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    グレムル前提のヒスムル(仮)12話
    長え、長えけど中途半端な所で終わらせるのもあれだったから……

    ヒスムル(仮)12事務所に帰ると、両頬を腫らしたムルソーとそれを囲む二人が居た。

    「……何だ?お前らリンチでもしたのか?」
    「違えよ。あのクソガキが……」
    「……ヒースクリフ……?」

    グレゴールは目を見開いてムルソーを見た。
    ムルソーはグレゴールの方を見ようともせずにぼんやりと俯いていた。
    いつも背中だけは真っ直ぐだったのに、今日に限っては丸まっていた。

    ただ事では無いような気がした。
    今までで一番深刻な事が起こっている……そんな気配がした。

    「……何があったんだ?」

    事の経緯はこうだった。

    いつものように仕事をしているとヒースクリフが二人の間に割って入って来た。
    そしてヒースクリフが次第に怒り出してお互いにヒートアップして殴り合いになった。

    そこに帰り際のムルソーが合流してヒースクリフを庇うも、ヒースクリフが逆上してムルソーを殴ったのだと言う。

    グレゴールからすると到底信じられない話だったが、ムルソーの様子を見る限り事実である事が嫌でも分かってしまった。

    「……手当ては?」
    「まだしてない。」
    「じゃあ俺がやっておく。あんたらは帰りな。」

    二人が帰った後、グレゴールは保冷剤と念の為軟膏を持ってムルソーのもとへ戻った。

    「……口ん中見せてみろ。」

    ムルソーは僅かに口を開いたが、暗くて見えそうになかったので指で更に開かせた。

    「あ〜……切れてんな……そのまま開いてろよ。」

    傷口に慎重に軟膏を塗ってから保冷剤を布で包んでムルソーの手に握らせた。

    ムルソーは手元の保冷剤をぼんやりと見つめたまま動かなかった。

    「……ショックだったんだな。」

    ムルソーは頷いた。

    グレゴールはその肩に手を置いてじっと待った。

    「……ここに戻される前……ヒースクリフが、泣き叫んでいるのが聞こえた。」

    保冷剤を握る手に力が込められたような気がした。

    「私がどれだけ許すと言っても……彼は聞かなかった。……いつも、そうだ。本当は、許される事を望んでいるくせに……いつも……許されないように、振る舞うんだ、彼は……」

    ムルソーは乱暴に涙を袖で拭った。

    「……一体どうしてもらいたかったんだ……?怒らなければ、駄目だったのか……?あんな状態の彼を……、それに……許してほしがっているのが、分かっているのに……?」

    ムルソーが泣くのを見るのは初めてだった。

    だが、その仕草の節々に誰かさんのような荒々しさと苛立ちが滲み出ているのを見ると……

    (……感化でもされたのかね。)

    グレゴールはムルソーの背中を撫でながらそんな事を考えた。

    「……お前は間違ってないよ。下手に言い返したら傷付いちまうだろうし……お前だって怒りたくなかったんだろ?」
    「勿論だ……だが、彼は……」

    ムルソーはそこまで言って頭を振って、震えた溜め息を吐いた。

    「……いや……グズグズ考えていても仕方無いな。……もう起こってしまったのだから。」
    「……」
    「……昨日、ヒースクリフはどんな様子だったんだ?」
    「……やっぱり気まずそうだったな。この間の事気にしてるみたいで……寝る前に誤りに来たよ。」
    「……そうか。」
    「あと……」

    ムルソーが濁りの薄まった眼をこちらに向けた。

    「あいつ、勉強が苦手って言うか……考え過ぎて、頭がこんがらがるんじゃないのか?多分……色々考えちまうから神経質になりやすいんだよ。」
    「……」
    「この前も……色々考えた末での行動だったんだろうよ。」
    「……そう、だな。一番辛いのはきっとヒースクリフだ。」

    言いながらムルソーは深い溜め息を吐いた。

    ムルソーもあまり良い状態には見えなかったが、今出来る事が思い付かなかった。

    (……また、仕事の合間に探すしかないな……)



    自分のデスクでそのまま眠って朝を迎え、出勤ボタンを押して戻ると積み上げられていた書類が減っていた。

    オフィスを見渡してみると、持って行ったらしい者が一人だけ居た。

    ……以前から頻繁にヒースクリフと言い争いをしていた男だった。
    そして昨日は……

    そこまで思い出すとじりじりと頭が痛くなってきて、私はその人の方へ向かった。

    「……それは貴方に頼まれた仕事ではありませんが。」

    周囲の視線が更にこちらに向いたのが分かったが、構う事は無かった。

    「……」
    「……はぁ……貴方の気が向いたのであればそれは結構ですが、次からは貴方の分だけにしてください。」

    私が自分のデスクに戻ろうとすると、ぽつりと溢された言葉が耳に入って来た。

    「……あのガキが、"本当はやれるくせになんでやらないんだ?"って言って来てよ。」
    「……」
    「……まあなんだ。ただの気まぐれだよ。」

    私は彼を一瞥した後、デスクに戻った。

    「……あいつまたピリピリしてるじゃねえか……」
    「おい、聞こえるだろ……?」
    「聞こえてたってあいつは何も言わないだろ。どうせ……」
    「はあ……ああも変わると調子狂うよな……」

    いつもは気にならない話し声が、今日は嫌に耳についた。

    「ガラムさん、何か知ってるんでしょ?何があったんですか?」
    「……お前らもちょっとは自分でやる事を思い出した方が良いんじゃないか?」
    「……」

    私はそちらに目を向けた。

    私に目を向けていた者達が一斉に目を逸らしたが、彼だけは自分の作業に集中していた。

    「……はあ……」

    どれだけヒースクリフの一件が胸に引っ掛かかっていようとも今は仕事の時間だ。

    私も集中しなければならない。

    そうする事で少しだけでも……いっときは、楽になれる筈だから。



    外勤・捜索開始から約5時間。
    グレゴールは重い右腕の鋸を引き摺りながら人気の無い路地でヒースクリフを探し歩いていた。

    (……もう12時か……)

