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    hiko_kougyoku

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    hiko_kougyoku

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    若やまささ+弾児郎、源志郎
    「この拳が護るもの」⑤
    ※弾児郎の物語。
    ※やまささと言い張る。
    ※捏造あり。かなり自由に書きました。
    ※途中残虐・流血表現あり。

    この拳が護るもの⑤  7


     葉がことごとく落ち、枯れた細木ばかりが目立つ森でも、身を隠すには最適ということには変わりない。夜となれば視認性はさらに低くなり、視覚に本来の働きを期待できない分、他の感覚機能を頼りに状況を判別しなければならない。
     そしてそれは、こちらだけでなく相手にも言えることだ。森に入ってから追ってくる以外の別の虚の気配を感じていた長次郎は、前を行く元柳斎に目を据え直す。そのまま絶えず警戒を巡らせながら走り続けていたところ鼻先に一つ、冷たいものが触れ、ふと顔を上げた。
     頭上に広がる枝の向こうには、厚い雲が覆った夜空がある。どんよりとした雲から白いものがちらつくのが見えた長次郎は、思わず「雪だ」と息を漏らした。意識を闇に預けていたせいで感じなかった冷たさを、思い出した。
    「荒れなければいいのですが……」
     源志郎が呟く声が聞こえる。同意するように元柳斎が小さく頷いた瞬間、首筋にひやりとするものを感じ、長次郎は反射的に刀へと手をやった。
     すぐ横の闇が蠢いている。それが虚だと確かめる前に刀を抜いた長次郎は「穿て、『厳霊丸』!」の一声とともに瞬時に始解をし、刃が水平になるように構えると、細剣となった斬魄刀を真っ直ぐと闇に突き立てた。
     躊躇いのない刃の先には、確かな手ごたえがあった。何かが倒れる音に周辺の空気が一斉に震えたのが分かった。
    「万象一切灰燼と為せ、『流刃若火』!」
     長次郎に次いで、元柳斎が解号を口にする。刀身に炎が宿ると闇が退き、一気に明るくなった。長次郎が見回すと、足元には面に小さな穴を空けられた虚が横たわっているのを見つけた。これだけではないはず。直感で目を走らせると、茂みの間にも、木の上にもそこここに虚がいるのを見つけ、身の毛がよだつ思いがした。
    「やっぱり先回りされていたか」
     弾児郎の舌打ちに、白い面がにたりと歪んだように見えたのは、炎のゆらめきが生んだ錯覚などではなかった。多勢に無勢。長次郎たちを包囲したことで完全な優位を作り出したと確信しているのか、じっとこちらを眺めている虚たちは一定の距離を保ったまま襲い掛かる機会を伺っている。
     まるで品定めされているような嫌な視線だ。ここはこちらから打って出て、状況を打開するしかない。自分が殿しんがりをつとめれば、あるいは……睨み合いながら考えを巡らせていた長次郎だったが、直後、耳をつんざくような悲鳴に思考を中断させられた。
     一匹の虚が、源志郎の近くへと落ちてきた。だらりと四肢を投げ出し、動かなくなった虚に何事かと目を見張っていると取り囲んでいた虚は一匹、また一匹と倒れ、地面へ転がっていく。よくよく見ればどの背中にも背後から斬りかかられたような傷が見える。
     「仲間割れ……ですか……?」と、源志郎が誰にともなく問いかける。その声に答えようとした長次郎だったが、振り向いた目に映ったのは、気配を消して接近してきた虚が背後から源志郎に襲い掛かろうとする光景だった。
    「源志郎!」
     何をしても間に合うはずがないというのは感覚で分かったが、叫ばずにはいられなかった。長次郎の絶叫に源志郎が顔を上げ、その首を掴もうと虚の腕が伸ばされた。
     が、その手が何かを掴むことはなく、腕を支える骨が根こそぎ引っこ抜かれたように、だらりと中空へと投げ出された。見れば虚の胸元から鈍色の刃が伸びている。背中からひと突きされたのだ。瀕死の虚の、酸素を求めるように喘ぐ口元から苦悶の声が漏れるのを聞きながら貫いた人物を見れば、射干玉の髪を夜に溶かした女が、闇から染み出るように立っていた。
    「卯ノ花殿……何故ここに……!」
     長次郎が尋ねれば、卯ノ花は「総隊長殿に護衛が必要かと思いまして」と真雪のかんばせに妖艶な笑みを浮かべる。しかし元柳斎がその言葉を素直に受け取るほど、卯ノ花との付き合いは長くはない。
    「こっちのほうが斬り甲斐がある、などと思ったのじゃろう」
     嘘寒い建前に元柳斎が軽い皮肉で返すも、卯ノ花は笑みを崩さないままだった。沈黙はすなわち肯定。頭のどこかで卯ノ花の打算を嗅ぎ取っていた長次郎が唖然とすれば、周りからも呆れたような溜息が聞こえた。
