と言って賛美した光が、手を伸ばせば届く距離にあった。
それにもかかわらず、Aの目には彼らの姿が見えないようだった。 邸宅の入口に着いたAは、最後に向こうの塀をちらりと一別した後、どこか軽い足取りで邸宅を離れた。その背中を柔らかい愛情のこもった視線で眺めながら送別した金髪の男がふとテーブルの向かい側に座った人に質問した。
「カール、あれは本当に卿のカメラなのか？」
質問を受けた人はまるで台本に書かれているかのように作為的に悩んだ。 やがて答える声は当事者ではなく解説者でもあるかのように観照的だった。
「どうでしょう。幻想を傷つけることを言うのも格好悪いことだから、確率で言えば可能性が高くない、程度にすべきか。 それでも一応あれが本当に大俳優ラインハルト·ハイドリヒの遺作を撮ったカメラレンズだと前提してみましょう。 とはいえ、少なくとも 2 つの問題が発生します。 一つ目は映像芸術で編集が占める比重。端的に言えば、最後の場面がハイドリヒだったといって、必ずしもカメラがそれを最後の順序で撮ったものとは限らないということ。 二つ目は監督が映画界を正式に引退したでも、それ以降本当にあのカメラで他のものを一度も撮ったことがないかな…。まあ、これはあくまで所有者が急死して以来カメラがずっと倉庫に閉じこもっていたわけではない時の話なんですけれども」
「それはまた、なかなかロマンのない話だね」
「おっしゃるとおりですが、何か期待されたことでも？」
蛇のように凝視する青黒い視線を浴びながら金髪の男は肩をすくめた。 少し上がった彼の口元は茶目っ気ある笑顔でも、苦笑いにも見えた。
「どうだろう。私から見ると、卿こそ自分で思うより胸の熱い人だと思うけど、どうかな？」
「おやおや, 過分な評価に身の置き場がない。 あのレンズで撮った最後のシーンがあなたであることは事実。 その後、僕があのカメラを忘れていたのも事実。 それ以上は私の手を離れた話です」
「ほう」
両手を上げて心にもない投降の姿勢を取るカール·クラフトの向かいで、ラインハルトは小さな感嘆詞を流しながらワイングラスを振った。 やがてグラスを唇に持っていく彼の姿は偶然にも映画の最後の場面そのままだった。
そしてレンズ越しに座った男は現在に生まれ変わる場面を見てまぶしいように目をしかめた。 その顔は間違いなく最初の瞬間の歓喜そのものだった。