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    🐙🦈『初恋』

    付き合ってないアズフロ。
    🐙をからかった🦈が因果応報でキス魔になる話。

    人をおちょくるとどうなるのか、フロイドくんにはその身をもって勉強してもらいました🦍

    うぇぶぼリク①
    『ちゅーして「奪っちゃった♥」っていうフロちゃん』でした。お題ありがとうございました!
    (2023.6.20 あも)

    🐙🦈『初恋』 フロイドが違和感に気づいたのは、VIPルームで依頼人と契約内容を詰めているときだった。

     アズールはお馴染みの薄ら寒い笑みを浮かべ、つつがなく黄金の契約書を提示する。互いの認識にトラブルもなく、スムーズに事が進んでいった。
     契約者がペンを執る。あまりにも順調な取引だ。支配人は柔和そうな表情を崩さず見守っている。普段であれば〝親切〟な手助けを何かしら追加で売り込んでいくというのに。
     顔を近づけ、それとなく手を握り、どこからか出した猫なで声でリップサービスを降り注ぐ。愚者を追い詰めていく手腕はいっそ芸術的ですらあった。そうして悪趣味なとどめを刺した末に口元だけで静かに微笑む。口角につられて品なく引き上がった黒子を見るのがジェイドとフロイドのお気に入りであり、彼らがアズールを特等席に座らせ続ける理由の一つになっていた。

     フロイドはガリリとキャンディーを噛み砕き、アズールの片脇に控えるジェイドに視線を送る。不満げな片割れを宥めるかのように、きょうだいの眉がわざとらしく下がった。それで何もかも腑に落ちる。訳があるのだ。ジェイドが知っていて、フロイドが知らない理由が。
     
    「フロイド」

     依頼人が退席すると、ジェイドが小さく手招きをした。既に他の仕事に取り掛かっているアズールの頭上で耳打ちが始まる。窮屈そうに身を屈めていたフロイドは間もなく目を真ん丸にして、たいそう機嫌よく歯を覗かせた。ジェイドも獰猛な歯並びを見せる。

    「マジで?」
    「ええ。おかしな話ですよね」
    「ふふ、やば。うける」

     クスクス。クスクス。

     生粋のいじめっ子たちの笑い声が歯の隙間から漏れていく。書類を読み込んでいたアズールは耳障りな談笑に集中を削がれ、苛立たしげにデスクから立ち上がった。

    「お前たち、さっきからうるさいんですよ! 邪魔するならよそンムグ」
    「おや……」 

     んちゅっ。
     柔らかな音とともにアズールとフロイドの唇が重なる。長い指に顎を掬い上げられたアズールは、驚愕する間もなくフロイドの大きな口の餌食となった。ジェイドもお決まりの言葉を反射的にこぼしたきり、合わさった唇を呆然と見つめている。
     日頃饒舌な二人が黙り込んだVIPルームに、海溝の水圧のごとく沈黙が降り掛かった。耐性のない者を圧死させるような重い空気の中、深海育ちのフロイドは気まずさを覚える様子もなく飄々としている。一瞬の口づけの間、アズールは凄まじい勢いで走馬灯を見た。

    「奪っちゃった♡」

     キスに満足してフロイドが離れる。とびきりの悪戯が成功した子供のように言い放ち、アズールの顔をチラリと覗き込んだ。硬直から解かれて、アズールは首をギクシャクもたげる。何かを期待するようにフロイドの黄金がきらきらと輝いていた。

    「おい、なにを……」
    「あれ。アズール、オレのこと好きになんないね」

     訝しげに不満を訴え、フロイドは再びムチッと唇同士を触れ合わせる。少し赤みを増した口先が、ちゅ、むちゅ…、と角度を変えて何度も柔らかく重なっていった。平然と続けられる口づけに、アズールは白昼夢の可能性を探り出す。
     相変わらず反応の薄いアズールに業を煮やし、フロイドは吸い付くような音を立てて薄い唇をあやし続けた。二秒、三秒とふたりのキスの時間が増える。漏れでた吐息は双方の唇をしっとりと濡らした。
     当初の無機質な接触よりも明らかに熱が込もっている。悪い冗談で済ませられる段階はとっくに過ぎていた。

    「……まだだめ?」

     小さく、悲しそうな呟きがこぼれる。声にのせてキャンディーの甘い香りが漂った。息継ぎをするフロイドの瞳はめろりと濡れている。舌を伸ばせば届く距離で、アズールは極上の美男子に迫られていた。

