二人っきりで過ごすはずが一人と一匹になった件 (完結)陰口スゴロク終了後、「君たち二人には三日間この洞窟の中で過ごしてもらうよ♡」と言われた翌朝。つまり二日目。
目が覚めた天智の前に、友一の学ランだけが横たわっていた。中身がない。
「ゆ、友一?どこだ!?」
慌てて大声を出すと目の前の学ランの上着がもそもそと揺れ、中から一匹の真っ黒な小型犬が出てきた。つぶらで真っ黒な瞳がキラキラとしていて、長い毛がさらさらと…… してはいないが長めでふわっと跳ねて愛くるしく、短い足がちまっとしている。
天智も知っている、ポメラニアンだ。
黒いポメラニアンは天智を見て、
「ワン♡」
時が止まった。
「マナブくーーーーーん。」
「朝から何だよ、うるさいなー。」
「友一がいなくなって犬がいるんだが……、これは新しい特別ルールか?」
「あぁー?ちょっと待って。…… げ、友一君ポメガ(Ωの発音で)じゃん。面倒くさいなぁ。大丈夫だよ、その犬、友一君だよ。」
「は?」
膝の上で丸まっている犬を凝視する。
「疲れたり体調が悪かったりストレスがたまるとポメラニアン化しちゃう第三の性だよ。スゴロクで誰かさんのせいでストレスたまったんだろうね。チヤホヤすればすぐ戻るから、第三ゲームが始まる前には戻しといてね。」
「チヤホヤ?」
「リラックスさせて可愛がるって事。もう通話切るよー。」
暗い牢獄に、天智とポメラニアンが残された。
「…… 可愛がる?」
真っ黒な大きな目と視線が合うと、犬は、違った、友一はキュウンと鳴いて鼻をすり寄せた。
天智の知っている友一は、優しくて気弱で穏やかだ。
屋上ではちょっと、いや、かなり怖かったけど。三人殺してるっぽいけど。
ペットボトルから水を手に取る。お椀のように丸めた手からペロペロと舌を出して飲んでいく様子は癒される。そうそう、友一はこうだよな。
手の中の水はあっという間になくなり、それでも友一は濡れた掌を一生懸命舐めている。なかなかくすぐったい。
学食の安いラーメンを、汁まで一滴残らず綺麗に飲んでいる友一の姿を思い出す。
「少ないけど我慢だ、友一。」
自分の分の水は直接二口分、ゴクンゴクン。ちょっと口の端からこぼれた分を拭おうとしたら、膝の上にちょこんと立って、前肢を胸につけて立ったポメラニアン、いや、友一がすかさずペロペロとこぼれた水を飲む。
まだ喉が乾いていたのだろうか。
普段なら我慢がきくが、犬だとそうはいかないということかもしれない。ストレスフリーが大事だとマナブ君も言っていたし。間近で目が合う。うん、可愛い。
「くすぐったいぞ、友……」
唇までペロッとされ、言葉が切れる。
え?
天智は固まった。
え!?
ええええええええ!!??
