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    忸怩くん

    @Jikujito

    鋭百、春夏春、そらつくとか雑多

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    忸怩くん

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    【アピキネ/鋭百】ピアスを開ける理由について
    アピキネ合わせで書き下ろしです!暗いです!
    鋭百未満から少し進む話。

    共に堕ちたい プラスチックの真っ白な箱が陳列されたラックの前に、見慣れた薄い髪色を見つけた。駅の事務所側にもドラッグストアはあるのに、わざわざ改札まで階段を上って下りての反対側にある店まで来て知り合いを見つけるとは思わなかった。
    「何か買うのか」
     急に話しかけたら驚くだろうかというちょっとした悪戯心だったのだが、こちらが申し訳なくなるほど肩を跳ねさせると、慌てて振り返った百々人の丸く見開いた目はゆっくりといつものとろんと甘さのある形に戻った。
    「びっくりしたー……。マユミくんか、説明もう終わったんだ?」
    「ああ、まだ顔合わせなどのスケジュールをもらっただけだからな。百々人こそ、まだ帰っていなかったんだな。買い物か?」
    「あーうん、そんなところ」
     百々人が眺めていたラックに並んでいたのはピアッサーだった。しっかり見たことはなかったのだが、そこら辺の薬局でいくらか出せば案外簡単に買えるようなものなのだと知って少し驚く。百々人の左耳にはミントグリーンがひとつ飾られているが、もう片耳はきれいなままだ。そちらも合わせて開けてしまうのだろうかと髪の隙間から見える耳たぶを覗く。
    「右耳にも開けるのか」
    「ん? んー、どうしようかな。決めてないや」
    「左に二つ目か? そういう増やし方もあるんだな。あまりピアスをしている知り合いがいないから気にしたことがなかったが」
     やり取りの中で再びラックに目を戻した百々人は、しかし物を吟味しているようでもなく気はそぞろだ。適当に手に取ったパッケージの裏を眺めながら会話も上の空で、思考はどこか別のところにある気がする。短く息を吐くと、「マユミくんは?」と笑顔でわかりやすく話題を変えた。
    「なにか買い物? こっちのお店まで来るってことは、買いたいもの決まってるのかな」
    「ああ、のど飴が欲しかったんだが欲しい味が向こうになかったから、こっちまで来てみた」
    「飴って意外とほしいの置いてなかったりするよね。飴売り場は、どの辺かな。えーと……」
     通路ごとに陳列棚を覗いて飴を探す百々人の手には先ほどラックから取ったピアッサーが収まったままだった。その後を追うとすぐに売り場を見つけた百々人が振り向いて眉見を呼ぶ。
    「どう、ありそう?」
    「……ああ、これだ。ふた袋くらい買うか」
    「ふふ、そんなに? その味そんなにおいしいんだ」
    「喉も通るし味も甘いがすっきりしていて食べやすい。今度レッスン後に食べられるよう持っていこう」
     話しながらレジに向かうと、少し遅れて百々人がついてくる。手の中のピアッサーを見ながらレジに並ぶかどうか躊躇っていたようだが、後ろから来た客に流されるよう列に並んだ。カチカチとプラスチックの梱包の角を爪で弾いている姿は嫌なことがあった時のようにうんざりして見える。
     ピアスとかネックレスとか、そういうファッションアイテムを買う時は、もっと明るい気分で買うものなんじゃないだろうか。つけたらかっこよくなれるとかかわいくなれるとか、自己投資のひとつだろう。けれど百々人は嫌々買わされているみたいに俯き気味でレジの順番を待っていた。
    「それ、買うのか」
    「うん、レジ並んじゃったし」
    「そうか……赤にしたんだな」
     百々人の手にあるピアッサーには右上に赤いシールが貼ってあり中身の石の色を示している。赤を選ぶのが意外だったためつい声に出すと、不思議そうに首を傾げた。
    「え?ああ、ほんとだ、真っ赤だね。よく見ずに持ってきちゃった」
