I'm yours(You're mine) 数えていたわけではないけど、僕がモモへの想いを自認してから、片手の指で足りる年数はとっくに過ぎていた。その間にいろんなことがあったけれどそれは今は割愛しよう。だって、はじめてモモに僕の事を抱かせ……もとい、モモに抱いてもらう事に成功した夜にそんな話は必要ないだろうから。
何年も何年もかけて口説いたのに、なんだかその時はあっという間だった。僕はいつものように、きっとそれが成されることはないんだろうなとなかば諦めの感情をいだきながら軽口に言葉を乗せたのだ。
簡単に作った夕飯を二人で囲みながら、新しいワインの栓をあけたところだった。記念日でも誕生日でもなんでもない、世間的にも何を祝うような日でもない、ありふれた日の食卓だ。
いい加減に一緒に暮らしてくれたっていいのに、モモは未だに自分の家は自分の家として暮らしている。月の半分以上僕の家にいるような状態だからほとんど同居…同棲と言ったって過言ではないっていうのに。
モモの口に上ったのは最近芸能界でも話題の新婚夫婦の話で、今日仕事で妻の方と一緒になったらしい。本人がそうしたかったのか、聞き上手のモモが聞き出したのかは知らないが、色々と惚気話を聞いたようでモモは嬉しそうだった。いつだって、そうやって他人の幸福を喜ぶのがモモだからね。
「花嫁さんっていいよね~」
にこにこしながら僕の料理を口に運び、いちいちおいしい!と舌鼓をうっている。無言で僕の料理を食べるなんてことはモモは絶対にしない。そういうところは本当に完璧なのに。どうして僕の一番欲しいものをずっとお預け状態にしているのか、分からないわけではないけど、腑に落ちない。
「花嫁さんがほしいなら、いつでもなってあげるのに」
すいと手を伸ばしてモモの口元についたソースを指先で拭い、そのまま舐めた。うん、おいしく出来てる。
「っ、………」
怒るか、冗談めかして笑い飛ばしてくるかと思ったのに、モモは顔を赤くして俯いてしまった。おや、これは良い風にとっていいのかな。
「そんなこと言ってると、後悔するよ……」
「なんで? 僕が何を後悔するんだ?」
モモは空になっているグラスを両手で握りしめている。少し震えているようにも思えた。
「だって、オレは……」
その先がうまく言葉にならないのか、モモは何度か口を開いたり閉じたりしたけれど、そのうちに諦めてしまったようだった。どうしたらいいのかわからない、とでもいうようにその場で固まっている。
「……まあ、僕は花嫁さんに向いてないかもしれないから、モモが後悔することはあるかもね」
「そんなわけないでしょ!!!」
石みたいに押し黙っていたモモが急に大声を出したので、二本目のワインボトルを手にしていた僕は驚いて顔を向けた。
モモは顔を真赤にして、目に涙をためてこちらを睨んでいる。
そんな顔をしないでよ。困らせたいわけじゃないのに。
「落ち着いてモモ」
ワインボトルはとりあえずその場に置いて、モモの方に歩み寄る。
「ち、近づかないで」
近寄る僕を恐れるようにモモは体を震わせた。がたりと椅子が音を立て、そのまま大きい音を立てて後ろに倒れてしまった。
「モモ……」
急にどうしたんだろう、若干パニックになっている気がしなくもない。僕の不用意な言動がモモを追い詰めてしまったんだとしたら、謝らないと。
「ちが……ごめ、ごめんなさい」
椅子を倒してしまい突っ立ったまま、モモはこちらを縋るように見ている。
「謝るなよ」
こうやってずっと僕はモモを困らせている。もう何年も、想いを諦めることもできずにずっとそうしている。
「ユキ………」
蚊の鳴くような声が、途方に暮れたようなモモの口からこぼれ落ちる。
近づかない方がいいかと思ったけれど、そんなことは無理で僕はモモの方に駆け寄った。
