シスターフランジ― 開店の時間が来た。店の大きな扉を開けると大勢のお客様が集まっている。ここ三日間かけてスタッフ総出でビラ配りをした甲斐があったようだ。僕は集まる数多くの視線に愛想のよい笑顔を作った。
「本日は晴天の中、わたくし達の店にいらっしゃいましてありがとうございます」
ありったけの声で深々とお辞儀した。沢山の拍手が耳中に響く。実に心地いい気分だ。鳴り止まない拍手の中、僕は姿勢を正した。
僕はハリファ。儲け話があれば世界の果てでも駆けつける、いわゆる行商人だ。ちなみに金持ちになる気はなく、商売そのものを生き甲斐としている。今はここの国で商売に励んでいるわけだ。
大衆の注目の中、僕はこの日のために仕入れてきた商品を取り出した。
「さて、みなさまご注目。今回おススメする商品はこの魔法の水筒でございます」
手にした水筒を肩付近へ移す。お客様たちの視線が商品に集まる。みんな魔法の水筒に興味があるようだ。深呼吸したのち、僕は魔法の水筒について説明し始めた。
「一見何の変哲のない水筒ですが実は、保温機能付きなんです!」
大勢のお客様たちが興味深げにざわつく。みんな魔法の水筒に関心があるようだ。この機会を逃すなんて駆け出しの商人だろうといやしない。僕はこの商品の特徴を詳しく説明し始めた。
中身の材質は保温効果があるクレリア銀。この材質は他の銀よりも軽いこともあって高い評判がある。表面はプラシクル製。錬金術師が真綿と鉱石を調合した物で丈夫なうえに柔らかい。
「前腕部と変わらない大きさながら容量は3ガリル(3リットル)! 今なら魔法の水満杯で980ジュド(九千八百円)」
王国名物の魔法の水はどこの商店でも大安売りだ。平均単価は500セチガリル(500ミリリットル)で30ジュド(三百円)。そんな安売り勝負に挑む気はさらさらない。単価の高いものに魔法の水をサービスとして付ければ儲けはかなり違う。考え方を変えれば努力しなくても競合店であっても真っ向勝負できる。
値段を聞いたお客様たちが我先とワゴンに群がり始めた。まるで餌付けされた食用魚のようだ。……さすがにお客様に対しては失礼な例えだが。お客様たちが商品を手にしたその時、とつぜん若い女性のスタッフが身を乗り出した。
「たった今から半額でお売りいたします!」
慌てて右隣のとんでも発言した店員を見やる。そこには尼僧服に前掛け姿のシスターがとびっきりの笑顔を浮かべていた。彼女の言葉を聞いたお客様たちは我さきと水筒のワゴンに群がる。僕は「またか」と呟きながら鼻柱をつまんだ。
彼女の名はルクレシア。
見た目の通り王国聖堂教会に所属するシスターで、僕の歳の半分ほどの十六歳だと言う。
彼女たっての願いで雇ったのは事実だし、看板娘も必要だと考えたんだが……。
僕はシスターに向かって戸惑いつつ口を開く。
「言いましたよね? 勝手な宣伝は控えてくださいって」
「そうでしたっけ?」
「言いましたよ! 何回も三回も十回も十二回も」
「そんな事よりもご覧ください。皆さんが笑顔を浮かべて喜んでいます。これも神のお導きなのでしょう」
「シスターが半額と言ったせいですよ!」
「褒めないでくださいよ」
僕の「褒めてません」と言う前に会計場はお客様の群れが殺到した。失礼ながら、まるで一頭の鹿を奪い合う獅子のようだ。その光景を見て背筋が急激に寒くなる。会計場から女の子のスタッフが悲鳴に近い絶叫を上げた。
「ハリファさん! お釣が足りないです」
「すぐ行くからちょっと待ってて」
スタッフに大声で答え、シスターへ注意という名のクサビを打つ。
「いいですか?」
「なんでしょう?」
「これは商売であって慈善活動ではありません」
「慈善活動って素晴らしいですよね」
「だから違うんですって」
「あら、そうなんですか?」
「とにかく余計な宣伝はしないでくださいよ。いいですね!」
「かしこまりました」
ルクレシアの返事を聞く前に僕は会計場へ駆けた。群がるお客様をかきわけ、会計場から大きな額のジュド紙幣を麻袋に突っ込む。そして急いで両替のきく金庫機関へ向かった。色々な意味で僕の店は大忙しだ。
ここはトランスヴァール王国。西大陸でもっとも栄えている自由な国だ。この国には沢山の人種が夢を求めて集ってくる。僕は儲け話を聞きつけてやってきた。
王国名物“魔法の水”。
三年前に名の有る錬金術師が精製し、どんなケガや病気を治すと聞く。これを聞いて血が騒がない商売人はいないだろう。僕もその一人だ。
入国したのは一ヶ月前。準備金はそこそこあったが、開店費用にほとんど消えてしまった。商店街の貸店舗、職業斡旋所への求人申請願い、他にも売れそうな商品の仕入れ、開店セールの広告発注。これは先行投資のようなもので、後々に大きな見返りが来るはずだったが、トラブルを作りまくるシスターのおかげでそうもいかないようだ……。