     言われて色に気が付いたらしい。考えていた色と違うなら変えてこればいいのに、色になんてさして興味がないかのようにそのまま列に並び続ける。
     違和感が大きかった。欲しがっていないのになにか必要に迫られるよう惰性でピアスを買うのを止めたかったのだが、意図はともかく自分で買おうとしているものを何も知らないでやめろとは言えない。どうしたらいいか結論が出ないままにいまだ箱を弄んでいる手からピアッサーを奪うと、ちょうど呼ばれたレジに持っていく。飴ふた袋とピアッサーの会計をする眉見を呆気にとられた百々人が一拍遅れて追いかけてくるが、支払いはもう終わらせてしまった。
    「ちょ、ちょっとマユミくん! え、なに? ありがとう、待ってね、お金出すから……」
    「いや、いい」
    「良くはないでしょ、小銭あったかな」
    「……百々人」
     なに? と財布の中身を数えている百々人に先ほどまでの影は感じられない。それでもやはり一度受けた違和感や不安は拭えず、もう一度名前を呼んだ。マゼンタの目がようやくこちらへ向く。
    「これ、俺が預かってもいいだろうか」
    「え、なんで?」
    「どうしても今日使わないといけないのならやめておくが」
    「別に今日じゃなくてもいいけど……どうして? ピアス、興味あった?」
     興味なんか別になかったけれどそれでもいいかもしれない。なんとなく百々人とこれを遠ざけたかったから、なんていう曖昧な答えよりはよっぽどそれらしかった。
    「そうだな、少し」
    「意外だ、マユミくんってそういうのやらないと思ってた」
     先ほどまで百々人のものだったピアッサーが飴と同じ買い物袋に入り自分の手元にある。もうひとつ手に取りレジに並びなおせばそれだけで百々人は新しいピアッサーを手に入れられてしまうのだけれど、眉見はそうしろとは口にしなかったし百々人もそうしなかった。
    「じゃあそれ、マユミくんが持ってて」
     ちょっと飲み物持ってて、くらいの声音で言うのに、視線は眉見が下げたビニール袋に向けられたままだ。街灯が照らす程度の暗がりでは、マゼンタは翳ってよく見えない。
    「必要になったら言ってくれ」
    「んー、うん、わかった」
     いざ今日みたいに百々人がピアスを必要とした時、声をかけてくれるだろうか。わからないけれど、口先の言葉でくらい縛っていたくてそんな約束を取り付けた。



     オフを1日挟んで事務所で顔を合わせた百々人の耳では、いつも通りのミントグリーンの石が照明を反射していて他の色が増えた様子はなかった。自分が預かると言ったもののその後自分でピアッサーを買い直して開けてしまっているかもという懸念もあったのだが、それには至らなかったようでひそかに安堵した。
     その後も顔を合わせるたびにそっと耳を盗み見てしまうのだが、ミントグリーンが光る左耳もまっさらな右耳も変わらずそのままで、そのうちそんなことは頭の片隅からも消えて気にならなくなっていった。
    毎日のようにある放課後のレッスンではC.FIRST3人そろって顔を合わせるのが当たり前だったのだが、最近は秀の舞台の稽古が始まったことで2人になる日も多くなっている。眉見自身もラジオに呼ばれたりと個人の仕事があるとレッスンを休まざるを得ず、ダンスは動画を残しておいて細かな点を個々で確認するなど、会えないゆえ連絡も仕事に関するものばかりになっていく。雑談を投げると連絡が流れてしまうからと、みな遠慮しているようだった。当たり前にあると思っていたユニットの時間は当たり前に減っていく。
     ただ特に秀が忙しくしているそんな中でも、百々人と過ごす時間は多かった。
    「マユミくん、ごはん行こうよ」
     ダンスレッスンが終わり冬にもかかわらず汗だくになったTシャツを着替えていると、そんなふうに声がかかる。最近二人でのレッスン後でもこうして声をかけてくることが多く、連日のように百々人と夕食を共にしている。散々動いて空腹なのもあり、眉見としてもちょうどいい誘いなのだ。
     春が近づいて日中は暖かい日も多くなったが、夜はまだまだ冷え込む。事務所の外へ出たとたんに首筋を切る冷たい風にコートの前を閉じて首をすくめると、二人並んで駅の方へと向かう。道を行く人はみな早足で各々の帰路を急いでいて、その中をのんびりとした足取りで歩いていると周りの人々とは違う時間の中で生きているようだ。通いなれた駅近のファミレスへ入ると、入店を知らせる電子音と暖房に迎え入れられて明るい店内にほっと息をついた。
