ドラパ感想ライトなアホの感想と、うだうだ激重感情な感想があります。読みたい所だけどうぞ🐶💞
ライト編
・ひふどの民としての感想
・子猫の感想
・モブ俺の感想
激重感情編
・独歩くん
・一二三と仄仄
・先生
・総括
💛ひふどの民としての感想❤️
①お互いを大事にしろの夫婦喧嘩をありがとう
②愛する独歩を自分を繋ぎ止める碇みたいに信頼してるからこそ自由に動ける一二三ってなんかスゲー男の子な感じがして萌(ごめん伝わって)
③独歩くんはジゴどの時にキザにされるの好き説、爆萌 今、ジゴどが熱い!!!! 独歩くんはジゴロモードどう思ってるのかなと思ってたんだけど、そっちの一二三からキザに口説かれるのも大好きだったんだ…♡
④今年の酉の市デートは私服確定だね♡独歩くんの激マブ白コーデに合わせる一二三のコーデを考えるのは、そこのあなた!!!
🐱子猫としての感想
・安易に家族関係を修復して欲しいとは言えないけど、一二三の冤罪を晴らす展開が今後欲しいニャン…泣 せめて誤解は解きたいニャン…泣 梅雨の時期とか、一二三くんのバースデーあたりで辛かったニャンね…
・一二三くんが自分を大切にすることに気づいて良かったニャン…過剰すぎて怖かったニャン…泣
・一二三の夜景デートスポットってどこニャン…?ニャンも行きたいニャン 都庁の展望室とか夜景を一望できるニャンね…とか思ったけどあそこエレベーター乗る前に手荷物検査あるから、仄仄のカバン調べたら真正ヒプノシスマイク出てきたかもしれないニャン だから別のところニャンねきっと…
モブ俺としての感想
・モブ俺も独歩くんとご飯を食べながら独歩くんを褒めたい(消え失せろ)
・独歩くんの電話困惑声かわいい モブ俺も独歩くんと電話したい(消え失せろ)
・モブ俺も独歩くんにボーナスを与えたい 今度会った時にボーナスと呟きながらパンを与えたい(消え失せろ)
以上、ライトな感想
以下、読まなくて良い感想
最初は時系列順で長文書いていたのですが途中でうっかり書いていた文を消してしまい、もう復元できないから書いてた断片だけ残しておきます。キャラへの感想です。
・独歩くん
私は独歩くんは自分の中にある小市民性と非小市民性で苦しむキャラだと思っています。普通に生きるのを美徳とするサラリーマンの独歩くんは前者の小市民。ただ独歩くん自身が惹かれる人物たちは一二三や先生のような苛烈な自己犠牲を伴った善性を持つ人なんですよね。少なくとも普通の小市民としての生き方ではありません。彼らについていくのは、普通の人では無理だと思います。それでも側を離れないのは、独歩くんの中で小市民の感覚としておかしい、間違っていると感じつつも、それを美しく思ったりする精神がどこかあるからだと思います。そして独歩くん自身もどこかその苛烈さがあり、ときおりそれがバーサーカーとして出てしまうのではないでしょうか。そこに独歩くんの美しい矛盾があります。独歩くんはこのバランスを自分自身の中でも、またチームメンバー2人のバランスを取らなくてはいけない難儀な人です。その道をあえて行く人です。今回のドラパではそれをこなしていて、中々できることではないなと彼をもっと好きになりました。
・一二三と仄仄
私はこの2人に関しては既に自分の同人誌のあとがきで対立構造を書いており、今回のドラパもそのままのように感じたので、あとがきを抜粋したものをポイピクに貼っておきます。リプに繋げておきますね。ついでに独歩くんや先生も。本の再販予定は無いし、無料部分だったので、お許しください。
仄仄は消費する者であり、一二三は与える者として対立する関係性だと思います。特に真正ヒプノシスマイクを使うというシーンは、お互いやろうとしてる行為は同じなのに、仄仄は自分すら消費してやるという意図だったのに対し、一二三は与えるために真正ヒプノシスマイクを使うという対立をしていたように思いました。私の考えていたキャラ観が公式と一致するところがあって、嬉しくも切ないところがありました。