    「ひきゅ」

     カッと頬が熱くなり、タイを締めた喉元から引きつった声が漏れる。フロイドの憂いを帯びた色気にたまらず身じろぎすると、がっちりと腰へまとわりつく腕に気づいた。頭の中で自分の声がキンキン響く。

     キスされた。フロイドに。なぜ。どうして。

     考えても考えても、幼馴染と生々しく口づけを交わした現実に理解が追いつくことはなかった。視界の端で、口に両手を当てて驚嘆しているジェイドと目が合う。

    『お前のきょうだいだろ、なんとかしろジェイド!』
    『ここが踏ん張りどきです、アズール!』

     救援要請もむなしく、ジェイドの加勢はフロイドの奇行へと働いた。つまり何もしなかった。DUOが不発に終わり、アズールは胸中で盛大な舌打ちをする。

    「ねえ」
    「ッ、ひ、」

     拗ねた声音とともに、鋭い歯が耳朶へ充てがわれた。いたぶるように押し当てられた尖りは、ピアス穴のないまっさらな耳をジリリと刺激する。

    「こっち。……口開けて」

     半開きになった唇からギザついた歯が覗いていた。大きい肉食魚の歯だ。
     あの獰猛な歯が耳朶に齧りついていたのだ。ほんの数秒前に。
     アズールは自覚した途端、脳天が痺れるほど興奮した。

    「あ……」
     
     惚けたように溜息が出る。すかさずフロイドに深くかぶりつかれて、二人の呼吸が浅くなった。

    「っ、ぅ、ふぁ、」
    「ン……」

     恋人同士の戯れにはない、互いの手の内を探り合うような緊張の中で唇が重なる。
     ウツボの鋭い歯列に繰り返し食まれることで、アズールは次第にタコとしての本能を刺激されていった。腹の下から込み上げる恐怖と混乱が生存欲求を駆り立てる。理性の外からもたらされる快感は、逃げ出したくなるほど気持ちよかった。

    「ちょ、ちょっと、いつまで」

     押しのけようとすると、頭一つ抜けた長身に上から体重をかけられる。優しい圧迫のなか動かせるのは指先ぐらいで、容赦なくキスの雨が降り注いだ。アズールは汗をじんわり滲ませながら、なすすべなくアウアウ悶える。

    「いー匂い……」

     整った鼻が銀髪に擦り付けられた。フニと当たるフロイドの頬は部活後のように火照っている。首筋から一筋の汗が伝って、だらしなくはだけた胸元へ落ちた。
     交わしたのは軽いキスだけだ。舌を絡めたわけでもない。それでも、この男の深い味を知ってしまったような気がする──。
     荒い息を殺しながら、アズールはフロイドの真綿じみた酩酊に呑まれていった。

    「そこまでにしましょう」

     ジェイドが片割れの背中をトン、と叩く。水を差されたフロイドは気だるげに舌打ちし、コートがずり下がった肩に顔を埋めた。

    「ね、フロイド」
    「あっちいけって」
    「よろしいんですか? 後悔するのは貴方ですよ」

     わざとらしい溜息を無視し、フロイドがますます抱きしめる腕に力を込める。ジェイドは苦笑すると、机に置かれたスマートフォンへ視線を向けた。モストロ・ラウンジの閉店時間が近づいている。

    「……そろそろでしょうね」

     硬い声色がこぼれ落ちた。海底の密室に小さく響いた警告は、白昼夢にとらわれた二人まで届かない。

    「アズ、これなんの匂い? いつもと違う」

     フロイドが不躾にスンスン鼻を鳴らし、アズールはギクリと首筋を強張らせる。アレの処理に追われ、急いでシャワーを浴びた際にコロンを着け忘れていた。

    「汗かいてる」

     柔らかく目を細め、フロイドは顔を寄せてアズールのあちこちを探検しだす。羞恥に耐えかねてしどろもどろ言い訳すれば「じゃあこれがほんとのアズールなんだ」と破顔され、ますます鼻先の蹂躙が勢いづいた。ジェイドは我関せずに湯を沸かしはじめる。

    「あの、本当にやめてください。ちか、さっきから近いんですよ!」
    「ヤだった?」
    「……混乱しています。何なんですか急に、人を困らせるのはやめなさい」
    「いつもと反対のこと言うね」