     「で、瀞霊廷の様子はどうじゃ」緊張の抜けてしまった空気を引き締めるため、元柳斎がとりあえずの質問を投げると。卯ノ花はちらりと後方に目をやりながら、
    「現状報告ですが……瀞霊廷に向かっていた虚は山本殿の出陣により進路を転換。こちらに来ているようです」
    「良かった。策は上手くいっているようですね」
    「そうとも言い切れねえぞ」
     源志郎の安堵を、弾児郎が一蹴する。長次郎が辺りを見れば、卯ノ花の襲撃で一度離れた虚たちが再び集まり、五人を追い詰めるよう囲みに囲んでいる光景が目に飛び込んできた。
    「これだけの数だ。やたらめったら戦っても、こっちが参っちまうなあ」
    「おそらく、敵の数は善定寺殿の報告よりも多いでしょう」
     応えた卯ノ花の声は完全にこの状況を楽しんでいるものだ。全く、この人は。長次郎が再びげんなりとしたのも束の間、険しい顔を作った弾児郎が刀を逆手で抜きながら手近な虚へと突っ込んでいくのが見えた。
     振り上げざまに一太刀、顔面へとお見舞いしようとするも、虚は飛び退くことでそれを避けた。弾児郎は手を返し二度三度と刀を閃かせるも、身を翻した虚は軽々と宙を舞い、枝を渡り、そうしてこちらの手が届かない場所へと逃げていく。
     その背中を、黙って見送る愚は犯さない。すかさず元柳斎が刀を振ると炎の刃が一筋放たれ、細かな火の粉を振りまきながら闇を滑り、周りの枝ごと虚の肢体を切り裂いた。
     炎の刃は木々をなぎ倒しながら森の奥へと消えてゆく。これでようやく一匹倒したのは良いが、このままでは埒が明かない……今の攻撃で散り散りとなり、遠巻きにこちらを見る虚を目視しながら長次郎は唇を噛む。
    「くそっ……ちょこまかと逃げやがって……!」
     弾児郎の苛立ちが聞こえる。これではまるで蠅の群れを相手しているようだ。仕掛けようにも逃げられるばかりできりがない。例え速さに勝る卯ノ花でも本気で掛かったところでいたちごっこになるのは目に見えている。先にこちらが疲弊し弱るのが関の山……。
    「虚たちを一所ひとところに留めなければ」
     だが、どうやって? 長次郎は自問する。元柳斎が囮になったところで、刀を振った瞬間逃げられる。それこそ虚たちに奇襲を仕掛けるような方策でなければ、状況は打開できない……食いしばった歯が歯茎に沈み、顎の骨が軋む音が聞こえそうになった時だった。「あの」と控えめな声が放たれ、長次郎たちはそちらへと目をやった。
    「一つ、私に考えがあります」
     言いながら、源志郎は迷いを滲ませた目を四人に向ける。どこか躊躇いが残る表情からは自信のなさというよりは自分が意見していいのかという逡巡があり、勢いで口を出した己を恥じているようにも見えた。
    「言うてみよ」
     元柳斎の低い声が不安混じりの空気を震わせる。背中を押された源志郎が話をしようとしたところで、頭上でがさりと木々が揺れる音がした。「長話をしている暇はなさそうです」という卯ノ花の忠告を遮るように一匹の虚が吠えると、それを合図に虚たちは枝から一斉に飛び降り、四方八方雪崩るように襲い掛かってきた。
    「縛道の二十一『赤煙遁』!」
     長次郎が地に両手を付けながら叫ぶと、辺りに赤い煙幕が立ち込める。不鮮明な視界の中、煙の向こうで敵の動きが止まったのをかろうじて確かめた一行は、怯んだ虚の間をなんとかすり抜けその場から離れた。
     十分に距離を置いたところで縛道の二十六『曲光』で姿を覆い、こちらの姿が認識できないようにする。元柳斎が一度刀を収め、それまで目印にも威嚇にもなっていた炎が鞘へと吸われれば闇が鮮やかさを取り戻し、澄んだ空気が五人のもとへと降りてきた。
     しゃがみ込み、顔を突き合わせたところで元柳斎が「して、源志郎。考えとはなんじゃ」と話を切り出した。
    「あの虚たちが我々死神、特に元柳斎殿を狙っているというのは明白。そこで再び元柳斎殿が囮となって、虚を引きつけるのが良いのではないかと私は考えます」
     それではここに来るときと何ら変わらないではないか。長次郎と卯ノ花が反対の意を述べるため口を開いたが、すぐに「ですが」と続いた声に遮られた。
    「元柳斎殿を危険にさらすつもりはありません。これは全てを葬るための下準備のようなもの。私が考えているのはあくまで虚たちの裏をかき、現状を打開するための奇策です。てんでばらばらに飛ぶ蠅を一か所に集めるだけの効果しかありません」
    「それでも構わんよ。さあ、離してみろ」
     弾児郎の声に一つ頷いた源志郎は、真っすぐにこちらを見つめてくる。決然とした眼差しからは覚悟を決めた男の意地のようなものが漂って来たが、その口から発せられた言葉は全く予想だにしていなかったものだった。
    「そのためには……長次郎、脱いでくれ」
     身構えていたところへの不意打ちに、長次郎は「はあ?」と頓狂な声を上げることしかできなかった。