    事務所からかなり離れた所まで来たがヒースクリフは見つからなかった。
    前回居た場所は勿論探したが見つからない。

    一旦アームに交換して探しに回るか迷ったが、仕事を先に終わらせようと思った。


    グレゴールが仕事を一件終わらせた時の事だった。

    漸く一息つけると思った瞬間、背後から物音が聞こえて来たのだ。
    グレゴールが鋸を構えて振り向くと、ヒースクリフが室外機の後ろから出て来た所が見えた。

    「ヒースクリフ……!」

    グレゴールが駆け寄ってもヒースクリフは動かずにこちらの様子を窺っているだけだった。

    「……えっと……体調とか、どうだ……?外寒いだろ?あと、腹は……」

    ヒースクリフはこちらの仕草をじっと見ていた。

    「……」

    不意に、ヒースクリフが口角を僅かに上げた。

    ……疲れ切ったような顔のまま。

    「……どう思ったんだよ。俺がやった事、聞いて。」
    「……」
    「……あの人なら全部あんたに話すだろ?そんぐらい、分かるよ。」

    グレゴールは逡巡した後、溜め息を吐いて重い口を開いた。

    「……お前さん達を見てると、こっちまで辛くなってくるよ。」
    「……」
    「……本当は殴りたかった訳じゃないんだろ?ただ……冷静じゃなかっただけだ。そうだろ?」
    「……」

    ヒースクリフは途端に顔を顰めてそっぽを向いた。

    「……?」

    何か、気に障ったのだろうか。

    急に苛立ち始めたような気がする。

    「……ほんと、優しいな。あんた達は。」

    そう言ってヒースクリフは溜め息を吐いた。

    「……そう言うとこ……」

    そこまで言ってヒースクリフは口を噤んだ。

    「……とりあえず、何か食いに行かないか?って言っても俺は一旦事務所戻らなきゃいけないんだけどな……」
    「……俺を事務所まで行かせるつもりか?……正気かよ。」
    「……別に、ムルソーはずっと中居るんだから事務所の前居ても……」
    「……」

    ヒースクリフの視線が途端に刺々しくなった。

    「……とにかく……帰らなくても良いからさ。何か食べようぜ。な?」
    「……腹減ってないから、いいよ。」

    グレゴールは少しの間黙ってヒースクリフの腹の虫が鳴くのを待ったがそんな気配は少しも無かった。

    「……そ、そうか。」

    流石に声が震えてしまった。

    「……あの人は、どうしてるんだ?」

    ヒースクリフが、不意にそんな事を聞いて来た。

    「……落ち込んでるよ。それでも仕事休めないから無理してるんだが……」
    「……どんな風に?」
    「……?」
    「……あ、いや、やっぱいいや。想像つくし……」
    「……」

    何か、おかしかった。

    何かが抜け落ちているような、そんな感覚がしていた。

    「……はは、」

    今、何が起こっているのか、理解出来なかった。

    何故こいつは笑っているんだ?

    「……お前……何、笑って……」
    「だってあの人、俺の為に泣いたり落ち込んだりしてくれるんだぞ?嬉しくない訳無いだろ。」
    「……ッ、お前、あいつの気持ちを何だと思って……!」
    「そりゃあ大事だよ。あそこまで思ってくれる人なんかそう居ないからな。」
    「なら……なんで、笑って……」
    「……嬉しいんだよ。俺の事考えて、苦しんでくれてるのが。」

    ヒースクリフの瞳が、曇ったように見えた。

    「初めてなんだ。あそこまで、考えてくれる人。あんたもそうだよ。まるで、自分の子供みたいに接してくれて……優しくしてくれて……分かったんだ。これが愛されてるって事なんだって。」
    「……」
    「……あんた達なら、俺を捨てないんじゃないかって……そこまで考えたら、正気に戻ったんだよ。そんな事あり得ないって。だって、今までそうだったんだから……裏路地で、俺を助けてくれた人も、拾ってくれたじいさんも死んで……あの家は、そもそも俺なんか居なくなったって気にしないような所だった……ずっと頼ってきた先生だって、俺の事、急に突き放して……やっぱり……面倒くさかったんだ。俺の事。皆……」

    グレゴールは、掴んだ胸ぐらを離した。

    「だから……捨てられるまで、甘える事にしたんだ。あの人が見つけてくれるまでずっと待ってるんだ。見つけてもらったら、また出て行って……あの人が呆れ返って、探す気が失せるまで、やるんだ。」

    ヒースクリフは悲しく笑った。

    「……捨てないでって言わないのか?」
    「……」
    「素直に、あいつに全部吐き出せば良いだろ。あいつもお前も俺を介してばっかりで……直接言い合う勇気はお前らに無いのか?」

    黙り込んだヒースクリフに苛立って再び口を開いた瞬間に、ヒースクリフが消え入りそうな声でこう言った。

    「だって……直接言おうとしたら……」
    「……言おうとしたら、何だよ?」
    「……あの人の優しさが、嫌になるから……」
    「……それでまた喧嘩になるって?」
    「……」
    「ハァ……それはあいつの優しさが、じゃなくてお前さんが勝手に惨めになってるだけだろ?どうせ『俺みたいなクズなんかに……』とか思って真意を疑ったりしてるんだろ?……気持ちは分かるけどさ……俺もそんな時期あったし……」

    ヒースクリフが眉間に皺を寄せて顰めっ面をした。
    恐らく図星なのだろう。

    「……あのな。今のお前さんに信じろって言うのも難しいと思うんだけどさ……あいつが本当にお前の事思ってるのは事実なんだ。それに……あいつは自分から手放す事は絶対に無い。お前さん程気にかけてる奴なんか尚更だ。……それだけは覚えておいてくれ。」
    「……」