     取り立てのポリシーをやすやすと捻じ曲げた支配人に、フロイドはひとしきりアハアハ笑った。

    「あは、……、……」

     最後の吐息を絞り出し、今度はたっぷり口をつぐむ。アズールは抱きしめられたまま、重苦しくなっていく拘束に甘んじていた。わずかな隙間から軽く息を零す。出会ってから十年近く経つが、これまでで一番フロイドの機嫌が読めなかった。

    「……ほんとに嫌?」

     耳元に直接注がれた問いかけはひどく甘ったるい。至近距離からの誘惑に、アズールの優秀な頭脳がみるみる錆びついていった。狼藉者にとって都合のいい沈黙が流れる。

    「困ってるだけならやめなぁい」

     性急にキスが再開された。場所を変えて何度も重なる隙に、ぺろりと唇の表面が舐められる。アズールのご機嫌をうかがいながら徐々に接触は増やされ、フロイドが下唇を吸い上げるのが息継ぎの合図になっていった。ちゅぷ、と短い銀糸が繋がる。
     フロイドに好き放題を許しながら、相変わらず芸もなくアズールは汗をかいていた。両手指を時折ひくつかせ、靴裏を床に押し付けるようにギュムギュム擦り減らしていく。明らかに正気を失っているフロイドを前に、逃げ出さなくてはと思う半面、繋がれた犬のようにいつまでもこの場に捕われていたかった。

     もはや問題は快不快ではなく、どうやって恋人でもなんでもない男にメンツを保ったまま敗北するかということでしかなかった。キスのきっかけなんてどうでもいい。一心に与え続けられる熱は、伴侶のいない若い人魚にとってあまりに心地よかった。なんの準備も駆け引きもなしに始まった恋だった。

     アズールは自分の握力を呪う。その気になれば人間の首すら容易く捻りあげられる筋力だ。当然フロイドだって承知している。絡みつく長い腕がアズールを閉じ込め続けられることが何よりの答えになり、悪漢をますます調子づけた。

    「ふ、ふろ、」
    「もっとオレの匂いになればいいのに」
    「っ、!」

     うっとり浮かされたフロイドが、ぎゅうううと力いっぱい抱擁する。男相手の遠慮ない締め上げだった。アズールの踵が持ち上がり、ちょうどいい高さになった頬がペトリと重なる。しばらくグリグリ頬擦りされ、フロイドが満足したところでようやく愛玩人形は地面に戻された。

    「オレのこと好きになって……」

     明暗それぞれに光る黄色い瞳がアズールを見つめる。数多の乙女を悩殺してきた輝きは、切なげにただひとりへと捧げられていた。呆気にとられるほどの美丈夫っぷりに、人魚に愛される熱烈さを知ったアズールはよろめく。出来た隙間を埋めるようにフロイドが腰を押し付けた。

    「わ、わかった。わかりましたから」
    「ねえ好き? もう好き?」
    「好き、好きです。好きだから離れて」
    「ほんとに?」

     潤んだ瞳が非難がましく念押しする。真っ赤になるばかりだったアズールはギョッと肩をすくめた。とろけた黄金にみるみる雫が溜まる。

    「オレばっかりこんなに好きなの、やだぁ……」

     とうとう堪えきれない涙が頬を伝った。滑り落ちるあいだに愛惜は真珠へと姿を変える。白く固まった丸粒が床に跳ねてカラカラと転がった。伏せた睫毛にかかる雫はきらきらと美しく、フロイドの憂いが真心であると語る。
     アズールは記憶の最下層に眠る感動を思い出した。初めて魔法を見たときのものだ。物理法則も何もかも飛び越えて、イマジネーションが現実に再現される瞬間の恍惚。目を逸らせば消えてしまうほどの儚さ。

     ──そうだった。魔法は突然に消える。

    「……うお!?」

     間抜け声に、緩みきった雰囲気がパチンと切り替わる。紅茶の水色を確認していたジェイドは、ティーカップから視線を上げないまま「終わりました?」とのんびり問いかけた。

    「え、アズール近くね……てかヨダレやば、何?!」

     アズールを抱き込んだままひとしきり騒ぎ立てると、フロイドは手袋をした甲でゴシゴシゴシ!と顔まわりを雑に拭う。頬に鮮やかな擦過痕が走った。

    「ジェイドお前、フロイドに何を吹き込んだ」
    「吹き込むだなんて。アズールがマジカルペンの暴発事故に居合わせたことを伝えたまでです」
    「フロイド、ジェイドから何を聞いた」
    「アズールが昼休み、キスした相手好きになるユニ魔くらったって。面白そーだから後で試していい? どうせ魔法解けたら全部忘れるでしょ」