      8


     本降りになるにつれてけぶる視界に、卯ノ花は思わず目を細めた。目の前で白い隊長羽織が揺れている。その背中部分に書かれているのは護廷十三隊の総隊長の証である『一』の文字。雪のせいで頭からすっぽり羽織を被った人物の隣には、同じく白い肩掛けで頭を覆った死神の姿。前を行く二人から目を逸らさぬよう、卯ノ花は細心の注意を払いながら木々の間を進む。
     『曲光』から抜け出した卯ノ花たちは、先ほど接敵した地点まで戻るとあえて虚の前を横切り、そのまま森の中へと入って行った。飛んで火にいる、という言葉そのままに獲物が自分たちの前に現れてくれたことに何の疑いも持たず、喜色を浮かべた虚たちが三人を追いかけはじめてくれたのは予想通り。
     だが、相手は虚。理性も理屈もあったもんじゃない。上手くいけばいいと願う反面、いざとなったら自分が虚たちを残らず斬る必要性を十分に理解している卯ノ花は、不穏と高揚で躍る心臓を刀の感触を確かめることで宥めながら、背後の虚たちの動向を気配で探る。虚は残らずついて来ている。このままいけば……と考えたところで前の二人が足を止めたので、卯ノ花も進むのを止めた。
     三人の前を塞ぐのは崖だった。天災か何かで地殻変動が起こり、地面がそのまま隆起したかのようにごつごつとした岩肌が剥き出しになっている、切り立った崖だ。ほとんど垂直と言っていいほど急な斜面は、一般市民にはどうにもできない障害ではあるが、死神であるなら瞬歩で駆け上がるのは不可能ではない。
     にもかかわらず目の前の二人は制止したまま、森の奥を目指そうとしなかった。卯ノ花は先を促すことはせず、どうするべきか思案しているようにも途方に暮れているようにも見える背中を注視していたが、背後に無数の気配が迫るのを察知し、五感を研ぎ澄ました。
     ――挟まれた。
     崖を向く二人から目を離し、卯ノ花は斬魄刀を掴む。群れを睨みつけながら攻勢に繰り出す寸前の一瞬の緊張に、生唾を飲み込んだところでざわ、と空気が変化した。一体の虚がこちらへと突っ込んできたのだ。
     両の足で地面を蹴り、飛び掛かろうとした先には一番隊の隊長羽織があった。虚が歯をむき出しにしながら大口を開け、羽織の下の頭に食らいつこうとする。
     すると振り返った羽織から腕が伸び、虚の顔面に思い切り拳を叩き込んだ。
     小柄な体が弧を描いて宙を飛び、地面に落ちる。何事かと戸惑う群れから隊長羽織に視線を移せば 逆手に握った刀と夏空を思わせる青い小手が、闇の中で鮮やかに映えているのが見えた。
    「元柳斎殿、今です!」
     間一髪の反撃に胸を撫で下ろしている暇はなかった。今度は虚たちのはるか後ろから声が上がり、裸同然の木々を揺らす。同時に現れた炎に、状況を確認すべく虚たちが振り向いた時には遅かった。敵を追い詰めんと密集し、身動きがとれなくなっていた虚たちが炎に包まれ、たちどころに群れ全体に広がっていくのを見届けた卯ノ花は、すぐ真横から鷹揚とした声が弾けるのを聞いた。
    「うまく山本になりきれたようだなあ!」
     一番隊の隊長羽織の下から顔を出したのは元柳斎ではなく、弾児郎だった。同時に隣の白い肩掛けが動き、「上々です! その証拠に、見事におびき出されてくれましたね!」と、中にいた人物がひょっこりと顔を出す。叫んだのはやはり長次郎ではなく源志郎だった。
     満足そうな笑みを交わす二人を眺めながら、卯ノ花は先ほどのやり取りを思い出す。

