辿るいつもの帰路。いつもの日常。
級友が部活だ塾だとそれぞれの目的のため次の場所へと行くように、俺自身は世に何か困りごとや事件が起きてはいないかと、集中力を欠くことなく帰路を行く。この時間の見慣れた光景に異変があるとするならば、それが難解な事件の入り口になる可能性だって当然ある。なんせ、気が付けば異変に巻き込まれているなんてことのほうが、最近では日常になりつつあるのだから。
ところどころひび割れたコンクリートや、最近開店したコンビニエンスストア、それからもう半年以上も貼られている「マロンを探しています」のポスター。ラミネートされていても色褪せきった写真には、記憶によれば栗毛の小型犬(おそらくはプードル)が赤色の首輪をし、舌を出していた。文字色はあせることなくそこに残り続け、はっきりと「女の子」「2才」「マロンと呼ぶと尻尾を振る」など書かれていた。よほど賢くなければ、何と呼んだところで犬は尻尾を振るものではないだろうかと思うのだが、これを作成した家族にとってはその行動が彼女を彼女づける一つの要素だったというわけだろう。
迷子の犬猫を探すことは自分の仕事ではない。と、思っているわけではない。当然そういった類のポスターを見かければ記憶には入れているわけだし、野良の犬猫がいれば脳内のフォルダを立ち上げて一通りは照合している。ただ、こちらから積極的に動くというわけではないというだけだ。なんせ自分は、西に東にと呼ばれればはせ参じ、それなりに忙しいこともある。それに、例え忙しくない日にコーヒーを落ち着いて飲もうとしたところで、向こうから事件も、異常も、異変もやってきてしまうのだから。
さて、先に以降かと足を進めようとしたとき、はたとその足が止まる。視線の先、目を引く赤色が細長く垂れているのだ。風が吹けばゆらりとなびくそれを何度も見た経験があるそれの正体は、近づいて確認するとやはりリボンだった。公園を取り囲む垣根の真ん中より少し下に、引っかかるようにして出ているそれは、遠目に見れば花か何かと思う人も多いことだろう。
その場にしゃがみこみ、まずは観察。リボンが引っかかっている場所の近くには青々とした葉も数枚落ちており、折れている細枝の様子もいくつか確認ができた。枝はどの向きにも折れているため外側と内側のどちらから力がかけられたのかまでは判別がつかない。公園には三歳程度の子どもを連れた母親らしき女性。それから初老の男性とスーツを着用した女性。ふむ、と口元に手を当てる。垣根にかかったリボンは登校時には無かった。自分が今朝この前を通ったのは7時30分頃。現在時刻は16時過ぎ。その間に何かがあったわけだ。公園にいる人物がその間の時間滞在し続けていた可能際はゼロだ。なぜなら登校時は公園に人影はなかった。とすれば、滞在時間が長い可能性が高いのは親子か初老の男性になるだろう。スーツの女性は先ほどから電話をし、「次のミーティングは」だとか「アポどりは終わって」「キシャは」といった声が聞こえている。休憩か何かのためにたまたま立ち寄ったと思った方がいいだろう。母親であろう女性へと視線を移せば、いつ転んでしまうか分からない我が子の近く離れる気配などなさそうだ。残るは老人であるが、新聞も読んでいることだし話がある程度できる方だと信じたいところだ。
「すみません。少し、お伺いしたいことがあるのですが」
「え? あぁ、何ですか?」
「あそこの垣根のあたりで、だれか作業をしてましたか?」
「柿? えっと、それなら向こうのスーパーがいいんじゃないかな」
老人の返答に頭を抱えたくなるのをぐっとこらえ、腹に力をいれる。再度同じ質問を繰り返せば、老人は少し気まずそうに笑ってみせた。
「いやぁ、お恥ずかしい。作業かどうかはわからないけれど、珍しい格好をした子がいるなぁとは思っていたよ」
「珍しい……」
「なんって言うんだっけね、ああいう格好。給仕さんのエプロンつけていて……ああいう格好を孫も高校でしたとかどうとか」
「……メイド服、でしょうか」
「あぁ! それそれ。お兄さん、今ので良く分かったね」
「ハハ……これでも探偵をしていますから」
「探偵さん? それは面白いねぇ」
「その人、黒髪の短髪で、エプロンではない衣服は黒色ではありませんでしたか? それと頭にカチューチャのようなものをつけて、そこから赤いリボンが、こんな感じで」