閉店後、僕は帰宅しようとするスタッフからシスターを呼び止めた。シスター以外のスタッフは「お疲れ様でした」と店から出てゆく。きっとみんな彼女が敬虔な教徒だから気にならないんだろう。そんな彼女は相変わらず満面の笑顔で僕を見つめている。
「シスター、今日の件でお話がありますので事務室まで来てくれますか?」
「もしかして、あんなことやそんなことをするつもりとか?」
「聖職者に罰当たりな真似はしません! それにそんな慈悲深い笑みで何言ってんですか!」
「冗談ですからお気になさらずに」
……この人の冗談は度を越えてるんだよなぁ。
思わず心中でグチをこぼす。僕とシスターは事務室に着くとテーブルを挟むように座る。椅子に座った後、今日の件をシスターに注意し始めた。もちろん相手は聖職者なのできつい言葉は避けたけどね。
一通り注意を聞き終えるとシスターは「わかりました」、と悲しそうな表情で答えた。その面立ちはまるでこの世の終わりに直面したかのようだ。僕はそこまで厳しく言ったつもりはなかったし、そもそも「勝手に安売りしない事」を重ねて注意しただけだ。次の瞬間、彼女はとんでもない言葉を口にした。
「わたくし、シスターの職を辞し致します」
「え 何もそこまで――」
「その上で“マルチル”致します」
「それって何のことですか?」
「殉教と言う意味です」
「殉教っ」
その言葉を聞いて思わず血の気が引いた。それは自ら神の元へと赴く事を意味する。要するに自殺だ。僕は今後おとずれる未来を瞬時に想像した。
自殺されちゃ悪い噂が広がっちゃうじゃないか。それも敬虔なシスターとあっちゃこちらに非があるように聞こえてしまう。王国中に「あの店はシスターを精神的に追い詰めた」とか「シスターを自殺に追いやったのはハリファだ」と広まるのは確実だ。商売を生き甲斐にする以上、それだけは避けたい。
考えをまとめると、硬い表情のシスターに視線をあわせた。
「落ち着きましょう、シスター。何も殉教する事はないでしょう?」
「いいえ、ハリファ様を苦しめるわたくしはシスター失格です」
「だからって――」
「この上は、やはりマルチルして責任を負うしかありません。あぁ、主よ、お側に赴くわたくしをお許し下さい」
……だめだ。話がかみ合わない。
今までの話し合いで僕は心中にそう呟いた。
このままじゃ本当に殉教しかねないじゃないか。そうなると商売どころじゃない。この生きがいを失ってたまるか 何かそれを避ける方法がないものか――。
そうだ
ひらめいた僕は、悲観するシスターの白磁のような手を握り締めた。
「殉教しては他の信徒に示しがつかないじゃないですか」
「ですが、ご迷惑をかけるのも申し訳ありませんし――」
「それならシスターが受け持つ売り場を作りましょう!」
「わたくしの売り場……ですか?」
シスターの張り詰めた表情が怪訝そうな顔に変わった。つぶらな瞳を細くしている。きっと彼女の頭の中では疑問符でいっぱいなんだろう。僕はシスター手を握ったまま話し続ける。
「そうです。シスターの売り場なので自由になさってください」
「それでは貧しい市民に食べ物を分け与えてもいいのですか?」
「どうぞ、構いませんから」
「ハリファ様っ」
突然シスターが手を強く握り返してきた。面食らって「はいっ」と上ずった声を出してしまう。彼女の手の温もりが先ほどよりも増し、見据える瞳は慈愛に満ちていた。そんなシスターが嬉しそうに顔を近寄せる。
「このルクレシア、心の底から感動しました」
「ど、どうも――てか近いです!」
「貧しい人々に施すなんてとても素晴らしいです」
「ですから近いですって!」
「ハリファ様にはきっと神のご加護があることでしょう」
「だから近い近い」
嬉々とするシスターは握っていた僕の手を離した。心から感謝されるとなんだかむずがゆくなってしまう。とにかく感謝は感謝だ。こういうのも悪くないな――、と思っていたらシスターが椅子から立ち上がった。
「それでは明日までに準備の方をお願いしますね」
「明日っ 無茶を言わないでください!」
「無茶なのですか?」
「仕入れと値段の交渉に時間がかかります! ですから明日中は無理です!」
「そうですか……。それでは市民に教会の教えが伝わりようもありません。やはり責任をとってマルチル――」
「わかりましたわかりました! 三日で用意しますからマルチルだけはやめて下さい」
殉教を思い留まったシスターはひとしきり感謝し、満足そうに教会へ帰っていった。店に残った僕はシスターの売り場の品揃えを考え始める。もちろん仕入れ先もだ。彼女の納得する売り場を考えると頭が痛くなってきた……。