いやいやいやいや、それってどうなんだ、友一。お前キス嫌がってたじゃないか、思い切り壁まで引いてたよな、犬はいいのか犬は。
でも可愛い、許す。
いや、許してもらうのはファーストキスを奪った俺の方か。
天智がグルグル考えている間に、友一は満足したのか膝から下りた。
食事が終わった友一は、「あそぼ」という風に天智の前にお座りして尻尾をふっていた。
天智は犬との遊びなど、「とってこい」しか知らない。
何か投げられるもの、とポケットを探してみてもハンカチとティッシュしかない。真面目な性癖はこういう時にえてして損だ。他に何かと考える天智の目に入ったのはネームプレートだった。
「これがあったか。」
外そうとしたら、ぺしっと小さな前肢があたる。昨日、ネームプレートの裏の金額を見せた時、友一が慌てて手で掴んで金額を伏せたのが思い出される。犬になってもその辺は覚えているのか。
「友一、考えがあるから大丈夫だ。」
そう言うと前肢がのいた。
天智はネームプレートをハンカチで包むと友一に見せた。
「これで遊ぼう。」
「ワン♡」
「いいぞ、天智」という幻聴が聞こえてきそうだ。こんなに犬扱いでいいのだろうかと迷いながら、ぽーんと軽くネームプレートを放ると、テテテと走って行きくわえて戻ってくる。
「えらいえらい。」
天智が褒めると満足そうに尻尾を振る。そうそう、チヤホヤだった。もっともっと可愛がらないと。
「よしよし。」
頭を撫でてやる。普段の友一なら嫌がりそうだが、今は基本犬扱いの方が居心地が良いらしい。口ペロと言い、行動も犬だしな。よし、続けよう。
ぽーんテテテなでなで、ぽーんテテテなでなで。毎回元気いっぱいに往復している。
犬の友一は、お腹が減らないのだろうか。無心でとってこいを続ける。勉強もなくテストもなくストーカー日課もなく、ただ漫然と犬と遊ぶ時間。癒される。
なんかもう借金とかどうでも良くなってくるな。良くないけど。
「あ。」
投げたネームプレートが檻の外に行ってしまった。友一は何の躊躇もなく檻を通ると外に出てしまった。
「通れるのか。」
ネームプレートを拾って戻って来るかと思った友一は、しばらく戻って来なかった。
「お帰り、友一。」
「ワフ。」
昼過ぎに友一が戻って来た。もちろんネームプレートもくわえている。毛がしっとり濡れていた。雨の音はしないから露かもしれない。外は草むらなのか? 草原、林、あるいは森。水場が近くにあるのかもしれない。
長い散歩で疲れたのか、友一は天智の懐にうずくまり昼寝を始めた。
天智の想像通り、外で水を飲んだのだろう、夜の水は手のひら一杯ですんなり終えていた。ちょっとほっとする。口ペロペロは可愛くても、正直勘弁して欲しい。
天智が友一の上着を綺麗に折り畳み、小さな布団の代わりにしようとしたが、友一は見向きもしない。
「友一、ちゃんと寝ないと体がもたないぞ。」
と言うと、天智の袖を引っ張ってきた。
「もしかして俺の上着がいいのか?」
「ワン♡」
天智は自分の学ランを脱いで畳んで差し出す。が、せっかく畳んだ上着を友一は器用に鼻面で丸めて、巣のようにもこもこ丸くすると中に入り込む。犬ってそんなものなのか?
天智は、代わりに友一の上着をかけて寝ることにした。
天智は、ポメガ化したポメガがパートナーの香りに癒されるという特異体質を知らなかった。そう、ファーストキスで友一本人も知らないうちに、天智をパートナー認定してしまっていたのだ。
でもそんな状況、この話には全然これっぽちも関係ない。
三日目。
天智の学ランを布団のようにして、ポメラニアンな友一はぐっすりと寝ていた。
友一の寝顔は学校でよく見ていた。夜更けまでの内職、早朝の新聞配達で万年寝不足らしく、休み時間と言えば友一の昼寝の時間。騒がしくてうるさい中よく寝られるなと感心したものだ。つむっている瞼を見る。
たった二日しか過ぎてないのに、他愛ない日常がひどく懐かしい。
寝ている友一のぼさぼさ髪を、心木さんや志法ちゃんがとかして遊んでいた事もあった。起こすんじゃないかと心配してみていたが、意外と寝たままだった。
