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    umiyukisandesu

    @umiyukisandesu

    原稿進捗とか表に載せられないやつ置き場

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    umiyukisandesu

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    『返景(https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=20084139)』のタル鍾♀が指輪を贈り合う話。別に『返景』を読まなくても大丈夫なはず。

    推敲したら支部にあげます。

    1

     鍾離には気掛かりなことがあった。
     目の前に座る男がどうも挙動不審なのだ。用意した夕飯を──箸の使い方が上達したのもあり──しっかり口に運んではいるものの、鍾離が声を掛けても返事は上の空で、それでいて時折ちらちらと鍾離の様子を窺っている。それも表情ではなく、手元の方を。
    「……アヤックス。一体どうしたんだ?」
    「へ?」
     鍾離がそう声を掛けると、彼──アヤックスは肩をびくりと震わせた。ぼとり、と箸で摘んでいた肉が重力に従ってテーブルへと落下する。アヤックスは片眉を持ち上げるとすぐさま墜落したそれを箸で摘み直し、セーフ、と呟いて口へと納める。
    「いいや、何でもないよ」
    「……」
     アヤックスは首を振るも、鍾離からの視線の圧は弱まらない。アヤックスは眉根を寄せると咀嚼物を嚥下し、観念したように肩をすくめた。
    「……いや、ごめん。確かに考え事をしてたよ。鍾離先生に指摘されるってことは、態度に出過ぎてたってことだよね、俺」
     机の片隅に置かれた布巾に手を伸ばし、汚れを軽く拭き取りつつ彼は言葉を続ける。
    「でも……、本当に先生が気にすることじゃないよ。間違っても、先生への悪巧みなんかじゃない」
    「信じていいんだな?」
    「ああ。むしろ、先生を喜ばせたいから考えてるというか……」
     そこまで言いかけて、アヤックスはハッとして言葉を切った。
    「いやいや、今のなし。聞かなかったことにして」
     誤魔化すように人懐こい微笑みを浮かべる。不可解な点は残るものの、鍾離はそれ以上追及することはなかった。
     むしろ、その後改まって話を切り出したのはアヤックスの方だった。
    「さっきの話、だけど」
    「? 何の話だ?」
    「あー……、俺が考え事してる、って話」
     寝室の戸口に立っていたアヤックスは首筋を掻いて鍾離の方へと歩み寄る。寝台のいつも横になっているスペースに腰掛けると、神妙な顔つきで鍾離に向き直った。
    「……その。手に、触りたくて」
    「? 手くらい、いつでも触ればいいだろう。俺とお前は夫婦(めおと)なのだから」
    「い、いや……」
     不思議そうに首を傾げる鍾離の言葉にアヤックスは面食らった。未だにアヤックスと鍾離が夫婦の契りを交わしたという事実がうまく呑み込めず、鍾離に平然と突きつけられると動揺してしまう。
     アヤックスことファデュイ執行官第十一位『公子』タルタリヤは、鍾離こと俗世の七執政のうちが一人、岩神モラクスと夫婦の契りを交わした。──鍾離とただの友人関係を結んでいた頃の自分にそう言えばどんなに仰天するだろう、とふと考えるときがアヤックスにはある。思えば、鍾離が美女となって迫ったのも唐突だった。凡人の子育てや愛について知りたい、と言った鍾離によって二人は身体の関係を持つに至ったのだった。愛の解せない自分では力不足だ、とは主張したもののなあなあのままその関係はアヤックスが璃月を離れるまで続いた。再び璃月に戻ってきたとき、鍾離はアヤックスの子を宿していたと知ったときもかなりの衝撃だった。鍾離がそのまま一人で子を産み育てているつもりだと聞き、居ても立っても居られなくなったアヤックスは自ら鍾離と共に居ることを決め、夫婦の契りを交わした──というのが、事の顛末である。