      *

    「お、お前……こんな時に一体何を言っているんだ!」
     顔を真っ赤にした長次郎が、潜んでいる身にも関わらず大声で源志郎に詰め寄ると、五人を覆う『曲光』がぐらりと揺れたような気がした。とっさに卯ノ花が「声を抑えて」と口を挟むも、頭に血を昇らせた長次郎は聞く耳も持たず、源志郎の両肩を掴み激しく揺さぶりはじめる。
    「私が裸になったところで、虚たちが喜び集まるとで言うのか?」
    「誰もお前の裸なんか期待していない!」
    「じゃあどういうことだ!」
     そこで弾児郎が仲裁に入り、まあまあと言いながら長次郎を源志郎から引き剥がした。卯ノ花は長次郎に対し感情的になり過ぎだと言いたくもなったが、源志郎が言葉足らずだったのが否めないのも事実。「私にも源志郎の意図が掴めません。もう少し詳しく説明を」と促すと揺さぶりの余韻にぼうっとしていた源志郎は、整わない息のままゆっくりと話をはじめた。
    「先ほども言ったように、このままでは逃げては追う、追われては逃げるの繰り返しです。そうなれば私たちのほうが数的にも体力的にも不利。最悪、弱ったところを襲われます」
    「束になって来られたらひとたまりもないしな。加えておれたちのほうは山本の卍解も使えない。始解と鬼道の白兵戦しかできないところも不利の要素になっている」
     引き継いだ弾児郎の言葉に、源志郎は頷く。
    「……ええ、我々は限られた中で『虚たちをまとめ、一か所に追い詰める』『元柳斎殿の首を取れると油断させる』そして『その状態で一網打尽にする』という条件を満たす必要があります。そこで私は、元柳斎殿と尾花隊長、長次郎と私の羽織物を入れ替えることを提案します」
     卯ノ花は名指しされた自分以外の顔を盗み見る。自分たちが持つ懸念事項と源志郎が導き出した打開策が思考領域で繋がり、合点がいった顔をしている元柳斎と弾児郎に対し、長次郎は細眉を寄せ、必死に考えているように見える。
    「弾児郎が儂のふりをして、虚を引きつけるということか」
     元柳斎が投げかけた問いは、訊くものではなく確認の響きをしていた。源志郎は「その通りです」と肯定する。
    「だったら、なにも源志郎まで囮役になることはないじゃないか。尾花殿一人で元柳斎殿のふりをすれば、奇襲に人を割くことが……」
     そこで声を上げた長次郎だが、何かを思い至ったのかすぐに言葉を切り、真剣な面持ちとなる。
    「……待てよ。昼間の一番隊舎での騒動の時、あの虚は私を見てから元柳斎殿を襲った。もしかして……」
    「虚は、山本の傍に長次郎がいることを把握していた……?」
    「というよりも護衛が付いた人間が総隊長――すなわち、最も力を持った死神と判断したのでしょう」
     卯ノ花が言葉を繋ぐ。口頭での報告でしか状況を知らない卯ノ花にとって、その言葉は想像をもとにした憶測に過ぎない。だが、経験からなる卯ノ花の意見と源志郎の洞察力は偶然の一致を遂げていたようで、こちらの言葉に目の奥を輝かせた源志郎は、ほんの少し顔に自信を浮かべ、続きを話す口を開いた。
    「だから『元柳斎殿』と『長次郎』が囮になる必要があるのです。そしてこの先の崖までおびきよせ、行き止まりに追い詰めたと虚たちが油断したところで本物の元柳斎殿が奇襲を仕掛け、一気に焼き払うのです」
    「成程。さすれば狭域での殲滅が可能で、周辺への被害も避けられる、か……」
     低く唸った元柳斎は隊長羽織を脱ぐと「儂は源志郎の策に賭ける」と厳とした声で言い放ち、長次郎を見る。元柳斎の視線を受けた長次郎は毅然とした目を返すと肩掛けを取り払い、源志郎へと突き出した。
    「お前と背格好が似ていて良かったと、はじめて思った」
     「こっちもだ」と源志郎は苦笑を返す。最後に弾児郎が羽織を脱ぎ、代わりに一番隊の隊長羽織を手にすると「囮は任せろ。全ての虚を引きつけてやるよ」と自分の姿を隠すように頭からすっぽりと被った。
     囮役と奇襲役。二手に分かれるならば、自分はどちらに付くべきだろうか……先ほどの自分の意見を踏まえると、考えるまでもなかった。一番隊の羽織を着ている人物を総隊長に見せるよう仕向けるならば……。
    「念のため、私が尾花殿たちの護衛役を務めましょう。いざとなったら斬ることもできますし」
     卯ノ花は申し出るも、怪訝な顔をした元柳斎の口から出たのは「あくまでいざという時、にしておくのじゃぞ」という釘を刺す言葉だった。だが却下されなかったのは、想定外のもしもが起こった時の対応を望まれていると前向きに考えることにし、卯ノ花はそれ以上言葉を返すことはしなかった。
    「山本と長次郎は霊圧を抑えろ。反対におれと源志郎は霊圧を解放。虚たちの注目を集められるようにするぞ」
     話が決まれば、後は動くのみ。いち早く立ち上がった弾児郎が激を飛ばすと、他の四人も刀を手に腰を上げ、曲光の外側に漂う闇を睨みつける。
    「では……ご武運を」
     緊張を孕んだ長次郎の声が、鼓膜を震わせる。卯ノ花が「そちらも、後ろは任せしましたよ」とほほ笑んだのを最後に曲光は解かれ、にわかに弱まった雪が頬へと貼りつくのを感じた。卯ノ花たち囮役三人は元柳斎と長次郎に背中を向けると闇へと飛び込み、虚たちが滞留しているであろう場所を目指した。

