■尾形視点で中尉がそんなに出てこない尾鶴(と思っていたけど、全体の半分ぐらいは居た)
■尾形が一方的に軍曹と少尉へ同担拒否でギスっている
■特に何も起きないコメントに困る謎の話であり、注意書きに何を書けば良いのかわからない人間が書いている(いつも)
俺が父上を殺した日、鶴見中尉は俺の参謀になると約束をくれた。
それはこの人が近い将来、全てを捨てて俺だけのものになると言う事だ。
だったら今はまだ上官と部下の関係だけれど、少しばかり先払いでこの人からの『特別』を貰ったって良いだろう。どうせすぐに全部、俺の鶴見篤四郎になるのだから。
──そう考えてささやかな頼みごとをしたのだが、信じられない事に鶴見中尉殿はきっぱりとそれを拒絶した。
「何でですか」
さっきまでの熱が僅かだけ残っている胸元へと埋めていた顔を上げ、俺は不服と抗議の視線を送る。
「まだ何枚かは持っているのでしょう?ならそのうちの一枚ぐらい、私に下さっても良いではないですか」
俺がそう食い下がると、鶴見中尉は困ったような呆れたような顔で「ううん…」と溜め息に近い声を漏らす。
「どうしてお前達はそう気軽に写真を寄越せと言ってくるんだ…あれはなかなか高価なものなんだぞ?そもそもお前は今まで私の写真など興味もなかったじゃ……ッ!こら、噛むんじゃない、百之助!」
俺の頼みを断る口上と言うだけでも聞きたくないのに、その上俺ではない誰かの事まで持ち出してきたものだから、思わず目の前の乳首に噛みついてしまった。
興味がなかった訳じゃない。興味があるとあなたへ思われるのが嫌だっただけだ。
だけど今後あなたが俺の参謀になるのなら、俺には求める資格があるはずだ。
「…写真をくれれば噛みません」
「見え透いた嘘もやめなさい」
自分のほうが嘘ばかりなのにそんな言葉で俺を切り捨てて、鶴見中尉はこれ以上俺が噛みついてこないようにぐるりとこちらに背中を向ける。
ついでに掛け布団の大部分を腕に巻き込んで持って行かれ、殆ど追い出された格好の俺は慌てて彼の背中へ抱きついた。
「写真を下さい」
「しつこいぞ~百之助~」
写真をくれないのなら噛んでも良いんだろう。逃げられた胸の代わりに首筋を甘噛みしながらもう一度ねだると、やや嫌そうな声が投げられる。しつこく迫られる事がまったく嫌いと言う訳でもないくせに。
きっと貰えるはずだと思って頼んだ事がこうも拒絶されるなど、夢にも思わなかった。
だってたかが写真の一枚だ、すんなり貰えると思うだろう。
この人と共に映った月島がその片割れを持っているのは、面白くはないがまあ仕方ない。でも無関係なあのボンボンがねだりこんでこの人の写真を一枚くすねていった事も、それだけでは飽き足らず月島に寄越せと騒いでいる事も、再三言われ続けた月島が一昨日とうとう首を縦に振った事も俺は知っているし、それが何よりも面白くなかった。
あなたが信頼出来る戦友と分けあった高価なお写真とやらは、その戦争も知らんボンボンに平気で横流しされるんですよ。だったら私にだって一枚くれても良いじゃないですか。
そう言って月島の無神経も鯉登の無遠慮も知らせてやりたいが、この人との時間に俺以外の何かを割り込ます事なんてしたくない。言えない言葉を飲み込む代わり、俺は鶴見中尉の背中を噛みながらついでにお互いの脚と脚を擦り合わせる。
腹の中に憤りが渦を巻いていても、裸の肌同士を擦るのは今し方の情交を薄く思い起こさせて心地が良かった。
鶴見中尉も同じなのだろう。顔は反対側へ向けられたままだが、小さく「んん…ッ」だの「ふっ…」だのと噛み殺した吐息が聞こえる。
「…っ、そこまで欲しがる理由を言えば、考えてやらん事もないが」
さっきも散々噛みついて舐め上げた首筋や耳元に再び唇を寄せ、不規則に漏れる吐息と僅かに震える筋肉の動きを楽しんでいると、鶴見中尉が不意にそんな事を言った。
理由なんてものは山程ある。でも俺は求める理由を考慮した上で判断されるのでもなく、正直に答えた褒美として与えられるのでもなく、何の躊躇もなく写真を差し出して欲しいのだ。
だからこの人が言うところの『見え透いた嘘』で適当に答える。
「……あなたが私を裏切った時、丑の刻参りをする為にでも使おうかと」
俺の言葉を聞いた鶴見中尉が愉快そうに笑う。
「ほーう?面白い使い道じゃないか」
どう考えてもまともに取り合っていない声色だが、俺のほうも真面目に答えた訳ではないからそれで良かった。
「面白いでしょう?なら考えて下さいよ」
どうせこの人はもう、俺が何を言っても写真をくれない。それでも俺は諦め悪く食い下がる。
半分は本当に写真が欲しい気持ちで、もう半分はただ単に、これを口実にしていればまだ彼と触れ合っていられそうだと言う打算の元に。
どれだけ執拗に抱いた後でも、この人の身体に触れていると俺はすぐにまた抱きたくなってしまう。若さなんてそれらしい理由だけでは片付けられない、もっと根源からの何かがいつも俺を追い立てている。
そうやって俺が聞き分けのない態度を見せていると、鶴見中尉はこれみよがしに大きな溜め息を吐いた。
「…百之助」
「はい」
「写真なぞなくても、お前が私の顔を覚えていればそれで十分だろう」
あやすような力加減で俺の頭をぽんぽんと叩いて彼がそう言う。