一二三くんの言ってる内容は、光属性通り越してもはや狂人では?という視聴者の感覚は十分分かりますし、同意します。独歩くん本当にありがとうという気持ちでいっぱいなのですが、あえて一二三くんの行動原理を妄想して言語化してみたいなと思ったので、書きます。
私は前から一二三くんは隣人愛に溢れた人物だなと思っていたんですが、本当に聖人みたいなやり方で敵を退けていてすごいなと思いました。
敬虔な人間でもないのに宗教的なことを書くと誤解が生まれるかもしれないので、とても書くのが難しいんですが、イエスが山上の説教をした時のエピソードを思い出したんです。もし、だれかがあなたの右の頬を打つなら、ほかの頬をも向けてやりなさい。とかで有名な説教です。これはあくまで報復はしてはいけませんという主旨の説教なんですが、それの続きは要約すると、貴方が不当なことを要求されたときには余分に与えなさいっていうような説教が続くんです。私はこれを読んだ時、なんで敵に与えなアカンねんと思っていたんですが、実際ここら辺は一二三くんが命を削る真正ヒプノシスマイクすら使うとという、余分に与えることを言い始めたあたりに敵の仄仄含めて一二三くん以外の全員(視聴者含む)もドン引きして、結果仄仄は退散してしまいましたね。実際これやったら敵もそれ以上やれなくなる可能性もあるのかもしれないな…と変な納得がありました。光属性の手段、有効な場合もあるかもしれないけど、一二三の場合やりすぎだよね。反省して欲しい。
それに、山上の説教の続きとして、イエスは愛してくれた人に愛を返すのはどんなずるい人でも当たり前にやれることで、悪人の上にも平等に光を与える太陽みたいなのが本当の愛みたいなことを言ったらしいんですが、実際悪人が太陽に向かって、いつも照らしていて気持ち悪い!とか言っててもその内アホらしくなりますよね。だって太陽は悪人の上でも変わりなく毎日現れるから…。俺から会いにいく!ってこういう感覚で言ってるのかなと思いました。一二三くんって、太陽の感覚で生きてる人だったんだ…。ここら辺は、ひふどの民視点でいうと22歳頃のカーテンを締め切ってた一二三に独歩が陽の光を当ててたところとかと重なっていいなと思います。毎日変わらぬ光があることに気づく時、人は前進できるのかもしれないですね。
・先生
先生の過去を思うと、先生の苦悩と孤独は深いのだろうと思っていました。一二三は危なっかしいほどの隣人愛のある人物ですが、独歩という存在がおり、独歩という重い碇があるという信頼感を持っているからこそ、どんな嵐の中でもその船をとどまらせることができたように思います。家族や友人を失い、社会を奪われた一二三が安心してまた新しい社会に出ていけたのは、独歩の存在があったからだと思います。
幼馴染と比較すると、先生は今まで孤独だったように思います。先生自身は人を愛する気持ちはあるのに、大切な人を失い続けてしまう。ひとりでできてしまう能力がありすぎるからこそ、背負い込みすぎてしまう。強い先生は自覚はなかっただろうけど、その負荷は今まで辛かったと思います。今回真の意味で一二三と独歩にその重荷を一緒に背負ってもらうことができたんじゃないかなと思いました。幼馴染がお互いの言葉をサンプリングして先生へラップする展開、あたたかくて良いですね。
総括
シンジュクは愛がテーマのディビジョンなんだろうなとは昔から思っていました。
ただ、彼らは都会的な街で生きて社会へ愛を持って献身しようとする傍ら、その自己犠牲精神が過剰すぎて、助けたい相手からすら理解されず否定されてしまい、孤立してしまうという悩みを持っていたように思います。
今回、志は捨てないまま、まず自分を愛するということを3人とも学べて良かったなと思いました。愛と光で世界を照らして欲C