     いつもは頼まないドリンクバーを頼みたいと百々人が言うので料理と一緒に頼んだ。ティーバッグの紅茶を蒸して待ちながらも、二人の間に会話はない。会話がうまくない方だと自覚はしているのだが、いつもは百々人からの話題提供や相槌に助けられていたのだと、それがなくなったとたんに思い知らされて沈黙が生まれてしまう。普段なら沈黙も百々人相手であれば心地いいのだが、今日はどこか重苦しく気まずい沈黙だ。話を振れば返事があり会話になるのに、どうしてだか今日はすぐに途切れてしまう。
     沈黙を埋めるよう口に運んでいた飲み物ももう飲む気がなくなってしまって、グラスには何度目かのドリンクバーからとってきたお茶が氷も溶けきって嵩の高いまま残されている。
    「百々人、そろそろ出るぞ」
     スマートフォンの時計は22時近くを指している。高校生が出歩く時間としてはぎりぎりだろう。
     自分で腕時計を見ることもなく曖昧な返事をした百々人は緩慢に立ち上がりコートに腕を通す。眉見がまとめて会計を終えたころにようやくリュックを背負って追いついてきた。
     店内とは打って変わり寒風が勢いを強めている外は出歩く人も減っていて、見た目にも寒々しさが増している。今夜は冷え込むと朝見たニュースで言われていたのを思い出しながら思わず身を縮める眉見の横で、百々人はそんなことは気にも留めないふうにやわらかな春の色をした髪を風に晒していた。
     駅前にある大きな桜の枝の先が膨らんでいる。枝ばかりに見える大木もよくよく見たら春をもう間近に控えているのだ。まだ今日のように寒い日も多いが、暖かい日があればあっという間に花開くのだろう。
    「じゃあ、また明日のレッスンで」
    「うん。……おやすみ、マユミくん」
     ホームへ向かう階段の手前で別れを告げたのだが、階段を数段登り振り向くとまだその場に立ち尽くして眉見のことを見ていた百々人と目が合った。自分が乗る路線のホームへ向かうでもなく通路のど真ん中にいるままの百々人の不自然さに心がざわつく。このまま眉見が電車に乗ってしまっても、百々人はずっとそこに立ち尽くしているんじゃないか。姿が見えなくなれば自宅へ帰るだろうと常識的な部分はそう言っているのに、直感がきっとそうじゃないと告げていた。
     半分まで登った階段の途中でUターンして戻ると、百々人は叱られるのを待つ子供みたいに下唇を噛んでじっと待っていた。眉見が口を開く前にごめんなさいと小声で言う。
     威圧したいわけでも、謝らせたいわけでもない。迷子の子供みたいな百々人を置いていけなかっただけだ。
    「見せたい映画があるんだが、うちに来ないか」
     咄嗟に出てきたのはうすっぺらい誘い文句だったが、百々人は伏せていた顔を上げると鮮やかなマゼンタをほっとしたように溶かして頷いた。



    「くつろいでくれ」
     そうは言ったものの、滅多に人を呼ぶことのない自室ではどうくつろいでもらったらいいのか眉見自身にもわからなかった。百々人がコートを着たまま所在なさげに部屋を見回しているのを横目にキッチンへ行きカフェラテを淹れて戻ると、迷った結果なのかカーペットの隅にちいさく正座して待っていた。
    「眉見君の部屋って物がないわけじゃないのにきれいだよね。なんだか落ち着かないや」
    「……お前の部屋は片付いてないのか」
    「ストレートに言われちゃうと恥ずかしいんだけど、だいぶ散らかってるかも」
     どうしてかと話を続ける前にカフェラテのお礼を言われて話が切られる。こういう少しでも家に関連した話題を百々人が避けているのはわかっていて、踏み込めないまま立ち止まってしまう。意図的に伏せているのだろうが、部屋が汚いとか家族で出かけたことがほとんどないとか、そういう断片的な情報が点々と散らされていて知らないことばかりだと思い知らされると余計に気になってしまうものだ。シアタールームだけでなく眉見の自室に百々人と秀を招き入れたことは何度かあったが、百々人の家を訪れたことは眉見にも秀にもなかった。
