日常(非)「かけなよ。酒を注いでやっから」
そう言ってエルと名乗った男はその場を離れてキッチンへ向い、酒瓶とグラスを四つ取り出して準備を始める。その言葉に従って恐る恐ると対面のソファーへ二人並んで座れば、シグマがローテーブルへ食べかけのチーズを出してきた。そのままエルの手伝いへ向かうシグマを目で追って、視界に入ったソファーの上に鎮座するものに二人は身を震わせた。
エルが座っていた場所のすぐ隣に、まるでクッションの代わりかの様に一丁の自動式拳銃が無造作に置かれていたのだ。
「はい」
「ど、どうも」
シグマが渡してきたグラスを受け取り、両手で握り込むルイージ。明らかに怯えている彼を心配するドクタールイージ。そんな二人の様子に構うこと無く、シグマはエルの隣へ座る。キッチンから戻ってきたエルも再び同じ場所へ座り、ツマミが置いてあるにも関わらずローテーブルにどさりと両足を乗せた。
「で、何があってあんたらはこんなところへやってきちまったんだ?」
「…………ボクら、キノコ王国へ帰る途中だったんだよ」
エルの声を皮切りに、ドクタールイージは語り出した。
「この国の王様にバカンスへ招かれて、スカイランドを拠点に各地を観光して回っていたんだ。本当は彼と彼のお兄さんへの招待だったんだけど、お兄さんがどうしても日程調整が間に合わないからってボクに声をかけてくれたんだよ。王様はそんなボクにも優しく接してくれたし、訪れた土地はどれもこれも素敵な場所で、お誘いを受けて良かったねって二人で車の中で談笑してたんだ。そのスカイランドへ帰る道すがらで、野盗集団に襲われた」
ドクタールイージの声は重い。
「王様はここは本当に危険な土地だって教えてくれて安全な交通ルートも用意してくれてて、その上警護車も付けてくれていたのに、それらが一瞬の内に炎を巻いて吹っ飛んだ…………ボクらの乗っていた車も吹き飛びそうになってルーくんと一緒にこの身一つで飛び出したもんだから、嫌でもアンダーランドへ逃げ込むしか選択肢がなかったんだよ」
「あ〜そりゃお気の毒に」
ドクタールイージに対し、エルの声はとても軽い。明らかに心のこもっていない言葉を呟くとグラスを傾ける。
「襲ってきた奴らの顔はわかるか?」
「わからない。夜中だったし、炎に目が眩んで余計に見え辛かったから」
「僕も誰もわからない…………」
「あっそう」
二人の眉は終始垂れ下がりっぱなし。それに一言返し、エルは尻のポケットを探る。
「んじゃま、犯人特定は後にするとして、先ずお前らにやって欲しい事はこれだ」
と、エルがルイージの手元へ投げ込んできたのはスマホだった。
「兄貴に電話かけていいぞ」
「っホントに!?」
「おう」
それはルイージが今一番に欲しかった言葉。顔を明るくさせたルイージにエルは眉一つ動かさずにこう告げた。
「『お兄ちゃんは僕の命に一体どれくらいの価値を付けてくれるの?』って聞いてくれりゃあ、好きなだけ会話してくれていいぜ」
「…………は?」
「!!」
言葉の意味がまるで理解が出来ない、という様子のルイージ。対しドクタールイージは一度で言葉の意味をしっかりと理解したらしい。
「だからボク達を助けたのか…………っ!」
「ったりめぇだろバァーカ。じゃなきゃ誰が好き好んでおめぇらみてぇな役立たずなんか拾うかよ」
「っっ!!」
「な、何、どういうこと?」
突如怒り出すドクタールイージとそれを煽り立てるエル。そのどちらにもついていけないルイージは混乱する。そんな彼に助け舟を出したのはシグマだった。
「おまえら二人、ここにつれてきたの、ぼく」
無気力な瞳が困惑する瞳を捉える。
「そのもくてき。金」
「っ…………!?」
「大金。せしめるチャンス、おまえ」
深い闇を抱えた瞳がルイージを射貫く。
舌足らずな言葉と独特な口調で分かり辛いが、シグマが言う事が正しければ自分達は善意で助けられたのではなく、兄から金を毟り取るのに利用する為に助けられたらしい。
助け舟は海賊船だったのだ。
「わざわざ身代金など要求しなくても、ボクらを安全にスカイランドへ送ってくれればちゃんと謝礼はするよ!」
「おいおい、万国のスーパースターを相手にたかたが数十万程度の小便臭え謝礼金で満足しろってか?ガキの小遣いじゃねぇんだぞ」
呆れた目でエルはドクタールイージを睨む。
「それと身代金なんて人聞きの悪ぃ言葉を使わないでくれっか。それを欲してたのは野盗集団であって、俺達が欲しいっつってんのは『譲渡金』よ」