     鍾離に振り回されてばかりだ、と思い返す度に我ながら呆れてしまう。しかし、なんだかんだ鍾離との時間を気に入っているのは事実で、家族となったからには大事にしたいという思いが芽生えたのも事実だった。
     アヤックスは咳払いをして、気を取り直す。
    「そんな……いきなりベタベタ触っても困るでしょ」
    「ベタベタ触るのか? 何故だ?」
    「……ちょっと、触ってみたくなって、ね。いい?」
    「ああ、構わないぞ」
     すんなり了承した鍾離は両手をアヤックスに向かって差し出した。アヤックスはその白く美しい手に恐る恐る触れる。男性体のとき、鍾離は常日頃手袋をしていた。それどころか、普段はかっちりと服を着込んでいるため、情事の際に見た肌には新鮮味を覚えたものである。しかし、今の鍾離は日常的に家事をこなすためか専ら素手で生活している。そんな鍾離も見慣れたものだが、改めてまじまじと見つめると惚れ惚れするような整った手をしていた。アヤックスが日中仕事で家を空けるときも掃除や洗濯などをしているはずだが、日焼けや手荒れは一切なく、爪の先まで手入れされている手だ。
    「……先生の手、綺麗だよね。彫刻みたいで」
    「彫刻、とは言い得て妙だな。事実、この凡人の肉体は俺が形作ったものだからな。岩を彫るのと同じだ」
     同じじゃないと思う、とアヤックスは心内で突っ込んだ。神が成せる技だろうに、そう簡単に言わないで欲しい。
     優しく揉み込むように、鍾離の手の感触を確かめる。そうする間に気付いたのは、鍾離の手に脈を感じない、ということだ。どうやら鍾離の肉体には脈打つ心臓というものが無いらしいことは薄々感じていた。その意も含めて“彫刻”だと鍾離は言ったのだろう。
     鍾離は、紛うことなき魔神モラクスなのだ。
    「お前の手は……戦士の手だな。それでいて……温かさを感じる」
     真剣な顔つきで己の手を触られ、どこか居た堪れなくなった鍾離はそう呟いた。アヤックスの手は節立っていて、女人の手をすっぽりと包めるほど大きい。武器を握る際に出来たのだろう、“たこ”の感触もある。アヤックスは顔を上げて鍾離に視線を合わせると、薄らと微笑んだ。
    「……付き合ってくれてありがとう、先生。そろそろ寝よっか」
     そして、アヤックスの顔が近付いたかと思うと、鍾離の額にそっと彼の唇が触れた。
     夫婦の契りを交わして以降、アヤックスは事あるごとに鍾離に触れるようになった。挨拶がわりに抱きしめたり軽い口付けをしたり、ということが頻繁になったのだ。スネージナヤの風習なのか、友人としての付き合いの間にもそうすることはあったが、“夫婦”となってからはそこに挨拶以上の何かが込められているような気がした。鍾離はといえば、接触を多く行う文化にも立場にもなかったため、未だに慣れず硬直してしまう。案の定、じっとアヤックスを見つめたまま動かない鍾離に、アヤックスは苦笑を零し頭をぽんぽんと撫でた。
    「おやすみ」
     サイドテーブルのランプを消し、アヤックスは枕へと頭を預ける。暗闇の中、アヤックスが鍾離を誘うように腕を広げているのが僅かな月明かりで見えたので、鍾離はそれに従ってアヤックスの腕の中へと身を納めた。