     途切れかけの会話を引き継ぐ音を探すように部屋のテレビで流す映画を選ぶ。上辺だけの口実ではあるが映画を見ようと誘って連れてきたのだからなにか流さないとおかしい気がしたし、沈黙よりは何かでふたりの間を埋めたかった。なんでもいいと言う百々人に、モニター下の棚に並んだパッケージからおすすめを探す。いくつか悩みつつも、演出が凝っているが大筋がシンプルなため見やすく助演の演技が気に入っている一作を選んで再生を始めた。この間この監督の新作へのオーディション要項が事務所に届いたと聞いていたが、今回は飲酒シーンがあるため成人済指定だったらしい。次があればぜひ役をもらいたいと思っており、つい目についたのだ。
     それっぽくするためと間接照明だけにした部屋の中で、自分のマグカップにはブラックコーヒー、百々人のにはカフェラテの柔らかい色が揺れてほのかに湯気を立てている。ポットに残っていたコーヒーに牛乳をいれてレンジで温めてきただけなのだが、百々人は両手で持ったマグに息をかけ冷ましながら少しずつカフェラテを口にして、深く息をついた。
    「コーヒーの匂いって、なんだか落ち着くよね」
    「ああ。この時間にカフェインはどうかと思ったんだが……まだ寝ないだろう?」
    「ふふ、うん。それでいいよ」
     さすがに遅い時間なので泊まりのつもりで呼んでいるし、百々人もそのつもりで来たはずだ。合宿のような浮かれたものではなく百々人としては家出に近いのだろうけれど泊まる旨は家族へきちんと連絡させたので、問題のない深夜の映画観賞会だ。
     売れない舞台役者が見合いで出会った女性をきっかけとして様々な変人たちと出会いハプニングに巻き込まれていくという大筋なのだが、演者がみな変人たちをうまく人間として自然に見せているところがこの映画を見やすくしている。変わったキャラクターをただ出して面白おかしくするのではなく、それぞれに悩みも痛みもあると端々にちりばめることで説得力を持たせ共感させることを大切にしていると、監督がインタビューで答えていた。
    つい眉見自身が見入ってしまっていたとはっと気が付いて隣を盗み見ると、膝を抱えた百々人は画面を見ていつつもどこか上の空のようだった。間接照明だけにした薄暗い部屋の中、マゼンタの瞳は画面の光をただ反射しているだけでそこに感情はなく凪いでいる。映画のチョイスを間違えただろうか。底抜けに明るいバラエティ映画や海外の爽快なバトルアクションものが気分転換には良かったかもしれない。
     結局30分もたたないうちに眉見はリモコンの停止ボタンを押した。半端なシーンで映像が止まり、百々人の目に眉見が映る。
    「すまない、退屈だったか。別のを見るか、それとも風呂にするか……眠いのならこのまま寝てしまってもいいが」
    「ううん、ごめんね。せっかくマユミくんが選んでくれたのに。ちょっと……考えごとしちゃってて」
     なにをかは口にしなかったが、やはり気分転換にはなっていなかったようだ。そうであればこのまま眠る気分にもならないだろう。映画以外になにかないかと考えていると、靴下ごしにつま先をつつかれた。
    「あのさマユミくん。この前買ったニードルってある?」
    「ニードル?」
    「ピアス開けるやつ」
     言われて思い出す、先日ドラッグストアで百々人が買おうとしていたのを半ば無理やり預かった白いプラスチックケース。預かったはいいものの、どうしたらいいかわからないまま勉強机の鍵のかかる引き出しの中にしまっていた。ちいさな鍵が引っ掛かりを覚えながらも回されると、書類や小物の間でそれはしまった時のまま静かに鎮座していた。ここでこれを百々人に手渡してしまうことで、何かが失われるのだろうか。よく見もしていないピアッサーを手に追い立てられるようレジに並んだ百々人を、あの日引き留めたことで勝手に救ったような気になっていたのだ。結局今ピアッサーを欲しがっている百々人を見ていると、救うだとか変えられただとかそんなことは何もなくて、ただ結論を先延ばしにしただけの無意味な遠回りだったのかもしれない。
     後ろ髪を引かれながらも伸ばされた手にピアッサーを渡すと、百々人はケース越しにそれを眺めていた。角に貼られた赤のシールを親指でなぞると口角だけで笑ってみせる。
    「ほんとに赤だ。似合うかなあ」
    「何色でも似合うだろう。……ピアス、開けるのか」
     頷く百々人の隣に座り直すと、居心地の悪い間をぬるいコーヒーで流し込む。
