「紹介したい人がいるんだ。」
そう言い出した息子に、ついにこんな日が…と思いつつ、流石に早いのでは?と思う。なにせ息子は13歳。しかしまあ、女の子だったらもうこの時分にはそういうことも言うかもしれない。誰に似たのか、ちょっとませてる子供なのだなと夫婦で顔を見合わせて微笑んだ。
そんなこんなでローを真ん中にして、三人で手をつないで歩く。中々休みが合わない私達夫婦がこんなふうに手を繋いで歩くのは珍しいことで。息子の可愛らしい一面も見れて、今日という日はきっと忘れられない思い出になるだろうという予感があった。
ローが言うには学校が終わったあとに公園でよく遊ぶ相手で、優しくてドジで可愛くて目が離せないとかなんとか。一生懸命に私達に説明する息子は嬉しくて仕方ないようで、得意げに説明してくれる。
急ぎ足のローは、妻に「転んだら好きな相手に心配されちゃうわよ。」と諌められながらもその引く手は力強い。いつのまにか大きくなって…昔は大きな病気をしたこともあった。そんなローがいつのまにか大人に近づいているのだなと思う。
感慨に耽っていたら、目的地の公園についていた。ローはキョロキョロと周囲を見回すと、目的の子を見つけたのか大きな声を出した。
「コラさーーーん!」
「おっ!ロー!あれ、もしかしてお父さんとお母さんか?」
「父様、母様。この人が俺の将来の結婚相手です。」
絶句。
言葉が続かず息をのむ私たち。
そして盛大にひっくりかえる“コラさん”と呼ばれた強面の大男。
とっさに息子を抱きかかえ男と距離をとる私たちに、ローは不満げに「もう抱っこされるような歳じゃない。」とご立腹の様子だ。そうではない、そうではないのだ息子よ。聡い子供だと思っていたが、ここにきて初めて親の心子知らずということわざが脳に浮かんだ。
「お、お、おまえ何言ってんだ」
男は跳ね起きると、手のひらを上げて降参のポーズで何やら言っている。
ローは抱える私たちの腕から飛び出そうとするが、死んでもこの手を放すわけにはいかない。
「俺コラさんと結婚するって言った!いいって言った!」
「それは子供の時だけのやつじゃん!黒歴史になるって!ていうか俺を犯罪者にするつもりか」
「コラさん小児性愛者じゃないよな…?俺、いつかコラさんよりおっきくなるからそれだと困る…。」
「やめろやめろ!違うから!彼女いる俺!」
ピタリと腕の中の息子が静止する。顔を覗き込むと、静かにぼろぼろと涙を流している。息子のこんな泣き方は初めてだ。
「うそつき」
とても子供から出たとは思えない重みのある声。凍り付く我々の中で、真っ先に正気に戻ったのは妻だった。
「とりあえず、こんなところでできる話じゃないから…家で話しましょうか。」
===
ドンキホーテ・ロシナンテ(26歳)
職業:モデル
若者向けでありながらハイブランド。しかしながら、追及された機能性とデザイン性を兼ね備えた質の良い服は、若者の憧れであり一着でもと購入する者も多い。そしてそのブランドの専属モデルのロシナンテはだれよりもその服を着こなし、今や知る人ぞ知る人物。無口でミステリアス。その人物像は明らかになっていない。
………というのが目の前の革張りのソファにその長い脚をきっちりそろえて小さく背中を丸めている男の話らしい。スマートフォンで検索したらすぐに出てきたので、ファッションに疎い私たち夫婦が男を知らないだけなのだろう。ひとまず我が家の応接室に通された男は、おずおずと免許証を出してくる。確かに本人のようだが、随分と印象が違う。
ローはというと、先ほどの彼女がいるという発言によほどショックを受けたのか、私の隣で俯きながら座っている。辛かったら部屋にいていいんだぞという私の言葉に、けなげにも首を振る姿は可哀想で胸が痛んだ。
痛んだが、それよりもだ。問題はこの男との関係である。未成年への性的接触…それが我が子に及んだ可能性。怒りで腸が煮えかえるような思いを抱えながらも、私はどこか冷静だった。警察への通報、弁護士、あらゆる可能性を考えながらも極力抑えた声で聴く。
「それで、息子とはどういう関係で。どこまで…」
「誓ってなにもしてないです。お父さんの心配するような事は何一つないんです。公園でたまに遊んでただけで。」
「大の大人が、13歳の少年と?証拠は?」
「しょ、証拠……」
公園の人に聞くとか、いやそれじゃあ信憑性が…悩む男を見かねたのか、隣で手を握り締めるローが口を開く。
「本当に話してただけ。たまにジュース飲んだりはしたけど。」