「ユキ」
「ごめん」
お前を苦しませるつもりなんてなかったんだ、とその体を支えると、モモの手は僕の体を引き寄せてしがみついてきた。
「違うんだ…オレ」
何があったのかはわからないけれど、さっきまで上機嫌だったモモは見る影もないほどしょんぼりと身を屈めている。
モモが何か言いたそうに口をぱくぱくさせているから、僕はそっと耳を寄せる。何も言ってくれないかもしれないけど。
ユキ。か細い音が、呼吸の合間に、吐息のように届く。
相槌をうつように背中を撫でていると、コクリと喉が鳴る。
だれのものにもならないで。
何を言ってるんだか、僕は今まで誰のものにもなったことなんてないのに、いつか誰かのものになるみたいにモモはそうつぶやく。
「いいよ。約束する」
安心させるようにそう口にする。僕は誰のものにもならない。
モモの指先に力が籠もって、少し痛い。
「だからその代わり」
その指先をそっと包むように握り込んで、モモを安心させるように撫でる。
モモが僕のものになってよ。
どうせ抱くなら喜んで抱いてほしかったけれど、モモは最初から最後までずっと切なそうな、苦しそうな顔をしていた。そんな顔をしないで、と何度も頬を撫でたけれど、返ってくる言葉は「ごめんなさい」の一辺倒だ。まるで僕を抱くことが重大な罪科であるかのように、なんらかの罰であるかのように、きつく目を瞑って苦しそうに息を吐くのだ。
それでいて、僕に触れることがとても幸福である仕草も見せている。瞳に宿る光が、ゆらゆらと情欲の炎を宿しているのを息が混じり合うほど至近で眺めていると、それだけで胸が騒いで、体が熱くなった。
モモは僕のものなんだから、僕の言うことを聞いてくれるだろ。
無茶苦茶な理屈だと思ったけれど、きっと僕がモモのものになるよりその方がモモの気持ちが楽だと思った。かわいそうなモモ、かわいいモモ。
それがどんな屁理屈だとしても、少しでも楽になるようにしてやりたい。いつもモモが僕にそうしてくれるように、少しでもしてやりたかった。
モモに抱いてもらえた僕は嬉しくて、すごく疲れていたけど気持ちが浮いていて眠くはならなかった。モモはしばらく体全体で息をしていたけど、息が整うとゆっくりと顔を上げた。
「モモ…」
こちらを見る双眸からはぽろり、と涙がこぼれ落ちる。
「泣かないで」
「ご、ごめん」
「辛いのか」
「……わかんない……ユキ…っ」
しがみついてぽろぽろと涙をこぼすモモの背中を撫で、そうっとその涙に唇を寄せる。そっとしずくを舌先ですくい取ると、しょっぱい味が舌の上に広がった。
「…モモの涙は甘いのかと思ってた」
「…………………………なにそれ???」
泣いていたモモは僕の言葉に驚いた顔をして、それからくしゃりと顔を歪ませて泣き笑いみたいになる。
「ユキの冗談ってよくわかんない時あるよね」
冗談のつもりはなかったけれど、どうしてそう思っていたのかもわからなかったからそういうことにしておこう。
「モモが笑ってくれるならいいだろ」
少しむくれた顔をして見せたら、そんな僕を見てモモは破顔した。
「あはは」
ああ、やっと笑ってくれた。僕の大好きなモモの笑顔。嬉しくて、ぎゅっとその頭を抱き寄せる。
「大好きだよモモ」
ずっと僕のものでいて。
そうしたら僕はずっと誰のものにもならないから。
モモの望むものになるべく近づけるように頑張るよ。頑張れる気がするから。
最初からモモ以外のものになる気なんてないけれど、いつかモモのものにしてほしい。モモが僕のものになるのも嬉しいけれど、僕はモモのものになりたかった。
本当はそう伝えたかったけれど、今はまだ言わないでおこう。だってモモには涙顔じゃなくて、ずっとそばで笑っていてほしいんだ。