      *

     結果、源志郎の奇策による奇襲は見事に成功した。だが、やけに落ち着かないこの感覚はなんだろうか……炎に抱かれ一匹、また一匹と地に伏してゆく虚を眺めながら、弾児郎はすっきりとしないものを感じていた。あっけない。いや、違う。どういうわけかこれで終わりとは思えない、何かを見落としているような不穏が胸をざわめかせ、肺を握りつぶしかねない圧迫感に大きく息を吐くと、顔の前に白く染まったため息が広がり、霧散していった。
     ちらちらと降りてくる雪が立ち昇る炎に呑まれては消え、呑まれては消えるを繰り返す中、火だるまとなった数匹が仲間の屍を踏み越え、這う這うの体で藪へと逃げ込もうとしている。意識ではなく生存本能で動く虚たちを見逃すことなく、長次郎が破道の四『白雷』で射抜くのを見つめていた弾児郎だったが、どこからか鋭い視線が飛んできたような気がし、辺りを見回した。
     傍にいるのはほっとした顔をしている源志郎と、物足りないという表情の卯ノ花、離れた場所には長次郎と元柳斎、見渡す限りの虚はすでに炎の中という状況に、はて、と何気なく上へと目をやった、その時。怪しいというにはあまりにも不気味な目が、こちらを見ていることに気付いた。
     その視線は降り続ける雪の先、切り立った崖の上にあった。夜空にくっきりと浮かび上がるような黒が身を乗り出し、こちらを覗き込んでいる。間違いない、虚だ。
     虚は燃えている同胞に手を貸すわけでも、弾児郎たちに何かを仕掛けるわけでもなく、ただ無感情に炎が広がるのを見つめている。いつの間にあんなところに……弾児郎が首を傾げたところで虚は深く酸素を吸い込みながら体を弓なりに逸らすと、次の瞬間、夜を切り裂かんばかりの咆哮を森中に響かせた。
     厳かとも言える冬の空気が一変し、目の前がぐらりと揺れた。冷気を押しのけてやって来た、脳を揺さぶるような騒音に両手で耳を押さえつける。すると未だ炎が回っていない数匹の虚が群れから離れて崖を登りはじめたのが目に入って来た。
     真っ白になった弾児郎の思考に仕留めなければという文字が浮かぶ前に虚たちは崖を越え、叫び続ける同胞のそばへと駆け寄る。騒々しさに呑まれながらも崖下にいた誰もがこのまま逃げるつもりかと一瞬身構えるも、その憂慮が現実になることはなかった。
     咆哮を上げていた虚が、近付いてきた虚に頭から喰らいついたのだ。
    「なっ……!」
     驚きのあまり、弾児郎は目が釘付けになった。鼓膜を刺激していた大音声がぴたりと止み、代わりに骨が折れる鈍い音と咀嚼音が降ってくる。呆然としていると共食いをした虚の体が不自然に変形し、膨張し、みるみるうちに大きな個体となり、崖の上で存在感を増していくのが確認できた。
     最初に動いたのは同じく一部始終を見ていた元柳斎だった。刀をひと振りして崖上へ炎の刃を飛ばし、他の個体のようにその体を燃やそうとするも、虚はまるで羽虫を払うように片手であっさりと叩き落とした。
     体の変化だけでなく、身体能力も上がっている――なおも手近な個体を捕食しようと腕を伸ばす虚をどうにかすべく、ようやく冷静さを取り戻した思考を回そうとした弾児郎だったが、闇の先でちらつく何かを見つけ、心臓がどきりと跳ね上がった。
     衝動のまま瞬歩で中空を踏み、風を切る勢いで崖を駆ける。足元から聞こえた「尾花隊長!」の声は、卒然と動いた自分を案じたであろう源志郎のものだということは頭の中では把握できていたが、振り向くことはしなかった。
     目的の場所へと到達した時には、虚は何匹目かの腕を口にしているところだった。弾児郎は自分の倍ほどの大きさとなった虚を真正面から見据えると、相手にしっかりと聞こえるよう、きわめて明瞭な声で尋ねた。
    「……お前、それはなんだ?」
     弾児郎の問いに捕食行為を中断した虚は、緩慢に頭を動かし自らの左腕に目を落とす。雑に括り付けられている〝それ〟を確かめ、再びこちらを向いた虚の顔は喜悦に歪んでいた。同時に発せられた大声が、嘲りを含んだ笑いのように小刻みに震えている。
     瞬間、心臓が鳴るたびに増していた憤怒が爆発し、顔に血がのぼっていくのを感じた弾児郎は、腹にありったけの力を込めて怒鳴った。
    「うちの連中を喰ったのは、お前かって聞いてんだよ!」
     ――なおも吠え続ける虚の腕に、もとの半分ほどの長さに千切れた青い手拭いが揺れている……。