    ヒースクリフは無理に嘲るように笑っていた。

    「……いつまで構ってくれるかな、あの人は。」

    一度瞬きをすれば溢れそうな程、その目には涙が溜まっていた。

    その目から、底知れない不安と恐怖が読み取れて、グレゴールは思わず固唾を飲んだ。

    (……こりゃ……簡単に解決出来そうにないな……)

    ……もしかしたら。

    今まではまだ浅い所で済んでいたのが、ここに来て深い所まで露呈してしまったのかもしれないと、そう思った。

    だが、今のグレゴールにはどうする事が正解なのか、全く分からなかった。

    それはきっと、ヒースクリフ自身も同じなのだろう。

    「……ありがとう。わざわざ時間割いてくれて……」

    その言葉は、本心だったのだろう。

    だが、だからこそ、察せてしまうヒースクリフの胸の内が、悲しくて、痛ましくて、辛かった。

    「……あ……」

    グレゴールが我に帰った時にはヒースクリフはどこかへ行ってしまっていた。



    ……踵が痛い。

    どのぐらい歩いただろうか。

    ムルソーの家や、事務所からかなり離れた場所まで来た。

    「……」

    知らない場所だ。
    知らない風景だ。

    それを自覚した途端にどうしようもなく心細くなって、ヒースクリフはその場に蹲った。

    (……おっさん、せっかく見つけてくれたのにな……)

    そう思うと、視界がぼやけ始めた。

    (……おっさんも……いつか、探しに来なくなるのかな。)

    そもそも、どこの子供かも分からない人間にあんな風に優しく出来る事自体がおかしいのだ。

    じいさんも、ムルソーも、グレゴールも……

    (俺だったら、絶対……あんな風に、優しく出来ない……)

    あの家の人間と同じように。

    工房のフィクサー達と同じように。

    (……やっぱり、あの人達の方がおかしいんだ。)

    ヒースクリフは膝を抱きながらグレゴールの事を思った。

    ……気にかけてくれる人が居る。
    それは確かにありがたい事だ。

    (……分かってるよ……)

    ヒースクリフは、その厚意の受け取り方が分からなかった。

    礼を言おうにも、言葉が喉の奥に引っ掛かって出て来ない。

    それに……ヒースクリフは、その厚意がいつまでも続かないと知っていた。

    (……あとどれくらい、続くかな……)

    ヒースクリフがまごついている間に、刻々と残りの時間は減っていく。

    1秒、10秒、1分、10分、1時間、数時間……

    そして、最後にはその優しさが尽きて、ヒースクリフに手を差し伸べなくなるのだ。

    それが何よりも怖かった。

    怖かった、筈なのに。

    「……、……」

    俺は、あの人を殴った。
    酷い事も言った。

    捨てられる事よりも、あの人の優しさの方が怖くなって、嫌になったから。

    ああやって尽くしてくる人程、早く飽きて捨てていったのを覚えているから。

    だから……全力で、嫌いにさせてやろうと思った。

    だって、あの人はきっと良い家庭で生まれて、頭も良くて、何の苦労も無しに易々とフィクサーになった人なんだ。

    ……ああ、だから……

    だから、こんな気持ちになるんだ。

    ……一体何を考えていたのだろう。

    生まれも育ちも、まるで正反対の人間が、どうして家族みたいな真似を出来ると思ったのだろう。

    考えが合わないのなんて当たり前の事だった。

    それに、俺は何も出来ないのに対して、あの人は何でも出来るじゃないか。

    ……届こうだなんて、夢のまた夢だったのだ。

    「……ばかだな、俺……」

    真似っこしようとして、結局本物には届かないんだ。

    劣っているんだ。

    (……ガキみたいで、しょうもねえ……)


    換気扇から、スープの匂いが漂って来た。
    それに触発されて腹が悲しげに鳴いた。

    (……いいなぁ。)

    暖かい部屋、暖かい家族、温かいご飯、暖かいベッド……

    それを想像して、寒さにぶるりと体を震わせた。

    室外機に寄って、壁にぴったりとくっ付いて身を丸めた。

    『寒かっただろう。さあ、早く帰ろう。』

    ……殴らなければ、俺を見つけた時にこんな事言ってくれたのかな。

    「……ぅ……」

    ボロボロと、涙が溢れて、服にシミを作った。

    早く、早く迎えに来てくれよ。

    殴っても、怒っても、良いから……

    もう一度、あの家に……帰らせてくれよ……




    義手が冷たくなる程に寒い朝だった。

    まだ日は昇っていない。
    グレゴールはコートを羽織って家を出た。

    (ここら辺はもう探し尽くした……あとはここら辺だ。)

    地図を開いて場所を確認してからまた歩き始める。

    あの落ち込み様だ、動き回る元気は無い筈……

    グレゴールは11区を更に北に進んで行った。

           *  *  *

    先日ヒースクリフが居た路地を歩き回る事十数分。
    住宅地に入り、家と家の間の僅かな隙間、室外機の側で蹲っているヒースクリフを見つけた。

    グレゴールがその隙間に入って行き、重ね着して来たコートを羽織らせると、ヒースクリフが消え入りそうな声で呟いた。

    「……なんで、探しに来るんだよ……」
    「……」
    「なんで毎回見つけて来るんだよ……」
    「お前さん、これで隠れてるつもりなのか?そうだとしたら隠れる場所がワンパターン過ぎるぞ。」
    「……うるせぇよ……」