     双方の言い分を聞いて、苦労人は長い長い溜息をつく。あらゆる疑問が消滅し、一呼吸の間にいくつもの感情がグルグルと去来した。頭が冷めた頃には疲弊しきり、アズールはどっと三歳は年をとったかのように錯覚する。

    「……正確には『キスをした相手好意を抱かせる』ユニーク魔法です。夢魔……失礼、妖精族にルーツがある生徒とぶつかった際、誤って発動したようで」
    「ふーん、……ン?」

     小刻みに揺れていた長身がピタリと静止する。

    「時限的な魅了チャームが付与されていたということです。……お前のことだ、夢中になった僕をからかおうとしたんだろう」

     次第に浅くなる呼吸音がアズールまで届いた。「ア」の形をした半開きの口から発声はなく、目だけが忙しなくキョロキョロ動いている。いっそ哀れなまでに挙動不審だった。

     アズールが惚れるのではなく、アズールに惚れる魔法。不自然なほど近い距離。失われた記憶。

     フロイドは真っ白になった。

    「今日のことはお互い忘れましょう。下がって結構」

     引導を渡し、纏わりつく両腕をアズールが引き離す。男一人をガチガチに抱え込んでいた枷は、無理矢理剝がした後もしばらく中途半端な位置で固まっていた。

    「だからお声がけしましたのに。……ああ、失礼。覚えていないのでしたっけ」

     いれたての紅茶をジェイドが啜る。フロイドは低く唸ると、ウミウシのようにのたのた蛇行しながら扉へ向かった。途中で何度か絨毯に躓き、カクンと腰が落ちる。
     言い訳も謝罪もせずに出ていくヨレた背中を、アズールはじっと見つめていた。







    「随分と寛大な処遇ですね」

     ティーカップが眼前に差し出される。アズールは短く礼を告げ、湯気の立つ紅茶を一気に呷った。

    「わざと曖昧な言い方をしたでしょう」
    「まさか。心外です」

     白々しい笑顔に心底うんざりする。ジェイドの「心外」はこの世で一番誠意のない言葉だ。

    「いい加減フロイドで遊ぶのはやめなさい。少なくとも僕を巻き込むな」
    「かしこまりました」

     レンズで遮れないほどの鬱憤を込め、ジトリと睨みをきかせる。ジェイドの凜とした声音に変化はない。
     無駄だとわかった上で、文句のひとつでもつけないと気が済まなかった。胸のあたりがむかついて仕方がない。双子のくだらない悪戯は、彼らと付き合う上で最も疎ましい税金だった。
     フロイドの腑抜けた顔を思い出し、さらに胸中のしこりが大きくなる。知ってはいたが、何から何まで失礼な男だった。そもそも人魚を色恋で冷やかすなんて正気の沙汰じゃない。

     苛立ちを紛らわせようと机上の書類をめくる。「そういえば」。ジェイドが二杯目の紅茶をサーブした。

    「本日の依頼人の方、財閥筋のご子息なのはご存知ですよね」
    「……それがなにか」
    「いえ、普段以上に慎重な接客でしたので。てっきりチャームを利用されるものだとばかり」

     品良く整えられたアズールの上っ面が、ヘドロを突きつけられたかのように苦々しく歪む。

    「するわけないだろ。気色悪い」







     力なくVIPルームを後にして、フロイドはぼんやりと自室へ向かう。最初の角を曲がったところで、尾びれが急に歩き方を忘れてしまった。右肩を壁に預けながらズルズルしゃがみ込む。

    「……サイアク」

     状況を口に出した途端、一気に目頭がツンと痛みだした。折り曲げた膝の上に顔を伏せ、小さく小さく巨体をたたむ。
     ふたりの様子からみるに、フロイドがチャームに囚われたことは間違いなかった。

     ズ、と洟をすする。ひどく惨めな気分だった。
     目が覚めたとき、アズールはフロイドの腕の中に大切に仕舞われていた。あの隠れ怪力が抵抗できないほど詰め寄ったに違いない。
     唆したジェイドには良い見世物となったことだろう。なんたって片割れと幼馴染の濃厚キスショーだ。口周りが濡れていたのも、そういうことがあったからで。