    「……聞いてもいいか。ピアスを開けたい理由」
    「うーん、イヤリングとかノンホールピアスとかっていちいち面倒だし」
    「ファッション以外で開けなければいけない理由があるのか」
     わざとらしい見当違いな返答には取り合わずストレートに聞きなおすと、とりあえずと笑みを形作っていた唇がきゅっと寄せられた。初めて会った時と近い顔をしている、と脳裏にあの日路地裏で振り返った顔が思い起こされる。苦しい、楽になりたいという顔をしながらも、触れようとすると警戒心が増すのは猫のようだ。
    「……あんまり言いたくないんだけど」
    「すべて話せとは言わない。だが断片だけでも教えてほしい」
     ちらと上目遣いに向けられた視線を正面から受け止め見返すと、逃れられそうにないと観念したのか目を細める。ええと、と左耳のピアスを弄りながら言葉を探すのを黙って見守っていたが、出てきたのはほんの一言だった。
    「なんだろう、しいて言うなら安心する、みたいな」
    「ピアスを開けることでか」
    「そんな感じ」
     それ以上口に出す気はないのだろう。ピアスを開けることと安心することの関連が眉見には分からなかったが、それを理由にまた一つ体に穴をあけようとしている百々人にはやはり納得がいかなかった。百々人がそうしたいというなら好きにさせてやればいいのに、おとなしく手を引けない理由が自分自身でもわからない。ただ百々人がピアスを買い直さず眉見に預けたままでいたこと、毎日のようにレッスン後の夕飯に誘われること、帰りたくないからとここまでついてきたこと、そういう少しずつが眉見とは無関係だと放り出してしまうには気がかりになっているのだろう。助けを求められているんじゃ、なんて烏滸がましい考えすら浮かぶ。
    「なにか、俺にできることはあるか」
     口にした言葉は我ながら陳腐な問いだと自嘲したくなるものだった。何をしたらいいか、何かを求められているのかすらわからないのに、未練だけで食い下がっている。
    「……言い方は悪いが、お前のそれは自傷のように見えて好きにしろとは見過ごしがたい。代わりに俺にできることがあるならなんでもするから、それはやめられないか」
    「……なんでもなんて、簡単に言っちゃだめだよ」
     ふ、と笑むその表情に惹き込まれる。普段の柔らかで無垢な笑みともいたずらっぽいものとも違う、影のある笑み。鮮やかなマゼンタは薄暗い中に沈んでしまいその鮮やかさもなりを潜めていてよく見えないが、迂闊に触れてはいけない硝子のとげのような繊細な危うさをはらんでいた。暗い色の目が眉見をとらえてまばたきもしないままじっと見据え、たっぷりの間をおいて吐き出された声は小さく、少し掠れていた。
    「なんでもしてくれるなら、僕を一番にして」
     その表情からはどの感情も見えなかったけれど、それが百々人の一番欲しいものなのだろうか。
    「家族より、天峰くんより、ぴいちゃんより、クラスの友達よりも、僕のことを見てほしい」
     順当に考えれば冗談で済まされるような、済まさないといけないような重い望みだったが、その重さを考えるよりも先にそれに頷いていた。当然一蹴されるとでも思っていたのか百々人がわずかに目を丸くしていたが、眉見も即答した自分自身に驚いていた。ただその驚きよりも内心を満たしていたのは、Yesと即答できたことへの安堵だ。望みに応えることで力になれるのならば、自分がどうすべきかは考えるまでもない。
    「わかった。お前を俺の一番にしよう」
     きっとこんな相互利用じみた約束を交わすくらいなら、自傷のようにピアスを開ける百々人を黙って見ていたほうがずっと良かったのだろう。けれど毒は薬にもなるのだ。互いのためにならないような関係でもその毒は痛みを麻痺させてくれ、甘い部分だけを吸うことを許してくれる。
     映画を止めたままだったモニターの画面は時間がたち真っ暗になっている。改めてレコーダーを電源から切って落としてしまうと、冷めたコーヒーを一気に飲み干した。
    「百々人のことをもっと教えてくれるか。一番にするために、好きだと言える点をできるだけ多く知りたい」
    「……告白?」
    「そうなるかもな。欲しいんだろう、これが」
     百々人は唇をゆがませると目を伏せたまま、うん、とうなずいた。それっぽい綺麗ごととちゃちな告白で、どんどん後戻りできなくなっていく。
