死蝶と後悔 前編いくら死刑囚であっても、人間を実験体にすると言うのはどんな人間であっても理性が咎める物だ。
ギロチンが何の為に発明されたのか?
それを研究者達が知らない訳はない。
どんな人間であってもその命の尊厳は守られるべきなのだと。
だが、実験体にされた死刑囚はその研究室に運ばれて来た。
これから何をされるか分かったものではないと言うのに、その男は落ち着いていた。
拘束具を着せられたままじっとその場に座り込み、警備員が見張っている中その男は無意味に部屋を見回すようなこともしなかった。
ただじっと、これから与えられる刑罰を待っているかのようだった。
研究者達はその男に対して多少の罪悪感を覚えながらも無駄な会話を交わす事なく執刀した。
その男がいくら抑えきれない恐怖に声を漏らしても、苦痛の表情を浮かべても、研究者達は手を止めなかった。
轡越しの悲鳴と拘束具で効果の無くなった抵抗と踠きは研究者達の心を揺するには足りなかった。
男は、実験が終わった頃にはぐったりと横たわるだけになっていたが、まだ死んではいなかった。
だが、死ぬのも時間の問題だろうと研究者達は冷めた頭で考えた。
せめてもの情けに麻酔を投与し、棺に横たわらせたが……男は中々息を止めなかった。
今日こそはと思い、毎日麻酔を投与して3日経つと、研究者達は費用を考えて麻酔の投与を取りやめた。
男は一週間経っても死ななかった。
そこで研究者達は考えた。
この男を生かしておいて、実験体になってもらった方が良いのではないか、と。
研究者達は男に食事を摂らせた。
注射や点滴をしようとすると暴れ出す為、轡を外してやって食べさせると、余程腹が減っていたのか2人前を平らげた。
この男がまだここまで動ける事に驚きつつも、研究者達は密かに安堵していた。
それは決して人情的な理由ではなかった事は想像に難くないだろう。
結局その後も人体実験が行われたが……ある実験で男が完全に壊れた。
今まで薬の投与や内臓の入れ替えや切除などを行ったが、一つだけやった事がない事があったのだ。
それは脳その物に執刀する実験だった。
どうせ長くはない命だと、最早何の罪悪感も無くなった研究者達は男の脳をほんの少しだけ切除した。
結果は男に致命的な疾患をもたらした。
男には激しい頭痛と言語能力の低下、そして奇行が現れた。
頭の違和感を訴えながら、頭を地面や壁に打ち付け始めたのだ。
それを研究者達は止めなかった。
もう終わりかと、冷めた目で見るだけだった。
男は安楽死に使われる薬を投与され、目を閉じた後棺に入れられた。
棺を研究所の敷地内に埋葬し、研究者達は次の実験の事を考えながらその場を立ち去った。
研究者達は知る由も無かった。
男が薬によって心臓が止まっても、意識を保っていた事を。
* * *
蝶がひらひらと、研究所の敷地内にある庭を飛んでいた。
掘り返された痕跡のある場所に辿り着くと、蝶はその側にとまった。
土の下からは微かに物音が聞こえていた。
棺の中でじたばたと暴れる音だ。
蝶は不思議に思った。
限り無く濃い死の匂いがすると言うのに、死体が動いているようだった。
興味を惹かれた蝶はどこからか同族を呼び寄せ、固まると人の形を取った。
「……はぁ……これ、掘り返すのか……」
興味を惹かれたもののその作業を考えると憂鬱にならざるを得なかった。
「ちょっくら"お話"でもして来ようかね……」
かつて一匹の蝶だった男はニヤリと口角を上げて施設に目を向けた。
「あんさんら、生きたまま埋めたのか?」
男の問いに研究者達は震えて首を横に振った。
死んだと思って棺に入れて埋めた男が生きていたのだから仕方無いだろう。
それに加え、目の前に居るのは誰かを埋めた事を言い当てた上に見せしめに容易く一人を殺して掘り返せと命令して来た男だ。
怯えるのは仕方の無い事だった。
「生きてる筈、無いのに……」
そう呟いて研究員が棺に横たわっている男の心拍を測った。
心臓は止まっていた。
脈も打っていない。
だが、男は生きてその濁った目で研究員を睨み付けていた。
「そうなんだよな……死体の匂いがしてんのに……」
「ッ……‼︎」
いきなり鼻を寄せられて驚いたのか、男が睨む相手を変えた。
「とりあえずこいつは俺に引き取らせてもらおうか……」
研究員達は黙って頷いた。
「ほーら、暴れなさんな。こん中に移るだけだ。な?」
じたばたと暴れながら背負っていた黒い棺に移される途中、被験体だった男は頭突きを喰らわせてしまった。
「……、」
硬い感触を感じた後、すぐにぐしゃりと布を潰したような感触を覚えた。
驚いて見知らぬ男を見てみると、頭をぶつけた箇所だけが蝶の固まりになっていた。
「……びっくりした……」
男がそう呟くと、頭はすぐに元の形に戻った。
「……何匹か潰れちまったな……はぁ……」
その場に居る全員が何が起こったのか分からぬまま、二人は蝶の群れに変わって消えて行った。