      9


     戦いにおいて感情のままに動いてはいけない――長い放浪生活からなる経験で、弾児郎は十分理解していたはずだった。それでもこの無尽蔵の衝動を抑えることができないのは、仲間とか同胞という者たちがただの肉の塊ではなく、いつの間にか自分の中で存在感を増していっていたことの証左……。
     激昂の内側に一抹の感傷がよぎるのを自覚しながら逆手に持った刀を振り回すも、その一太刀たりとも隊士の仇を捉えることはなかった。飛び跳ね、身をよじり、軽々とした動きで攻撃をかわした虚は目の前でくるりと一回転し、弾児郎から数歩離れた位置に降り立つと、顔だけ前を見据えたままこちらの出方を窺う体勢に入った。
     忌々しい。内心で罵った弾児郎は、けたけたと不快な笑い声を上げる虚の足止めをすべく縛道の一『塞』を放つ。が、自らもからっきしだと認めている鬼道を冷静さを欠いた状態で打っても使い物になるはずもなく、虚はあっさりと『塞』をはねのけると地面に転がった同胞の屍を手元に引き寄せ、捕食行為を再開した。
     屍の頭部が口の中へと押し込まれ、上顎と下顎で挟まれた頭蓋骨が砕けるくぐもった音がする。首筋に立てた歯が頭部と体幹部を引きちぎり、かって虚だったものが肉片と成り代わるのを見ていた弾児郎だが、ふと、うちの隊士もあんな最期だったのだろうか、という考えに囚われた。
     泣く暇も喚く暇もなく頭から喰われ、体を割かれ、そうして一人の人間ではなく、ただの食べ残しとなってあの場所に打ち棄てられたのだろうか。
     たった数瞬の沈思が集中力の途切れだと思い知らされたのは、いつの間にか虚が眼前まで迫っていたことに遅れて気付いたからだ。瞬間、背後の崖の存在を思い出し、自分の迂闊さに思わず顔を歪めた。
     しまった――!
     猛然と突進してくる虚を受け止めた弾児郎は、そのまま崖を転がり落ち、背中から地面に叩きつけられてしまった。肺が驚いたようにこわばり呼吸ができなくなったものの、しかし痛みに呻いている暇はない。崖から飛んだ虚の影を、しっかりと目に捉えてしまったからだ。
    「尾花殿! 何が……」
     崖の上の攻防など知る由もない長次郎が、こちらの身を案じて駆け寄ってくる。「離れろ!」と張れるだけの声を張り、痛みが残る体を転がしてどうにかその場を退いた直後、弾児郎がいた場所に虚が降りてきた。
     すかさず動いたのは元柳斎だ。ゆらりと視線を滑らせる虚に炎を纏った刀を向けようとしたのを見た弾児郎は、立ち上がりざまに「待て」と声を投げると、攻撃への一歩を踏み出そうとした元柳斎を手で制した。
    「……手を出すな」
    「何?」
    「あいつがうちの隊士たちを喰ったんだ。だから……おれがケリをつける」
     言い切った弾児郎は、こちらをねめつける元柳斎の目を見返す。すぐそばで未だ燃え盛る炎の光を受け赤々と輝いている目はこちらの心情を探るべく細められており、しばらくの間じっと据えられたままだった。が、わずかの時間の後にその厳然さを取り払い、視線を和らげると、弾児郎に向かって小さく首肯してみせた。
    「己を失うでないぞ」
     その言葉から、総隊長としての命令ではなく仲間への気遣いを感じた弾児郎は一つ大きな頷きを返すと、炎に巻かれた同胞を愉悦交じりに眺めている虚を見上げた。
     じとりとこちらを見下ろした虚は頬をひくつかせ、口元に不気味な笑みの形を作ると、長い腕を鞭のようにしならせながら大きく振り回す。考えるより先にしゃがむことで避けると、頭の上を肉が空気を擦る音が過ぎてゆく。だが次には、虚の指先が崖を引っ搔き、岩壁がいともたやすくえぐれるさまに、戦いの最中であるにも関わらず舌を巻いた。
     あんなのをくらったらひとたまりもない。崖からはがれた土が音を立てて落ちるのを聞きながらそう呟く。こんなのを瀞霊廷に入れてしまったら今頃どうなっていたのだろう。隊舎を囲む白壁がことごとく崩される想像にぞっとするものを感じていると虚の体がねじれ、はえたたきの要領で再び腕が振られ、弾児郎は大きく後退した。
     このままじゃ迂闊に近付けねえ。どうにか注意を逸らさないと……そう思った弾児郎は右手を真っ直ぐに掲げると、一か八かの賭けを大声へと乗せた。
    「破道の三十三『蒼火墜』!」
     放たれた火球がまともな威力を持たないのは、無詠唱だけが原因ではない。見るからに脆弱な火球が虚によって叩き落されたのを半ば仕方のないという気持ちで見届けた弾児郎は、こうなれば正攻法だという自棄の勢いのまま虚めがけて駆け出す。
     はえたたきを見逃さんと首が痛くなるほど見上げながら走る弾児郎の目に、虚の笑みが映る。喜色満面の笑みだった。「尾花殿、下です!」と叫ぶ卯ノ花の声にはっとした時には遅かった。足を払われ、体勢を崩した弾児郎が次に感じたのは、横からのはえたたきを受けたことによる強い衝撃だった。
     木々を巻き込み、派手な音とともに森の中を飛んだ弾児郎は大木に叩きつけられ、目の前が暗くなった。意識が途切れた一瞬の後に背中からの痛みが電撃となって全身へと走り、口の中に鉄の味が広がった。