「譲渡金…………!?」
「『街の隅で怯えてぷるぷる震える事しか出来ない迷子の迷子の仔猫ちゃん達』を保護してんだ。譲渡金が正しいだろーが」
「っこの…………!!」
言われたい放題に言われてドクタールイージは怒りが沸いてくるのを感じるが、それを抑え込む為に拳を固く握り締めた。全く納得いかない理論だが、彼の手元には人を簡単に殺せる手段があるのを忘れてはいなかった。
「それでどうすんだ、スーパースターの弟。ちなみに俺としては素直に電話をかける事をオススメするぞ」
唇を噛んで黙り込んだドクタールイージを放置し、エルはスマホを見つめたままに停止しているルイージに視線を向ける。シグマもルイージへの視線は外していないままだ。
「…………かけない」
「あ?」
「兄さんに電話はかけない」
ぽつりと呟いたルイージはスマホをローテーブルの上で静かに置く。
それは下船の示しだった。
「…………そんな物騒な考えを持っている人達に、兄さんの情報を与える訳にはいかないよ…………」
か弱く細々とした声だったが、ルイージは確かにはっきりと拒否をした。
想定外の反応に、エルは心の内で少し驚いていた。『二人の位置からわざと見える場所に拳銃を置いて』席を立っている為に、自分達が圧倒的不利な立場であるとわかっている筈。その状況下で彼は『自分の身の安全ではなく、兄の身の安全』を選択したのだから。
エルとシグマは過去に幾度となくこのやり取りをしてきたが、『保護』した奴らは皆が皆、己の身可愛さに電話を取った。その譲渡金と手に入れた電話番号を情報屋へ売って再び金をせしめるのがいつもの手口。だからまさか拒否をするなんて思ってもみなかった。
シグマの視線がルイージからエルへと動く。どう対処するのかと問いかけてくる目に、エルは鼻で笑った。
「自分より他人を優先するなんて、流石はスーパースターの片割れさんなことで」
「……………………」
「まあいいさ。時間はまだたっぷりあるし」
エルはグラスを置くと腕に結んでいた緑のスカーフを解き、ツナギを着直し始める。身なりを整えた後に、スカーフを首に巻いた。
「メシ、食いに行こうぜ。腹減っちまったよ」
●●●●
そうしてルイージとドクタールイージが連れてこられたのは彼らが行き付けであるというピザ屋であった。内装はよく見るイタリアンで、客もそれなりにいるごく普通の飲食店だ。…………その客が隈なく全員、武装していなかったらの話だが。
「ここはこの辺じゃ一番うめぇピザ屋なんだ」
食ってみろって、と舌鼓を打つエルの腰にも当たり前の様に拳銃がぶら下がっている。頬を膨らまして黙々と食べているシグマの腰回りには大振りのナイフが二本も装備されているし、ここへ来る途中で袖の下の仕込みナイフを確認しているのをルイージは目撃していた。
「『ちゃんとした調味料』しか使ってねぇから安心しな」
「なんだよその引っかかる言い方は」
「『知らず知らずに中毒になっちまう調味料』は入ってねぇってこったよ」
「…………あああ…………」
察したドクタールイージは深いため息をつく。二人共空腹に負けてもそもそと食事はしているものの、今ので食欲はだいぶ失せてしまった。
「こんな狂気に満ちた世界が存在するなんて信じられない!」
「面白い事言うなぁお前」
ドクタールイージの嘆きにエルは笑いながら返した。
「ここはスカイランドから零れ落ちてきたクソと、他国から流れ着いてきたクソ共が集まって出来た土地だ。自分が楽して生きていく為に提供する料理に平気でヤクを仕込むようなバカ野郎が住まう土地だ。アンダーランドの別名知ってっか?『死者の国』だぞ?そりゃあ『狂気に満ちているのが自然』ってもんだぜ」
けらけらと笑い、汚れた指先をナプキンで拭き取る。
それからエルはシグマからの無言の合図を受け取って、声を低めてこう言った。
「…………それとよ、今すぐ全力で走って厨房内へ逃げ込め」
「「え?」」
「頭は低くしとけよ」
言うが早いか、エルは突然立ち上がると宣言通りに厨房へと全速力で駆け出した。その後をシグマも追う。奇々怪々な行動に戸惑う二人だが、その理由はすぐにわかった。
平穏だった店内に突如として、大量の銃弾が撃ち込まれたからだ。
硝子の割れる音、壁が抉れる音、人々の悲鳴、撃たれた者の断末魔。止まらない弾幕が空気を裂いて店内のあらゆるものを破壊していく音に全身の汗が吹き出る。
「っわわわわわッッ!!?」
「わぁーーーーッッ!!?」