     しかし、アヤックスは何故鍾離の手に触れたがったのだろう。アヤックスの胸板に頭を預け鼓動を感じながら、鍾離はふとそんなことを考える。先程もしたように口付けたり抱き寄せたりは平気でしておきながら、アヤックスは手に触れたいなどと改まって申し出たのだ。可愛いところもあるじゃないか、と思ったが口にしないでおくことにした。裏で何かを考えていようが、悪巧みではないとアヤックスは言ったのだ。この男は“家族”に対して決して悪事を働く男ではない。それを信じることにしよう、と決めて鍾離は瞼を閉じた。

    2

     この国特産の石珀に夜泊石、青く透き通る水晶と稲妻産の紫水晶、同じく稲妻で採れる珊瑚真珠に果てにはスメールの砂漠の奥深くにあるサングイト。アヤックスの目の前には色とりどりの宝石が並んでいた。ゴマ粒ほどの小ささから手のひら並の大きさまで、見栄え良くカットされたジュエリーが並び、あるものは装飾品の一部としてここ明星斎の華やかさを演出している。店先に並ぶそんな色とりどりの石たちを端から端まで眺めて、アヤックスは何度目になるか分からない溜息をついた。
     ──あの指に嵌まる指輪は、どんなものが相応しいのだろう。

     事の発端は数日前、偶然部下の左手に嵌まる指輪を見つけたときに遡る。
    「君、結婚してたのかい」
     ファデュイに所属する者は基本的に手足の先まで黒装束に身を包んでいる。そのため、部下がたまたま手袋を外していたときにようやく薬指に輝くそれに気付くことができたのだ。
     アヤックスに声を掛けられた部下は、一瞬驚いたあと照れた風に頭を掻いた。
    「ああ、指輪ですか? ええ、実はそうなんです。そういえば『公子』様も御結婚されてましたよね。指輪はされないんですか?」
     ──結婚したことは公に言ってないはずなんだけどな。
     どこから話が漏れたのやら、今となってはほぼ全構成員が知っているのではないだろうか、とアヤックスは邪推している。特にアヤックスのいる璃月に派遣されたファデュイにとっては周知の事実らしく、急いで帰宅の準備をしていると生暖かい視線を一身に浴びるのだ。
     今更否定したところで効果は無いだろう。そう判断して、ごく普通の会話の調子でアヤックスは答えた。
    「そうだね、戦闘の邪魔になるし……」
     というより、そもそも指輪を持っていない、という事実にはたと気付く。婚約期間が無かったために婚約指輪にも、突然の婚姻のために結婚指輪にも縁が無いままだった。伴侶に指輪を贈り合うという行為は少なくともスネージナヤ人にはごく一般的で、指輪が無いのだということを言えば訝しまれるだろう。
    「……そもそも結婚したことは公にしたくないんだ。仕事相手に弱みを晒すことになるだろう? だから、俺のプライベートについては無闇に言いふらさないように。君も気を付けなよ」
     そう至って冷静に取り繕えば、単純な部下は、成程気を付けます、と神妙な顔つきで頷き、仕事へと戻っていった。
     一方、その後のアヤックスは指輪のことが頭を離れなかった。
     果たして自分たちに指輪は必要なのだろうか。アヤックスと鍾離は、一般的な夫婦のようにお互いを好き合って一緒に居るわけではない。子を産み育んでみたい鍾離にとって都合の良い凡人の男がアヤックスであっただけであり、アヤックスにとっては仮にも自身の血を継ぐ子を鍾離ひとりに任せておけなかっただけである。
     左手の薬指に嵌める指輪は、特別な意味を持つものだ。誰かを愛し自分はその誰かのものである、ということを示すのだ。
     しかし、鍾離──岩王帝君は決してアヤックスが所有権を誇示できる存在ではない。そもそも、鍾離とアヤックスは夫婦とはいえ成り行きでそうなっただけに過ぎない。互いの間に凡人の夫婦が持つような愛など無い──そう、最近までは思っていた。