     こうしてお前が望むからだと口では言いつつも、内心では百々人のために自分を費やせることに安心しているのだから、いつだって自分のことばかりで嫌になる。せめてその自己満足を少しでも百々人のためになるものにしようと伏せられた顔を覗き込んだ。
    「してほしいことがあれば何でも言え」
    「……だから、なんでもは良くないよって」
     二度目はちょっとおかしそうに笑うと、手を伸ばし眉見の唇に触れた。下唇を人差し指と中指の背で挟み、含みを持たせてふにふにと弄る。
    「僕たち、コイビトってことでいい?」
    「それがいいのなら」
    「それがいいな。……ほんとになんでも言っていいの?」
     念を押して確かめる百々人の目を正面から見つめて頷く。下唇を弄ばれたままでは格好がつかないが。
     百々人の指は唇から口角と頬までたっぷり堪能したあとに、もう一度戻ってきて人差し指で唇の中心に触れる。
    「……じゃあ、お願い。キスしてくれる?」
     それにも頷いたものの、したことがなかったからキスの仕方などわからなかった。目を瞑って待つ百々人の頬に触れるべきか、顎に指を添えるか、息はどうしたらいいのか。わからないまま近づいてしまったから、どれもできないままに顔だけを体温がわかるくらい間近まで寄せると唇を重ね合わせた。初めて知る他人の唇は、保湿のクリームを塗っているのかほんの少しべたついていてふっくらとやわらかくてあたたかい。押し付けたあとどうしたらいいかもわからなくて、すぐに離した。
     ゆっくりと目を開けた百々人は少しだけ笑んで、自分がどんな顔をしているのか不安しかない眉見のことをじっと見ていた。先ほどみたいに百々人の指先が伸びてきて、しかし今度は唇ではなく頬を通り過ぎるとうなじに添えられてぐっと力が入る。
    「っ!……ん、」
     眉見がしたものよりも遠慮なく唇が合わさると、舌先につつかれて驚いて口を開けてしまう。すぐに熱くてぬるぬるとした肉厚な舌が口内に入り込んできて、眉見の舌に絡まるとうねりながら舌裏の血管をなぞり舌先を吸う。必死にその動きについていこうとしているのをあっさりと躱されると歯列を丁寧になぞられた。どうしたらいいかわからず下あごに溜まった唾液を吸われると、それを嚥下する音がつながった唇を通して体内から聞こえぞくぞくとした悪寒にも似たものが背筋を駆け上がる。上あごをくすぐられると鼻にかかった息が漏れてしまって、頬にかあっと熱が集まった。それを口を離さないままに百々人が鼻息で笑うと、ようやく唇が離されて息ができるようになる。つうっと引く銀糸も、唇を拭う百々人の知らない艶美なしぐさも自分の部屋で起きていることではないようで、上がった息のまま目を離せない。
    「にが、コーヒーの味だ」
    笑われて、少し反省した。そういえばつい先ほどまでコーヒーを飲んでいたのだ。初めてのキスは甘酸っぱい果実のようだ、なんて昔見かけた文章はやはりフィクションでしかなかったのかもしれない。けれどブラックコーヒーを飲んでいた自分と違い百々人のカフェラテには砂糖が入っていたから、眉見の喉には今もほのかにその甘さが貼りついている。苦さの中に甘味が溶け込んだキスは癖になってしまいそうで頭がじんと痺れた。
    息を整えていると下肢にわずかに熱が集まっていることに気が付いて焦る。ユニットメンバーでしかなかった相手に、それも自分と同じ男にキス一つされただけでこんな高まり方をしてしまうことへの罪悪感と、それでも抑えきれない興奮で頭が熱くてぐらぐらする。けれど罪悪感なんてある方がおかしいのかもしれない。だってさっきこの男とは恋人関係になったのだから、性的な興奮だってあって当然のはずだ。正しいものがわからなくて、ぐちゃぐちゃと絡まっていくまま下腹部の気怠さを持て余している。
    「キス、初めてだった?」
     直球の質問に嘘をつく理由もなく頷くと、「初めて、もらっちゃったね」と百々人が冗談めかして笑ってみせる。そのくせやっぱりその嬉しそうに見える笑顔も作り物でしかないのだ。
    ふと横を向いたまま止まる百々人の視線の先には放り出されたピアッサーがあって、深いマゼンタはただじっとそれを見ていた。
    「ピアス、やっぱり開けたいな」