椅子を弾き飛ばして立ち上がった二人は言われた通りに頭を低くし、全速力で厨房へと逃げ込む。すれば二人と同じく悲鳴を上げて体を丸めているシェフ達と、そんな彼らを尻目に堂々とワインを盗み飲みしているエルとシグマがいた。ルイージとドクタールイージは二人の元へ四つん這いになって這っていく。
「ちょっ、なっ、これっ、どッ!!?」
「ちゃんとした言葉を喋れよ。シグマよりひでぇぞ」
「何っ!!何これっ!!何が起こってんの!!?」
「わいんうま」
いまだ止まない銃撃にパニック状態になっている二人にエルは眉を顰め、シグマにいたっては完全無視である。
「何ってお客さんだよ。お前らの」
「お、客さん?」
「お前らを拉致しようとしてきた野盗集団って事」
「は!?」
「だってお前ら、犯人の顔知らねー覚えてねーって言うから。だったらこうして誘き出すしかねーじゃん」
さも当然と言うように語るエルに対し、二人は目を丸くして絶句。
完全に機能停止してしまった二人を放置し、エルはワインを片手にちらちらと外の様子を伺っているシグマに話しかける。
「で、どこのクソ共だ?」
「見た感じ『かめ2』、『はくしゃく1』、『かめんやろう3』。ツイホウシャよせあつめしゅうだん。おそらく」
「って事はあの『変態マッド野郎』が黒幕か。じゃねぇかなぁって思ってた所だわチクショウめ」
「これまた、えるねらっての計画?」
「さぁな。それは後で直接野郎に聞いてくる。…………そんなことより」
弾幕が止んだ。
つまりはこれから敵が乗り込んでくる合図。
「雑魚の集まりならお前一人で十分だな。任せたわ」
「りょ」
荒々しく鳴る足音がこちらへ向かう中、シグマは腰のホルスターからするりとサバイバルナイフを抜く。
●●●●
ぐちゃり、床に落ちたピザを踏み付けて輩達は雪崩込んでいく。警告も区別もなく撃ち込んだ弾丸は店内を綺麗さっぱりと『掃除』してくれた為に見るべき箇所は一つきり。ここまでくれば厨房へ逃げ込んだ野郎をさっさと始末して、目的のものを運び出すだけ。
十数分前に監視していた時はあの悪名高き『Mr.兄弟』を相手にしなきゃならないのかと戦慄していた所だったが、今となればそれは杞憂。人数差の有利は覆されないのだ。
そう野盗集団の誰もが思いつつ、じりじりと距離を詰めていたところだった。
不意に、厨房から何かが飛んできた。
【グレネードッ!!】
誰かがそう叫び、輩達に一斉に緊張が走る。しかしそれはほんの一瞬だった。飛んできたのは手榴弾ではなく、ワインの空瓶だったからである。
床に激突したワインの砕ける間の抜けた音が響く。
それはほんの一瞬の気の緩みだった。
それが勝敗を分けた。
先頭に立っていた男は安堵した表情を残したままに、首を切り落とされた。
その近くに立っていた男は腹部を横一直線に切り裂かれ、体勢を崩したところに頸動脈へ一突き。
ようやく気付いた三人目は向けた銃口を手首ごと切り落とされ、腹を裂かれ、首を落とされる。
そこからはもう、ただの殺戮ショーだった。
怒号、悲鳴、血飛沫、手首、足首、頭部、あらゆるものがあらゆる方向へ飛んでいく。
「う、あ」
垣間見てしまったモノにルイージは放心状態であった。
エルが投擲したワインと共に厨房を飛び出していったシグマ。彼が淡々と正確に無慈悲に無感情に人の命を奪っていく様に、ルイージは体の震えが止まらない。
「…………そんな…………人が人を…………こんな…………あっさりと…………」
「ルーくん!!これ以上見ちゃいけない!!」
ルイージは自身を掻き抱くかの様に腕を回し床へへたり込む。ドクタールイージはそんな彼に駆け寄って抱き締め、懸命に声をかける。そんな様子をエルはニヤニヤと嗤いながら見ていた。
「『お花畑育ち』にゃ、ブラッドバスは刺激が強すぎたかァ」
くつくつと肩を揺らして嗤う彼は心の底から楽しそうであった。
「『これ』が今、お前らのいる世界の真理だ。『これ』がここでは日常だ。お前らの生きる世界じゃ到底認められねぇ事が認められ、到底起きえない事が起きるのがこの『死者の国アンダーランド』だ。それでもまだ、俺達の保護下にいる事を拒否するか?『鴨ネギコンビ』さんよ」
そう問いかけ、エルは再びスマホをルイージへ投げて寄越した。
「他人を優先するのもいい加減にしておいた方がいいぞ」
「「……………………」」
エルの言葉に二人は何一つ返せない。
輩達がシグマにちゃくちゃくと殲滅させられている中で、ルイージはそっとスマホを手に取る。
それをドクタールイージは止めることが出来なかった。