     アヤックスは、特定の一人に向ける愛というものを解せずにいた。そんなアヤックスだったが、鍾離と共に暮らすうちに感じる居心地の良さが愛と呼べる感情なのではないかと考え始めていた。もしそれを愛と呼んでいいのであれば、鍾離に指輪を贈っても許されるはずだ。
     だが、とそこまで考えたところで思考は一歩後退する。確かに、岩王帝君を自分のものと主張できることには、甘美な魅力がある。願わくば力の差を見せて彼を下したいものだが、強者たる彼の特別な存在が自分であると誇示できる優越感は何事にも変え難いだろう。しかし、指輪は桎梏にもなり得る。六千年の歳を重ねた岩王帝君がこの先何年生きるかわからない。確実なのはアヤックスはその果てに立ち会うことはできないということだ。果てるその時まで岩王帝君は指輪という枷をつけたままアヤックスという凡人に囚われ続けるのだろうか? ──それはなんだか“違う”だろう、とアヤックスは首を振った。
     つらつらと考えたものの、思考を巡らすより行動を起こす方が性に合う。鍾離へ指輪を贈ろう、という結論に至るまでに時間はそう掛からなかった。第一、鍾離はそこまでアヤックスに入れ込んでなどいないだろうし、指輪もいずれ壊れたり擦り減ったりと形が無くなってしまうだろう。鍾離へ相応しいものをひとつ選んで、夫婦関係を示す指輪としてではなくただの装飾品として贈ればいい。鍾離がお気に召さないようだったら、自分用にすればいい。
     そして、次にアヤックスの頭を悩ませたのは鍾離にどんな指輪を選べばいいか、という難題である。軽い気持ちで岩の国璃月が誇る老舗宝飾店の明星斎を尋ねたアヤックスは、豊富なデザインの指輪に圧倒され、その場は何も買わずすごすごと店を出た。スネージナヤ出身のアヤックスにとって信仰こそ無いものの相手は岩の国璃月を治めていた岩の魔神なのだ、下手な装飾品は贈れない。輪の部分のデザインと材質は、どんな宝石を戴くものがいいのか、そもそもサイズは? 先日はそんなことを考えていたら鍾離に不審がられたというわけである。手に触りたい、という申し出は誤魔化しだった。しかし、鍾離の指回りがどの程度かを知り得る良い機会となった。
     鍾離の手に触れた明くる日再び明星斎を訪ねたアヤックスだったが、再び同じように肩を落とした。どのような指輪にすればいいのか、さっぱり分からなかった。
    「お客様、何かお探しでしょうか?」
     そんなアヤックスを見兼ねてか、店員が声を掛けた。
    「あ、ああ。……その、ええと、人に贈る指輪を探しているんだけど」
    「……まあ、まあ!」
     アヤックスがつっかえながらそう言えば、店員の女性は目を輝かせ口元に手を当てた。それから、満面の笑みを浮かべしきりに頷き、アヤックスに詰め寄る。
    「それでしたら明星斎にお任せください! 店頭に並ぶもの以外にもオーダーメイドも受け付けています! 世界に一つの大切な指輪をお作りしますよ!」
    「そ、それはどうも……」
     一体何が彼女に火をつけたというのだろう。彼女の熱気にアヤックスはたじろいだ。だがしかし──オーダーメイド、というものがあったか。既製品を見渡してもピンと来なかったため、いい考えかもしれない。
     そんなアヤックスの思いを見抜いたのか、店員はにやりと笑った。
    「お客様、オーダーメイドにご興味があるんですね? どんなものがお望みなのか、ざっくりでもいいのでお教えください! それに近い品があるかもしれませんし、さあさあ!」
     店員の勢いに引き摺り込まれたアヤックスは、ええと、と呟いて鍾離の姿を思い浮かべる。
    「そうだな、リングの部分は金が良くて……、デザインはシンプルなものがいいかもしれない。宝石は……ちょっと悩んでる」
     ふむふむ、とアヤックスの言葉をメモを取りつつ聞いていた店員は、ちょいちょいとアヤックスを手招きする。それに従って一歩近付くと、店員は声を抑えてこう言った。