真似してみようか。
天智はそっと背中をさわる。髪をとかすように、長い毛を手櫛で整えてやる。跳ねた毛がサラサラになり、さらに艶々になるのは見ていて気分がいい。
天使の輪のような光りが出始めた頃、友一はやっと起き出した。
「今日はさすがに元気が出ないな……」
天智はごろっと寝転ぶ。遊んであげないといけないのに動くのが億劫だ。
友一は「あそぼ」のお座り待機をしていたが、そんな天智を見てシャツの中に潜り始めた。狭いすきまに顔を突っ込んでいるのを見て、ワイシャツのボタンをいくつかゆるめる。
「何をやっているんだ、友一。」
裾の側からシャツをトンネルのようにくぐってきた友一は、襟から顔をのぞかせる。天智の顔を間近で見て、
「ワン♡」
うん、楽しそうだ。
「くすぐったいぞー、友一」
友一は繰り返しシャツのトンネルをくぐる。
たくさんパートナーの香りに包まれると、リラックス出来る。その性質通りに友一は本能的に行動しているだけなのだが、それは天智には分からない。
シャツのトンネル遊びの後、友一はまた外に散歩に出かけ、戻って来たら寝てしまった。今度は胸の上。
天智が呼吸するのにあわせて、ゆったり上下に揺れている。
もうあと半日しかない。人間に戻るだろうか。そもそも俺が一番のストレスの原因だったんだもんな。やはり、俺ではチヤホヤ度が足りなかったのかもしれない。
心木さんや志法ちゃんがいれば、もっともっと気さくに撫でて可愛がれたかもしれない。四部がいれば明るい会話でリラックスさせてくれたかもしれない。
天智の頭に、やっと現実が戻ってくる。
次の第三ゲームをなんとしてもクリアして、志法ちゃんの嘘を見抜き、父さんの仇を打たないと……!
「いよいよ明日か。」
天智はぐっと拳を握った。
「友一…… 信じてるぞ。」
寝ている小さな頭に頬を寄せる。
暖かい。
自然に手が友一の背中にのびる。さわった時、ぴくんと友一の耳が動いたが、そのまままた垂れていく。小さくやわらかい背中を繰り返し撫でる。頼むぞ、友一の気持ちをこめて。
背中を撫でているうちに天智も寝てしまった。
夕方、急に腹の上に重みがかかり目を覚ますと、人間の友一が戻って来ていた。
「友一…… 戻れたのか。」
「あぁ~…… 悪ぃ。服着るからちょっと待ってて。」
何事もなかったかのように、天智の腹の上から下りると友一はさっさと服を着直す。天智も自分の学ランを着直した。ジャージの上に学ランを羽織ればまったくいつも通りの友一だ。変わったところと言えば、天智の手櫛によってやたらと髪の毛がさらさら艶々になった事くらい。
が、その髪も友一がガシガシ頭をかいてすぐ元に戻ってしまった。
「はぁ、…… 急に腹減ってきた。」
友一は、ごろっと寝転がる。そりゃそうだろうな、随分動き回っていたし。
「おい…… 友一大丈夫か……?」
「大丈夫だよ。貧乏人は空腹とお友達だからな…… 天智こそ大丈夫か?」
「あぁ…… 俺もなんだかんだで父が死んでからなかなかの貧乏人だからな。」
ポメラニアンに癒されて、空腹も水不足も借金も志法の裏切り疑惑も、この直近二時間以外は、ほぼほぼどっかに行っていたとは言えなかった。
「そうだったのか……」
「友一。外…… 行ってたよな、覚えてるか?」
「あぁ、森だった。次のゲームのヒントを探したが、広すぎる上に背が低すぎて無理だった。」
背が低すぎ。…… 草に埋もれてるポメラニアンを想像すると結構可愛い。が、ここは真面目に答えなければ。
「森か。何をやらされるんだろうな。」
「でも、近辺の地形はだいぶ覚えてきたぞ。役立つといいんだが……」
さすが友一、抜かりないな。
お前に懸けて良かった。
犬になるけどな、と突っ込める人材はここにはいない。
「よし、この第三ゲームをどんな手段をつかってでもクリアしてやる。」
すごく悪げな顔をしてるのに、天智の脳裏からはつぶらな黒い瞳が消えない。むしろますます友一に懸けて真実を明かすという気概が増すばかり。
そんな天智が次にポメガ化した友一を見たのは、船の上だった。
《終》