「それは本当かい?」
「コラさんと一緒にいたかったけど、学校終わった後…公園でちょっと話して、いつも夕方になる前に家に帰れって言われて帰されてた。遅い時間に帰ってきたことは一度もない。ハウスキーパーの人なら分かると思う。同級生も知ってる。」
そこまで聞いて、ようやく心が軽くなった気がした。それと同時に、賢い子だからと信頼という言葉に甘えていたことを反省する。どんなに賢くてもこの子はまだ13歳なのだ。
「…ロー。知らない大人についていっちゃいけないのはちゃんと分かってるね?それならどうしてそんなことをしたのかな。」
「だってコラさんの事…好きだから………好き…。」
一度収まった涙は、言葉にしたことでまた頬を濡らす。しゃくりあげる息子を妻がそっと抱き上げた。目くばせをして、部屋から出て行ってもらう。ここからは男から話を聞かなければならない。これ以上息子を傷つける必要はないだろう。
「ドンキホーテさん。息子はああ言っていますが、親としてあなたに色々聞かないといけません。まだ子供ですから、事実と違う事を言っている可能性もある。」
「もちろんです。スマホの中身も確認してください。変な写真も、息子さんの連絡先もありません。」
言葉の通り、男…ドンキホーテさんのスマホにはおかしなところは何もなかった。どうやら本当に公園で会えた時だけ話をするような関係らしい。ドンキホーテさんはそもそもどうして息子と話すようになったのか話してくれた。
息子は悩んでいたらしく、公園でひとりふさぎ込んでいたところを見かけたのがきっかけだという。子供が一人でいるのが心配だったのと、なにより思いつめた表情が気になり、仕事の合間にトレーニングでよく公園を走っていたので見かけるたびに話をしていたら仲良くなっていたのだそうだ。
「俺が悪いんです。大人のくせに配慮に欠けていました。それにその、息子さんの言葉も子供だからと軽んじてしまって傷つけました…。」
頭を下げるドンキホーテさんをじっと見つめる。今となっては親よりも彼の方が息子を見守っていたのではないかという自責の念があった。もし彼が息子に声をかけなければ、それこそおかしな人間に声をかけられていた可能性もあった。
「配慮の件に関しては、否定はできません。親に一言もらえれば…とどうしても考えてしまう。けれど、あなたが見ていてくれたおかげで何事もなかったのだとも思います。」
ドンキホーテさんは、「もう息子さんには会いません。」と明言してくれた。息子はきっとまた傷つくだろうが、その方がいいこともある。私は感謝の言葉を伝え、ドンキホーテさんを玄関まで見送った。
息子とはこれからたくさん話をしなくてはならないだろう。今まで親子としてできなかった分の会話を埋める為に。
小さくなっていくドンキホーテさんの背中を見ながら私はそんなことを考えていた。
===
そのせいで反応が遅れたのだ。
「ロー⁉」
妻の声が聞こえたと思ったら、私の脇を小さな影が飛び出していく。考えるまでもなく息子だ!慌てて追いかけるも、足の速さが学年で一位だという息子に追いつける訳もなく。
「ぐえっ!」
息子はドンキホーテさんの背後からとんでもない勢いで抱き着いた。予想外の衝撃でドンキホーテさんは盛大に転ぶ。まるで抱っこ人形のように抱き着く息子が大きな声で喋りだす。
「彼女なんて知らない!絶対に奪う!あきらめないからな!」
「ロ、ロー!お前なんでそんなに俺が好きなんだ!」
「愛に理由なんてない!コラさん愛してる!」
私たちの知らないところで息子は随分と情熱的に育っていたらしい…。
これでは息子が何をするか分かったものではないと思った私たちは、平謝りをしながらドンキホーテさんと連絡先を交換した。
後日息子が過去に見たことがないほどご機嫌だったため一抹の不安を感じ確認したところ、ドンキホーテさんは先日の息子とのやり取りをパパラッチされ、それを社長である兄がもみ消したそうだ。そしてもみ消したものの同じ業界の彼女にはそのことがバレてふられたのだという。
菓子折りをもってドンキホーテさんの家に謝罪をしに行くと、ちょうどご家族が来ており、ローをみて「まぁかわいい」と心から喜んでいる様子だった。随分と懐の広いご両親に目を白黒させている私たち夫婦を見て、ドンキホーテさんは「そういうのは兄が悩んでくれるので…」と苦笑した。
そうして私たちトラファルガー家とドンキホーテ家は家族ぐるみの付き合いがはじまったのだった。