    「そういえばお客様、瑠璃新月など如何でしょうか? まさに今入荷したところでして、若い男女に人気の品なんですよ。月に十枚しか入荷しないので、手に入れたらハートを虜にできると言われているんです」
    「ふうん?」
     噂には興味はないが、璃月の瑠璃は有名なものだ。とりあえず見せてくれないか、と頼むと店員は真面目な顔で頷き裏へと引っ込んだ。
     少しして、彼女は大きな木箱を両手に抱えて店頭へ戻った。
    「お待たせしました、こちらが瑠璃新月です。ご存知かもしれませんが、層岩巨淵の特別な砂で作られた特別な瑠璃なんです」
     へえ、と呟き箱の中央に据えられた瑠璃を眺めた。残念ながら、アヤックスには石の良し悪しなど分からない。鍾離を連れてくれば話は別だっただろうが、鍾離に贈る品なのだから自分で選びたかった。しかし、そんなアヤックスをもってしてもついその綺麗な深い青色に見惚れてしまう。噂を抜きにしても充分価値のある宝石だろう。
     だが、アヤックスの目をより惹きつけたのは瑠璃新月とは別の石だった。店員が持ってきたのは大雑把に分類して青色の宝石が詰まった箱らしく、瑠璃新月の他にも店頭には並んでいない宝石があった。その一つを指差し、店員に問う。
    「ちょっといいかな、これは?」


    3
     アヤックスの様子が奇妙になってから半月ほど経った後、彼は帰宅するなり緊張した面持ちで鍾離に小さな箱を差し出した。
    「先生に渡したいものがあるんだ」
     そう言って、アヤックス自らその箱を開ける。
    「……指輪、か?」
     現れたのは、綿に包まれた小さな指輪だった。波のような繊細なデザインの金色の腕は互い違いに青い宝石を抱いている。その宝石は光によって何色も異なる光沢を見せ、独特の波紋が模様となって刻まれていた。ほう、と呟いて鍾離は目を細める。
    「星螺の貝殻か。特に年代を重ねた星螺だろう、色合いが深く模様が美しい。波の紋様とよく似合っている。なかなか見る目があるじゃないか、何故これを俺に?」
     そう問えば、アヤックスは照れ臭いのか視線を逸らして頬を掻いた。
    「いや、その……深い意味はないよ。たまたま明星斎の店頭で見つけてさ、綺麗だったから……」
    「……ふむ。そうか」
     鍾離は片眉を持ち上げた。そして、アヤックスに向かって左手を突き出す。
    「嵌めてくれ」
    「……」
     どの指に、とは言われていない。
     しかし、この指環は結局、鍾離の薬指に合うサイズのものだ。そこに嵌めるしか無いだろう。
     アヤックスは息を吸い込むと、小さな指輪を慎重に箱から摘み上げた。そして、差し伸ばされた鍾離の白い手をそっと握り、外側から数えてひとつ内側の指へとそれを滑らせる。指輪は関節を越えしっかりとその指の根元まで辿り着いた。
    「ほう」
     鍾離は左手を目の前にかざし、じっと薬指の根元に居場所を見つけた指輪を眺めた。
     食い入るように黙って指輪を見つめる鍾離に耐えきれず、アヤックスは髪を掻き上げる。
    「あはは……気に入ってくれた? もし要らなかったら、俺に頂戴。割と気に入ったデザインだからさ、ネックレスにでもするよ」
    「……ふむ。俺の指に丁度嵌まる大きさの指輪をわざわざ腕の立つ職人に用意させておきながら、そんなことを言うんだな?」
    「うえっ……!?」
     アヤックスは大きく目を見開いた。どうしてそれを、と言わんばかりの表情に、鍾離は得意げに微笑む。
    「商業の港を長年見てきたのでな。市場に流通しない特別な価値を持つ品であることくらい、一目見れば分かる」
    「はは、参ったな……」
     あっさりと嘘が看破され、アヤックスはばつが悪そうに苦笑した。