    刺々しい言葉を吐いているつもりのようだが、声は震えて、鼻を啜って泣いているのが丸わかりなので殆ど効果を感じられなかった。

    「……寒いだろ?ほら……カイロ持って来たから。」
    「いいよ……」
    「……飯は?もう2日ぐらい食ってないだろ……?」
    「……」

    ヒースクリフは膝と腕に顔を埋めて黙り込んでしまった。

    この様子ではきっと持って来ても食べようとしないだろう。

    「……早く、どっか行ってくれよ。おっさん、今日も仕事だろ?」
    「……」
    「……俺に構ってないで……さっさと行けよ……」

    グレゴールは溜め息を吐いて話題を変えた。

    「……お前さん、事務所の奴らと喧嘩したんだってな。」

    ヒースクリフの体がぴくりと跳ねた。

    「……仕事終えた後に会話に割り込んできたって言ってたけど。あいつら、何話してたんだ?」
    「……」

    ヒースクリフが少しだけ顔を浮かせてこちらを見た。

    「……あんた、あいつらにどう思われてるか知ってんのか?」
    「まあ……おおかた仕事泥棒だろうな。」
    「……あいつら、自分で仕事しようともしないくせにあんたの陰口叩いてたんだ。」
    「……え……それで……?」
    「……本当は出来るくせに、やらないあいつらに腹が立ったんだ。」

    グレゴールはヒースクリフを見つめたまま押し黙った。

    「……俺に出来ない事を、あいつらは出来るんだ。俺に無いもんを……あいつらは、持ってるんだ。それが……ムカついたんだ……」
    「……」
    「……あの、な。やっぱり、あんたと俺は違うんだよ。あんたは、金が無くても頭は良くって……それが平均クラスでも、俺よりも確実に上なんだ。……俺は、あんたと同じレベルになれないんだよ。」
    「……」

    グレゴールは、それに対して何も言い返せなかった。

    ヒースクリフは、必死にもがいて、足掻いているのだろう。
    それでも……自分の実力という物は、他人に計れる物ではない。

    ヒースクリフ自身が自分の実力を見誤っていたとしても、それは今分からないのだ。

    ただ……ヒースクリフが自覚している自分の限界だけが確実なのだから。

    「……あの、な。おっさんに、協力するって言った理由……ほんとは、おっさんの為でも、あの人の為でも……なかったんだ。」
    「……」
    「……あんた達に……捨てられないように……沢山金使ったのにって、あんなに勉強教えたのにって……ガッカリ、されたくなくて……頑張ってる、だけなんだ……」

    グレゴールは口こそ開いているものの、何も言えなかった。

    「……偉いなって、思わせたいだけだったんだ……自分でそう装ってて……虚しくなったんだ……は、は……だから、なのかな……それを、信じてるあんた達を見てたら……頭、痛くなって……ムカムカするんだ……所詮、俺は良い子じゃなきゃ、優しくされないって……」
    「……」
    「……あの人に謝ったのも……全部、自分の為なんだよ……はは……なあ、俺、なんで……こうなったんだろうな……?いっぱい優しくしてもらって、同じぐらい貶されて……仕方無いのに、怒る権利無いのに……なんで、俺……こんなに、性格ひん曲がっちまったんだろう……」
    「……それが自覚出来てるんなら、お前さんはまだ大丈夫だ。」

    ヒースクリフは、最早自分でも分かっていないのか涙を流していた。

    「……大丈夫だよ。お前さんは自分が思ってるよりも賢いし、偉いよ。前にも言ったけど、自分が悪いって思った時ちゃんと謝れるじゃないか。」
    「……」
    「……その……ここでムルソーの名前出すのって禁句かもしれないんだけどさ……あいつだって、殴られただけでお前さんの事嫌いにならないよ。て言うか……今更嫌いになれる訳無いだろ?お前さんはずっと自分を嫌ってるみたいだけどな。」

    ヒースクリフの瞳が揺れて、それを隠すように腕に顔を埋めた。

    「……当たり前だろ。誰が……俺なんか好きになれるんだよ。」
    「……」
    「なんであんた達は俺の事好きで居られるんだよ……」
    「……理由なんか無いよ。」

    グレゴールは左手で羽織らせたコートの上からヒースクリフの左腕を摩った。

    「お前さんを見てて苦しくなるって事は嫌いじゃないって事だ。お前さんだってさ……あいつの事、そう簡単に嫌いになれないだろ?」
    「……」
    「……元々憧れててさ……いざ話してみたら俺達じゃ考えられないぐらい変わってて、人としてダメなとこもあってさ……それでも嫌いになれないから、お前さんは今苦しいんだろ?」

    ヒースクリフは何も言わなかった。
    ただ、鼻を啜っただけだった。

    「あいつも……お前さんの事嫌いだったら仕事に支障出たりしないよ。だから……大丈夫だよ。家に帰らせてくれるって……」

    グレゴールは根気強くヒースクリフを元気付けようとしたが、時間が来てしまった。

    ここから事務所までは40分かかる。
    急がなければならなかった。

    「……なあ、ヒースクリフ。帰らなくても良いからさ……すぐ、見つけられるような場所まで移動しないか?お前さん、ここら辺に詳しくないだろ?多分……」
    「……」
    「大丈夫、俺がついてるから。来た道は覚えてるよ。地図もあるし……」

    グレゴールが立ち上がると、遅れてヒースクリフもゆっくりと立ち上がった。

    グレゴールは安心して地図を見ながらゆっくり歩いた。

           *  *  *

    漸く見慣れた街並みが見えて来た頃、背後でヒースクリフが歩みを止めた気配がして振り向くと、ヒースクリフは建物の隙間を見つめていた。

    「……疲れたよな。昨日とかどのぐらい歩いたんだ?」
    「……分かんない。気付いたら……見た事無いとこに、来てて……」
    「……なあ、やっぱり何か食べようぜ?疲れてるんならその分カロリー摂らないと……」
    「……それ、あんたが言うのか?」

    ヒースクリフが僅かに口角を上げたが、グレゴールは安心出来なかった。

    「……ヒースクリフ。」
    「……何だよ、おっさん。」

    グレゴールはヒースクリフを片腕で抱き締めて、背中を優しく叩いた。

    「……あのな、今はネガティブな事しか考えられないかもしれないけどさ……お前さんは一人じゃないって事、忘れないでくれ。」
    「……」
    「ちょっとちっちゃいかもしれないけど、寒い時はそのコートがあるだろ?それであったまって、待っててくれ。」