と、持ち歩いている手帳にさらりと脳内に思い浮かべた姿を書いてみせる。それを見た老人はピンときたというリアクションではないものの、確かに短い黒髪だったよと答えて、感心したように頷く。それに対し、少しばかり申し訳ない気持ちが芽生える。探偵だから分かったというのはもちろん嘘ではないが、それよりも前に物証は掴んでいたわけだし、珍しい格好がこのあたりを歩いていたといわれると嫌でも思い浮かぶ顔が一つあるからだ。
今度こそ文字通り頭を抱え、深い溜息をひとつ。不思議そうにこちらを見上げる老人へ礼を述べ、垣根のほうへ踵を返す。十数分前と変わらずぶら下がったまま、そよ風に揺れている真っ赤なリボンを手に取れば、それは何かで切られたようだということも理解する。
「事件ではない可能性が高いが……落とし主が分かっている以上、放っておくことはできないからな」
手袋の上に横たわるリボンを丁寧に折りたたみ、それからハンカチへと挟み込む。いつもの河川敷へ行けば、彼にあえるだろうと見当をつけそちらへと向かうべく、いつもの帰路を外れていく。陽は傾き始めており、遠くの空の雲は厚みをしていっているようだった。そういえば今朝のニュース番組にて、今晩から天候が大幅に崩れる始める予報だと説明がなされていた。
「急いだほうがよさそうだな」
一人、思い当たる人物がこの天候のことを知っているとするならば、仮の住まいをたたんでどこかに行ってしまっているかもしれないし、そうでなかったとするならば注意をしなくてはならないからだ。しばらく歩けば、河川敷へとたどり着く。以前来たときはこの辺りだったはずだと、草を踏みながら進んでいけば、家と呼んでいいのかどうか不安な造りのものが顔を出す。もちろん表札もないので、ここを訪れる際は初めに外から名前を呼ぶようにしている。
「……命。居るか?」
声をかければ中からガサリと物か布かなにかがこすれるような音が聞こえる。人はしっかり滞在しているようだ。昼寝でもしていたのだろうかと、再度声をかける。
「命。俺だ。寝ていたのか?」
「……」
「公園でお前のリボンと思われるものを見つけてな。持ってきたんだが」
「……」
「大方、食べれる草やなにかを探して公園の垣根の中に入り込んだんだろう。そうして、ヘッドドレスといったか? あのいつも頭につけているものを引っかけた。はずそうにも外れず、絡まったリボンだけを切ったといったところか?」
「……」
「どうだ? 当たっていただろう」
「……」
「命?」
「……ワン!!」
大きな返事と共に扉代わりの布の奥から小さなかたまりが飛び出してくる。その勢いに驚いてバランスを崩せば、そのまま後ろに倒れ込んでしまう。
「……っ!?」
自身に飛びついてきたそれを見れば、毛むくじゃらの小動物―子犬のようだ。舌をだし、はぁはぁと呼吸を繰り返している。事実は小説より奇なりという言葉もあるが、目の前の事実と自分の推理が正しいとするのであれば、事実にも小説のように奇妙奇天烈なことは起こりえるし、それもやはり一度や二度のことではなく、何度だって起こりえる。今回は、いや今回も彼に何かしらの人知を超える力が働いてしまったということか。
「命。一体何があった」
「ワン!」
「今度は何だ? 実験か? 餌につられたか?」
「キャン! キャン!!」
「……話せないというのは、やはり困るな。せめて人型であれば、頷くだとか、瞬きをするだとかで意思疎通が図れるのだが」
「クーン」
未だ身体の上でうろついている子犬を抱きかかえれば、大人しくそのまま腕の中に収まる。くんくんと匂いを嗅いだり、手袋の隙間を鼻で突いたりと忙しない。ああいう、普段掴みどころのないというか、気力に溢れているほうではない人であっても犬になってしまえば、本能通りに動くもの。いや、命の本能的に、直感的に動くような気質が増強されているということなのか。
「命」
「ワン!」
「何か手がかりは無いのか?」
「クー」
「お前はどうしていっつもそうなんだ」
「何がだ?」
「何がって、変なことに首を突っ込んだり、突っ込まなかったとしても巻き込まれるのか、ということだ」
「それは剛一郎も同じだと思うがな」
「……否定はしないが」
と、そこまで答えて目の前の子犬をまじまじとみる。長く伸びた毛の色も、その隙間からのぞく瞳も、彼のものとは異なる栗色だ。潤む瞳の中に、眉間にしわを寄せる自分自身が映り込む。
「命……?」
「どうした? 腹でも減ったか?」
目の前の犬は口を開いている様子もなく、甲高い鳴き声も聞こえない。それどころか、彼の声は自身の後ろから聞こえてくる。混乱の中、後ろをふりむけばそこに立っていたのは、自分が会いに来た張本人だった。