     よろめきながら立ち上がり血の混じった唾を地面に吐き出したところで、握っていた刀がなくなっていることに気付いた。どこかで落としたか。そう理解はできたものの、探す気力はほとんど残っていなかった。
     敵は想像以上に力が強く、戦闘能力も雑魚の比ではない。あの虚がここまで力を発揮できるのは捕食行為によるものだということは自明の理。ならば、現世から尸魂界に来るのにわざわざ仲間を引き連れてきたのは、いざというときに自分の血肉にするためか。
     無意識のうちに噛み締めていた唇がぷつり、と切れるのを感じた。悔しかった。ただただ悔しかった。そんな奴に、うちの隊士はやられたのか。仲間のことなど餌としか思っていない、さもしく非情な生き物に。同時に、どうにもならずやられっぱなしの自分に腹が立った。皮膚の内側を流れる血液が屈辱と痛憤に蠢き、四肢から熱を奪ってゆく……。
     ぼやける視界の先で黒い塊がのそのそと動いている。凝らせるだけ凝らした目に、周りを見回していた虚の目がある一点で留まったのが映った。その目線の先にいたのは、弾児郎を探すべく元柳斎たちから離れた源志郎の無防備な姿だった。
    「させねえよ……」
     上手く力の入らない足を動かし、弾児郎は前へ進む。
    「……もう誰も、失うわけにはいかねえんだよ!」
     叫びながら全力で振りかぶり、虚に殴りかかろうとした……つもりだった。肩に激痛が走り、振り上げた腕に痺れが降りてきた。さっきのでいかれたか? 拳を打ちつけるとは程遠い、遅い動作の中でそんな言葉が頭をよぎる。
     直後、眼前に接敵してきた虚が弾児郎の首を掴んだ。
     ぎりぎりと締め上げられる喉からは苦悶が絞り出されるだけだった。気道が狭まり、急性的な酸素不足による鋭い痛みをこめかみに感じた弾児郎は、不鮮明になってゆく景色の中心で虚が大口を開けるのを見た。
     喰われるのは分かっていた。だが、恐怖はなかった。それよりもこんなところでやられるわけにはいかないという意地、一人の人間としての足掻きが闇へと落ちゆかんとする意識を現実に縛り付けていた。
     この距離なら、確実に当てることができる……! 脳裏で弾けた確信が、満身創痍の体を動かした。弾児郎はゆっくりと腕を上げ、右手を虚へと定め……、
    「破道の三十三……『蒼火墜』……!」
     虚の口腔内に、火球をぶち込んだ。
     虚の体が大きく仰け反り、掴まれていた首が解放された。爆発による衝撃と反動で闇へと放り出された弾児郎の体は放物線を描きながら森へと飛ばされると、重力の作用に従って真っ逆さまに落ちていく。
     これで仕留めたとは思えない。だが、もう体が動かない。耳元で風がごうごうと唸るのを聞きながら地面に激突するしかない身の上に薄笑いを浮かべた弾児郎は、もういいんじゃないか、と冷めた声が生まれるのを聞いた。
     昔のお前なら、他人なんてあっさり見捨ててただろ? 誰が何を感じるかなんて関係なくて、自分が生き残れればそれでいい。自分のために戦う、そういう生き方だったじゃないか。しかも弱い人間を守るなんて。なのに、どうしてこんなに熱くなっているんだ……?
     紛れもない、過去の自分の声だった。嘲笑う声は不快でしかなかったが、返す言葉はなかった。うるさい。そんなのおれにだって分かんねえよ。捨て鉢と諦めが鼻の奥をつんと刺激し、今度こそ涙が込み上げてくる。まぶたの裏に砂嵐のようなまだらが広がるのを見つめながら、弾児郎は来るはずの痛みを待った。
     だが、衝撃はなかった。代わりに体がやわらかなものに包まれる感触がし弾児郎はつぶっていた目をそっと開いた。体の下を見る。霊圧を張り巡らした巨大な網が、弾児郎を受け止めていた。
     これは縛道の三十七『吊星』。難易度はさほど高くはないが、しかしこんな大きなものはそうそう作れるものではない。よほど熟練した死神か、あるいは数人がかりで作ったもの。元柳斎か、卯ノ花か……脳内に思い当たる顔を並べていたところで、それとは別の霊圧がそっと頬を撫でたことに気付き、弾児郎ははっとした顔になった。
     『吊星』は弾児郎を乗せたままゆっくりと下降し、地面に触れたところで霧散した。仰向けに寝そべる形となった弾児郎は少しの間呆けたように空を眺めていたが、やがて複数の足音が体の下からの振動となって伝わってきたのをきっかけに上半身を起こした。
     足音はすぐそばで止まった。座り込んだまま見上げた先にあった顔に、弾児郎は思わずといったふうに「お前は……!」と言った。
    「……無事のようだな」
     普段の冷然さを崩さない雨緒紀の顔がこちらを見下ろしている。驚いたのはそれだけではない。雨緒紀の後ろに立ついくつもの影の正体を確かめた弾児郎は、驚愕と困惑、そして一滴の不満を含ませた声でこう言い放った。
    「なんで……なんでお前がうちの隊士を連れてるんだよ……!」
     見覚えがあるなんてもんじゃない。つい数刻前まで悲しみを共にしていた五番隊士たちの真摯な眼差しに、自分でも分からない何かが競り上がるのを感じた弾児郎は、ほんの少し、泣きたくなってしまっていた。