    そう言って笑いかけると、ヒースクリフは思いっきり口角を下げて、目を擦った。

    「……ごめんな。なるべく早めに来るから。」

    グレゴールはヒースクリフの姿を目に焼き付けてから事務所へ向かった。



    夜20時頃。

    グレゴールは外勤から急いで事務所に帰還した。
    ムルソーはまだパソコンの画面と向き合っていた。

    「ムルソー。」

    名前を呼ぶと、ムルソーはすぐにこちらを振り向いた。

    「ヒースクリフ、朝近くまで移動させて来た。もう2日食ってないと思う。……そろそろ話付けないと駄目だ。」
    「……分かった。ありがとう。」

    ムルソーは浮かない顔をしながらパソコンの電源を切り、すぐに立ち上がった。

    「……寒いな……」

    事務所を出て、グレゴールは思わずそう呟いた。

    ヒースクリフにコートを持たせて正解だったかもしれない。

    「……22度程だろうか。」

    ムルソーが表情を硬くして呟いた。

    「一応ヒースクリフに上着持たせたんだけど……あれだけじゃ寒かったかもしれないな……」
    「……ありがとう。」
    「……まるで自分の子供世話してもらってるみたいだな。」

    そう言って振り向いてみると、ムルソーは複雑そうな顔でこちらを見ていた。

    「うん……多分お前らその内親子なのか恋人なのか分からなくなるタイプだな。」
    「……?」
    「ごめんって。早く行こう。」

    グレゴールは朝ヒースクリフを置いて行った場所へ向かった。

           *  *  *

    ヒースクリフは朝見つめていた建物の側で朝と同じように蹲っていた。
    ただ一つ違う点があるとするならグレゴールのコートを羽織っている事だった。

    「……ヒースクリフ。」

    グレゴールが声をかけるとヒースクリフは顔を上げて、ムルソーの姿を見て慌てて顔を伏せた。

    「大丈夫だ。怒ってないから……謝って、帰ろうぜ。な?」

    グレゴールがしゃがんでヒースクリフの肩を摩ってそう語りかけていると、ムルソーがヒースクリフの前に立った。

    「……フー……」

    そして溜め息を吐くと、ヒースクリフの腕を掴んで立ち上がらせた。

    「……ん……?」

    グレゴールとヒースクリフが呆気に取られている間にムルソーはヒースクリフの腕を引っ張りながら足早に歩き出した。

    (……あれ……?さっきそんな様子全然無かったのに……)

    グレゴールは引っ張られて行くヒースクリフの後ろを小走りでついて行った。

    「……っ、痛えよ……」

    ヒースクリフが腕を掴んでいるムルソーの手に触れたが、ムルソーは振り向きもしなかった。

    「なあ、やっぱり怒ってんだろ……?痛えよ……離せって……」

    ヒースクリフがムルソーの手を剥がそうとしてもムルソーは速度を緩める事無く歩いて行く。

    「……ムルソー……?なあ、ヒースクリフが痛いって言ってるだろ……?しかもお前足速いって……!」

    ヒースクリフとムルソーが早歩き程度なのに対してグレゴールは小走りで何とかついて来ていた。

    「……なんで、何も言わねえんだよ……怒ってるんなら……そう言ってくれよ……手、痛いし……」

    ムルソーは何も言わずにヒースクリフの手を引いて歩き続けた。

    「……なあ……おい……!怒ってるんだったら離してくれよ……‼︎もう俺と居るの嫌なんだろ⁉︎俺の事嫌いになったんだろ⁉︎なら離して……死なせてくれよ……」
    「……」
    「……ムルソー……?」

    グレゴールが困惑しながら呼びかけると、ムルソーはヒースクリフの手を離して振り向いた。

    そしてヒースクリフの胸ぐらを掴んで、引き寄せた。

    「臆病者が。」
    「……っ!」

    すぐにでもヒースクリフを殴りそうな剣幕だった。

    「私は言った筈だ。貴方に向き合うと。だが貴方はどうだ?私達に甘えてずっと逃げてばかりではないか。ろくに私達に打ち明けようともせずに塞ぎ込んでばかりで何故私達に助けてもらおうとしているんだ?助けてもらいたいのなら少しでも私達に心を開いたらどうなんだ⁉︎」
    「ち、ちが……俺は……」
    「何が違うと言うんだ?言ってみろ!」
    「……」

    ヒースクリフは震えながらムルソーを見上げていた。
    完全に萎縮してしまっている。

    「な、なあムルソー……ちょっと落ち着こうぜ……?ヒースクリフびっくりしちゃってるだろ……」

    グレゴールが仲裁に入ろうとしたが、ムルソーはヒースクリフを追い詰め続けた。

    「この際だからはっきり言っておこう。貴方の家出ははっきり言って中途半端だ。死ぬ勇気も無い、行く当ても無い、後先考えずにとりあえずその場から逃げているだけだ。感覚で生きているのか、貴方は?それでいて本心では私達が迎えに来る事を望んでいるんだ。違うか?何も間違っていないだろう?正直な話、貴方のそう言う所だけは気に入らないと思っている。」
    「なあ、おい、ムルソー……」
    「貴方も私と同じ考えの筈だ。何故止める?」
    「いや……その……言うタイミングってあるだろ……それ以上やったらこいつ泣くぞ……?」
    「……」
    「……ぅ……」

    ヒースクリフは必死に泣くのを堪えていた。

    「……泣けば良いだろう?何故泣かない?」
    「……ヒースクリフ……」

    グレゴールがヒースクリフの背中を摩ると、その瞬間乾いた音が響いた。

    「……え?」

    グレゴールは思わず自分の目とムルソーの神経を疑った。

    「……は……?え……?な、なんで追い討ちして……」

    それでも泣くのを堪えているヒースクリフの頬をムルソーが引っ叩いた。

    「お前……!流石にやり過ぎだろ……!」
    「……私は拳でこの何倍も殴られた。このぐらいする権利はあると思うのだが。」
    「お前……そんな事する奴じゃなかっただろ……?お前、ほんとにムルソーか……?」
    「……」