    「それで、俺に特注品を寄越したのは何故だ? どうして、たまたま見つけた、などと嘘をついた?」
     鍾離の言葉に責める色はなく、純粋な疑問だからそれを問うているのだろう。
    ──どうも、先生に嘘はつけそうにないな。
     出会った頃はもっと上手く嘘がつけていたと思うのだが、これは長年の付き合いによるものなのか“家族“になったからだろうか。アヤックスは大きく息を吐くと、大人しく白状することにした。
    「……その、知ってるかもしれないけど、凡人の夫婦は指輪を贈り合って愛を誓うんだ。婚約のときにするものと、それから結婚してするものがあってね。部下がしているのを見てさ……俺たちにそういうのは無かったな、って思って」
    「成程、夫婦の契りを証明するものか。お前はこれを贈ろうと挙動不審になっていたわけだ」
    「挙動不審って……。まあ、大体合ってるよ」
     鍾離は指輪とアヤックスの顔をちらちらと交互に見ると、顎を触って何やら考え込んだ。
    「指輪を贈り合う、と言ったな。俺からお前に贈る分は──」
    「いやいや! これは俺の独断で買ったものだから、先生の方からは別に……」
    「……」
     じと、と鍾離はアヤックスを睨みつけた。黄金の眼光は鋭く、アヤックスは反射的に身を竦めてしまう。明星斎の店員からも、散々どうして二つではなく一つなのかと責められ、やっとのことで渋々ながら指輪一つのオーダーを取り付けたというのに。またここでも責められるのか、と冷や汗をかいた。
    「……フン、手を貸せ」
     言うが早いか、鍾離はアヤックスの左手を取り、顔の前へと持ち上げる。
    「岩神も見くびられたものだな。宝石も岩石の一種だ。小さな装飾品を作ることくらい、造作もない」
     そして、自身に嵌められた指輪と同じ位置──即ち、左手の薬指にそっと唇を寄せた。アヤックスは呆気に取られ一連の行動を見守るほかなかった。柔い唇の感触を感じていたかと思えば、何やら細かな砂粒が肌の上を滑っていくような擽ったい感触を覚える。鍾離が顔を離すと、口付けた箇所にはいつの間にか指輪が嵌っていた。
    「な──」
    「うむ、我ながら良い出来だ。お前はどうだ? 今のうちなら注文を聞いてやる」
     それはアヤックスが鍾離に贈った指輪と対になるような、銀の腕が互い違いに琥珀色の宝石を抱く指輪だった。銀で作られた台座は、一見すると鍾離の指にある指輪と同じデザインのように見えるが、目を凝らすと波ではなく龍の意匠を施されているのが分かる。琥珀色をした宝石は、『岩の心』とも呼ばれる石珀ではないだろうか。それは岩元素の純度が高い鉱物で、目の前の人の瞳と同じ色をしているものだ。
    「──凄い」
     一瞬の間に作り上げられた指輪を前に、単純明快な驚嘆がアヤックスの口から漏れる。
    「はは、参考となる見事な品もあったからな。俺の加護も施した、滅多なことでは壊れないぞ」
     そう言って鍾離は微笑む。指輪に嵌まる宝石と同じ色の瞳が蕩け、アヤックスを優しく眼差している。とくん、と心臓が一際高鳴ったのを感じた。
    「ありがとう、先生」
     アヤックスは心からの感謝の言葉を口にした。鍾離がアヤックスを考えて作り上げた指輪がこんなにも嬉しいものだとは思わなかった。アヤックスが、鍾離がよく身につけている服や装飾品の印象から金を選んだように、鍾離はアヤックスに対して銀が似合うと考えたのだろう。そして、宝石には相手のではなく己の瞳の色を。そこまで考えが見抜かれていたのかと思うと恥ずかしくもあるが、満足そうに頷く鍾離を見て嬉しさの方が勝った。
    「……でも、さ。先生、例えばの話だけど」
     アヤックスは己の手に輝く琥珀を眺めながら口を開いた。
