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    忸怩くん

    @Jikujito

    鋭百、春夏春、そらつくとか雑多

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    忸怩くん

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    【鋭百】「髪」

     嬉しかったのは本心なのだ。文学賞を獲った作品の映画化、そこに端役とはいえ本筋にも関わる立ち位置である役へ名指しでのキャスティング。他のキャストは実力派俳優やオーディションでの選出なのに、まだエキストラ程度しか演技をしたことのない新人アイドルを指名した理由は、原作者からの推薦だと添えられていた。実際に現場で話をさせてもらった時に、雰囲気に惹かれたのだと丁寧に伝えてもらった。アイドルとしてのファンではなく、作品の一端を任せられる役者として仕事を任せてもらえたことが心底嬉しかったのだ。全国公開される映画への出演はC.FIRSTにとってもより大勢の目に留まるいい機会となるし、プロデューサーも飛び跳ねんばかりの勢いで喜んでくれた。
     そんな映画の撮影もようやく終わり、役作りのために伸ばしていた髪も切って元の長さまで戻すことにして、明日、美容院を予約していた。顎下あたりまで長く伸ばした髪型も好評だったが、これは今回演じた彼のもので自分のものではない。クランクアップを区切りに切ってしまうことは元から決めていた。
     明日のスケジュールを確認している後ろから、ベッドに腰掛けた眉見が伸びた髪を指で梳く。伸ばしている最中は物珍しい視線で見ることはあったものの特別気にしている様子はなかったので、今日ほどしきりに髪を触ってくるのは珍しい。原作を読み終わった後に百々人が演じる役をいいキャラクターだから楽しみだと言っていたし、明日この髪が失われるのが惜しいのだろうか。
     髪の間を指が通り抜けて、ぱさりと束でおちる。くるくると指に巻き付けてはすり抜けていく。
     髪を触られるのはじんわりとあたたかい気持ちになっていくようで好きなのだが、今日はただちりちりと不快感が積み重ねられていくばかりだ。
    「ね、マユミくん。それやめて」
     ただ制止しようとした声に苛立ちが乗ってしまい、慌てて気になっちゃうからと明るい声をつくって取り繕ったが、眉見はすぐに手を引っ込めるとベッドに座り直しわずかに距離を取った。人との接し方が丁寧な彼はこうして一度引いてくれることが多いけれど、気を遣わせているのがわかるから余計に自分の失態が悲しくなる。
    「すまない、嫌だったか」
    「ん……ちょっと気になっちゃっただけ、ごめんね。なんだった?」
    「お前が謝ることじゃないだろう、無遠慮に触って悪かった。ただ明日には髪を短くすると言っていたから、少し名残惜しくなっただけだ」
     そう言って視線は百々人の頬の横を通って毛先へと向けられる。合わない視線にため息をつきそうになって押さえ込むよう飲み込んだ。
    「マユミくん好きだって言ってたもんね、今回の役のこと。切っちゃうの惜しいんだ」
    「役は好きだがそうじゃなく……いや、すまなかった。そろそろ風呂にするか」
    「そうじゃなくて、なに?」
     中途半端に切って腰を上げた眉見を引き止める。目を細めてしばし思案するのをじっと見つめて待っていると、眉見は再びベッドに腰を下ろしむずかしい顔のまま口を開いた。
    「髪には、魂が宿ると言うだろう」
    「そうなの?」
    「ああ。そういうのもあって、髪とはいえお前の一部がなくなるのが少し……惜しいと思ったんだ」
     思っていたのと違う理由に毒気を抜かれて眉見を見る。伸ばした髪を切ることは百々人にとっては役を切り離して自分だけになるために必要なことだったのだが、眉見にとってはこの毛先まで全部が百々人を構成する一部らしい。思い込みで役にまで嫉妬してしまったのが急に恥ずかしくなっていたたまれないのと同時に、眉見がただ伸びただけの髪にまで百々人を見出して大切にしてくれていることが嬉しくてくすぐったかった。
    「……マユミくんって、案外そういう迷信じみたもの気にするよね」
    「だから言うのはやめておこうとしたんだ」
    「ふふ……ごめんね、言わせちゃった。でもこれは役のために伸ばした髪だから、ここには僕の魂は多分ないよ、大丈夫」
     少し表情を緩める眉見に百々人も肩の力を抜く。思い込みでの嫉妬だったけれど、髪ばかりを触って百々人の不満に気付いてくれなかったことにはやっぱり少し拗ねたくなる。だからあともうひとつ、わがままを言っても許されるだろうか。
     立ち上がると後ろにいた眉見の隣に座り直した。一片だけ重さをかけられてベッドのスプリングが軋み、ほんの数センチで触れる距離にまで近づく。
    「髪、触りたかったら触っていいからさ、僕のお願いも聞いてくれる?」
     返事をしかけた眉見を制して自分の唇を指でとんとんと押さえてみせると、開きかけの口がそのまま止まったのを笑ってから目を閉じる。一呼吸分の間と息だけで笑むのが聞こえてから、柔らかで優しい触れるだけのキスがそっと唇に落とされた。
     ただ慈しみだけを与えられるあたたかさに浸りながら、最初からこれさえあればよかったのかもしれないと考える。結局は髪でも役でもなく百々人自身を見てもらいたかっただけなのだ。眉見の目の前にいるのはアイドルでも役者でもない百々人だけれど、ここにいていいとキスひとつで教えてもらえる眉見からの許しにふっと息を吐いた。
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