    ムルソーはじっとヒースクリフを睨むように見つめて何も答えなかった。

    「……ヒースクリフ……?大丈夫か……?」

    ヒースクリフは目を擦って何も言わなかった。

    「……泣かないのは何故だ?赤ん坊のようにみっともなく泣けば良いじゃないか。今更プライドなんて物を持ち始めたのか?今まで散々情けなく泣いてきたくせに……」
    「〜〜ッ‼︎うるせえよ‼︎」
    「あっ……」

    ヒースクリフの拳がムルソーの頬に入った。

    「俺の事何も分かってねえくせに‼︎嫌なとこ突くのだけは得意なんだな、あんたは‼︎ああ……‼︎クソ‼︎なんであんたなんかに惚れたのか後悔してきたよ‼︎ほんっと俺ってバカだな‼︎」

    そう言いながらもムルソーの足を踏んでいるヒースクリフとそれを止めようとするグレゴールの抗争が暫く続いた。

    「ちょ……やめなさい、脛はダメだって!そこマジで痛いから!こら!」
    「この!ムカつくんだよ!」

    ヒースクリフが今度は胴に殴りかかろうとした時だった。

    ムルソーがその拳を手で受け止め、ヒースクリフの脳天に拳を入れた。

    「ッ……!」

    ヒースクリフは痛みで涙目になりながらムルソーの頬を殴った。

    「……貴方はいつもそうだ。」

    ムルソーはヒースクリフを睨みつけながら震える声でそう言った。

    「気に入らない事があれば力尽くで捩じ伏せようとするくせに……それに見合わない心の脆さを持っている。急所だらけで……すぐに説き伏せられる……本当に、子供を見ているような気分だ。」

    ムルソーの目は殺意すら感じられる程鋭かった。

    「やるのなら最後までやり通すんだ!中途半端な所で止まるんじゃない‼︎」

    その言葉は、きっとヒースクリフの胸の奥、深い所に突き刺さったのだろう。

    ヒースクリフはこれ以上泣くまいと必死に堪えていたようだったが、やがて嗚咽を漏らして泣き始めた。

    「……言われたくないことばっか、言いやがって……」

    ヒースクリフが泣きながらそう言うのを見て、ムルソーが表情を変えた。

    「なんで……分かんねえくせに同情してくるんだよ……」
    「分からないのは貴方が教えてくれないからだ。」
    「教えろって?こんな下らねえ事を、あんたに?」
    「……そうすれば、貴方ともう少し上手く付き合える。」

    ヒースクリフは憎らしそうに、苦しそうに顔を歪めてムルソーを見上げた。

    「そう言うのが嫌なんだよ……!」
    「何故だ?」
    「……言いたくない。」
    「……私は貴方のそう言う所が嫌いだ。曖昧に濁して誤魔化されると腹が立つ。」
    「……ッ……」
    「貴方は本当は伝えたくて堪らない筈だろう⁉︎私に許されたくて堪らない筈だ!それを隠すのは貴方が私を信じていないからだ!違うか⁉︎」

    そこでムルソーは詰まった息を整えるように溜め息を吐くと、声を低めた。

    「……︎そうやっていつまでもぐずぐず立ち止まっていたいならそうすると良い。私は貴方に歩み寄らない。貴方から来るんだ。」

    ヒースクリフはしゃくり上げながら俯いた。
    それを見つめるムルソーの目は必死だった。

    焦っているのは本当は……ムルソーの方なのかもしれない。

    早く元に戻りたくて、戻ってほしくて、必死なのかもしれない。

    二人でヒースクリフの返答を待っていると、ヒースクリフが声を絞り出して、言葉を紡いだ。

    「……やだよ……」

    まるで、子供のようだった。
    声も、言葉も、今のその姿も。

    ヒースクリフは暫く目を擦って嗚咽した後、漸く話し出した。

    「……頼むから……これで……終わりにしてくれよ……やだよ……どうしても……言いたくないんだよ……」
    「……だが、それでは解決にはならない。いつか来る日を先延ばしにしているだけだ。その分貴方が苦しむ事になる。」
    「いいよ、それでも……あんたに、知られるよりは……ずっと……」

    グレゴールは自分が間に入るべきか否か迷っていた。

    このまま終わりにしてしまったら解決にはならない。
    二人にとっては良くない状態になる。

    だが、ヒースクリフがムルソーに知られたくない事を自分が言ってしまって良いのか?
    ヒースクリフから話す状況の方が好ましいと誰もがそう思うだろう。

    (……よし……)

    ある程度算段のついたグレゴールは覚悟を決めて二人の間に入る事にした。

    「……お前さん、俺達に迷惑かけたくないんだよな?だから言えないんだよな?」

    すると、予想通りヒースクリフの顔が歪んだ。

    「……違う……」
    「違う筈無いだろ。お前さんは本当は良い子なんだから。」
    「違う……!」
    「ああそうかい。でも俺はお前さんが俺達の為にあいつらに怒ってくれたの知ってるんだからな。」

    そう言ってわざとらしく腕を組んでそっぽを向いた。

    その時にムルソーと目が合い、その目が揺れているのが見えた。

    「……何も、分かってくれなかったのか……?あんたは……」
    「……、」
    「俺が、あんなに余計な事言ったのに……‼︎何一つ分かってくれなかったのか⁉︎あんたは!」
    「……」

    分かっていない訳が無い。

    だが、この場で否と答える訳にもいかなかった。

    「そう……なるのかな。お前さんが本心を悟られないようにしてるようにしか見えなかったからな。」

    ヒースクリフは信じられない物を見るような目でこちらを見ていた。

    (……そんな目で見るなよ……俺はお前さんの事分かってるつもりなんだ……)

