おまじない「大丈夫、百々人さんが頑張ってきたの、僕はたくさん見てきましたから。本番楽しんで!」
ぎゅう、と少し痛いくらいに強く手を握ってもらう。両手で包み込んでくれるプロデューサーの手はあたたかくてその力強さに安心して呼吸ができるようになる。仕事の本番前、うまくできるか不安になってしまった僕を励ますためにしてくれたその行為は、その次もお願いすることにより本番前恒例のおまじないとなっていた。僕を見つけてくれたプロデューサーに保証をもらうことで、なんにもない自分自身に衣装にも負けない鮮やかで煌びやかな色がつく。
そのおまじないがあるからこれまで本番でも自信をもってやってこれたのだが、C.FIRSTも他のユニットも活動が増えたことにより、今日プロデューサーはもふもふえんの遠方ロケに同行している。前日も朝も会えなかったことで、久しぶりにおまじないのない体のまま出なくてはいけなくなってしまった。よりにもよって全国区で流れるCMの撮影であり、人気の若手俳優がメインとなることもあり撮影会社の重要人物も来るのだとさっきスタッフが立ち話をしているのも聞いてしまった。失敗の許されない、今の自分にとってはかなり大きな仕事だ。
頑張らなくてはと思うたびに胃がきゅっと縮こまって深い呼吸を繰り返していると、俯いた視界の隅にえんじ色のスニーカーが入り込んだ。
「隣、いいか」
「……マユミくん」
返事をする前にパイプ椅子を引いて隣にきた眉見がうかがうように目を合わせてくる。その緑色はやさしく、見通すように見られているのに気遣いも同時に感じる不思議な心地だった。
「緊張しているのか」
「うーん、ちょっとね。有名俳優さんの足引っ張らないようにがんばらなきゃ。アマミネくんはもうスタッフさんと仲良くなってるし、マユミくんもプロデューサーさんの代わりに挨拶回ってくれたりしてるんだから、僕も本番くらいはうまくやらないと……」
「俺は……慣れているだけだ。それにお前も俺たちも今日のために重ねてきた練習量だけは誰にも負けないと思うが?」
努力そのものに価値はないんだよ、とは返さずにそうだねと頷く。たった15秒程度のCMの中のさらに端役でも、出せる一番いいものを出したい。その思いはユニット3人とプロデューサーの全員が同じであり、最終調整ではプロデューサーも太鼓判を押してくれていた。
晴れない様子を見てか、パイプ椅子が軋む音がして眉見が体ごとこちらを向いて百々人の右手をとる。
「……大丈夫だ。ずっと練習を重ねてきたこともその実力も見てきた。百々人なら本番もうまくやれる」
ぐっと、眉見のしっかりとした手が力を込めて百々人の手を握る。プロデューサーみたいに励ましや元気を分けてくれる熱い手ではなくて、百々人よりも少し冷たいくらいの骨ばった長い指だ。百々人だけでなく眉見自信のことも大丈夫だと確かめるよう、背中を預けるような信頼を込めて触れられた肌からふたりの体温が溶けておんなじになっていく。不思議と落ち着いて眉見を見ると、百々人の反応をうかがうようにおとなしく待っていた。
「プロデューサーじゃなくて悪いが、俺で少しでも効果があるなら。……どうだ?」
「……ふ、あはは。全然違うね、マユミくんとぴぃちゃん」
大丈夫だと強く言い切ったわりにはけなげに様子をうかがっているのがおかしくて思わず笑ってしまうと、マユミも気が抜けたように肩の力を抜くと握っていた手を離した。溶けていた温度がそのまま自分の温度になって残っている。
「マユミくんのおまじない、戦いにでも行くみたい」
「戦いに行くつもりだからな。出演者の足を引っ張る心配じゃなく、食いつくさないかの心配をしたほうがいいくらいだ」
「言うねえ」
ずっと力の入っていた肩はすとんと落ちて、軽口を叩けるくらいに気が楽になっている。早く天峰も楽屋に帰ってこないだろうか。3人なら1000点が取れるという言葉を久々に思い出して、履きなれない真新しいミント色の靴をふらふらと揺らした。このおまじないが消えないうちに、3人そろった色違いの靴を並べて見たい。