「すまないが、手に持ってるのは俺とその犬のメシだ。剛一郎、お前に分けられるものはない」
「……飯を、強請りに来たわけではない」
「そうなのか。なら何の用事だ?」
手の中に抱いた子犬と彼を交互に確認する自分の様子など気に掛ける様子などない命は、横を通り過ぎ家の中へと入っていく。彼が両手に持っていたのはパックの牛乳と、さつまいものようだった。子犬は鼻先をひくひくと動かし、自分の腕のなかから飛び降りていく。ふわりとふれた毛先の隙間から、命のリボンより少しくすんだ赤色が見える。
「……マロン」
「ワン!!」
ひときわ元気よく吠えた子犬は、入り口の前で命がでてくるのを今か今かと待ちわびているようだった。事実は小説より奇であることはあれど、さすがに人が犬になってしまうなんて早々ないのだということが証明されたというわけだ。
くるくると動きまわる子犬を撫でながら、あらためて首輪を確認すれば「Maron」と刻印がされている。半年もたてばここまで犬の毛も伸び放題になってしまうものなのかと驚いた。ややあって再び命が布をくぐって外に出てくる。ヘッドドレスに目をやれば、片方のリボンは短く結ぶこともできずに不格好になっていた。
「命、この犬は拾ったのか?」
「あぁ。公園の垣根に入って怯えていたからな。連れてきた」
「そうか。命、ひとついいか?」
「なんだ? 芋はあげないぞ」
「いや、牛乳はそのまま与えるとよくない場合もあるらしい」
「……そうなのか? それなら仕方ないな。俺が全部飲もう」
「それは、別に構わないが」
命がさつまいもを一口分手のひらに乗せ、子犬の口元へともっていけば子犬は嬉しそうにそれを食べ始める。少し痩せてしまっているのかもしれないが食欲はあるようだし、迷子になっていたとしても元気そうには見える。
「食べたな。よしよし」
命の手がゆっくりと犬を撫でれば、犬はそれに応じるように尻尾を振り、嬉しそうに吠える。命は再び子犬へと食事を分け与えながら、自分でも芋を口の中に頬張っていく。
「ほれで、ようひは?」
「あぁ、これを」
言ってハンカチに挟んでいたリボンを取り出す。命はそれをみて、ふっと顔をほころばせたように見えた。
「持ってきてくれたのか」
「服は前の雇い主が与えてくれたもの、という話だったと思ったからな。結弦くんやいろはくんにお願いすれば、綺麗に繕ってくれるかもしれない」
「そうだな。剛一郎、ありがとう」
「落とし物を届けただけだ。探偵としてな。……それに、収穫もあった」
「芋か?」
「違う。その子犬だ」
「こいつか?」
「あぁ、探し犬だ。迷子になっていたらしい」
「……そうだったのか」
「飼うつもりだったのか?」
「飼っていれば、何かあった時に頼りになると思ったからな」
子犬をみる命の視線の意味あいを深掘りしないほうがよさそうだと直感が告げれば、命はわかりやすく子犬に餌を与えるのをやめたようだった。それを見て、ひとつ咳ばらいをする。
「飼い主のところに届けに行こう。もし何かお礼の品をもらうようなことがあれば、お前がすべて貰っていい」
「本当か」
「あぁ。俺の探偵としての務めは、事件や謎を解決することそのものであるし、学生の身分だからな。付加価値は頂戴することもあれば、そうでないことだって当然ある」
「本当にいいんだな」
「構わない。だからこのまま付いて来てくれ」
「わかった」
命は残りの芋とどんどん食べ進め、牛乳を勢いよく飲み干していく。きらきらとした瞳には期待が存分に含まれていることが嫌でもわかる。
「あるかどうかは分からないぞ」
「肉だといいな」
「命」
「さぁ、行こう。剛一郎。どっちに行けばいい」
「まぁ待て」
子犬を持ち上げ命へと手渡せば、彼はそのままマロンをしっかりと抱きかかえる。すっかり子犬とそのお礼にしか興味がないらしい命に向け、声をかける。
「今晩は天候も荒れる予報らしい。この子を届け終えたら、俺の家にでもくるか?」
「いいのか?」
「あぁ。大したものは出せないがな」
「助かる。ありがとう」
「こっちこそ、思わぬところでひとつ事件が解決したのだ。構わないさ」
自分の推理もまだまだだなと思いながらも、彼の嬉しそうな姿をみることができたのだし、今夜は雨風の音など気にならないほど楽しい夜になるかもしれないなと、心が弾んだ。
前を行く彼が見ることは無かった自分の笑みの理由を、もうしばらくは秘密にしておいてもいいかもしれないなと思うのだった。
了