    「……そうか……あんたも、所詮他人なんだな……」
    「……っ、」
    「……俺と似てるあんたならって思ってた俺が間違ってたんだ。」

    グレゴールがあと少しで撤回しそうになった時だった。

    「……二人で……何を話していたんだ?」

    ヒースクリフは黙り込んでしまった。
    グレゴールは観念してムルソーに全てを話す事にした。

    「あー……その、な。ヒースクリフは……自分に、自信が無いらしいんだよ。」
    「……」
    「……ただでさえ誇れる物が無いのに、俺達を見てたら余計に嫌になるんだって、言ってたな。……うろ覚えだけど」
    「……本当なのか?ヒースクリフ。」

    ヒースクリフは僅かに頷いた。

    「……何故だ?私達はそんな事を気にしていない。それは貴方にも分かっている筈だと思っていたが……」
    「……じゃあ、聞くけどよ。」

    あんたを殴った俺の事、どう思ってんだよ。

    「……」
    「……俺、さ……あの時、本気で……自分の事、嫌いになったんだよ。俺……いっつも……何かしようとする度に、酷い事になるから……ああ、またやったのかって……もう……嫌になったんだよ……」

    ヒースクリフは俯きながら話を続けた。

    その目元は伸びた前髪で覆われていた。

    「……あんただって、傷付いた筈だろ……?この先何度も、俺に殴られた時の事思い出す筈なんだ。……あんたが望んでるのは、怒っても手出さない俺だろ……?楽に扱えて、手間が掛からなくて、大人しくて静かで……金が掛からない、良い子の俺だ。」
    「……誰の思考を混ぜているんだ?それとも、私がそんな事を考えていると思っていたのか……?」
    「どうせあんただってそうに決まってる……実際……楽だったろ……?大人しい俺は……」
    「……」
    「おっさんだってそうだろ?部屋の掃除してくれて、勉強頑張ってて、自分に非があったら謝れてさ……」

    ヒースクリフは目元に手をやって、無理矢理口角を上げて、笑った。

    「……何、間に受けてんだよ?まだ一緒に過ごし始めてそんなに経ってないのに、なんでそれが演技かもって、そう言う事一度も考えないんだよ?そんなんだから、俺みたいな邪魔なクソガキが寄り付くんだよ……だって……どーすんだよ……?俺が本当は、あんた達を騙して、たかってるだけだったら……それでも良いって、言うつもりか……?」
    「……お前さん、そんな器用な奴じゃないだろ?こうやってボロボロ埃出してんだから……」

    そう言った瞬間にヒースクリフに充血した目で睨まれた。

    「……お前さんさ……そんな事言ってるけど、本当は一緒に居て良いって言われたいんだろ?」
    「……ッ、」
    「……分かってるだろ?ムルソーが察するとかそう言う粋な事出来ないって。」

    ……そうだ。
    こうやって背中を押してやるんだ。

    グレゴールはムルソーの方を見た。

    ムルソーは驚いたような目でヒースクリフを見ていた。

    「……今まで頑張ってたのも、」
    「やめろよ……」
    「フィクサーになろうとしてたのも……」
    「やめろって……!」
    「俺達にとって、要らない奴になりたくなかったからなんだよな?」

    そこまで言うと、ヒースクリフはもう泣いていた。

    ありったけの罵詈雑言をグレゴールにぶつけて、体を殴って来た。

    グレゴールは、その背に手を回す事しか出来なかった。

    「……ごめんな、ヒースクリフ。お前さん達を動かすにはこうするしか、なかったんだよ。」
    「なんで……なんで!!誰があんたに頼んだんだよ!?誰が勝手に言って良いっつった!?クソ野郎!!本当は俺が邪魔なくせに……」

    ヒースクリフはグレゴールの服を皺が出来る程握り締めて、嗚咽を漏らしながら、言葉を絞り出していた。

    「……良いよな、あんた達は……何でも出来て……仕事出来て……あんたには、あの人が……あの人にはあんたが居るんだからさ……色々なもんに恵まれて来たあんた達には分かんねえだろうな……俺がどんな思いであの家で生きて来たか……俺は邪魔しないように端っこで飯食ってたのに、同じ空間に居るだけで嫌そうな顔されて……!陰でずっと嫌がらせされてもじいさんに言ったら大事になるだろうから何も言わずに居たら……くたばりやがったんだ……俺を置いて……」
    「……」
    「拾ったくせに……すぐ病気が悪化したとかで俺を一人にした挙句に……その後ずっと俺のせいだって言われたんだよ……何もやり返して来ない俺を寄ってたかって……クソ……」

    グレゴールは聞いていて胸がズキズキと痛むのを感じていた。

    「……貴方は、どうなんだ?」
    「何がだよ……」
    「……全て自分が悪いと、思っているのか?」
    「……そんな訳無えだろ。あいつらの言った事なんて事実じゃなきゃ一度も間に受けた事無えよ。だから、余計に……ムカついて、腹立って、仕方なかった……」
    「……」
    「でも……やり返したら、俺もその程度の人間になるって……育ててくれたばあさんに言われたから……ずっと我慢してたんだ……結局、どうでも良くなってやり返して……全部、ブッ壊れたけど……」

    ヒースクリフは自嘲するように笑って、袖で目を擦った。

    「……あー……その程度の、人間か……はは……、あのばあさん、正しかったな……」
    「……ヒースクリフ。それは自分を守っただけだ。そうだろ?恥じる事じゃない。」
    「……」

    次いで何かを言おうとすると視界が滲んで、グレゴールは眼鏡を外して涙を拭った。

    「……あのな。ここじゃ、自分の事を守れずに死んじまう奴が山程居るんだ。そうならずに自分の身を守れたお前さんは強いんだ。だから……何も、悪くないよ。」
    「……俺があんたの事、殴ってもそんな事言えんのか?」
    「……お前さんはさ……自分を守るのに、必死だったんだろ……?」

    眼鏡を外して、ただでさえ悪い視界が更にぼやけても、頑張って話し続けた。

    「不安だったんだよな。俺達に……ムルソーに、飽きられんのが……怖かったんだよな。それをずっと隠してたのは、俺達に心配かけたくなかったからなんだろ……?あの時隠れて泣いてたのだって……迷惑かけないように必死だったんだよな……?」
    「……」
    「お前さんがそうやって思ってる事口に出さずに黙るようになったのも、そうすれば暫く置いてもらえるからなんだろ……?」