    「俺が先生にとって、どうってことのない存在になったら……遠慮なく、その指輪は捨てて欲しい」
     それを聞いた途端、鍾離の表情が強張る。
    「……どうしてそんなことを言うんだ。俺は、お前の名残を遺したいのに……」
     鍾離は自身の指輪に目を落とし、拳をぎゅっと握り込んだ。ぎょっとしてアヤックスが鍾離に視線を向けると、唇を噛み締めて今にも泣き出しそうな顔をしている。思ってもみなかった反応にアヤックスは狼狽えた。
    「ご、ごめんって先生! 勿論、俺がどうってことのない存在にならないよう努力するつもりだったよ!? それでも、数百年後とかに俺はいないわけだからさ……」
     慌ててそう取り繕っても、黄金の瞳は水面のように揺らめくだけだ。思えば、鍾離の涙を見たことはない。常に毅然としている鍾離が涙を流す光景も想像がつかない。だが、そんな鍾離は現に今こうして感情を露わにしている。
     ──もしかして、とアヤックスの脳裏に一つの淡い仮説が浮かび上がった。
    「……男の俺が着ていた服があっただろう。あれは、昔俺に仕えていた夜叉が繕ってくれたものだ。俺は旧友からの贈り物を無碍にはしない」
     鍾離は憮然とした表情のままアヤックスを見上げる。裾で目元を軽く拭うと、鍾離の瞳は真っ直ぐ揺るぎないものとなった。
    「ましてや、伴侶からの贈り物である上に夫婦の契りの象徴だ。誰が手放すものか。この指輪が朽ちるまで大事に持っておく」
     そうアヤックスに宣言すると、自らの左手の薬指に嵌まる指輪をそっと撫でた。
    「……そっか。それなら、嬉しいよ」
     アヤックスは目を細めると、こみ上げる衝動のまま鍾離を抱き寄せた。鍾離はすんなりとアヤックスの腕の中へ収まり、そして身を固くする。これは決して拒否を示すのではなく、慣れぬことに動揺している証拠だとアヤックスは知っている。
    「俺も、先生がくれた指輪はずっと大切にするよ」
     鍾離の腹に負担を掛けないよう優しく、それでいてしっかりと鍾離を抱きしめる。
     形あるものはいずれ壊れてしまう。だから、壊れてしまうその時まで精一杯大切にするのだ。幼き子どもが見る夢のように。壊れた後のことを考えるなんて自分らしくなかった、とアヤックスは自省した。
    「……先生ってさ、もしかして、俺のこと結構──」
    ──好き、なんじゃないの。
     そう先程浮かんだ仮説を呟きかけて、言葉を止める。瞼を閉じ、そっと鍾離から身を離す。
    「……やっぱいいや。なんでもない」
     疑問符を顔に浮かべる鍾離の頭を撫で、にっこりと笑顔を作った。
    ──『帝君は決して浅慮なお方ではない! 貴様を選ぶ動機があった筈だ!』
     先日、月夜を背景に夜叉の少年が放った言葉が不意に蘇る。成り行き上アヤックスを選ぶ他無かったから鍾離はアヤックスを選んだのだと思っていた。だが、もし他に理由があるとするならば。愛を解せないと言っていた鍾離だが、それを愛だと自覚しないままそれに近しい感情をアヤックスに抱いていたとしたら。──指輪に対する鍾離の反応は、そう淡い期待を抱きざるを得ない。
     だが、鍾離と同じく愛が何たるかが分からないアヤックスがそれを指摘することもないだろう。アヤックスが自然と鍾離といる時間の居心地さを見出したように、自分で気付くべきだ。
     鍾離は瞼を伏せると、再びアヤックスの胸へ頭を埋めた。
    「……礼を言い忘れていた。美しい贈り物を有難う、アヤックス」
     照れ隠しなのか、顔を埋めたせいでもごもごとした言葉だったがそうしっかり聞き取れた。作り物でない自然な笑みが溢れ、アヤックスは再び鍾離の身体に腕を回した。
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