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    忸怩くん

    @Jikujito

    鋭百、春夏春、そらつくとか雑多

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    忸怩くん

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    【鋭百】「眼鏡」

     百々人先輩は眼鏡がいいですよ、という天峰の言葉に従って雑貨屋で伊達眼鏡を買った。プラスチックのそれは手に持つ分には重さなんてほとんど感じないのに、いざかけてみると結構重い。普段重さなんてかからない場所に負担がかかっていることに少し変な感じがした。
     天峰が言うには、「百々人先輩は私服が派手だから下手に隠すより情報量を増やしたほうがいいですよ」とのことで、勧められるがままに帽子ではなくおしゃれ用のレンズの広い眼鏡にしたのだった。まだまだ街を歩いていて騒がれることなんて到底ないのだが、面白半分で呼ばれる“都内有名生徒会長”のレッテルのおかげでそれなりに顔が知られているため、同世代での知名度はある方だろう。ただ普通に買い物しているだけで目撃されいらぬ噂を広められるよりは、簡単な変装くらいしたほうがいいというのはたしかにそのとおりだ。そうして今日の駅前での待ち合わせが、この眼鏡のデビュー日となったのだった。
     連絡のあった時間より早めについてしまい、店を冷やかす気分でもなかったため大きな桜の下のベンチに浅く腰掛けて呑気な青空を見上げる。桜の木は噎せ返るほどの若緑色を風に揺すられてさわさわと音を立てており、澄んだ空と合わさってまぶしいほどの鮮やかさで目を刺す。それなのになんとなく眼鏡のレンズ越しではすべてが偽物めいて見えてくだらなかった。
     目を引く、注目されるアイドルにならないといけないのに、変装なんかして自分から人混みに溶け込む努力をするなんて、まったくやっていることが正反対だ。こんな眼鏡ひとつで簡単にいてもいなくても変わらない誰かになってしまう。
     スマホの通知音に呼び止められて俯きかけた思考が止まった。場所は着いた時に伝えてあるのに、律儀に『着いた』と連絡を入れてくる彼にきゅっと結んでいた口角が弛む。
     間もなくして改札を出てきた彼は黒いキャップをかぶっていたけれど、背が高く姿勢もいいから一目で彼だとわかってしまった。あれじゃあ変装になっていないんじゃないかと天峰に相談したほうがいいかもしれない。向こうからも百々人を見つけると、端正な顔が和らいでほのかな笑みを形作る。それにつられて思い切りふやけてしまいそうな頬に力を込めてとどまらせるとベンチから腰を上げた。
    「おはよう、待たせたな」
    「おはよう。僕が早すぎただけだよ。ねえマユミくん、それ変装になってると思う?」
     そう言ってキャップを指すと眉見は少し見上げ帽子のふちを見て、「髪型がわからなくなるだけでも判別はつきにくいんじゃないか」とわかるんだかわからないんだか微妙な答えを出した。背の高い眉見の場合、キャップの鍔は人目を遮るのには使えそうにない。天峰との身長差が生んでしまった誤算だろうか。
     意味の薄いキャップを深くかぶり直した眉見が、正面から百々人の目を見つめる。いや、そう感じているだけで実際には変装用の眼鏡を見ているのだろう。まだ馴染まない眼鏡のポジションを探るようにかけ直しつつ、直視されている居心地の悪さをごまかして口を開いた。
    「眼鏡ってさ、かけてみると意外と重くて気になっちゃうね。ちょっと苦手かも」
    「そうなのか。似合うと思うが」
    「そうかなあ……。なんだか全部がレンズ越しって慣れないや」
    「その分しっかり変装として意味を成しているだろう。横から見ると顔もわかりづらいし……なるほど、しっかり見られるのは正面から見る俺だけだな」
     自慢げに口角を上げる眉見に、どう答えればいいんだろうと返答に詰まった。そんなのは天峰でもプロデューサーでも同じだと思うのだけれど、隣を歩く眉見はどこか機嫌が良さそうだ。少なくとも今日は眉見だけの特権に間違いはないし、そんな単純な独占欲で満足している様子も珍しくてかわいい。とりあえず今日のところは、眉見だけということにしてあげようか。
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    忸怩くん

    DONE【鋭百】眉見の微体調不良
     乗換を調べてくれているのも、生徒会の議事録に目を通しLINKで修正指示を送っているのも、まっすぐに伸びた背中もいつも通りだ。駅のホームには北風が強く吹き込み耳を切るように過ぎていくため百々人は首をすくめマフラーに埋もれていたが、眉見は意に介さず少し緩めたマフラーから素肌を晒してまっすぐに前を見つめていた。その視線はいつも通りよりももう少し固くて、仕事中の気を張った眉見のままになってしまっているようだ。
     アナウンスが流れると遠く闇の中に眩い光が見え、風と共に電車がホームに滑り込んでくる。ほとんどの座席が空いている中、角席を眉見に譲ると一瞬の躊躇を挟んで小さく礼を言って座り、百々人もその隣にリュックを抱えて座った。こんな時間に都心へ向かう人は少ないのか車内は閑散としており、自分たちの他にははす向かいの角に座った仕事中といったふうの年配の男性だけだ。外とあまり変わらない程度の冷えた車内には、それに抗うよう熱すぎるくらいに足元の暖房ごうごうと音を出しながら膝の裏を熱する。一日ロケをこなしてきた体にはさすがに疲労がたまっているのか、それだけで瞼が落ちて無理やりにでも寝かしつけられてしまいそうだった。隣を見ると夏前の草木を思い起こさせる鮮やかな緑は変わらず揺れることなく据えられている。けれど腿同士くっついたところからは布越しでもわかるほどの熱が伝わってきていた。
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