    「あ、ぐあいわる、ぐあいわるい……」

     想像し、いよいよ頭を抱え込んだ。己のあまりの醜態に悶絶する。気絶しようにも屈強な肉体は逃避を許さなかった。

    『今日のことはお互い忘れましょう』

     塞ぎ込んだ脳内に淡々したテノールが反芻される。ごみ漁りに夢中な野良犬を視界に入れたときと同じ温度だった。

     口の端をヒクヒク震わせながら、フロイドは必死に吐き気を抑える。
     貞操観念の強いタコの人魚をからかっておきながらお咎めなし。情けまでかけられ、すべてなかったことにされた。なんという慈悲深さだろう。

     皺がついたジャケットにいくつもの涙が吸われる。恋に泣く雫からは一粒の真珠も生まれなかった。







    「ウワびっくりした」

     VIPルームのすぐそばに落ちていたウツボ団子にアズールが腰を抜かす。悲惨な雰囲気を漂わせながら、フロイドはどんよりうずくまっていた。
     遠ざかる足音が聞こえて随分と時間が経っている。いつのまに戻ったのか。

    「そこにいるとジェイドに蹴られますよ」
    「……」
    「フロイド」
    「……」

     しょげた肩をステッキでつつく。それでもフロイドはだんまりを決め込んだ。先程の紛糾が癒えかけていたアズールは、道化に成り下がった男にいささか同情する。心臓が鱗で覆われているような悪童がここまで落ち込むとは予想外だった。
     フロイドだって腐っても人魚だ。好きでもない相手に本気で言い寄った自分が許せないのだろう。

     片膝をつき、青髪の中心にあるつむじに目線を合わせる。近くなった気配に、筋張った長躯がピクリと動いた。どうやって声を掛けたらいいか迷い、アズールは軽く咳払いをして誤魔化す。

     なんのことはない、身持ちの固い幼馴染をほんの少しからかおうとしただけだ。変わった魔法を試したくて、親愛の範囲を超えない程度の戯れを仕掛けたに過ぎない。結果は悲惨なものだったが。

    「……、……」

     腕の隙間からチラチラ黄金がのぞく。フロイドも話しかけるタイミングを探っているようだった。らしくもないしおらしさに、腐れ縁と自嘲する関係であっても情が湧く。

     こいつにも繊細なところはあるものだ。今回の被害者は僕だが、まあフロイドは生まれてこのかたジェイドの被害者のようなものだし……。

     弄ばれた怒りを今度こそ水に流し、アズールは持ちうる最大限の友情を尊重した。

    「気まずいでしょうが、先程の通りこの話はこれで終わり。いいですね」

     フロイドが勢いよく顔を上げる。澄んだ碧眼とたっぷり三秒見つめ合ったのち、ブワッと大粒の涙が流れ落ちた。

    「なんで?!」

     慰めたつもりが逆効果に終わり、アズールはうろたえながら咆哮した。ジェイドを呼ぶために腰を上げようとしたところで、手首をガッシリ掴まれる。逃げられなくなったアズールを、濡れたヘテロクロミアが刺した。

    「オレ、アズールが好きみたい」
    「え、」

     二の句が継げないアズールの隣で、フロイドの端正な面立ちがぐちゃぐちゃに汚れていく。

    「なかったことにしたくないぃ……」

     引きつった哀願に、殺したはずの恋心が息を吹き返した。
     アズールはボン!と全身を真っ赤に染めあげ、落ち着きなく辺りをウロウロ見渡す。見通しの良い廊下に誰もいないことを確認すると、縮こまって泣きじゃくる大男の横へ両膝をついた。







     冷めた紅茶を温めなおしながら、ジェイドは本棚の裏に隠しておいた菓子缶を取りだす。部屋の主も知らない、とっておきのへそくりだった。蓋を開けて色とりどりのクッキーをニコニコ数える。

    「十五分もあれば充分でしょうか」

     贔屓のパティスリーから取り寄せた甘味に、恍惚と舌鼓を打つ。夜食にちょうどよい量だ。

     結局のところ、ジェイドは二十分でも三十分でも待つ分には構わなかった。扉の向こうでは今、恋が生まれようとしているのだから。


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