    《続く》
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    hiko_kougyoku

    DONE若やまささ+弾児郎、源志郎
    「この拳が護るもの」③
    ※弾児郎の物語。
    ※やまささと言い張る。
    ※捏造あり。かなり自由に書きました。
    ※途中残虐・流血表現あり。
    この拳が護るもの③  4


     鉛のような空気に、有嬪の声が響く。深刻な面持ちで耳を傾ける隊長たちを順に見やった長次郎は、次には元柳斎の向こう隣、先ほどは座る者がいた場所へと視線を移すと、胸の辺りがじんと重くなるのを感じた。
     本日二度目となった全隊長の招集。集まった顔ぶれの中に、しかし先の当事者であったはずの源志郎の姿はない。元柳斎が自室に下がらせたのだ。
     長次郎は虚の襲撃後の源志郎を思い出す。茫然自失として佇んでいた源志郎の手には使われることのなかった斬魄刀が握られ、肝心なところで身が竦んでしまった未熟者を悔やむように、あるいは嘲るように、だらりと下がったまま揺れていた。
     戦う者であれば一度は経験したことのある、〝恐怖〟という洗礼だった。恐怖は常に人間のそばで息を潜めている。そうしていつの間にか背後から両の手を伸ばして目隠しをし、思考も、理性も、努力も、知識も、全てを無へと変貌させる、まさに魔的な存在……。その冷たさに、源志郎は身動きが取れなくなってしまったのだ。
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