先ほど俺が言ったいい加減な理由と同じぐらいのいい加減な提案で、鶴見中尉は俺の要求をうやむやにしてしまおうとする。
きっと他の奴らには簡単にくれてやっていただろうに、それを俺に寄越すのはそんなに惜しい事なのだろうか。
「では顔を見せて下さい」
「薄情な奴だな、今から覚えるのか?」
耳たぶを軽く食みながらねだった俺に、彼は愉快そうに笑って向き直る。
俺のものになる約束をしたのに写真一枚くれない人のほうがよっぽど薄情だろう。
「私の記憶と合っているかの答え合わせですよ」
写真の代わりにこれで手を打てとでも言うように鶴見中尉が俺の唇へ自分のそれを重ねてきたので、俺はそのまま彼の上に覆い被さって深い口吸いに持ち込んでやった。
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ほんの数分前まで生きていたエゾシカの腹の中は酷く暖かい。
あんなに煩かった風の音も遠くに聞こえて、おかしな事にここは普段の野営よりもましな環境にさえ感じられた。
師団を出てからはまともな寝床にありつける夜のほうが少なかったので、休めるのであれば可能な限り休んでおいたほうが良い。
頭では良くわかっているのだが、俺の脳味噌は一人になるとすぐに鶴見中尉の事を考えてしまう。そばに他人の気配もなく、ろくにする事もないこの状況なら尚の事だ。
鯉登に顔を見せた事で、俺がいま杉元達と行動を共にしている事はあの人の耳にも伝わるだろう。それより前、俺が前山を撃ち殺して剥製屋の坊やを殺そうとした事も恐らく月島から伝わっているはずだ。
俺の足取りを聞いた時のあの人は、一体どんな顔をしたのだろうか。
許し難い脱走兵だと腹を立てたかも知れないし、計画の邪魔になる厄介な相手だと顔を顰めたかも知れない。
他人に感情や心の内を悟らせる事を嫌う人だから、無表情で鯉登や月島の報告を聞くだけだったかも知れない。
もしかしたら、戦友だと思っていたのに残念だ…などと嘯いて大袈裟に嘆く振りをして見せたかも知れない。
思い浮かんだ可能性はどれもがあり得るような気がしたし、閉じた瞼の裏ではどの反応をする彼の姿も鮮明に描く事が出来た。
姿ばかりではなく、あの人の声も匂いも俺はまだ正確に思い出す事が出来ている。
褥で交わした下らない会話も抱いた時の身体の熱さも、皮膚の引き攣れを沿うようにして垂れていく得体の知れない汁の味も、あの人に関わる事はみな俺の記憶の隅々へ生々しく息づいていた。
こんなにはっきりと思い出せるなら、確かに写真などなくても変わらなかったなと、いつかのやり取りをふと思い出して結果論ではあるが納得する。
どうせ写真なんて本気で欲しかった訳じゃない。月島だの鯉登だのを相手に気前よくばらまいているようだから、それなら俺にも寄越せと言っただけだ。
薄っぺらくて小さな紙切れの中へお行儀良く収まった、誰のものでもない顔をした鶴見中尉。
俺はそんなものを未練がましく眺めるより、顔中を様々な液体で濡らしながら身を捩る彼の、焦点が曖昧になった暗い瞳を覗き込むほうがずっと良い。
爆風で剥がれた赤黒い肌だって感じてくればきちんと紅潮すると言う事も、その紅色の鮮やかさも、現実から置き去りにされた写真を眺めるだけの連中には想像さえ出来ないだろう。だけど、俺はそれを知っていた。
──そこまで取り留めもなく考えていたところで、俺は自分の下腹へ集まりだした熱に気付く。
「……チッ」
他人の気配も視線もない空間で良い気になって記憶を辿っていたのだから、当然と言えば当然だ。
この天候では十中八九追っ手も引き返しているだろうとは言え、まるで危機感のない呑気で正直な己の下半身に舌打ちする。
けれども幾らこれがその気になったところで、その熱を注ぎ込むべき相手はここには居ない。ならばと自分で適当に慰めてやろうにも、こんな狭い場所で抜いてしまえば後始末に困るのは明白だった。
どうにもならない欲を持て余した俺は仕方なく目の前の肉に食らいつき、弁えない性欲を食欲でごまかせないかと試みる。
だが歯を立てた部分は肉ではなく、ただの脂肪だったようだ。強く噛み締めてもまるでちぎれず、微かな臭みと脂の味ばかりが舌の上に広がっていく。
脂身の味だけではろくに食欲など満たせない。それでも暫くはどうにか噛みちぎれないかと咀嚼を続けたが段々それにも飽きてきて、俺は一旦顔を離すと今度はそのすぐ横の辺りを軽く吸い上げる。
柔らかくて生暖かい脂肪の感触は、無理に噛むよりも吸うほうが不思議と身に馴染んだ。
俺は目を閉じて無心で脂身を吸う。
窮屈なエゾシカの腹の中へと身体を収め、周りを暖かい肉に囲まれながら子供のようにその肉を吸っていると、覚えているはずもない生まれる前の記憶が甦ってくるようだ。
これが鶴見中尉の腹の中であれば良いのに。
身を包む暖かさにまどろんできた頭の隅から下らない考えが浮かんできて、良いわけあるかとすぐに打ち払う。
俺はあの人の飼い猫になりたい訳でも、子供になりたい訳でもない。そんなもので満足出来るなら今頃の俺はあの人のそばに居ただろう。
帰る家は手酷く燃やしてしまったのだから、俺はもう走り続けていくしかない。
俺が欲しいもの全てを手に入れる為の道はまだ長い。
それでも、早くあの人に会えたら良い、と。
とりとめのない思考が途切れる間際まで彼の事を考えながら、俺は少しだけ眠りについた。