あの日に帰れないなんてことはない朝だった。とある地方の駅の売店で、普段読まない新聞をタバコを買うついでに手に取った。自分自身でもどういう風の吹き回しなのか理解しかねたが、一面の下段を一瞥してその理由が分かった。「経営コンサルタント会社『共生』社長 鷲巣巌氏 逝去」という見出しが、こじんまりと記載されていたのだ。
ーー今月14日、経営コンサルタント会社『共生』社長の鷲巣巌氏が都内の病院で息を引き取ったことが分かった。原因は心不全。享年85歳。葬儀は身内のみで行われた。ーーと記してあった。それほどまでに小さな小さな記事だった。
それを読んだ赤木は最初にこの記事が示す意味をうまく理解できなかった。この男はあの一夜から自分のことを探し求めていたのにも関わらず、結局一瞬さえすれ違わず、一生再会することもなくこの世を去っていったことが、どうにも信じられなかった。赤木自身、いつ彼に捕まってしまうか分からないまま放浪を続けていた。とりわけ意識的に彼に会わないようにしていたというわけでもないのだが、結局会わずじまい、という結果になってしまったのだ。
赤木は始発の電車に乗り、タバコを蒸しながらその記事の一文字一文字を何度も読み返した。読み返せば読み返すほど、彼に出会う前に抱えていた重くて暗い穴がだんだんと胸に空いてきて、心臓が重たくなっていくのを感じた。自然と顔も瞼も下がってくる。最後には真下を向いて目を閉じた。
あれからお前に会わなかったことは、俺にとっての"勝ち"だったのだろうか。あの日に初めて味わった生の実感と死の淵の感覚を塗り替えたくないという自身のエゴで、他の、何か大切な、失ってはいけないものが失われてしまったのではないか。もしその喪失が思い過ごしなのであれば、この胸の痛みは一体なんなのだろう。
赤木はあの日に鷲巣に呪いをかけていたことを知った。彼は自分に会えないという喪失感を抱えながら一人で寂しく逝ってしまった。その呪いが今度は自分に返ってきたことも分かった。今度はその喪失を赤木が死ぬまで抱えて生きてゆかねばならなくなる。今胸に抱えている大きな穴は、その覚悟を問うている。
赤木は自身の胸に空いた大きくて暗い穴による痛みを和らげるかのように、タバコを吸い続けた。外では彼と別れた後に見たような、晴れ晴れとした田園風景が流れてゆく。この電車の行き先も、自身の辿り着く場所も分かっていない。目的地を決めずに放浪しているのは、帰る場所がないからだ。唯一の帰る場所が失われたことを、知ってしまったからだ。