鎮痛剤身体が引き裂けるように痛む。どくどくと脈打つ心臓の音がやたらと喧しく聞こえるのは、限りなく死に近い状況が五感を冴えわたらせているせいだろう。火照っている気もするし、悪寒に四肢が震える感覚もあって、とにもかくにも息苦しい。
(それでも……、独りの夜より、ずっといい……)
呆けた頭に広がる安堵を、そのまま柔いため息に託した。すると横からぬっと影が伸びてきて、おっかなびっくりな何かに頬を拭われる。滲む視界を動かせば、薄暗い医務室に親友の顔が浮かび上がった。今にも泣きそうに歪んでしまった赤に、私は反して笑顔を向ける。
「アルベール……」
「……、うん……」
言葉を探しているのだろう。アルベールはもごもごとしばらく唇を動かして、結局ごく単純な返事を寄越した。
「つめたい……、冷えてないかい……」
「お前が……熱い。俺は、普通だ」
「……私が……? ……ああ、熱でもあるのか……。妙に寒いんだが……ふふ、感覚もあべこべでだめだな……」
「だめ、なんかじゃ……ない。きっとよくなる。きっと……、星が入っているんだから、そう易々と、だめには、ならない。……ルリアと団長が、そう言っていた」
赤が零れていく。滅多に泣き顔なんて晒さないはずの男だった。ぼろぼろと惜しみなく大粒の涙を落とすアルベールは、泣き慣れていないせいか嗚咽をろくに殺せずに大仰なしゃくり声をあげている。手を伸ばそうにもうまく身体が動かなくてもどかしい。触手では彼を驚かせるだけだろう。ああ、君はなんにも悪くないのに。
「……、っ、お前は……、お前が、死んだら、俺は……俺は、きっとおかしくなる」
「アルベール」
「気が狂いそうだ。……もしかしたらを考えて、怖くなって、結局独りじゃいられない。お前の息を、お前の鼓動を、傍で聞いて、安心しないと……眠れも、しなくて……。目を閉じることさえ怖いんだ」
「アルベール、大丈夫……大丈夫だよ」
頬を滑って行く涙は、どんどんと粒を大きくしている。雷に焼けたアルベールの掌が、何度目尻を拭おうと洪水は収まらない。ひっ、ひっ、と引き攣れたような呼吸がどんどん間隔を無くしている。恐らくは本気で、混乱しているのだ。このまま放っておけば過呼吸でも起こしかねない、不規則な呼吸。
「っ、っぐ」
起きるなんて到底無理だと悲鳴を上げる身体を、想い一つで突き動かす。腹の傷がじくじくと痛み、細く息を吸うだけで身体が千切れてしまいそうだ。それでも動かねばならなかった。ひっきりなしにしゃくりあげながら、子どものように泣きじゃくる親友を放っておけない。この男は私の全てを救ってくれた。ならば、私も。
「アル、ベール」
名前は音になっただろうか。やっとの思いで起こした身体でアルベールに歩み寄る。いや、歩いたなんて到底言えないふらついた足取りだった。赤子のほうがまだしっかりと土を踏むだろう、力の入っていない一歩、二歩。半ば倒れこむようにして親友を抱きしめた私の耳朶を、小さな悲鳴が掠めていく。
「ユ……っ、お前、起きたら……っ」
「ふふ、大丈夫……。頑丈に、なったからね」
「……っ……」
「ほら、生きてる……。君が……生かしてくれたんだ」
ぐったりと友に体重を圧しかけながら、渾身の力で首筋に縋る。解けそうになる手を必死に組んでアルベールにすり寄れば、友の手もやがて力強く私の身体をかき抱いた。傷口に力が響いて酷く痛むが、悲鳴も、苦悶も、全てを飲み下す。
「……、すまん……取り乱した。……お前は、生きてる。死なせもしない。俺が――、俺が守る」
「ふふ。……ああ、それでいい。誰より君が、私の命を信じてくれ。……っ、う」
アルベールの嗚咽が止む。それにほっとして深く息を吐いたその瞬間、視界がぐらりと大きく揺れた。一瞬の暗闇の後、耳の奥がぼうっと雑音に霞んで世界が目の前から遠くなる。は、っと我を取り戻した時には、頭を支える柔らかな枕の感覚があった。急に動いたつけが早くも回ってきたらしい、アルベールの心配そうな声が、私の名前を繰り返しているのが聞こえる。ベッドに戻してくれたのだろう、身体の痛みが幾分かマシになっていた。
「ユリウス?」
「……ああ、聞こえているよ……。すまない、少し飛んだね」
「いい、謝るのは俺のほうだ。無茶をさせて……」
「大丈夫。傷の痛みなんて……どうとでも我慢できるよ」
「またそうやって。我慢強いのはいいが、もっと……」
「本心だ。……独りで眠った夜のほうが、ずっと……苦しくて、痛かった。今は、君がいるから、ね」
せっかく落ち着いた紅眼が、再び揺らめく気配があった。俄かに歯を食いしばった友は、怒気と悔恨の滲んだ震えるため息を一つ零して、やがてベッドに乗り上げてくる。
「アルベール?」
「二人で居よう。俺達、きっと独りが向いてないんだ」
医務室のベッドに大した余裕はない。アルベールは多少小柄と言って、成人男性が二人詰め込まれるには少し無理のある狭苦しさだ。互いの体温が否応なしに触れ合って、自然と身体が温まっていく。寝心地は悪くなるだろう。けれど、今。傷だらけになった私たちには、この温もりが必要だ。傍に居る。生きている。その証たる温もりが。
「……そうだね、そうしよう」
傷を慮った緩い抱擁に、甘えるようにして身を寄せる。耳朶を擽る満足そうな笑い声は、どんな薬より痛みを攫って行ってくれる。私が零した微かな声も、彼の痛みにとってそうであればいい。過った願いが叶っていることを祈りながら目を閉じる。夜はもう、少しだって痛まなかった。