制服 壁にかけられた二着の制服。一着はわたしの、もう一着はエランさんの。
エランさんがシャワーを浴びているいま、わたしはちょっとだけ悪いことをしようとしている。
「……よし」
覚悟を決めて、目の前の制服へと手を伸ばした。わたしのではない、ブルーグリーンのサイズの大きな制服へ。別に悪戯をするわけではないけれど、脈は速さを増し、両手はプルプルと震えていた。
彼シャツ、とか、彼ジャージ、という言葉を知ったのは、つい最近だ。なんでも恋人のシャツやジャージを自分が着るのだという。言葉通りの意味だった。
普段、恋人が身に纏っているもので包まれる。大好きな人の優しい香り付きで。それはきっと、とても幸せなことなのだろう。
はじめてそれを聞いたとき、つい想像して、ドキドキしてしまった。今日まで頭から離れることはなく、やってみないことにはこのまま妄想が膨らむばかりだと思ったのだ。
こんなコソコソとやらずに一言「貸してほしい」と言えば、エランさんは制服を貸してくれるだろう。けれど、本人の目の前でやるのはさすがに恥ずかしかった。理由を訊かれるのだってきっと耐えられない。逃げてしまうに違いない。
だから、エランさんがいないうちにやるのだ。
「よっ……」
ハンガーにかけられたジャケットをゆっくりと取る。途中、カタリと小さな物音がして、心臓が大きく飛び跳ねた。エランさんが出てきたのかと思ったけれど、ハンガーが壁に当たっただけだった。
なんとか手に取ったジャケットを皺にならないよう優しく抱きしめれば、ふわりと鼻を掠めた大好きな匂いが気持ちを落ち着かせてくれた。あんなに速かった脈も少しずつ元の速度へと戻っていくようだった。
これだけでも満足だけれど、やっぱり、袖を通してみたい。抱きしめるだけでこんなに幸せになるのだから、これに包まれたらもっと幸せになれそうな気がした。
ドキドキしながら、はじめて自分のではない制服に袖を通す。通した袖はせいぜい指先が出るくらいで、生地も余っていた。普段は腰までの裾もいまはお尻まで隠れている。すぐ脱げるようファスナーは閉めずに手で前を閉めてみれば、体と制服の間には大きな隙間があった。
やっぱり、エランさんの身体はわたしより大きい。
当たり前の事実を再確認して、顔に近付けるよう制服を少しだけ持ち上げた。さっきよりもずっとエランさんの匂いが近い。体温も心音も感じることはできないけれど、まるで彼に抱きしめられているようで、どうしても頬が緩んでしまう。
「えへ……えへへっ……」
「——スレッタ」
「ヒィッ!?」
突然名前を呼ばれ、口からは思わず悲鳴が出た。
「なにしてるの」
「あ、あわ、わ……っ」
落ち着いてきたはずの心臓が痛いほど脈を打つ。さっきまで一人だったはずなのに、すぐ隣からはエランさんの気配を感じる。
おそるおそる気配のする方へ顔を向ければ、そこには肩にタオルをかけた、いかにもシャワーを浴びてきました、という風貌のエランさんが立っていた。
「エラン、さん」
「それ、ぼくの制服だよね?」
「えっと……こ、これは、わたしのです! エランさんのじゃっ」
「きみの制服はそこにあるけど」
「っ……これは、そのぉ……」
パッと思いついた言い訳で、エランさんを誤魔化せるわけがなかった。
「ねえ、なにしてたの」
「ええっと……」
「ぼくには言えないこと?」
「そ、そんなことは……」
そんなことはないけれど、恥ずかしくて言いたくなかった。
指を擦り合わせながら必死に言い訳を考えるも、エランさんが納得してくれそうなものは出てこない。
無言の圧と視線に気まずくなって俯いたとき。視界に入ったエランさんの足が一歩こちらへ近付いたかと思えば、身体が突然宙に浮いた。
「ふぉっ……!?」