     薄暗がりに溶けるようぽつりとそうこぼす。ピアスを開ける代替案としての恋人関係ではなかったのか。その言葉の受け止め方を探って返事を迷っていると、机に放られた箱を手に取った百々人がプラスチックの外装を大きな音を立てて開けていく。手を出すよう促されると、真っ白でつるつるとした箱を持たされた。見た目よりよっぽど軽いのに、手の上に乗せると重くて冷たくて手放してしまいたかった。
    「やはり開けないといけないのか」
    「開けたいんだけど、さっきまでとはちょっと違うかも。開けなきゃっていうよりマユミくんに開けてほしいなって思うんだ。……ほら、赤ってちょうどマユミくんの色みたいでしょ? 一番にしてもらえてるんだって忘れちゃわないように、身に着けていたいんだ」
     だめかな、と首を傾げられると断れない。石自体はピアッサーの構造上内側にしまわれていて見えないようだが、鮮やかな赤がその耳たぶに埋められることを思うと、それが眉見の色だからつけたいのだと言われると、開けないでほしいなんて考えは途端にいなくなって見てみたいという欲だけが残ってしまう。百々人はピアスが開いていない側の髪を耳にかけると、耳たぶを引っ張りながら爪でバツの印をつけた。単純な脳はすでにそこに深紅を思い浮かべている。
    「開けたいところに印をつけてね、ばちんってやるんだよ。躊躇したら危ないから、思いっきり」
     ピアッサーを持ったままの手を百々人に握られて構えさせられると、そのまま耳元まで連れていかれる。ここまで導かれても最後に実行するのは眉見の意思だ。
     この手で他人の体に穴をあけることを思うと怖さで息が詰まるけれど、これは百々人の望みなのだからという理由付けでそれも無理やり塗りつぶして押し込めてしまう。指先に力を入れてしまえばそれでもう百々人の耳には痛みとともに異物が刺さるのだと思うと、どうしても手先から血の気が引いていくようだった。まだ躊躇で揺れたまま百々人の方を見ると凪いだ目の奥に期待の熱が揺れていて、視線でいいよと伝えられる。
     深く深呼吸をすると覚悟を決め、耳たぶに添えたピアッサーを勢いよく閉じた。バン!、と驚くほど大きな音がして思わず握りしめてしまっていた箱をそっと耳から離す。まっさらだった白い耳には血のような深紅が、暗がりの中でもわずかな間接照明を反射して赤くきらめいていた。
    「……うん、位置も大丈夫そう。ありがと、マユミくん。痛かった?」
    「……痛いのは俺じゃない、お前だろう」
    「あはは、そうだね」
     じんわり痛いんだけど、割とこの感覚好きなんだ。と恥ずかしそうに言う百々人の頬が高揚している。そっと指先で埋め立てのピアスを触ると、やわらかな耳たぶの真ん中に人工的な硬さがあるその感触が不思議でつい指先で転がして味わってしまう。まだ痛いんだから、と逃げられるとその耳は下ろした横髪で隠されてしまった。
    「ぴぃちゃん困らせたくないしアマミネくんにも怒られたくないから、これは僕たちだけの秘密ね」
     そうは言ってもダンスレッスンや着替えできっとそう待たずにふたりには見つかってしまうのだろうけれど、開けた理由も、眉見が開けたのだということも誰にも教えず秘めたままにするのだ。たとえこれから百々人との間にこれ以上何も起こらなかったとしても、この赤が視界に入るたびに今日した約束を思い出すことになるのだろう。ふたりだけの秘密なんて甘い蠱惑的な言葉で飾ってもその実は毒でしかなくて、百々人の体に刻まれた証は眉見の心臓の底の方にもじくじくとした痛みをもたらし続けるのだ。
     眦を下げて首をかしげる百々人の髪の隙間から、わずかに赤が覗く。
    「好きだよ、マユミくん」
    「……お前を一番にすると誓おう」
     好きも愛しているも一番に思っているも嘘でしかないから、約束をすることしかできない。互いにほんの一握り持っている本心をたくさんの作り物で塗り固めた言葉だとわかっているのに、わかっていてなお手放しの好意は脳をしびれさせる甘美さをもっていた。
     映画ならここでキスするのだろうが、眉見にはまだそのうまいやり方が分からないからただそのマゼンタを見つめる。髪に隠された赤いピアスが、もう後戻りできないと告げているような気がした。
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