    最近のヒースクリフこそが、元の家に居た頃のヒースクリフの姿なのだ。

    「……いいんだよ、良い子のフリしなくても……自分を型に押し込んで無理しなくても……俺達は、型にはまらないお前さんが好きなんだから……」

    グレゴールはヒースクリフを抱き締めて、その肩に目頭を押し当てた。

    「……っ、おい、俺の服汚いって……」

    ヒースクリフがそう言った瞬間に、グレゴールの背中に手が伸ばされた。

    「ちょっと……」
    「……これから風呂に入って、洗えば良い。」
    「そう言う問題じゃ……!」
    「菌やウィルスを心配しているのなら貴方もそんな服で目を擦らない事だ。」
    「……俺は別に……」
    「……この間貴方に殴られた時の傷が口内炎になった。」
    「何だよ急に……」
    「貴方は私の口の中よりも多くの菌を付けている可能性がある。そんな服や手で粘膜のある目を拭うのは不衛生だ。」
    「結局俺が汚ねえって話じゃねえか!じゃ離れろよ!!」

    グレゴールはそこで顔を上げて視界がぼやけていながらもムルソーがヒースクリフの耳に口を寄せているのを見た。

    「それは出来ない。私は貴方にキスしているような物なのだから簡単に離す事は出来ない。」
    「…………はあ!?!?何言ってんだよお前!!」
    「……お前……自分が意味分かんない事言ってるの分かってるよな……?」
    「菌を擦り付け合う行為が似ていると思ったからこの表現を選んだだけであって意味の分からない事では無い。」
    「何ムキになって反論してんだよ!俺達が意味分かんねえって言ってんだから意味分かんねえんだよ!」
    「こっちもこっちで暴論だな……まあ事実だけど。」

    ムルソーが手を緩めた瞬間にヒースクリフがグレゴールを突き放し、ムルソーから離れようとして、ムルソーに正面から抱き締められて……

    「……んっ……」

    「……えっ」

    キスをした。

    しかも結構深めに見える。

    (……これこいつがそのつもり無くてもその内俺から離れて行くんじゃ……)

    そんな事を考え始めた頃、ムルソーが唇を離した。
    ヒースクリフは目を白黒させて混乱していた。

    「……私と対等になるのではなかったのか?その調子ではいつまで経っても対等になれないだろう。」
    「……、覚えてたのかよ……」

    ヒースクリフは目を逸らしてぼそりと呟いた。

    「当然だ。私の記憶力は貴方よりも上だと自負している。」
    「……誰がニワトリだって?」
    「そんな意図は無い。ただ貴方よりも上だと言っただけだ。」
    「……」
    「……私は貴方が私と対等になれるまで待っているつもりだ。」

    ムルソーはヒースクリフの手を握ってそう言った。

    「……貴方なら転んでも立ち上がって走る事が出来る筈だ。これまでも何度もそうして来たのだから。これも……その過程の一つだ。」
    「……」
    「……信じている。」

    ムルソーはヒースクリフの手を両手で撫でて、次は頬を撫でた。

    「……帰ろうか。」

    ヒースクリフは切ない顔をしながら頷いた。

    グレゴールはそれを見て「自分以外の奴とキスしてる光景を見せられた俺の気持ち考えてくれないか?」とツッコミを入れる気が失せてしまった。

    「……いや、ちょっと待て。聞きたい事があるんだけどさ……」

    ヒースクリフとムルソーが不思議そうにこちらを見た。

    「……逆に俺がお前さん達の間に入っちまって良いのか?」

    前からずっと疑問に思っていたが聞ける雰囲気じゃなかったので聞けていなかった事だった。

    「良いけど。」
    「良いのか……?本当に……?だってお前さんがもしムルソーとやりたくなった時俺邪魔でしかないだろ?」

    ヒースクリフはおかしな顔をして視線を空に向けた。

    「……まあ、そうなったらその時に考えるよ。」
    「……お前さん……」
    「……」
    「………興味津々じゃないか!!今まで隠してたんなら隠さなくても良かったのにこれだから思春期は〜〜!」
    「うわっ!」

    ちょっと高い肩に腕を回して右腕をカシャカシャ鳴らせた。

    「よし、今度からどんどんそう言う話しようか。な?はははっ、もう遠慮とかするんじゃないぞ〜?ん?」
    「……オッサン、彼氏ヅラしたいんじゃなかったのかよ。」
    「それとこれとは別だろ?あとはまあ……結構我慢してたから話せるの嬉しいんだよ。はは。」
    「……親父かよ。」

    ヒースクリフがムルソーの様子を伺うように見上げると、ムルソーは表情も変えずにただ一言。

    「私は一向に構わないが外でその会話をするのはやめてほしい。」
    「わ、分かってるよ。つーか……あんた、意外とそう言う事言うんだな……オープンなイメージあった。」
    「……思い出すから。」

    ムルソーは眉間に皺を寄せてそっぽを向くとそのまま歩き出してしまった。

    「……え?」

    グレゴールは頭が混乱しているヒースクリフを笑いながら引っ張ってムルソーについて行った。

    「ムルソー、晩飯どーすんだ?」
    「グラタンにする。」
    「お〜、良いな。俺も一緒に食べても良いか?」
    「ああ。……そうだ。ヒースクリフに本格的に服を買ってやらなければならないな。」
    「じゃあまた今度行こうか。流石に今月休み過ぎたしなぁ。」
    「……休み過ぎたのは私の方だが。」
    「ああ、あと荷造りもしないとなぁ……あ〜忙しいなぁ〜誰かやってくれないかなぁ?」
    「……俺に任せても良いんならやってやるけど?」
    「おお!お前さんならそう言ってくれると……」
    「全部捨ててやるよ。」
    「はははっ!……え?冗談だよな……?」
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