背中と膝裏にはしっかりと腕が回され、見上げた先にはわたしをジッと見つめる緑の瞳。
わたしはいま、お姫様抱っこをされているらしい。
「…………」
「えっ、あの、エランさん!?」
わたしを抱いたまま、エランさんはスタスタとどこかへ向かう。どこか、と言っても、お姫様抱っこで向かうところなんてこの部屋にはひとつしかない。
「うわっ……!」
ポイッ、といつもより雑にベッドへ下ろされる。それからすぐにスプリングの軋む音がして、身体の上には大きな影が落ちた。
「あのあのあのあのっ! ま、待ってください!!」
「待てない」
「ひぇ……っ」
そう深い緑に射抜かれたら、抵抗なんてできなかった。
少しずつ視界が暗くなっていく。キスをされるんだろうな、とぎゅっと目を瞑ったときだった。
「エラン、さ、ぴゃっ!?」
なにか濡れたものが頬や額に触れて、その冷たさに思わず目を開けた。視界に入ったのはエランさんの顔……と、まだ濡れたままの髪だった。
「か、髪! 乾かしてないじゃないですか!」
「いいよ、そんなの」
「風邪引いちゃうのでダメですよ!」
「…………」
肩にかかったままのタオルに手を伸ばし、わしゃわしゃとオリーブグリーンの髪に残る水滴を取っていく。エランさんはどこか不満げにわたしを見つめながらも、大人しく髪を拭かれていた。それはまるでいつか動画で見た、身体を洗われたあとの猫のようだった。
エランさんの髪はわたしよりもずっと短い。とはいえ、タオルで完全に乾かし切れるわけではない。それに、寝転がったまま拭いてあげるのはつらいもので、腕は限界が近いと悲鳴を上げ始めていた。
「エランさん。ドライヤーで乾かしてあげるので、そこに座ってください」
「このままでいいよ」
「ダメです。このままだと身体が冷えちゃいますし……エランさんが風邪を引いたら、わたしも困ります。乾かしてからにしましょう? ね?」
「……わかった」
エランさんはようやく上から退いてくれて、わたしは急いでドライヤーを取りに行った。
ドライヤーで髪を乾かしている間、エランさんは時折気持ちよさそうに目を細めていた。タオルドライをしっかりとしたおかげか、そう時間もかからずに乾かすことができた。
「終わりました!」
「ありがとう」
「どういたしまして、ぇっ……!?」
ドライヤーを片付けよう。そう思っていたはずなのに、次の瞬間には身体はベッドに倒されていた。身体の上には馬乗りになったエランさん。さっきと同じ体勢に戻っている。
「ド、ドライヤー! まだ片付けてないので……!」
「いますぐ片付けないと困るものでもないでしょ」
「それは……そ、それに! 制服! 脱がないと汚れちゃいます!」
「汚してもいいよ。替えはあるし」
「よくないですよ!?」
「……もういい?」
「えっ、んむっ……!」
うるさいとでも言うように唇が塞がれて、結局、抵抗虚しくドライヤー片手にエランさんに食べられることになった。
制服はといえば——
「あの……ちゃんと、綺麗にして、返すので……」
「汚してもいいって言ったのはぼくなんだから、別にそのままでいいのに」
「わっ、わたしがイヤなんですよ!」
汗やら体液やらいろんなもので汚れ、ぐちゃぐちゃになった制服を、そのまま返すことなんてできるわけがなかった。
後日、制服はきっちり洗濯したあと、クリーニングにも出してシミも皺もなにひとつない綺麗な状態にしてからエランさんに返却した。
▼あとがき
書き終わってからドライヤーで攻撃(4くんの顔に冷風をかける)するスちゃんを書いてもよかったなと思った。
ドライヤーはキスされたタイミングで4くんにポイッとされるか、枕の代わりにドライヤーを握りしめながら最後までしてたらいいな。